四角い部屋−Days−

◆四角い部屋−Days−◆










 切欠は些細なこと。

 期日厳守の課題が出ていただけ。




『乾 INUI』と書かれたプレートの下にあるチャイムを鳴らす。
 空はどんよりとした濁り色。今にも歪んでしまいそうな空は今日の天候を如実に現していて。不二は口元を上げた。
 中からの応答が返る。



「レポート用紙七枚って結構あるよな」
「ああ」
「天野先生量出すからな……しかも指示が曖昧。
 “教科書56頁から60頁までを読み、その差を比較せよ”って感想的なものも入れろって言ってるんだかいないんだか」
「比較だけで七枚埋める気なら出来るかも知れないが…」
「それは骨が折れるぞ…」
 組み立てのテーブルの上に広げられた教科書やレポート用紙が、部屋の照明の下で散乱している。
 シャーペンや消しゴムは筆箱から出されたまま転がって、ノートの上に影を残す。
 カーペットを引かれたフローリングの床。テーブルの近くにビデオの付いたTVが電源を落とされてある。
 下の棚にゲーム機やら本が詰め込まれているのを見て、手塚が難しい顔をしていた。
 乾の背の方に狭いキッチンと扉が見える。

「まぁ古典は不二が来たらでもいいんだけどな。得意分野だし」
「課題があるのは古典だけじゃないだろう」
「でなきゃ集まったりしないっしょ。手塚んとこは数学だっけ?」
「ああ。乾は?」
「科学。不二の組は公民出されたって聴いたな」

 青春学園中等部はもうすぐ試験だ。といっても一ヶ月は先。
 その前に来た、今回の休暇に何故か揃って教師が課題を出した。
 祝日混ざりで五日連休とは言え、少なくても一つ。多い組は三つも出ている課題があっては素直に遊べる物ではない。

「全組共通は古典だけだよな」
「他はバラバラに出されたようだからな」
「というかその科目の前試験で低い点数取った奴が多い組に課題が出てるって聴いたよ俺は。
 手塚の組は数学の平均が40点すれすれだからな」
 お前は良かったんだろうけど。とわざとらしく付け足された言葉に、手塚は軽く視線だけを向ける。
 それからどちらでもなく時計に目がいった。
「不二、十時には来るって行ってたんだけど」
「寄り道じゃないのか」
「ああ、差し入れ持ってくるって言ってたっけ」
 今のところ課題の話で会話が保っている。それが途切れたら部活の話に移行するだろう。
 乾と手塚が顔を付き合わせて出る話は学校絡みで、不二でも間に入らないと他の話には行かない。
 行っても、手塚の返答なんて少ないものだが。
 そういえば、そもそも一緒にやろうなんて話になった二番目の切欠は不二だ。

「効率いいでしょ?」

 それで場所が乾の家になったのはただ単に親が留守だったからで、自分の部屋でやらないのは散らかっているからだ。
 何だかんだ話していると家のチャイムが鳴る。
「来たね」
 折っていた膝を伸ばして乾が玄関へと向かう。
 扉を開けると予想通りの笑顔があって、コンビニの袋片手に。
「や、乾。手塚来てるの?」
「うん見たとおり」
 と並んだ靴を指して、不二の後ろの扉を閉めてやる。
 上がって、と促されて靴を脱ぎながら。
「じゃ、ただいま」
「いつ弟になったんだよ」
 とか言うからそう返すと、不二は軽く唇を結んで。
「なんで僕が弟なの」
 そう言いながら靴を揃えていた。
 誕生日からしてそうじゃないと思うが、敢えて乾は言わない。
「あ、これ差し入れ。コンビニで適当に買ったのと、あと姉さんのラズベリーパイあるよ」
「ありがと」
 課題少しやった? いやまだあまり。等と話ながら手塚の待つ居間まで来ると、テーブルから少しだけ視線を上げた手塚が、視線だけで不二に“遅い”と言った。
 持っていた鞄を床に置いて、コンビニの袋を乾に渡してから不二はTVの正面に腰を下ろす。
「仕方ないでしょ。来る時姉さんに引き止められたんだよ」
「そういや、兄弟がいるのってこの面子の中だと不二だけか」
「ああ、そっか」
 そういえばそうだね、なんて乾の言葉に返しながら、不二は鞄から教科書やら筆記用具を取り出す。
「じゃ、早くやっちゃおうか」
「菊丸みたいに後で悲鳴上げるのは馬鹿だしね」
「あ、そういえば英二今日お姉さんと遊園地だって」
「典型のパターンだな」
「あ、手塚でもそう思うか」
「不二」
「違うよ手塚。天然扱いしてるんじゃなくて、手塚の中にも休日の典型的パターンっていうのが有ったんだなって思ったの」
「不二、それは結局意味が同じだろ」
 それはいいからやらないか早く。という意思表示にシャーペンの芯を代えている乾の台詞に、不二はわざとらしく。
「………そっかな?」
 と首を傾げる。
「手塚の場合、休日の典型パターンの上に“菊丸”が付くだろ。
 毎年の慌て様を見てるからな」
「お前達の名前も付くが」
「僕も付くよ」
「とりあえずレギュラー全員は付くな」
 手塚が返した言葉に不二も続け、最後に乾が読めない眼鏡の奥で笑う。
 ちょっと微妙な間の後に不二と手塚が乾を見遣って。

