「こら、もう消灯やろ!」 部屋に入って開口一番。 本当にうちの部長は「おかん」だな、と謙也は思った。 ベスト4祝いの旅行は前年度成績から沖縄までの観光を許可されて、それではしゃぐな、という方が無理。 宿泊先は沖縄の離れ島の小さな民宿。 大抵の部員は狭い部屋に雑魚寝状態だが、レギュラーだけは比較的大きな部屋に割り振られていて、謙也の部屋には別部屋の財前と千歳が集まっていた。 そこにジュースを買いに行っていた小春たちが戻ってくる。 「蔵リン〜合宿じゃないんだから消灯時間なんていいっこなしよ〜?」 たまのカマ言葉に諭されて、「まあそうなんやけど」と答える辺り、白石自身、先ほどのは条件反射だったという自覚がある模様。 「…まあ、今回はええか…。でもなに見てるん?」 「怪奇特番。あ、ほら、今丁度この島のヤツやっとんで!」 「あ、ほんまや…」 テレビにはこの島の離れ小島の怪奇話が映されている。 なんでも、その離れ小島には鳥居のある社が十二個ある。 それには回る正しい順番があり、それと逆に回ってしまうと。 「…あの世に連れてかれる…?」 「らしいな」 「…ふうん」 一番興味なさそうに呟いた白石がこの中では一番の霊感持ちだというのだから、不思議だ。 むしろ、霊感体質で散々な目に遭うから、興味を持たないようにしているのか。 「…なあ、これ、明日行ってみん?」 「謙也…お前は」 「ええやんか! 逆に回らなければええんやろ?」 「…まあ、情報が正しいなら、そうですけどね」 「光も来い!」 「…んー、まあ、いいっすけど」 「おいおい財前」 「部長も行きません? 霊感持ちの人の意見をリピーター」 「…お前な」 「…白石の、ってそげん危なかと? それとも、感じるだけ?」 千歳が初めて口を利いた。 「…んー? とりつかれる…はもうないな。小学校ん時はあったけど。 ただ見えるだけ、聞こえるだけやな」 「なら、行かんね? もしなんばあったら、俺が白石は守ったい」 「…お前も好きやなぁ…」 千歳にまで言われて、白石は周囲を見る。 小春もユウジも、以下同文の顔だ。 「…わかった…。ただ、ほんまに正しい順番でやるんやで?」 渋々許可すると、やったの声が響いて、階下の民宿の人に訝られた。 「白石、大丈夫と?」 自分の部屋への帰り道。廊下で伺ってきた声に、なに今更、と笑った。 「さっき、自分かてノリノリやった癖に」 「そうやけど…だけん、白石にもしなんば、痛かことになるんなら、俺が言って…」 「…気遣いすぎやねん。自分はいつも、俺を…」 誰もが知っていることだ。 俺と千歳が付き合ってるなんてことは。 けれど、 「…白石、気遣わんと、俺ば誰気遣ったらよかの?」 「…千歳は、…真っ直ぐ過ぎんや…。俺には、…もったいない」 知らず、泣きそうに嗤っていたのだろう。 すぐ、きつく抱きしめられた。 暖かい、身体。鼻孔をくすぐる、愛しい匂い。 だけど、俺は千歳とセックスしてる。 男同士で、間違ってるだの、不毛だの、いくらだって。 言える。 なのに、みんな、言わない。 普通に理解の範疇。 なんでだろう。 独りで怖がってる、俺が、馬鹿みたいに途方に暮れる。 「…千歳…」 「なんね…」 「…、…シてや…。ようさん…」 「今、ヤったら白石、明日しんどくなる」 「…やけど…、俺はようさんして欲しい…。 …なぁ、千歳…」 「白石…?」 泣きそうに微笑むと、彼は茫然とした後、泣きそうにまた抱きしめて。 「…俺…なんで…、笑ってんやろ……」 それすら、わからない。 もう、わからない。 きっと、俺はしんどくて、なにかが壊れてしまったまま。 