俺のモノじゃない

そう、思っていた







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一年より、もっと傍の刹那で
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 あの人は、俺のモノにならない。

 一生、ならない。

 あの人は、俺のモノじゃない。

 だから、一生分の願いを使い切っていい。



「来年の俺の誕生日まで、一年でいい。俺の、恋人になってください」



 一年だけでいい。


 あの人が、欲しかった。








 狭い室内に、キスの音だけが響く。
 壁に押さえつけられた白石が別に抵抗するはずはないのに、財前はそうしないと気が済まなかった。
「…ん…っ…ん」
 白石が漏らす声に、その先が欲しくなるのはいつものことだ。
 だけど、それはダメだ。
 彼は、俺のモノじゃない。
「…っ…ぁ」
 唇を舌でなぞると、切ない声が漏れる。そのまま抱きしめた。
 去年、中学二年の七月二十日。
 誕生日に告白した。
 一年だけでいい、付き合って欲しい、と。
 それすら、拒否は覚悟した。
 白石が、千歳のものだと知っていたから。
 だけど、彼は頷いた。
 ええよ、と。
 拍子抜けた。
 それでも、折角得た許可だ。
 千歳先輩は?と聞いて、なくなったら嫌で、聞けなかった。
「…ふ…」
 ようやく口を解放した財前に、白石は押さえていた呼吸を取り戻して、大きく息を吸う。
 それも、本当は聞きたいことの一つ。
 千歳と付き合っているにしては、彼はキスに馴れていない。
 いつも、苦しそうに、息継ぎも出来ないようにしている。
 けれど、たった一年のリミットの恋人に聞ける筈がない。
 あと、たった半月のリミット。
 それでも、たった一日でも多く、俺のモノであって欲しかった。
 それが、まやかしでしか、なくても。

 苦しい程に、愛していた。





 一年の、入部の時、顧問に呼ばれて前に進み出た姿に、一瞬で目を奪われた。
「部長の、白石や。よろしゅうな」
 声すら、綺麗で。
 あまりに、自分と正反対ないかにもな優等生。
 入学して一ヶ月しないうちに、彼に関する情報は相当出そろっていた。

 四天宝寺一の天才、だの、二年で選ばれた部長、だの、西の本命の最強プレイヤー、だの。
 その完璧なテニスも、遜色ない顔立ちも、なにもかも、手の届かないところにあった。

「そういや、氷帝は侑士が天才とか言われてんな」
 ある日の部活で、白石が不意に言った。
 侑士?と聞き返す部員たちに、謙也が“俺の従兄弟”と説明する。
「うちは誰やろ…」
「お前やんか」
 謙也に言われて、白石はえー?とあからさまに拒否した。
「俺みたいなんのどこが」
「…お前、自分捕まえた評価がそれなん?」
「…謙也は、ちゃうよな」
「どーせ俺は凡人や!」
「うちはIQだけよん?」
「うん、小春は、ちょっとテニスの、とはちゃうな」
「おらん、でええんやない?」
 小石川の言葉に、白石は考え込んで、あ、と言った。
「そや、財前や」
 急な指名に、一年だからと隅で着替えていた俺は驚いた。
「やろ?」
「あー、まあなぁ」
「来月にはレギュラー入りするし。うんせや。財前やな、うちの天才は」
 笑顔で言われて、ども、としか言えなかった。
 憧れ(に果たして当てはまる感情か知らないが)の部長に直々に指名されて、嬉しかったけれど、微妙な心地だった。
 話すことはそれはあった。
 白石は部活熱心で、部員に親しく接する部長だったから。
 でも、特別気にかけられた記憶はない。
 あの日まで。



