『――――――――――――例えば、買いたい本があって、書店へ行って。
 入り口に誰かがいたら邪魔やろ?
 たとえそれが教師だろうが貞子だろうが初恋の人だろうが天敵だろうがや。
 相手に対する反応と態度が変わるだけや。
 障害物であることに変わりはのうて。苛つくかそうでないかだけで。
 せやから結局、意識外なら人も物も大差ないん。
 意識しない奴の顔なんか覚えないやろ? 道ですれ違う人の群がマネキンの山でも気にせえへんかったら一緒ってこと。
 嫌いな奴なら人形だと思えばええんや。相手が傷付こうが、こっちは知った事やない』





 謙也に語った自分の自論だ。
理解は出来る。出来るから言ったのだし。
 ようするに嫌いな奴に気を遣う事ほど苦痛はないし、大切な相手といることほど安らぐこともない。
 何時だったか、視界に入るだけで苛々する人間がいると彼が言った時にそんな事を言ってやった。
 嫌いな奴なら無視するか上辺だけで流しゃいい。気に入らない人間のために神経すり減らす甲斐もないで。と。
 納得は出来たらしい。ああそうやなと言った。

 しかし、この現状はなんだろう。



 日曜日。
 程良く晴れた空に長く伸びる雲は春の訪れを告げるようで、落ちる日差しにも心地よさを感じる。強すぎず、肌寒くもなく。薄着でいても十分に過ごしやすい日だ。
 待ち合わせに入った喫茶店は空調が適度で、鞄の中に入れておいた薄手の上着を着直す必要もない。
 窓際に陣取った自分の手の上に、分厚い硝子から反射した陽光が落ちて暖かい。
 照らされている木目のあるテーブルにも温もりがうつっていて、本当に眠くなりそうな陽気だ。店内のゆったりとした曲と、昼前の静けさのような緩やかな店内。
 頼んだ紅茶を待つでもなく息を吐いて、白石は意味もなく窓にやっていた視線を、本来なら誰もいないはずの相席に移す。
(ここは喫茶店や)
 それは当然だ。
(日曜で、俺のプライベートや)
 それも当たり前だ。
(待ち合わせの相手は少なくともこいつではないから、当然その相手しか知らない)
 盗聴器でもない限りな。

