赤い花は、そこに捨てられていた。 赤い花は、話してはいけないと言い聞かされた。 やがて、美しく育った。 まだ、恋を知らない。 千歳がそれを見たのは偶然だった。 自分の通う高校の一駅向こうにある、『深麗町』は別世界だ。 深麗町は、所謂花街。その場所全てが遊郭の店だという、現代の世界に不釣り合いな場所。 それでも、そこに一歩足を踏み入れれば、古い江戸のような町並みと、いい知れない魔力に誰もが虜になると聞いた。 千歳はまだ高校生だ。当然、立ち入りは禁止されている。 ただ、ふらふらしていたら、うっかり足を踏み入れてしまった。 正確には、電車賃がなくなって、自宅まで帰るために、どうしても『深麗町』を突っ切る必要があった、というべきか。 深麗町を避けると、何十キロの道のりだ。冗談じゃない。 その町の、ある店の前。 上客には、花魁自らのお見送りがある。それは聞いた。 上客を見送って、店の外に立つ、赤い花の着物を着飾った一人の花魁に目が留まった。 綺麗な白金の髪には、大きく、外すためだけの飾りは派手すぎて邪魔に思えた。 見送りを終えた顔が、千歳の方を自然振り返る。翡翠の瞳が、自分を射抜く。 着物がやけに映える、白磁の肌。 花魁は自分を見て、なにも言わずに頭を一度下げて、店に戻った。 あのあと、結局町に入ったことがばれて、一週間停学を喰らったあと、久しぶりに出席した学校。 といっても、最後の一時間だけだ。教師は呆れていた。 帰路につこうと鞄を持って、廊下を歩いていた時だ。向こうの角から声がする。 「なぁ、白石って、深麗の花魁やっとるってほんま?」 「ほんまやろー? よう似てる子がおるて兄ちゃんが」 「ええの未成年? 入って」 「花魁やからええんやろー? 俺ら入れへんねん。ここで相手してや」 いかにも、くだらない会話だが、複数の少年たちに囲まれている少年が流石に哀れだ。 …会話の内容の意味は、さっぱりわからないが。 「なぁ、黙り通しとらんで、なんか言えや」 「無理。こいつなんもしゃべらへんもっ!!?」 囲まれていた少年が、びっくりして顔を上げた。 囲んでいた一人の身体を蹴り飛ばした乱入者はとにかくでかくて、堅気には見えない。 「それ以上進路妨害すっと、全員蹴り飛ばして通るとよ?」 「千歳っ!?」 「い、いやもう帰るわ。ほなな!」 途端、猛スピードで走り去っていく少年たちは、まさに蜘蛛の子を散らしたようだ。 ぽかん、と佇んでいると、その『千歳』が心配そうに自分を覗き込んできた。 「大丈夫と…?」 「……」 こくりと頷く。千歳は、少しびっくりしている。 「……?」 「……いや」 びっくりした。 あの日、深麗で見た、あの花魁じゃないか。 彼らの会話の意味をようやく知る。そういうことか? 「あ、大丈夫ならよか。あんたは…」 その言葉に、彼はポケットから携帯を取り出すと、なにかを打つ。 くるっと向けられた携帯は、メール作成画面。 『助けてくれてありがとう。俺、白石蔵ノ介』 「……ああ、白石。…話せなかと?」 『話したらいかん、て言われとる』 「……ま、よか。とにかく、帰っと? よかったら、送るばい」 千歳はあっさり納得して、そう笑っていった。 「……」 「どぎゃんした?」 大抵みんな、気味悪く思うか、おかしく笑うか、客なら話せと強要する。 瞬間、花が綻ぶように笑った白石は、唐突に千歳の手を掴むと、こっちだと引っ張った。 千歳はびっくりしたが、白石がひどく無邪気に楽しげで、嬉しそうで、拒む気も失せる。 連れて来られたのは、あの町のあの店。 『ここが家』 花魁は大抵、金策のために親に売られたり、自分から居着いたり、だが。 「俺、来て大丈夫と?」 『俺が誘ったって言うから』 「そ」 千歳は全然気にした様子なく笑う。そのまま自分の髪を軽く撫でた。 情事の前の好色じみた手とは違う。それに、とても安堵した。 「あら、蔵? お客…やないなぁ。学生さん?」 店の前に丁度出てきた女性が、自分たちを見てそう言った。 千歳は客の部屋とは違う奥に通された。白石の部屋だと聞く。 殺風景な部屋だ。畳に、襖の六畳程度。本と、机しかない。あとは布団。 「蔵は人見知りするから、ここに連れてくるなんてよっぽどキミを気に入ったんやね」 「そうなんですか?」 「そうそう。あの子、口利かへんやろ?」 「…いけないって、」 「そう。ウチの決まりなんよ。ウチの太夫は、身受けするお客以外と口利いたらあかんの」 「…………太夫?」 といったら、一番の売れっ子のことだ。 「そう。あの子。あれでうちの看板」 「……………はぁ」 あれだけ綺麗なら、ありかもしれないが。 「せやから、みんな自分と一番に話してもらおうって必死や。 昔は違うらしいけど、今の花魁には人権あるさかい、花魁自身がこの人に身受けされるんがいやって思えば拒める。