![]()
『 蔵ノ介 使ってはいけない わかるね 』 そう、誰かに言い聞かされた。 ずっと、守ってきた。 魔法使いは、魔法を使えない。 民はいつしか、魔法使いの『存在理由』を忘れていった。 月が一際綺麗な夜だった。 大きな木の下の石碑の上に、寝かされた身体を、そこに佇んだ身体が見下ろして、抱き上げた。 両手が拘束されている。 またかとだけ、思った。 『―――――――――いいのか? 街の住人じゃないやつを生け贄にして』 『別にいいだろ。うちの娘は助かるんだ』 『これだけ綺麗なら男でも』 『…第一、魔法使いって、なにが魔法使いなんだ? 魔法なんか、使えないのに』 声がうるさい。 苦しいのは、うなされているからだと、左手を握る温かい手に気付いて、蔵ノ介は瞼を押し上げた。 見覚えのない部屋だ。広くて、暗い。 大きな寝台に寝かされている。起きあがって、傍を見遣ると、手を握っている青年と視線があった。 「……」 「大丈夫と?」 「…。」 男に微笑まれて、思い出す。 街の傍の城に住む魔王がいる。生け贄を捧げないと殺される。 そう言った街の住人に、嵌められたのだ。 「あんた、名前は?」 「…」 彼が、魔王? 身体は大きいけれど、普通の人間だと思う。 黒い癖のある髪に、黒い瞳。 疑いを拭えず、黙ったままの自分を見下ろし、彼は手をぐいと引いた。 「やっぱり、同じ、か」 なにが、同じ? 「…気遣うんも、馬鹿らしか」 部屋に繋がれた長い鎖。 蔵ノ介の両手を拘束する鎖は、硬く、とても壊れそうにない。 「…っ」 彼は何度も、唇を深く貪り、はだけた服の間から手を潜り込ませて皮膚をまさぐった。 「…ぅ」 身をよじって逃れようとする蔵ノ介の動きなど無駄というように、身体を押さえ込んで首筋を噛んだ。びくりと身体が跳ねる。 吐息と一緒に声を吐いて、蔵ノ介は彼を見上げた。 暗い、瞳。 そっと、頬を撫でられる。大きな手。 ぴくん、と震えた身体を見下ろし、不意に彼は身を離した。 指で自分の両手を拘束する鎖を外し、寝台の隣に腰を下ろした。 「…?」 「…せんよ」 窓の外を見遣って、魔王は言う。 「しない」と。 「お前には、もうそんなこと、せん」 「…」 「千歳、ばい。魔王なんて、名前じゃなか」 その一瞬かいま見た、優しい瞳。 意味を悟る。 今までの生け贄と、同じか、と彼は失望したのか。 怯えるだけの生け贄と。 「…や」 「え?」 自分の声に、振り返った彼に、微かに怯みながら口にする。 「蔵ノ介や」 それが名前だとわかったのだろう。彼は微笑んだ。嬉しそうに。 怖いと思う気持ちが、霞んだ。 あれから、彼は本当にしない。俺の身体を暴くことをしない。 触れる手も、優しいものに思えた。 「お前は、ほんまに魔王なん?」 その城は、夜が長かったが、たまに昼も訪れた。 三日に一回くらいの割合で、日差しが庭に差す。 「…魔王って名乗ったことはなかね。ただ、俺を人間が勝手にそう呼ぶだけばい」 城の一室。寝台に座った蔵ノ介の傍で、彼は大きな窓から見える外の風景を眺めている。 「生け贄は?」 「それも傍の街の奴らが勝手に。生け贄捧げればなにもせんとか、俺なんにも言うてなか。 …ばってん、なに言うても一緒ばい」 そう言う千歳は、少しだけ悲しそうで、でも諦めた口調だった。 「千歳は…」 「一応、魔物。…そこは、かわらん」 「…ここに、おる理由があるん?」 千歳は蔵ノ介を振り返った。何故そんなことを聞くと言いたげに。 「……」 蔵ノ介が言葉に迷うと、千歳は柔らかく笑って、蔵ノ介の髪を撫でた。 「封印された場所がここやったけん」 「封印…」 「お前と同じ魔法使いにな。…ばってん、他の場所に行ったって、いつか噂は流れてまた封印ばされる。どこおっても、一緒ばい」 「…ええのに」 千歳は「え?」と聞き返した。蔵ノ介は千歳を見上げて、悲しげに瞳を揺らす。 「どこにでも行ったらええのに」 「行っても同じばい」 「その間、無駄に過ごすんか? 封印されたらなんやねん。また、解けるやろ? 千歳が自由に生きる時間があったってええやろ?」 何故、そんなことを言ってしまったのかわからない。 ただ、彼は悲しそうで、いつも、悲しそうで。 こっちまで、痛い。 