自覚しないと置いてくで






休戦協定
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 それは、千歳が一週間ぶりに部活に顔を出した日のことだ。

 己でも、一週間は休みすぎだと思ったが、どうしても行きたい場所があってふらふらしてしまった。『どうしても』というと語弊がある。
 死ぬほど行きたかったわけじゃない。ただその日の思い立った気分に過ぎない。
 だが、出かけてしまう人間だった。自分は。



「え? 俺、ダブルスなしと?」

 その日の放課後練習。
 部長の白石に言い渡された言葉に、千歳はそう返した。
「ちゃう。お前は別のヤツと、や」
 本来、千歳とは謙也が組むはずだった。謙也は、シングルスとして充分な実力を持つが、ダブルスにおける視野の広さと、パートナーへの気配りを買われて、ダブルスメインとされているレギュラーだ。謙也自身、シングルスで戦いたい気持ちもある反面、自分を純粋に買われていることを誇りに思ってもいる。
「年がら年中サボるようなヤツと、いつ練習あるかもわからんのに、ダブルス組んでられへん、やと」
「…謙也が?」
 言ったとは信じがたい言葉だ。困惑した千歳に、傍で見ていた小石川が「光が」と一言口を挟む。
「『そないいい加減なヤツと組ませるくらいなら、謙也は俺に寄こせ』てな」
「……あー」
 向こうのコートで、その財前が視線で睨んでくる。確かにその通りだ。
「じゃ、俺は、誰と?」
「俺」
「………はい?」
 千歳は聞き返した。白石は再度言う。自分を指さして。
「俺や」
「……はいっ!?」

 千歳は我ながら素っ頓狂な声を出したと思った。
 だって、出来ないとはまさか思わないが、この中で誰よりシングルスとして戦力になる白石が、ダブルス?
 自分が相手とか、自分と組むという驚きより、それに驚いた。

「ぐたぐた言うな。俺とお前のダブルスは近畿大会で使う。
 近畿大会でうまく行くようなら、全国でも一回はやる。
 …つべこべ言うな! 近畿大会までに、パーフェクトなダブルス出来るように練習やれ」
「……はい」

 部長として発言している時の白石に、逆らえる部員はいない。
 千歳も例外ではなく、一言頷いた。





 それからの練習は、兎に角はちゃめちゃだ、と言えた。
「千歳!」
 コートに飛んだ白石の怒声に、部員たちは「ああまたか」と千歳に呆れの視線を寄越す。
 これで何度目だろう。
 今回は、千歳が後衛の白石が狙ったコースに割り込んでしまったかららしい。
 白石は慌てて、右手にラケットを持ち替えて、千歳の遥か頭上を狙うロブに切り替えたが。
「お前は……、コートに他人がいるって自覚を持て!
 自由気ままに動いてもボールが自陣からは飛ばない保証ないねんぞ!?」
「……ごめん」
「…ったく。お前、中一か? 新入部員か? ダブルスの練習、獅子楽でもやったやろ?」
「……その度に、確かサボ」
「わかった」
「………………」
 最後まで聞いてもらえなかった。硬直する千歳を促して、白石は次の順番のペアにコートを譲る。

 白石は、いつまで続けるんだろう。




 別に、自分から反発しているわけじゃない。
 わざとじゃない。
 出来ないだけだ。本当に。

 それでも、数日すれば、なんとか目の当てられるダブルスにはなってきた。
 ただし、それは千歳がうまくやるようになったわけではない。
 白石が、千歳のパターンを読んで、上手くゲームメイクするようになっただけ。
 教科書に載るようなプレイは全てマスターしていると言っても過言ではない白石だ。
 千歳のようなとんでもないプレイすら、数日で把握しはじめた。

 千歳はとにかく、破天荒なプレイすぎた。ほぼ直感でのプレイ。
 それでも、うまくいっていた。シングルスでは。
 シングルスでは、充分すぎる戦力だった。
 右目をカバーするために、頭で考えているようではプレイは出来ないと千歳は言う。
 余計、直感に頼ったプレイになる。




 何度目かのラリーで、また、後衛の白石の打つコースに割り込んでしまった千歳に、白石は一瞬、そのままラケットを振り下ろすそぶりを見せた。
 だが、一瞬だった。すぐ、白石は振りかぶっていた手を降ろすと、そのラケットでボールをいなして、止めてしまった。ラリーを。
「悪い。俺らの失点」
「はい」
 審判役の部員にそう告げて、白石はコートを降りた。
 丁度その失点で、試合は終わった。


「…」


 コートからは出ても、考えるそぶりの千歳を置いて白石は休憩を告げると、部室に向かった。
 それを千歳はただ見送る。
「……おい、千歳?」
「え? ああ」
 謙也に呼び寄せられて、千歳はそちらに足を向ける。
「大分マシになったんちゃう?」
「…全然」
 千歳は、そう返した。全然だ、と。
「白石の良さが、殺されとる」
 そう言った千歳に、傍の財前が口笛を吹いた。褒めたように。
「そこはわかるんですね」
「光」
「俺、あんたが最初に驚いた時も、そう思いましたわ」
「……最初?」
 謙也が、なんのことだという顔をする。
「最初、この人驚いたでしょ?
『部長がダブルスなんてしていいのか』って意味で。
 あそこで、『自分とダブルスをするのが部長』とかいう意味やなく、『白石部長がダブルスに入る』って意味で驚いたから。正しいです、そこは」
「……白石は、なして、俺と……」
 財前は、今度は「さあ」と答えた。