あの日、お前が退部届けを出した日に。 ああ、やっぱり、お前は最後まで俺達と一緒になんか来ないんだ。 そう、一度思い知って。 だから、 だから、愛しいのに、辛くて、 辛くて、いつだってお前を傷付けることしか出来なくて。 「…もう、笑わなくてよかよ」 「………千歳は………俺、…好きなんか…?」 「当たり前と」 「……ほんまに…?」 「ほんなこつ」 「…………ただの、刹那的な話やないん…?」 零すと、不意に身体を離された。 真っ直ぐ、見つめる瞳が、悲しげに揺らいだ。 「…なぁ、千歳」 「…なんね」 「俺らんことも…あっさり終わるんちゃうん…? …家族は、そうもいかんけど、恋人なんて…あっさり言葉一つで終わる…。 それこそ、退部届け出すみたいに…あっさり終わるんやから…」 瞬間、顔を歪めた千歳がきつく抱きしめて、唇を深く塞いだ。 拒むことなく受け入れて、手を回しながら。 俺はいつだって覚悟する。 あのチームすら、千歳にとって永遠じゃなかったと思い知ったから。 俺達のことすら、退部届けみたいな一枚の紙一つでいつか終わると。 最後の強がりで、笑って手を振るから。 だから、いっそ今すぐ紙一つで終わらせてくれないか。 願うのに、千歳は抱きしめるばかりで、なにひとつくれないんだ。 「ここが、十一個目の鳥居か…?」 翌日、その離れ小島。 十一個目の鳥居と社を過ぎて、「なんも起こらないっスね」と言う後輩に謙也がそれでいいんや、と言っていた。 「あれが、十二個目か…」 先に見つけた千歳が、傍によって目を細めた。 「千歳?」 「…白石、最初に回る社ってなんて社やったと…?」 驚く程低い声で、思わず答える。 「…備前社」 「…なんでん…十二個目のここに、その名前があんね…?」 「え…?」 茫然としたのは謙也たちもだった。 駆け寄って、地元の人に持たされた紙と見比べる。 「…嘘やろ…やって、俺らちゃんと正しい道から…」 謙也が漏らす。 つまり、俺達は正しい順路で回る筈の道を間違えてしまった。 ――――――――――逆に回ったのだ。 「…多分、最初っから“間違わされた”んや…」 「白石、それどういう…」 「…散々、試す奴らがおったんやろ。そうすると、端から小島にいる霊たちは小細工もしてくる。…間違って、逆に回るように道を示すなり、思考を歪めるなりな」 「…ほな、…あかん…。はよ元の島戻らんと…!」 一個目と十二個目の社の位置自体は近い。 すぐ抜ければ、本島とを繋ぐ長い海の橋だ。 そこに出て駆け出す。 しかし、すぐ足を止めた白石に、千歳がすぐ気付いて振り返った。 「白石…なんばして…」 「…千歳……」 「…白石?」 「……お前、ほんまに…俺んこと切れや」 「…しら、いし?」 「…ええこと、一個もない。 …早う、部活みたいに退部届けみたいに紙出して、…切ればええんや」 「…白石…なに言って…!」 「……やって……お前がなんで…退部届け出したかも…俺んことだけ切らんかも…。 わからん…。 …もう……俺んことなんか置いて…行ったらええ…」 「…」 千歳はそこで、言葉を失った。 気付いてしまったのか。と内心で舌打ちもした。 下方、足下。 俺の両足を掴む、橋の下から、海から伸びた二本の腕。 「白石!」 叫んだ千歳が白石の肩を抱きしめるように掴んで、その足を掴む腕を蹴り飛ばした。 一瞬怯んだ腕が海の底に引っ込む。 「…白石…なんでん素直に言わんね…!」 「…やって…お前、絶対…俺んこと助けるやんか…。 …逃げられるわけ、ないやろ」 「やってみらんねわからんと!」 