『……ストーカー』

 とかハモったとか重なったとか。



 ともあれ時間なんて、あっと言う間に過ぎる。

 そんな事をふと考えて、そう言えば以前誰かが言ったときに菊丸と自分が。
「あ、と言う間には過ぎないよね」
「一秒じゃ無理」
 とか屁理屈を言った事が乾の思考に過ぎった。

 時計の針は、六時を指す。
「あ――――――――――――――――…やっと終わった」
 腕を伸ばして欠伸をし、不二が仰向けに倒れ込む。放置されたシャーペンが転がって、消しゴムに当たって止まる。
「……何とか終わるもんだね」
 乾がレポート用紙を整理してノートに挟みながら、息をため込んだように吐いた。
 黙々と片づける手塚を、寝転がった姿勢のまま面白くも詰まらなくもなさそうに見上げ、それから不二はふと何かに気付いたように身体を起こした。
「何かえっらい微妙に音しない?」
「微妙かどうかはいいとして、音はするな」
「………………雨か?」
 集中している間あまり耳に入ってこなかった音が、解放された途端に認識できるようになる。
 時計の音に混ざって響く外の音。
 やけに、明かりが押し込められたように見える。部屋が暗く感じる。
 立った乾が、隣の部屋の窓を開けてから、“あーそうだった”と呟いた。
「どう?」
「うーんとりあえず帰るのは無謀な天候。雨が完全に斜め。傘飛ぶよ」
 戻ってきた乾の台詞に、難しい顔をする手塚の斜め横で、不二は膝立ちになりTVの側のリモコンを掴んだ。
「不二?」
「ごめん乾TV」
「どうぞ」
 画面に小さな揺れ。微細な音の後で、多少映りの悪い映像が現れる。
 不二はリモコンでニュース番組にチャンネルを合わせる。と丁度いい情報に出た。

『――――――――――――…で、関東地方を中心に雲が広がっており』

「そういや朝のニュースで嵐になるって言ってたんだよな」
 名前も知らないお天気お姉さんだかアナウンサーだかの、TVを通した声を耳に、乾はふと思い出した調子で口にする。
「忘れてた?」
「というか、もっと遅くくると思ったから。平気だと思ったんだけどね」
 駄目だったねぇ。と完全に他人事な乾の横で、不二はやけに落ち着いて“じゃあ帰れないねー”等と言っている。
「…手塚、ニュース見てなかった?」
「…時間がなかったんだ。今日は」
「まぁでなきゃ傘も持ってきてないなんて事にはならないよね」
「君ってこゆときタイミング悪だよね」
 課題やらを鞄に仕舞うついでのように、不二は片手で別のニュース番組に回す。
「その口振りだと、不二は知ってたの?」
「うん」
「その割に傘ないね」
「いざとなったらお泊まりも楽しそうだなと思って。面子が」
「俺は微妙に複雑だよ。…寝るとしてもここに布団敷くことになるけどいい?」
 テーブル上の空になったコップを手に、乾がキッチンへと立ちながら訊いていく。
 嫌と言っても選択肢はないのだが、そうゆう時でも訊いてしまうのが乾だなぁと不二は思考の隅っこで思う。
「泊まらせて貰うんだ。別に構わない」
「僕もいいけど、乾は?」
「三人そこに寝たらきついでしょ?」
「ま、そうか」
 食器のかち合う音と水の流れる音が少しの間だけ、雨の音から耳を逸らす。