 自然足は白石を追って、部室にたどり着く。
 ノブを握る前に、中から小石川の声がした。

「お前、あの時考えたんやろ?」




「あのまま打ったら、千歳の後頭部にがつん、やもんな」
 そう言った小石川に、白石は椅子に深く座って、頷いた。
「あてたくないんやろ。千歳に。コートの中で、ボールは」
「……千歳はしらんけどな、ホンマは」
 そう答えて、白石は足を組む。明かりのない部室には、日差しだけが強い。
「あいつが、目の怪我で怖かったかどうかはわからんて。ただ、俺は怖い。
 せやから、もうあいつに、ボールをコートであてたない。
 ……ちゃんと、あいつは覚えるべきや。
 これから、どこの高校行くかしらんけど、高校でもテニスするなら、三年間一回もダブルスやらないってことはない。
 やのに、あんなんで、基本もわからんなら、いくら相手が気ぃつけてもボールにぶつかるやろう。
 …あいつは、今のウチにダブルスをちゃんと出来るようになった方がええ」
「白石らしいな」
「てか、おらんやろ? どこいっても、俺以上にしつこくて、根気のある部長は」
「…確かにな」




 小石川の声が、肯定する。
 知っていた。そういう部長(ヒト)だって。
 でも、知らなかった。

 思いやられていたこと。

 千歳は手を離し、その場から離れた。
 気付かれた様子はない。








(とにかく)

 千歳はその日、部活終了後、買い食いの誘いを断って、ある公営のテニスコートに来ていた。

(俺は、想像力がない)

 テニスは、経験と想像力も必要だ。
 直感だけでプレイ出来る人間は、そんなに多くない。
 どこにボールが来たら、相手がどう返すか。
 その、経験を伴った想像力と判断力。
 実戦を伴ったものが、必要になる。

 自分は、シングルスは勘でやれるが、ダブルスはてんでダメだ。

 とにかく、こうしたら、味方の前衛はどう動くか。こうしたら、味方の後衛がどこに打つかがわかっていない。
 白石だけが合わせるのでは、白石の良さを全て殺す。

 付け焼き刃でもいい。とにかく、想像力のヒントでも理解しないと。


(とにかく、観察。やね…)




 最初は、それでいい。







「あれから、大分進歩したなぁ」
 近畿大会会場。丁度試合は、白石と千歳のダブルスだ。
 シングルスメインの選手とは思えない連携は、白石自身にとっても、及第点か、及ばなくても満足なものだろう。
 フェンスの傍で見ている謙也の言葉を拾って、財前がですね、と頷く。
「どういうわけか、あの人、どんどん無駄な動き減ってきましたよね。
 普段と変わらない練習しとるのに。
 部長のコース邪魔することもなくなったし」
「あぁ―――――――――――――まぁそこは」
 謙也はつい、感慨深い気持ちになった。
 あれは、偶然だった。





「え? お前、ずっとそんなことやっとったん?」
「うん」としれっと答えた千歳に、謙也は感心してしまった。
 あちこちのストリートテニスコートや、スクールの試合会場などで千歳の姿を見た。試合に出てない。見てるだけ。ずっと、フェンスの向こうから。
 そう、他校の友だちに聞いた。
 千歳は、「自分は経験からの想像力が、ダブルスでは全然なかけん」と語る。
 実際ダブルスをしている試合を見て、大概の人間がそういう場合にどう動くか、どう打つかを覚えていた、と言う。
 千歳は右目が悪い。長時間、それも部活が終わったあとが多いから、夜。
 見づらい中、ずっと観察しているというのは、体力を使うはずだ。
 サボってばっかりと言うヤツがいる。千歳を。
 いや、全然、勝つことに、妥協しないヤツだと感心した。


『白石の良さを殺しとる』


 千歳はあの日そう言った。
 殺したくないと言った。
 白石らしいテニスが、好きだから、と。





「自覚してんのかなぁ…」
「え? なに、謙也くん」
「いやいや」
 審判の声が四天宝寺の勝利を告げる。自然、口元が笑ってしまった。
「はよ自覚せんと、…奪られてまうで。千歳」



 彼らしいテニスが好きだと語る千歳は、間違いなく白石自身に惚れていた。



 白石なんて、競争率高いし、と隣の財前に気付かれないように呟く。
「俺と、光と、健二郎…やな。…他は。
 …休戦期間が、全国終了までってこと、わかっとるんかなぁ?」
「…謙也くん?」
「なんでもない」
 聞こえなくて疑問符を浮かべる後輩の頭を軽く撫でるとうざったがられた。


 俺達の間に、暗黙の了解としてある、白石に想いを告げない、手を出さない「休戦期間」はあくまで、大会が終わるまでだ。
 部長としての彼を邪魔しないために決めた。
 今のうちなら、まだお前も混ぜてやってもいい。
 だから、早く自覚をしておけ。

 人の物になってから自覚したって、くれてやるような馬鹿は、生憎いない。













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 携帯サイトの2000ヒット記念兼本館一周年半記念のフリーリクエストの一つ。

 作成日時:2009/06/13