![]() 桜ノ宮戦争 ACT:15[バーチュアルウィットA−冷たい桜/2] 「…姫さん?」 千歳は自分の声が掠れていくのを実感した。息を吐くごとに、呼吸が苦しくなって、声が薄れていく実感。 身体の最奥が、冷たくて、灼熱のように熱い。哀しみと、それに勝る衝撃。 「小石川…これは、…なんね」 そう問う自分の声は、もうほぼ吐息だった。震えすぎた故に言葉じゃなくなった声。 小石川はそれでも聞こえたのか、顔を上げて皮肉そうに口の端を上げる。 「俺が、白石の中で、二番目になったから?」 「………」 はっきりとした声だ。自分と違って、理性のある声。 これは、なんだ。 「…けるな」 叫んだ。声は掠れて、吐息になる。もう一度腹の底から叫ぶ。 「ふざけんな!」 見た全てが怯むような形相で叫び、千歳は小石川に殴りかかった。すぐ刀を一閃されて、紙一重で交わす。 武器がない。ラケットが。 だが、頭が沸騰しきっていて、冷静じゃない。勝手に口から言葉は出た。 「来い! 鹿獅子!」 千歳が呼んだのは、かつての自分の国神。今はもう自分のものではない。 だが、その手にかつて見慣れた巨大な槍が現れ、収まる。 ずしりとした感触。 瞬間、小石川の口は笑んだ。確信したように。 その場の風景が消える。 「え」 千歳は目を疑った。冷水をかけられたような、悪夢から覚めたような感覚。 その場には、白石はいない。倒れていない。死体なんかない。血もない。 綺麗な、誰もいない部屋。 「…」 振り返った千歳の背後にとん、と着地して、あの小石川が持っていた筈の青い刀を持って笑うのは、黒髪の見知らぬ、眼鏡の理知的な男。千歳よりは低いが、長身だ。ジーパンに、黒い猫耳つきのフードのパーカーを着ている。 「やっぱり、ビンゴ」 「…おまえ?」 「元国神は呼び出せるのか。いいデータだ。 そこは調べておかないといけないから、幻なんか使って失礼したね、元九州将軍」 「…まぼろし」 「特殊能力だよ」 そう、抑揚のない声で告げられ、千歳は頭にまた血が上るのを感じた。 「お前!」 よりによって、小石川が白石を殺すなんて幻を。信じられない。許せなかった。 逃げようと床を蹴った男はすぐ足を止めた。その場にリング状の光が落ちて、男の身体を縛り上げた。 「油断大敵や。千歳、そこから動くな。見張れ」 声は扉の傍からした。そこに立つのは、長刀を持って腕を組んだ、本物の副将軍。 「小石川…」 千歳は安堵した。心からホッとした。 「味方おるかもしれん。見張れや」 「ああ」 小石川は一歩部屋の中に足を踏み入れると、男を見遣った。二人の身長は、同じだ。 「お前は? 訛りがない。東京か」 「…うーん、ま、自己紹介しちゃっていいかな。 東京軍、第一軍、副将軍だ」 「…確か、乾やったな」 「あたり。よく知ってるね」 「基礎知識や」 抑揚のない声は、癖なのか彼は焦りもない様子だ。笑みが口に刻まれている。 「悪いけど、留置する気はない。ここでジ・エンドや」 長刀を構えた小石川が、一瞬周囲を気にした。味方がいる可能性を危惧したが、すぐ長刀を振り下ろす。 それは、男の手前で停止する。 「小石川?」 小石川は眉を顰めて、軽く息を吐いた。瞬間、乾という男の周囲で蛍が踊った。彼を縛る光の輪が消える。小石川は長刀を持ったまま背後に大きく飛んで、廊下の向こうのフロアに着地する。 千歳は解せなかった。何故殺すのをやめたのか、何故攻撃せず逃げるのか。 「ありがと」 乾は周囲を舞う蛍に礼を言うと、一歩、また一歩歩いて廊下に出る。 「千歳、逃がすな」 「どげんこつ?」 「お前、触れたら…おそらく自分と同じ役職以下の人間をしばらく夜の国から退去させる力発動させとるやろ」 小石川の言葉に、千歳は乾の背中をバっと見た。