その日の勤務時間を三時間オーバーして、やっと帰ろうという時に、同じ部署の残業仲間の先輩が、「ちょおちょお!」と自分を手招いた。 白石は、「残業の+αなら遠慮したいなぁ」と思うだけ思って、その男性社員の傍に行く。 男性社員が持っているのは幸いにも書類の類ではなかったが、まだ安心は出来ないと身構える白石の横から顔を出した、同じ残業仲間の小山という女性が「あかん」と言った。 「アカンて。白石くんは。当ててまうから」 「え? あれ、白石なん? その霊感くんて」 「…え? あの、なんの話ですか?」 どうやら、「残業+α」ではないのは確定だ。安心したが、意味がわからない。 「この写真なぁ。小山に見せられて、あいつが」 「あー…わかりました。死んだヤツがこの中におるから、あてろ、と」 「ご名答!」 「白石くんわかってまうやろ?」 なんてことはない修学旅行の集合写真だ。 ぱっと見、普通、現在死んでいるのはどのヤツか、なんてわからない。 この部署内だけだが、俺の霊感の話は、伝わっている。 「いや…。ご期待に添えなくて悪いんですけど、写真だけやと…流石にわかりませんね」 申し訳程度の笑みを浮かべて、年下ということを意識したように首の後ろをかいてみせる。二人は安心した顔をした。 「そうやんなー。流石に写真一枚はわからんもんなー」 「そうやんな! あ、ごめんな白石! もう帰ってええから」 「はい、お先に」 「お疲れー」 二人とも、まだ残業残ってるのに元気やなーと思いつつ、会社の暗い廊下を歩く。 (…) 「…一列目の、右から三番目。三列目の、左から五番目。と、その二人横のヤツ」 ビルを出て、夜風に当たりながら駅へと急ぐ。ついでに、呟いた。 「…多分、外れてへんなぁ…。これ。嫌やなほんま」 答え合わせはきかんとこ。と呟いて白石は駆け出した。 「ただいまー」 会社から二駅離れた場所。住んでいるマンションの五階の部屋に入ると、白石は声を張り上げた。うるさくない程度に。今は深夜だ。 「おかえり。蔵」 足早に奥から出てきた同居人が、白石の荷物を受け取ってからその身体をぎゅう、と抱きしめた。 「千里。今日、早かったんやな」 「今日は運がようて…」 いつもは、同居人の千歳千里の方が帰宅が遅いことが多い。 仕事にあまり、差はないはずだが。 「蔵? なんか疲れとう?」 自分の荷物を部屋まで運んでから、千歳は振り返った。同じく部屋に入ってきた白石は、ネクタイを緩めてから、上着を脱ぐ。 「帰り際に、先輩に心霊写真見せられてな」 「あー…。白石の霊感、噂になっとるって聞いたばい」 「うちだけでな。まあ、心霊っちゅうか、昔の修学旅行の写真や。 現在は死んでいる人は誰かってヤツ。……俺の考えた三人、多分当たっとる」 「…こわかね。白石のソレ。外れんってわかっとうから余計」 「俺も嫌や。怖いから答え合わせはきかんとこ」 千歳は意外そうに、「答え合わせ聞いてなかと」と一言だけ。 「話はええから」 先ほど緩めたネクタイに指を通し、今度は完全に解いてしまう。 それにすぐ、恍惚とも、悦びとも取れる表情を浮かべ、白石を見た千歳は、近寄るとその身体を抱き上げた。白石も文句を言わず、首に手を伸ばす。 「…うれしか。三日ぶりばい」 寝台に降ろされる直前、耳元で響いた低い声は、明らかな欲情に震えていた。 ―――――――――――――「大坂に、叔父さんがおる会社があって」 高校の卒業式の日、千歳は帰り道でそう言った。 千歳は高校までは大坂で進学したが、大学は地元に帰ると決まった。 もう会えないだろうと、諦めて、最後の「二人きり」を噛みしめていた俺に、そいつは言う。 「俺は親父とは違うけん、普通に就職ばする。 叔父さんに、そこの会社に誘われとう」 「……、で?」 ほんの少し、期待しかけた心を、俺はかみ殺して聞いた。 千歳は、そんなことなどお見通しのように笑う。 「大学卒業したら、そこに就職する。…大坂に戻ってくったい」 「……」 「やけん、…四年だけ、待っててほしか」 足を止めたのは、桜の下だった。花びらが髪に落ちたらしく、千歳は俺の髪に手を伸ばした。 「…四年以上は、待たへんで?」 「うん」 「一日でも過ぎたら、別れるからな」 「うん」 「1460日やぞ? 一日でも余分に待ったりせえへん。1461日の0時にお前のアドレス消すからな!」 …ああ、失敗した。 泣くまいと決めたのに。泣かないで送ろうと決めたのに。 お前が馬鹿みたいな約束するから。 泣いてしまったじゃないか。 「…誓う」 涙がぼろぼろ伝う俺の頬を両手で包み込み、千歳は笑ってキスをしてくれる。 「何百回でも、誓う。 