「TV見る?」
「あ、見たい番組あるんだけど。二人は?」
「不二と手塚はなに見たいの?」
 少しの沈黙。考える間。
 数秒後に三人一緒に言う。

「笑う犬の○見」
「どうぶつ○想天外」
「特命○サーチ200X」

『…………………』
「みんな時間同じじゃんねぇ…」
「ばらばらだしな」
「…てか乾の特命は判るんだけど…手塚、君“どうぶつ○想天外”って……」
 なんかまだ大河ドラマ言われた方がいいよね。
「とりあえず見るのは却下だね」
「じゃあ……あ、」
「どした不二」
 TVの下の棚に詰め込まれたゲーム機やら本の群を見て、不二はくるりと二人を振り返る。
「懐かしい物あるじゃない」


 何だか独特のBGMが流れている。
 TVと繋いだPSのコントローラーをそれぞれ手に、不二と手塚が画面に視線を向けている。
「そういえばこんなのあったねぇ」
 随分前に買ったから忘れてたよ。とじゃんけんで順番が後になった乾が観戦しながら呟く。
「手塚、普通に消してるだけじゃ勝てないよ」
「………………」
 あーあ難しい顔。
 手塚は落ちゲーなんてやるの滅多になさそうだからなぁ。
 これかなりメジャーな奴なのに。
 なんて見ている乾の方は勝手な物で、手塚の画面を見る限りただ積んでいるようにしか見えない。それは不二も一緒なのだが。
「あ」
 不二の方に障害物が落下してくる。手塚がまぐれで二連鎖したらしい。
「君って意図しないで連鎖しそうで嫌」
「それは同感。ま、不二が幾つ連鎖組めるか楽しみだよ。ちなみに俺十五連鎖は軽く行くから」
「それでこそ乾っていうか……」
「…横で会話するな。連鎖が組めない」
 ぶっとか後ろで乾が吹き出す。不二も小さく肩を震わせているが画面から目を離さないだけ慣れている。
「……とりあえずね、今回組むのは無理だよ手塚」
 息で笑いながら紡がれた不二の台詞に、手塚が意味を知るのはすぐで。
 何とか笑いを収めた不二が、手塚の顔を横目で見て、からかうように告げる。

「ごめんね」

 言葉と一緒にコントローラーの方向キーの下を押した不二の画面で、二連鎖の表示が出る。
「あ」
 乾の声が後ろで放られる。
 三連鎖四連鎖と続いた表示が潰えたのは十二連鎖で、当然そうなれば手塚がどうこうする以前に勝負は終わる。
「十二連鎖ね」
「やる気ならもっと行くよ?」
「手抜き?」
「手塚可哀想だから」
 とか言われても嬉しくないだろうな。
「乾パス」
「はいはい」
 コントローラーを渡されて、不二の居た位置に移動してから、乾は手塚の顔を見遣って、静かに言う。

「とりあえず、右に積むのは止めなね手塚…」





 結局TVも見て、夕食を簡単に食べて。
 嵐は収まらないから泊まる事になる。



 翌日。
 まだぱらぱらと雨が降る空は昨日ほどに荒れてはいない。
 鳥の声。
「……………」
 覚醒した意識の中で、そういえばここは乾の家だと把握し、手塚は布団から起き上がる。
 眼鏡を掛けたところで、ふと目が隣の布団に寝ている不二に行く。
 壁際に畳み込まれたテーブル。片づけたのだろうが、棚などを見れば本やら色々な物が詰まっている。
 その中に白いリボン――――――そういえば昨日の不二の差し入れのお菓子の中にこんな飾りがあったような――――――――を見付け、寝起きでいくらか霧がかった思考も手伝い、手塚はソレを手に取った。



 切欠は課題。

 こうなることは予想外。



 その後、リボンで妙にきっちり結ばれた自身の髪を見て、不二が手塚に絡んでいたのは別の話。