笑む気配がする。 まるで白石の特殊能力に似た力だ。夜の国からの、一定期間の強制退去の特殊能力。 「よくわかったね。そうだよ。見た目じゃわからないのに」 「身近に似た力を持つ仲間がおる。感覚でわかった」 「ああ」 乾は殊更に納得した様子を見せた。触れないように千歳は離れて廊下に出る。 周囲は既に大坂兵士が囲んでいる。 「師範、謙也は絶対触るな」 「わかっとる」 石田も頷く気配がした。 「で、切り札、いくつや自分」 「いくつもないよ」 乾はおどけて答えた。小石川は肩をすくめてみせる。 「あの一年坊も結局見つからなかった。あとを追わせたけど。 …効率よい移動方法が、あるようやけど」 「…あるといえばあるね」 乾はくすくすと笑った。楽しそうじゃなく、ただ社交辞令のように。 「うーん……でも帰るよ? 今日は。副将軍を無能化出来なかったし」 「帰すと思うのか?」 「だから、無事逃げる力があるのさ」 周囲で構えた兵士たちの呼吸を一瞥し、乾は背後の空気を指でなぞった。蛍がその通り踊る。そこにぱっくり開いたのは、空間の切れ目としか言いようのないもの。向こうは夜の国に間違いない風景。 「大坂将軍さんは見覚えないかな? うちの越前の呪いで殺す時、現れた鏡を出した方法」 「…お前か」 橘の横、白石は睨み付けながらそう吐いた。乾が笑う。 「あれは俺だよ。じゃ、次は戦場で」 「―――――――――――――て、済むなら話が早いがな」 はっきりとした声は優位を確信した声だ。橘の声。手に、女子が持つようなコンパクトミラー。 「わかるだろ? そっちが使ったような『呪い』だ」 乾は一瞬で顔を引きつらせると、閉じそうになった空間を無理矢理こじ開けてその場から消えた。 「……それは?」 その場に戻ったのは、弛緩したような空気だ。千歳が武器を持ったまま橘に歩み寄る。 「呪いだよ。特殊能力じゃない。 えーと」 「写した力を、しばらく無能化する呪いや」 謙也がそう補足した。気付くと謙也の手にも同じような手鏡。橘のと合わせ鏡にされていた。 「そうそう」 「これでしばらく、あいつはあの特殊能力使えへん」 「…ナイス謙也」 小石川が柔らかい声でそう呟くように言った。気が抜けたらしい。橘にも慌てて言う。 「いや、見つけたのは忍足だ。俺達に使えるもんじゃないがな」 「せやけど、使えた。…ほんまに周囲を狙ってきたな」 謙也はそう言い、自分の持っていた鏡を床に落として踏みつける。割れる音。 「よかと?」 「片方を壊しとくんや。そうやないと、もう一回同じ鏡を使うて合わせ鏡して写すと、使えるようになってまう。壊せば無理」 「ああ」 「確かに、周囲の防護が必要や言ったばっかで狙われたな俺」 「向こうも考えることは同じってことさ」 橘がそう言う。ポケットに手を突っ込んだ。 「乾貞治。東京軍第一軍の副将軍。頭の切れるやつって訊いたぞ」 「俺の情報でもそやな」 「…確かめたっぽかよ?」 千歳が唐突に言った。周囲の視線を集める。 「俺が、国神を呼び出せるかどげんか」 その手に握られているのは、かつて彼が持っていた国神の武器。 橘が目を見開く。 「鹿獅子が…応えたっていうのか? お前に!?」 「ああ」 「…」 白石を見遣った橘に、白石の方が首を左右に振った。 『若様は、十五年前、亡き兄君が夜の国で拾ってきた赤子や。 赤子は夜の国に行けへん。 夜の国には十二歳から、十八歳までの人間が生きられる。 それ以下も以上もない。 王は若様を「桜ノ宮の遣い」と言うた。…それを、小石川は知っている』 渡邊は橘にそう言った。 これも、その伏線なのか。 →NEXT |