「財前、甥っ子がおるんやて?」
 雨が降った日、傘がなくて途方に暮れていた財前を半ば強引に一緒に傘にいれてくれた白石が、濡れた歩道で不意に言った。
「ああ、まあ」
「いくつ?」
「二歳」
「ああ、一番可愛い頃やな」
「そっすね、…可愛いです」
「うん、財前、ええ叔父ちゃんやんな」
「…やめてください、そんな中学生で」
「ぷ…ごめんごめん」
 白石は申し訳なさそうに笑って、不意に視線を止めた。
 歩道の隅、道路から追いやられた、車に轢かれた猫の死体。
 幸い原型は留めていたが、臓物が少々はみ出ていたそれを、無視するのは当然だ。
 けれど、白石は傘をはい、と財前に手渡した。
「それ、使って帰ってええよ」
「え?」
 白石は止める暇なく、死体の前にしゃがみ込むと、鞄から出した白いタオルでそっと死体をくるんで抱き上げた。
「…部長」
「…このままは、可哀相やろ」
「……でも、ほっとけば、そのうち、誰か」
「なら、その誰かが、俺でもええやろ?」
 雨に流されて血はなかったけれど、液体のしみこんだタオルをそのまま抱きかかえて歩き出す白石を追った。
「…部長って」
「博愛やないよ。見捨てる時はようさんあるし」
「…なんで」
「…お前といたからな」
 意味が分からない。
「…お前、…うち入部した時、…丁度あんな感じで隅っこで、一匹でおった。
 死んで、もう鳴けへん猫みたいに」
 嫌な意味やないよ、と言い置いて。
「はよう、暖かいとこに抱き上げて、連れてってやりたいんに…。
 手が届かんで、俺は、そこから動けへん。
 ……ただの、代替えのつもりや」
 全然、優しくない、と締めた。
 そんな風に、思われていたことが、嬉しかった。
 一人になりがちで、どこか孤独すらわかっていなかった自分を、一人でも毎日、見つめていてくれた人間がいたなんて。
 死体でも、目を背けず抱き上げていいほど、思っていてくれた人が、いたなんて。
 家に着くと、その傘使ってええから、と言って白石は死体をそっと雨樋のある下に置いた。
 晴れたら埋める、と。
 その汚れた手を取った。
 一瞬、それに驚いた身体を見つめて、
「俺も、死んでたら、抱き上げてくれますか?」
 そう聞いたら、ごめんと謝られた後、きつく抱きしめられた。
「…当たり前や。けど、そんなん、…絶対、許さへん」
 お前が死ぬことなんか、許さない。
 そう言った声が、震えていた。
 ダメだと思った。

 この人が、好きだ。

 そう、自覚した。

 けれど、翌年の四月に来た異邦人は、それごと奪っていった。
 よく、千歳の隣にいる彼を見た。
 付き合っている、という噂は、本当だと、ある日思った。
 千歳に抱きしめられている白石を見つけて、そう思って、

 一人で泣いた。

 俺のモノじゃなかった。

 最初から、俺のモノじゃなかった。

 そう思い知って、でも欲しくて。

 だから、告白した。




 あっさり訪れた七月二十日。
 光のお誕生日パーティや!と騒ぐ謙也たちに断って、白石と一緒に帰り道を歩いた。
 彼は他愛ない話をするばかりで、今日で終わると意識しているかも怪しい。
 そっと、手を握ると、握り返される。
 分かれ道で、足を止めた自分を不思議そうに見た彼が、わからない。
「…今日、ですよね」
「ああ、誕生日…」
「そうやない。俺とあんたの、“恋人ごっこ”…終わる日」
 言うと白石は初めて、驚くように瞳を揺らした。
「…財前?」
「…ええです、なんも言わんで」
「財前」
「ええんです。…俺、知ってますから」
「…え?」
「あんたが、千歳先輩のもんってことくらい」
 白石は無言だった。
「…だから、一年だけでも、嬉しかった。
 …有り難うございました」
 そう早口で言って、顔を上げる。
 彼は、泣きそうに自分を見つめていた。
 意味は、やっぱりわからない。
「…さよなら…白石先輩」
 言って、駆け出そうと踵を返した腕を、咄嗟に強く掴まれた。
 反射で振り返った瞬間、唇に触れたのは、間違いなく彼の唇。
 驚いて、動けなくなった財前をあの日のように抱きしめると、白石は顔のわからない姿勢で言った。
「……また、明日な…」
 その声が、震えていることに、気付かなかった。


