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[昏迷路−キミは夢を見たんだ]−前編
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ここ数日。乾の話題は青学テニス部でタブーになっている。
最初、彼が風邪で欠席し始めた時は、“何日目で出てくるか賭けよう”という軽口もあったが、その休む日にちが、五日、六日と続くにつれ、一人一人話題に出すのを避けるようになった。
夏休みは過ぎて、九月末の大型連休だった。
三年は実質引退だったが、部活にはまだ顔を出しておりこの間も立海大附属と練習試合を行ったばかりだった。
「……そういえば、あの写真どうしたんだろう」
不意に部室で不二が零した。
今のところ、乾の話題を出せるのはテニス部で不二と手塚だけになってしまった。
「…あの写真?」
「ほら、練習試合の時、大鳥居の前で撮った写真」
「ああ……乾がまだ現像出来ないんだろ?」
菊丸は遠慮がちにそう呟く。
彼が休んで、もう七日。
風邪にしては長く、酷すぎる。
見舞いに行こうとしたが、顧問と乾自身に固く止められた。
“感染の危険が高いからやめな。もうすぐ試験だろ”―――――――――――と。
彼はどうするのだろう。
「……現像はしたみたいなんだ」
不二が、言っていいものか、という風に口にした。
「……?」
「それを、面白がって立海の柳くんに送ったって。聞いた」
「………にゃんで集合写真で面白がんの?」
「ん、なんか、…心霊写真ぽかったらしくてさ」
その言葉に、菊丸と桃城があからさまに顔色を変えた。海堂もだ。
「……それは、是非見たいにゃ」
「そうっすねぇ。……でも乾先輩は来るなっつーし」
「…もー馬鹿乾! 早く風邪治せ―――――――――――!」
そこでふと、部室に目がいった。
部室の前で、大石が立ち往生しているのだ。
「…大石? どうしたの?」
「……あ」
不二が声を掛けると、大石はあからさまに安堵したようだった。
「…それが」
「ドロボウ!?」
部室の前で事情を聞いた菊丸が声を跳ね上げる。
「うん…朝、来たら中から物音がして。鍵はかかってるのに」
「……鍵、開いてたの?」
「……俺が引っ張ってみたら、閉まってた。でも、開けたら中には誰もいなくて」
「……聞き間違いじゃない?」
「…………」
菊丸に、大石は無言で部室の中を見せる。
そこは荒らしでも入ったように雑多に散らかっていた。
「……………」
菊丸も信じるしかなくなったのか、無言になった。
「…なくなったものとかは?」
「それが、……部費とかはあったんだけど」
「あったんだけど?」
「…ないんだ」
大石の言葉に、菊丸・不二・桃城・海堂は顔を見合わせた。
「……乾の、借りてたデータノート」
話に寄れば、乾が一、二年の練習用に作ったノートを休む前に貸していたらしいのだ。
彼が私物として他人に見せないようにしているノートとは違うので、気軽に悪いと言いながら借りたらしい。
そして部室に置き忘れて1日。今日、乾のロッカーの中に入っているはずのそれがなかったという。
別の場所は? と不二が問えば、いや探したけどないと返る。
「………ナニ、たむろしてんすか?」
「あ、おチビ」
越前だ。
頭一個と言わず、二個は小さい彼が、大石を見上げた。
「……」
大石が簡単に説明すると、越前は思わせぶりにこう言ったのだ。
「…そういえば、あの写真、燃やしました?」
と。
「…あの…って」
「大鳥居の、試合の時の写真?」
意味の分からない大石に変わって不二が言う。
「そうっす。」
「なんで」
「あれ、明らかにやばいもん写ってたんでしょ?」
生意気な新人はしれっと言った。
「……見たの?」
「いいえ? でも絶対やばい写真になってますカラ」
「……それって、寺の息子の勘?」
「てゆーか、それ言ったら親父が、そこはやばいから写真は燃やせって」
「……お寺の住職さんだよね。その人がいうってことは、本当にやばいのかな。
柳くんに、言ってみる?」
「なんで立海の柳さん」
「乾ってば、面白がって柳くんに送っちゃったんだって。その写真」
「………その所為だったりして」
越前の言葉に、海堂が顔色を変えた。
「……なにが」
「乾先輩が、学校来ないの」
海堂が数歩後ずさる。海堂は見た目と違い、繊細で結構恐がりだ。
「ユーレイって、悪いヤツほどそーゆう写真、他人に回されんの嫌がるから」
越前は悪霊本人から聞いたことのように言う。
「………」
菊丸が不二を見た。
不二は思案して。
「手塚に言って、今日乾の家、行こうか」
「………そうだね」
「多分、ろくじゃないことになってるっす」
越前はそう言って、嘆息を吐いた。
「あ、青学レギュラーだ」
乾の住むマンションに、レギュラー全員でやってくると、先客がいた。
バスケ部主将で乾のクラスメイトの狩野だ。
「なに? お前らも貞に用事?」
「狩野もか?」
手塚が問えば、うんと答えがあった。
「あ、そーだ。これさ、手塚クンたちでしょ?」
懐から狩野は封をしていない封筒を取り出した。