わかりやすい合図が店によって違う。ウチは、話すこと」 「……」 口を利いてはいけない掟。利くのは、自分が添い遂げると決めた人間。 でも、こんな場所で、そんな相手にそんな簡単に会えるとは思えない。 あと、一体何年、彼は黙り続けるのだろう。 自分は、子供だ。 白石が、店の前に捨てられた子だったと、最後に彼女は話した。 部屋に戻ってきた白石は既に、着物姿だった。 すぐ仕事があるから、と言う。 「俺、邪魔してなか?」 首を左右に振って、白石は微笑んで否定した。 「そう。ならよかった」 にこりと笑って、白石は携帯をこちらに向ける。 『なんで助けてくれたん?』 学校でのことだとわかる。 「……なんでやろ」 『え? わからんの?』 「……、なんやろ。…こん格好より、制服着たお前が『らしかった』からかね? 世界に一番似合っとう感じで、違和感がなくて。 そんままでいてほしかった?」 ふざけた口調で締めたが、本心だった。白石はしばらくびっくりした顔をしていたが、やがて子供のような手つきで千歳の手を取ると、手の平にキスをした。 「千歳。…変」 世界に出た言葉を、音を、しばらく認識できなかった。 白石の声だ。言葉だ。携帯の文字じゃない。 「……」 びっくりして、しすぎて千歳は硬直した。 白石が不安げに自分を見る。口を利くという意味を、自分は知ってしまった。 硬直した千歳の顔が、徐々に真っ赤になるのを見て、白石はまた笑った。嬉しそうに。 あれから、よく店に遊びに行った。 ただ、部屋で話して、たまに抱きしめるだけ。 嫌じゃなかった。きっと、初めて見た時に、気になっていた。 だけど、噂が流れるのは、早い。店で一番の彼が、口を利く男がいる、と。 そして、忘れていないけれど、彼は曲がりなりにも遊女だ。 俺だけが客じゃない。他の男もいる。 噂が広まってから、余計焦って手荒いことをする客も多く、彼は学校を休みがちになった。 店に一度、会いにいったけれど、他の客が買っている最中だった。 店の前で、あの時話をしてくれた女性に会う。 「なぁ、白石が口を利いた男が、あいつを身受け出来るって、ほんなこつ? 何歳でも」 「…ええ。そうやね。いくつでも」 「わかった。これ、店のオーナーに渡しといてくれっと?」 女性は千歳に渡された封筒を渡されるままに受け取る。 中を見て驚いた時には、千歳はいなかった。 手荒く抱かれるのは、今日でもう何度目か。 全部の客がその調子なのだ。 (学校…。また行けん。…会えないな) そんなことを考えていると、終わったのに、客の男が手を掴んできた。やんわり拒むと、ぐいと髪を掴まれる。 苦痛で声でも出させるつもりだろうか。そんなのは、カウント外なのに。 疲れた。会いたい。どうして、抱かれてもいない男にこんなに恋したのか、わからないけれど、彼は好きだった。だから、一緒にいたかった。 でも、重荷かもしれない。彼には。それはそうだ。あの年のうちから、男の遊女に恋慕されたって。 痛みの中でそんなことを考えた。瞬間、買われている最中は絶対に開かない襖が開いた。 そこにいたのは、やはり、彼で。 場違いに、安心してしまう。どうしたって、彼が好きだ。 「……え?」 あのあと、店から追い出されたあの客と入れ違いに部屋に入ってきた千歳に、抱きしめられて安堵して、ひどく疲れていたから眠ってしまった。 目覚めると、部屋の布団の中。傍に彼がいる。 彼から、話を聞き終えて、第一声がそれだった。 「やけん、うちに来なっせ。店と話ばつけたけん」 「……あの、でも、千歳って未成年…やんな?」 「うん。俺はな?」 「………」 「ばってん、俺は深麗の土地一帯の地主の跡継ぎやけん」 にっこりと笑って言った千歳に、ぽかんとしたあと、笑ってしまった。 こっちは危惧して、不安になって、なのに、こいつはそんな危惧も不安もおかまいなしにそんな切り札持って現れる。 「な。…俺のもんになればよか。いや?」 手を伸ばされた。少し不安げな顔をする千歳が、馬鹿みたいで、だから好きになる。 「……嫌じゃない」 伸ばされた手を掴んで、その腕の中で目を閉じる。 ここから連れ出して。 名前を呼んで。 そうして、やっと、抱いて欲しい。 「……」 「千歳?」 (今頃、なんか腹ば煮えくりかえってきた………) 千歳がそのあと、白石の元上客に言いしれぬ嫉妬を抱えて悶々していたのは、千歳の家で暮らすようになった白石は知らない話だ。 =========================================================================== 携帯サイトで募集したリクエスト「遊郭パラレル」で書いたもの。…なんかいろいろ違ってます(汗) 2009/06/14 |