そのまま白石を肩に抱え上げた千歳が走り出す。 気付いて足を止めていた謙也たちも、それに習った。 先頭の財前が青ざめて足を止めた。 気付けば、橋の周り中の海を覆う、手の群。 「…なん、やねん」 「もう、俺らにもしっかり見えるあたり、…怖いわ」 「……やっぱり、逃げられん…」 「白石…」 「…さっき、俺んことだけ置いてけばよかったんや。 霊感あるヤツが一番狙われる。…俺、餌にすれば」 「…っ馬鹿言うんじゃなかね!」 叫ばれた直後、身体を降ろされて、すぐ両頬を千歳に叩かれた。 「置いてけるわけなか…。 部は退部届けで終わっても…白石だけは終わらせられるわけなかよ…! ばってん…白石がおらんかったら俺ば部に戻ってなか…。 二度と、白石を切るとかそげんこと言わんね! はりかくたい!」 「…ち、とせ…」 「…あ!」 財前が不意に気付く。 反対側の向こう岸。 本島の端に、着いて来なかった石田がいる。 彼が、一枚の札を投げた。 それが橋に落ちた瞬間、腕が一気に海底に沈んだ。 「今や! 千歳、白石連れてこい!」 「わかっとう!」 謙也の声に白石を抱き直した千歳が抱えて走り出す。 橋を渡りきる寸前、声がした。 きっと、自分にだけ。 “いかないで” わかって、瞳を閉じた。 自分はきっと、この島に来たときから知らずあの場所の霊に同調していた。 だから、千歳にあんなことを言って、強請って、切れと言って。 “いかないで”なんて、全部俺があの時願ったこと。 あれは、…あの日の俺だ。 切ない程、行かないでと願って、でも叫べなかった言葉全てが。 きっと、あそこにはあった。 「銀が島の住職に掛け合ってくれとってよかったな」 民宿に帰った謙也たちに渡邊がそう言った。 「…うん、すまん師範〜助かった」 「いや」 「……白石」 呼ばれて、振り返ると千歳が居た。 自分らしくない発言の理由もわかってしまったので気まずかったが、逆らわず行くと、くしゃりと頭を撫でられて、笑われた。 「白石は、恋人なんか“紙一つ”で切れる言うたけど…。 部だって、切れてなかろ?」 「…千歳」 「オサム先生や、謙也や、みんなの声があって、結局切れたりせんかったよ。 …他の“恋人”が例え“紙一つ”で終わっても、俺達は違か。 ………白石が悲しいなら、俺が痛い程繋いどく。俺がどっか行こうとしたら、白石が“こら”って言えばよか。 俺が、白石の声で振り返らん時、あったと?」 「……」 泣きそうになって、答える。 「ない」 「…やけん、白石が呼ぶ限り、俺は振り返って、戻ってくったい。 ほら、紙一つでなんか、絶対終わらなかよ? それに、俺達んこつはみんな知っとうから、絶対謙也たちも俺や白石んこつ、止めるけんね」 「……、…そうやな」 笑う声と顔に呼ばれるように、そっとしがみつく。 抱きしめる腕に、落とされるキスにすがって、一言だけ願う。 「いかんで…な?」 「…」 千歳は、満面に微笑んで答えてくれた。 「当たり前たい」 終わりは、きっと始まりより難しい。 紙一つで、終わるものなんてきっとどこにもないのだ。 千歳の退部届けすら、あっさり破るようになかったことになったように。 紙一つで終わらせようとしたって、止める人が絶対いるから。 だから、今はそれだけでいい。 行かないで、と願うから。 手を伸ばして、掴むから。 だから振り返って、気付いて戻ってきて。 そして抱きしめて。 それで何度でも言ってくれ。 行かないでという言葉に。 当たり前だ、と、笑顔で。 禍つ歌なんか聞こえない。 聞こえたのは、いかないでという、自分と同じ。 寂しい声だけ。 |