 ずっと、俺のモノじゃないと。


 俺のモノじゃないと、思っていた。






 白石がドイツに留学して、もう三年が経つ。
 彼の実力なら、プロになっておかしくないと思っていたから予想の範疇だった。
 彼が、海外に発ったのは、あの、“別れた”日のたった、一週間後だった。
 既にプロ入りして、数々のタイトルをとっている彼をテレビで追うのが、日課になった。
 千歳に、馬鹿と言われた。
 最初から、俺は白石と付き合ってなかよ、と。
 あの日、たまたま参っていた彼を慰めただけだ、と。
 最初から、俺のモノじゃないと思いこんで、手を離してしまった。

 望めば、俺のモノに、なってくれたのに。

 丁度彼のインタビューが映った。

『はい、帰ったらとりあえず、同級生たちに会いに行こうかなと思ってます』

 背は伸びたらしいけれど、昔と変わらない、柔らかいテノール。

『あと、…昔の、恋人?に』

 テレビの中の報道陣が騒いだ。

『いましたよ。一年しか付き合ってませんでしたけど。
 俺は本気で好きでしたけど、…そう言う前に、別れてしまったんで。
 今度こそ、言いに行こうと思ってます』


 心臓が、痛くなった。
 あまりに、鼓動が早くて。
 まさかと、自惚れる馬鹿な心は、嘘だなんて、思えなくて。



『もう一度、付き合って欲しいって―――――――――――――』



 そうテレビ越しの彼の声が、言った瞬間、インターホンが鳴った。
 兄が、自分を呼ぶ。
 その出された名前に、心臓はもう五月蠅くて、止まった方がいいんじゃないかと言うほど。
 玄関で立つ、あの、なにより、愛しい人。
 全然、変わらない。
「今日、ニュースで流すって聞いて、今日来ようって決めてたんや。
 お前、絶対俺のニュースだけは、見てくれてるって自惚れてるし」
「…白石、さ」
「…言うの、遅くなって、ごめんな。
 今更やったら、ええ。けど、言わせてや」
 白石は真っ直ぐ、財前を見つめて、微笑んだ。
 あの日のように、優しく。

「中学の時からずっと、お前だけ―――――――――――――好きやで、財前」

 告げられた告白は、なんのリミットもない、永遠の至上の愛のうた。

 抱きついて、細い身体を目一杯抱きしめる。
 この人は、俺のモノだったんだ。
 ずっと、俺のモノだったんだ。
「…好き、です…今でも…っ」
「…うん、ありがとう。……財前」
 背中に回された腕がきつく抱いてきて、髪を撫でて柔らかい声が言う。


「おめでと、財前」


 その日は、折しも、俺の十八歳の誕生日。
 今度こそ、付き合って欲しい。
 今度こそ、俺のモノになってください。

 今度は一年じゃなくて。

 永遠に。



 その言葉に、彼は当たり前や、と笑ってくれた。




 この人は、ずっと俺のモノだった。

 ずっと、俺の傍にいた。


 一年より、もっと傍の、…刹那で。



 刹那で、届く距離に、ずっと、いてくれたことが、きっとなによりの、プレゼントだった。







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 今更だが、光お誕生日おめでとう!
 光蔵です。
 千光で書く予定が、前に謙蔵とちとくらの中編書いたばっかで、白石のいない話が書けなかったのと
 一度別れて、もう一度思いを告げる白石が描きたいなー、と。
 白石はプロになっても、普通に就職してもどっちもありだと思う。
 おめでとう光、遅れてごめん。


 作成日時:2008/08/09