俺は、…蔵の傍に帰る。 …待っててほしか」 「…………っ……」 馬鹿みたいに泣いて、何度も何度もキスをした。 絶対だと、死んでも守れと、泣きながら言った。 千歳は何度も、約束してくれた。 「…蔵」 情事のあとの甘ったるい声とは裏腹に、冷たい声が頭上でした。 散々抱かれた所為で、寝台から起きあがれない白石の横に座って千歳は髪を撫でた。 「…なんや」 「あれ、断ってなかの?」 「………」 数週間前だ。部署の課長が、弁当を持ってきた娘が自分を見初めた、ということを言い出したのは。 そこの課長は白石を一番買っていたし、なにかと彼の世話を焼いたそうだから、白石が断りにくいのはわかる。 「俺が断っとこうか?」 「あかん」 「…なしてね、蔵?」 千歳が白石の頭の向こう側のシーツに手をつけて、腕の下に囲むようにすると寝台のスプリングが軋んだ。白石はうつぶせに寝たまま顔を上げない。 「叔父に頼めばどうとでもなる。あの人、今副社長やけん」 「コネ使うようになったんかお前。あの千歳が」 「蔵のことで、形振り構う気はなか」 明らかに「無理矢理」嗤った白石の声。すぐ、被せて低く囁くと、身体は震えた。 「コネも世辞もなんでも使う。手札に親があっても、使い捨てでも」 「……」 ネクタイを白石が解いたら、抱いてもいいという合図は結構前に決めた。 見境なく抱こうとする自分を制する意味と、彼自身の線引き。 抱かれたくないのなら、白石はそもそもその日、ネクタイをしていかないか、帰る前に解いてしまう。自分の前で「解く」という合図だからだ。 でも、彼が拒んだのは、ほんの数回だった。 「………やった」 「え?」 か細い声が、下から響く。泣きそうな、詰まった声。 「1462日やった…お前が、帰ってきたの」 「………」 そうだ。俺は、約束を、結果的に破った。二日オーバーした。 母親が倒れたのだ。 母親の体調が整ってから、慌てて大坂に向かった。 熊本の駅からかけた電話に、白石は当たり前のように出た。 今から行くというと、「そうか。はよ来い」と冷静な声。 その時は、怒っていなくてよかったと、思った。 「……メール、くらいしろや」 「うん」 「あの二日、俺がどんな気持ちで」 「うん」 「…あの二日間だけ…まるで永遠みたいに、いつになっても終わらないみたいに長くて! ああ、もう会えないんやって。もう終わりやって。馬鹿やったって自分で思ったってお前の……」 「…ごめん」 心から謝って、両手で身体を抱き起こすと、静かに泣く顔にキスをした。何度も。 「お前の、アドレス、消せなくて…。消したら、本当に終わってまうって…。 終わってるのに、終わらせられんくて…」 「終わってなかよ」 「…それでもあの日は、俺は本気でそう思ってた!」 腕の中で泣きじゃくる身体を、何度も撫でて、何度も言葉にして伝える。 「ここにいる」「一緒にいる」「終わっていない」と。 修学旅行の写真。 千歳と、修学旅行にいったのは、高校二年の時。 後日、千歳は笑って、張り出された写真の中から、集合写真だけを買った。 「白石一人の写真がなか」と。 習って、俺もそれしか買わなかった。 千歳と切れたと心底思っていた二日間。その写真をずっと見ていた。 もっともっと沢山買っておけばよかった。もっと千歳が写っていた写真があったのだから。 終わってしまうってわかっていたなら、カッコつけずに買ったのに。 集合写真に、今死んでいる人が写ってるとか、そんなのどうだっていい。 そこに、千歳さえ写っているのなら、いい。 千歳さえ生きて写っているのなら、他の38人全員が死んでいたって、俺はきっとそれを宝物にしただろう。 泣き疲れたのか、千歳の身体にすがりついたままの白石が、少し力を抜いた。 裸の背中を撫でると、少し呼吸が和らぐ。 「…ごめんな」 「……」 「もう、遅れんから」 「……うん」 「…なにを引き換えにして捨てても、蔵を一番に選ぶ」 「………………うん」 「……愛しとる」 目を完全に閉じる直前に、白石は最後に頷いた。 眠りに落ちた白石の身体をきつく抱いて、千歳はその額にキスをする。 明日すぐ、叔父にあの話は断ってもらおう。 彼をもう一人にしないと誓う。 例え彼が、それを拒む日が来ても。 だからお願い。 『独りにしないで』 THE END ======================================================================================= 携帯サイトの2000ヒット記念兼本館一周年半記念のフリーリクエストの一つ。 作成日時:2009/06/18 |