 窓の外で鳥の声はしない。街中だ。
 代わりに道を行く人々の笑い声や歓声が響く。直ぐ向こうの通りが見えて、街路樹の下に落ちる木漏れ日が揺れて綺麗だ。
 実際、俺は割と楽しみにしていたのだ。
(例え相手があの天上天下唯我独尊癇癪俺様帝王やろうが)
 もう一度反芻してみる。自分としたことが、目の前の物体の認識を恐れている。
 此処は喫茶店だ。日曜日だ。部活は休みだ。プライベートだ。
 で。
 白石の視線に気付いたのか、はたまた気付いていて敢えて突っ込むのを止めていたのか。
 湯気の立つ珈琲を飲み込んで、訝るように彼は眼を細める。
「どげんしたと?」
 此処は喫茶店で、日曜で、プライベートで、誰にも言って無くて。
「…………なして貴様が当たり前の顔して俺と相席してるんや…!
 …って、思ってたんやけど何か文句有るんか千歳」
 テーブルにカチカチと爪を立ててみながら低い声で言ってみる。
 千歳の指がスプーンを掴んで、カップの中身を軽くかき混ぜている音が此処まで届く。
 それは決して不協和音ではないのだ。有り触れた光景で、喫茶店なら尚更で、千歳なんて見目麗しい奴がやればそれだけで格好が付く。いや自分もその部類だが。
(まぁあの天上天下唯我独尊癇癪俺様帝王よりは嫌みではないが見た目)
 だが、しかし。
「…強いて言うなら、どげんして跡部はよくて俺が駄目よーとという事が」
「今更何抜かしてるんやこの出戻り野郎」
「…出戻り? 俺は嫁に言った覚えはなかよ」
「ないやろーなそりゃそういう意味やないわ」
「寧ろ嫁に来るのは白石たい」
「俺は男! 帰れお前は!」
 テーブルの下から思い切り向こう臑を蹴ってやる。
 流石に効いたのか千歳はしばらくテーブルに突っ伏して黙りこくっていたが、そのまま相手の到着を待とうとした白石の思惑空しく再び顔を上げた。
「嫌たいっ」
「嫌やないわ。大体俺はお前となんか待ち合わせしとらんの。
 やのになしているわけ?」
 その上勝手に同席してくるし!
 問いただす方はいい加減笑顔も続かないのだが(というかこの件においてはかなり早い時点で笑顔を放棄している)問われた方は凄まじく真顔だ。白石や周辺の人間でなければその時点で参ってしまうようだ。
 勿論相手が白石だから怒鳴り倒す方向にいってるのだが。
「決まっとう!
 白石が跡部と会うって聞いたけん。妨害しに来たと」
「やから情報源は何処や!」
「判らんと?」
「判らへんから俺が怒鳴らなきゃいかんのやろこの俺が」
「白石……」
 呆れた、という風に息を吐く千歳を見ては、出来ることなら呆れたいのは自分の方だと白石は思う。
「…ほんなこつに判らんと?」
 しかし、千歳にもの凄く真剣みのある顔で問われて、瞬間的にあの無愛想イカサマポーカーお手の物後輩が脳内に浮かんでしまった。ああ、そうだ。アレ(固有名詞も憚られる程に腹が立つ)の存在を忘れてた。
(俺としたことが迂闊や…)
 千歳を相手取るなら本気で掛からなきゃいかんかったのに。畜生。
「…どげんしてそげん嫌がると」
「跡部が好きやっつー事やないのは確かやけどな」
「ならよか」
「やからお前が一緒に来ていいっちゅー結論に至るとは限らないんや千歳?」
「なら限るたい」
「せやからわからんなら帰れオドレは!」
 思わず感情のままにテーブルを叩いたら手が思った以上に痛かった。おまけに丁度紅茶を運んできた店員さんがえらい驚いて固まっているのに気付いて、慌てて謝る。
「…白石、今日はどぎゃんしてそげんテンション高か?」
(だっれの所為や……このムッツリ大男)
 まだ春の初めだから、と頼んだ温かい紅茶は添えた手の平を直ぐに暖める熱さで、注意して口に運びながら、何とか落ち着こうとする。
 実際、つい横目で彼を確認したらまたじーっとこっちを見つめていたので思わず吹き出しそうになったというのは自分の名誉のために伏せておく。
「………あんなぁ千歳。きちんと考えとる?」
「将来計画?」
「激しく違うわ。なんで昼前の喫茶店で中学生が将来設計なんてもん考えなあかんねん」
「白石、設計じゃなくて計画とよ」
「そんな細かいことはどうでもええ。
 あのな千歳。…今日は俺のプライベートや。俺は俺の自由にしていい権利がある」
「そうたいね」
「それで、俺の待ち合わせ相手は千歳やない。
 ここまで、ええか?」
「だけん、俺もつき合いたか」
「付き合わんでええって言うとるんや!」
「どげんしてそこまでイヤいいよーと…俺たち、恋人たい」
 跡部なんかと会う理由を知る権利がある、としゅんとした子犬のような顔をされて、白石は参る。
 そうなのだが。今回は、跡部にしか頼れないことだ。そして千歳がいてはいけないことだ。(跡部には謙也→侑士→跡部経由で連絡を取った)
「…、やからつまり。
 お前の理論は筋通っとる。けどな、今回はお前は一緒やあかんねん。
 わかれや?」
「どげんして?」
 相当自分が跡部と会うのが気に入らないらしい。
 千歳の独占欲の強さは知っていた。しかしこんな時に発揮されなくても。
 そこで急に自分と彼の間に、赤茶色のメニューがぬっと割り込んだ。
 そして、それを差し出した腕を伝えば予想通りの顔に辿り着く。
 何処か尊大に見下ろす顔を見遣って、あからさまな息を吐いた。
「…ナイスヘルプ跡部くん。…せやけど遅刻」
「悪かったな。まさか千歳がいるとは思わねぇし。
 連れが五月蠅くてな」
 連れ、の言葉に千歳が一瞬反応を返した。跡部の登場に不機嫌に転じた表情が僅かに変化する。
 それを見る前に、白石の首に後ろから伸びた手が巻き付いて、楽しそうな声がついでに降った。
「白石くんー。俺も来ちゃったー」
「芥川くん…?」
 連れが居るとは知っていたがそれが彼だとは訊いていない。
 隣の席に膝立ちになってしがみついてくる芥川は謙也を思い出すようで嫌いでもないのだ。
「連れって自分やったんか芥川くん」
 ジローの方は気分を害した様子もなく、いいよーと笑う。
「ジローで良いってみんなそうだし! 楽だし」
「…ほなジローくん。今日は起きてるんや」
「そりゃ自ら連れてけと立候補したんだ。これで寝てたら俺は置いていく」
「ああうん自分は本気でやりそうや」
「でも跡部さっき電車の中で寝てたら凄い必死で起こしてくれたじゃん」
「へー」
「さも意外そうな面すんな」
「別にそうは言っとらん…。さて」
 じゃあ行こうか、と席を立つ白石の手首がくんと引かれた。千歳だ。
「離してくれへん?」
「嫌たい」
「嫌やちゃうわ分からず屋」
「どっちがそうたい。第一話の途中とよ」
「オドレが勝手に始めた、な」
 立ち上がれば彼の方が低く見える。それを利用してまで嫌味のように見下ろして紡ぐ。
 わざとらしく。ああもう、いい加減諦めないのかなこいつは。
 それでも一度は詰まった彼の手を振り払って、さっさとその場を後にする。
 伝票も置いてきたんだ。もう、諦めや、と。




「いいのか? 彼氏だろ」
「やからって、一緒に行けへん」
 道路を歩きながら、白石が放り投げた手の向きに、芥川が笑顔でいぶかしんだ。
「なんで? 千歳のことなんでしょー?」
「やから千歳が一緒やあかんねん…」
 千歳の目は多少回復したものの、矢張り完全な回復に至らないと中学三年の一年間で思い知った。
 そんな時、ネットで眼科の名医の話を小耳に挟んだ。
 跡部に聞いたのは、その医師に日常生活で回復の手助けをする療法はないかということを聞けないかということだった(折しもその医師は跡部財閥の傘下だったからだ)
 なら日曜日に会え。丁度大阪に用事があると跡部。
 二つ返事で日程をあけたのだが。
「………」
(拗ねとるかなぁ…それとも帰ったら激しくヤられるやろか)
「……お前なぁ」
 白石の葛藤をわかった顔で跡部は。
「悩むことじゃねえだろ。恋人のことちゃんと考えてんだからてめえは」
「………けど、自己満足やんか」
「俺が言ってやる…」
 自分から言い出したくせに、本格的にへこみだした白石に、跡部はため息を吐く。
 芥川だけが、白石背が高いねーと場違いに笑った。


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 白石と千歳は真剣なんだけど周りから見るとくだらない喧嘩をする二人、を書いてみた。
 というか今回なんで両方に跡部がいるんだろうか。ジロちゃんを出したのはなんとなく。