中身は一枚の写真だった。
「まさか」
「うん、これ」
貞にもらったんだけど。
と見せられた写真。シャッターを切った不二以外のレギュラーが写っている。
後ろに鳥居。
その全員の首のところを、首を横切るように光線が走っていた。
「……ちょっと、マジでやばい写真じゃないっすか」
越前だ。
「な? 柳にも配ったって聞いてさ、まずいって思って」
当たり前のような狩野の言葉に、ああそうかと手塚は思い当たる。
狩野は乾の幼馴染みだから、やっていた種目は違えど、柳とも小学校時代の知人なのだと。
「よくまずいってわかったっすね。えっと」
「バスケ部の狩野駆。お前一?」
「そっすよ。三年に見えます?」
「見えない。まあ、あれだ。俺の知り合いにも住職がいたから、寺の」
写真で口元を隠すようにして狩野は言う。
気味が悪くないのだろうか。
越前の父親が住職だと、乾にでも聞いたのだろう。
「まあ、とにかく入るぞ。」
「どうやって」
「俺が合い鍵を持っている」
「部長が?」
「ああ、前に預かった」
言って、手塚は鍵を差し込むと回した。
玄関に靴はあった。
呼び鈴を鳴らしたが返事はなかった。
しかしいるらしい。起きあがれないほどひどいのだろうか。
上がると、むっとこもった空気が頬を撫でた。
換気をしていないのだろうか。
「乾」
手塚が呼びかけるが返事がない。
乾の家には何度も来たことがあったので、寝ているなら自分の部屋だろうと、その突き当たりの部屋に向かう。
すんなり扉は開いた。しかし彼はベッドにも、何処にもいなかった。
「…………」
手塚の眉間が険しくなる。乾の親は家に帰らない。
風邪が酷いのに、欲しいものがあるからと外出しているかもしれないと不安が胸を撫でた。
「……。」
一緒に入ってきた、狩野が顔をひきつらせた。
その様子に、なんだろうと見て、異常に気付いた。
部屋の、壁。
乾に壁への落書き癖があることは知っていたが、これは異常を通り越して恐怖だった。
壁一面に、
返して
の文字が何百と書かれている。
これは。
「………なんすか、ちょっと……気味悪いっすよ」
桃城が言う。越前は帽子の鍔を下げて、やっぱまずいことになってると呟いた。
その時だ。
家電が声をあげた。
手塚が廊下に設置されている電話に向かった。
コール音にも乾は姿を現さない。
「はい」
簡潔に手塚が返事をすると受話器の向こうで聞き慣れてはいないが覚えのある低音が耳をくすぐった。
『その声、手塚か?』
「………柳?」
「え? 柳?」
『貞治は?』
「しらん、しばらく風邪で休んでいるから、見に来たのだが」
『……休んで何日目だ』
何故そんなことを聞くのか。
そう思ったが素直に答えていた。
「今日で七日だ」
『……………写真』
柳は沈黙して、言った。
「写真? お前に送ったという?」
『ああ。…後でな、俺達も同じ場所で撮ったんだが』
「……やばいものだったのか」
『貞治が撮ったものよりな。それで、貞治が送ったネガも写真も燃やしたんだが。
まだ、休んでいるか』
「………まるで関わりがあるような言い方をする」
『あるんだろう。俺も貞治も取り憑かれやすい』
「……取り憑かれたのか?」
『少しな。……『返せ』』
ぎくりとした、柳は透視能力でも持っているのだろうか。
『取り憑かれた時、聞こえた声だ。赤也たちも聞いた。
写真がまだあるなら、処分してくれ。……貞治が俺に写真を送って、今日で七日だ』
手塚は無言で受話器を置いた。
嫌な予感だ。
七日―――――――――――乾が休み続けた日数も同じだ。
写真と思って、部屋へ戻った。
「狩野」
「え?」
「その写真だけか?」
「……?」
「乾が持っている写真だ」
「…。あ、ああ。多分。隠してなければ」
「貸せ」
意味のわからぬ狩野から写真を奪うと、台所に行き、チャッカマンを使って洗面台で写真を燃やした。
見る見る写真は黒くなって小さくなる。
これで乾は帰ってくるのだろうか。
「うわッ」
声が、乾の部屋からした。
急いで向かうと、全員が驚いて部屋を見回していた。
何事かと思って、更に驚いた。
あれだけ、さっきまであった部屋の壁の文字が一字もなくなっているのだ。
「…一体」
「わかんないっす。いきなりすーって消えて……」
「………」
乾は。
乾は、何処だ?
「………」
大石が一点を見て硬直した。
そこにノートが置いてある。
不二が。
「大石…、まさかそれ、なくなったノート…とか言わないよね………?」
「………いや、その、ノートだよ」
「………」
最早皆無言だ。
消えた気味の悪い文字。燃やした写真。消えた乾。なくなった筈のノート。
「………………『お社が壊されたから』」
狩野が唐突に言った。
「『あの大鳥居の場所は処刑場で、罪人を鎮めるためにお社があったが、駐車場を作るために潰してしまった。首を切られた者達が返せと言ったのはそれだ』………」
「……何故知って」
「……今、柳からメールが来た」
それを読み上げただけらしい。
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