「……解けたら、なんね」 千歳の声は、冷たい。 「解けたら? また、全然違う風景が広がっとる。 どこも、俺の知ってる場所はない。俺一人が、…。 …ずっと独りなら、辛くなか」 千歳の声は、哀しみに満ちてもいた。冷たく言う中に、いつだって、混じる。 優しく話していても、いつでも。 「…俺が、………」 言いたくて、でも、言えなかった。 人間風情の約束で、彼を癒せるなんて思わない。 癒したいと、何故思うかもわからない今の自分に。 外で、風に煽られて花が舞った。 ただ、綺麗だと思った。 ある日、目覚めた時、寝台一杯に散っていた花びらに、蔵ノ介は驚いた。 あの花びらだ。綺麗だと思った。 寝台の傍に座っていた千歳が、顔を上げて、優しく微笑む。 千歳が、やさしいと、知っていた。それでも。 『 蔵ノ介 使ってはいけない わかるね 』 昔々、住んでいた村の長は言った。 魔法使いは、目に見える魔法を使わない。使えない。 魔法使いが使える魔法はたった一つ。 禁忌とされる魔法。 『 約束 』 魔法使いは、約束をしてはならない。 誰とであっても。 約束は、契約。 約束を交わした存在と、離れては生きていけない。 約束を交わした存在が何年生きようとも、一緒に生きて、一緒に死ぬ。 そういう、契約。 寿命さえ左右する、約束という魔法。 約束で、寿命を左右出来る種族。ソレが魔法使い。 多くの人間は、それを忘れた。 「…千歳」 「ん?」 名前を呼んで、傍に座ると、千歳は柔らかく答えてくれた。 「…どうして、俺を、傍に置くん?」 「…いやと?」 一瞬、表情を険しくして聞いた千歳に、首を左右に振った。 笑って、ちゃんといやじゃないと伝わるように。 「…お前は、俺を怖がらんし。…壊したくなか」 「……そうか」 「……いて、欲しいから。傍に」 そういう千歳の声は、半分は諦めていた。無理だと知っている、と言っていた。 「おるよ」 「え?」 聞き返した千歳に、蔵ノ介は微笑んだ。そっと、その髪を撫でる。 「千歳の傍に、おるよ。ずっと」 ―――――――――――――『 蔵ノ介 使ってはいけない 』 「…ずっと…おるよ」 そう言った自分を見下ろして、千歳はしばらくぽかんとしていた。 やがて、その表情のまま、涙を流した。 手を伸ばして、自分を抱きしめる。 「ほんなこつ?」 「…うん」 「…ずっと?」 「…うん」 「…」 「また封印されたって、構わへん。…俺は、待っとる。 千歳にまた会えるのを。俺だけは、待ってる。世界がどんだけ変わっても。 俺だけは、待っとる」 千歳の大きな身体を抱きしめ返すと、千歳はより一層きつく自分を抱いた。 腕の中で、低い、泣き声が聞こえた。 魔法使いの約束を、俺は知っていた。 約束を交わした相手と同じ寿命を生きて、一緒に死ぬ、契約だと。 そして、彼は魔法使いだった。 それは、契約だった。 彼は、意味を知っていた。 そのうえで、俺に誓った。 「もし、封印されて、解けたら、ここに来る。ここに、お前を捜しに来る」 城からずっと、離れた、海の見える丘。 蔵ノ介が好きだと言った花が、咲いている。 「うん」 「絶対、お前を迎えに来る」 「…うん」 繋いだ手を引き寄せて、腕の中に抱き寄せた。 「…もう一つ、お前に誓うばい」 蔵ノ介の額にキスを落として、頬を両手で包んだ。 「死ぬまで、…お前だけ……愛し続ける。ずっと、どこにいても、どうなっていても、お前を愛しとる。…約束する」 頬を包む俺の手に、手を添えて、彼は幸せそうに微笑んだ。 いつ、離れるかも知れなくても。 いつ、届かない場所に行くかもしれなくても。 いつか会う日には、ここで同じ花を見よう。 離れてもまた、会えるように。 約束をした。 なにがあろうと、キミの元に帰ってくる。 独りにしないと約束をしたキミを、独りにしない。 風に舞って花が降った。 花だけが、それを見ていた。 ======================================================================================= 携帯サイトの2000ヒット記念兼本館一周年半記念のフリーリクエストの一つ。 作成日時:2009/06/13 |