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禁断の果実/アリとキリギリス
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木手は誰にでも優しい。
敵には厳しいけど、味方にはとても優しい。
甘やかさないけど、時に甘やかすような優しさを見せられた時、身体の奥が弛緩するように落ち着ける。
気づけば、みんな彼を頼って。
彼は“ゴーヤ食わすよ”なんて言いながら許して笑う。
裕次郎や俺にとっては、冗談じゃないのだが、結局どんなこともその一言で許してしまう木手は、誰より優しいと思う。
怒りを後に引きずらないし、悲しみがあってもそれは見せずに隠してしまう。
それを。
―――――――――悲しいと、最近感じる。
最近、とみに周囲がうるさい。
それは主に、自分たちが負かした学校の連中のうわさ話だ。
彼らにとって、自分たちを下した俺たちは気に入らない相手。
その俺たちの成績は、全国二回戦敗退。
それを口汚く罵り、馬鹿にする奴らが多い。
学校の教師はよくやった、とほめたが、そのうるさい雑音にいい加減うんざりする。
一番、耳についたのは木手に対する罵倒だった。
接戦だった自分たちと違い、大差をつけられて負けた主将の木手を、負け惜しみのようにあざ笑うやつは多い。木手は気にするなというけど。
イヤなんだ。
お前が馬鹿にされるのだけは。
お前は頑張ったって、誰か言って。
誰か、木手をほめて。
でないと、俺たちはこのままだめになってしまう気がした。
「喧嘩の原因は?」
淡々と問う木手の言葉に、平古場たちはぶすっとあさってを向いた。
田仁志と知念だけが無言ながらに視線を逸らさない。
「大会が終わっているとはいえ、新人戦もあるんですよ。
それに、俺たちは武術家だ」
知っている。武術家が一般人に暴力を振るうことの驚異は、部活を始めた時に木手にたたき込まれた。
けれど、これは、そんな理屈じゃない。
「…向こうが悪い」
平古場がぼそりと零せば、木手の形のいい眉が若干あがった。
「どっちが悪いか、じゃないんですよ」
「それはわかる。けど、……向こうが悪い、と思う」
知念の控えめな意見に、しかし木手はおや、と視線を向けた。
挑発はするし、反撃だってする。愛校心の強い知念がおとなしやかでないことは木手も知っている。しかし、こういう一方的な暴力沙汰で、知念が非を認めない言い方をするのを、初めて聞いた。
「……」
木手は一度、ため息をついた。
「わかりました。相手が大人たちに口出しする気がないようですから、問題にはならないでしょう。でも、次はないですよ」
「悪い、永四郎」
「…いえ、キミが、フォローしたくなるようなことだったんでしょ」
言いながら、木手は部誌に“本日も問題なし”と書き込む。
そこで、平古場たちが渋面でたたずんでいることに気づいた。
「どうしたの? もう部活初めていいよ?」
「……え? …いいの?」
「…?」
「永四郎。平古場たちはいつもの“ゴーヤ”が来ないことを…」
言いかけた知念の頭を甲斐がひっぱたいた。
このまま木手が思い出さなければ、免れると思ったらしい。
「…ああ。いいよ。今日のとこはね」
木手の断罪の言葉に、二人は安堵の息を吐いた。
「その代わり、部活、手を抜かないように」
木手の言葉に、そろって“はーい”と返事。こんな時だけ呼吸があうんだから、と木手があきれた。
いっちにーさんしーと声がコートに響く。
ウォームアップの柔軟の最中で、制裁から免れた甲斐が、平古場の背中を押しながら、“よかったな”と呟いた。
「……聞かせたくないんだろ? 木手には」
主語がなかったが、それが喧嘩の原因だとはすぐ平古場にわかった。
「……口が裂けても言いたくない」
「俺も」
甲斐がにしゃっと笑って同意の言葉を述べる。
「でもさ、どうなの?」
「なにがよ」
「木手」
「……永四郎が?」
今度はわからなかった平古場に、甲斐はしゃがみ込むと耳元で。
「そろそろ手ぐらいつなげた?」
とささやいた。
「っばっ…!」
上にのしかかっている甲斐をはねとばす勢いで起きあがった平古場に、周りの部員がなんだなんだと視線を向ける。
「…え? なに、まだ手もまだなの?」
はね飛ばされても姿勢を崩さなかった甲斐が、にやけ笑いで手を振る。
「甲斐、なにやってる?」
「あ、知念くん。凛がさ、まだなんも…」
「裕次郎!」
叫ぶ平古場を、フェンスの方で見ていた木手が、なんの騒ぎだという風に見ている。
「木手。俺たち柔軟終わったけど」
「ああ、二人はコンビネーションの強化。コート入っていいよ」
不知火と新垣にそう言って、から多少気になるのか、視線を平古場に戻す。
「平古場クンはなにを騒いでいるんですか?」
「……さあ」
「あ、でもさ木手」
「はい?」
「平古場と、多少の進展はあったのか?」
ぽん、と。
肩をたたくように落とされた言葉に、木手はしばらく、理解が追いつかないような顔をしたあと。
「馬………鹿じゃないですか? それ、部活に関係ないでしょ」
「はいはい」
おとなしく木手から離れてコートに向かいながら。
「あの間が気になるよな」
「多分、なんかあったんじゃないか?」
「不知火クン、新垣クン、ゴーヤいっときますか?」
「いやいいです」
「コート行くぜー新垣ー」
平古場と木手が近頃、つきあいだしたという話しは、実際、二人とも吹聴していないのに部活で広まっている話しだ。
適度に触れてくる部員に、肩の重荷を感じながら、木手はコートを軽く見回す。
まだ新垣たちしか入っていない。他の部員は平古場を中心になにやら騒いでいる。
呼んではいなかった。けれど、呼ばれたように振り返った平古場が、木手を見て、少しはにかむように笑った。
どこか寂しそうに。
ああ、まただ。
自分とこんな関係になって、彼はよくそんな風に笑いかける。
後ろめたいわけではないのだろう。なら何故、そんなに寂しく笑うのだろう。
部活が終わって、平古場が木手の家に遊びに来るのは珍しいことではない。
こういう仲になってからは、むしろしょっちゅうだ。
「こら、平古場クン。せめて鞄降ろしてから寝転がりなさいよ」
「えー……疲れたし…少し仮眠…」
ベッドの脇に横になって目を閉じてしまった平古場に、木手はたしなめるでなく、ため息をついた。
眠る顔は年相応で、後ろめたく思うのは、むしろ自分の方じゃないかと思った。
綺麗な、綺麗なキミ。
汚したくない。なら、一線を越える前に離れてしまえば。
そんなことを考えた時期もあった。
キミが恋しくて、出来なかったけれど。
そのとき、キミは気づいたように抱きしめてくれたけど。
「……俺は、俺の中で消化してしまったし、今更言うことじゃない。
必要ないし」
眠る平古場には聞こえない。だからいえたし。
面と向かって、言えるはずもない。
「……キミは聡いから、俺が一度離れようとしたことなんて知ってるはずで。
あのあと、キミに電話をかけようとしたんです。別れようって、結局かけなかったし、かけられるわけもなかったのだけど」
別れたくない。せめて、それくらいには、思い合っているならいい。
「……俺は俺の中で片づけてしまったけど、それをキミが知ると思うと、それが怖い。
……キミを、……好きなのに。……ごめんなさい」
綺麗な、綺麗な永四郎。
ならどうしてごめんなんだよ。
謝ることじゃないだろ。
違うだろそんなん。
だから、早く。
誰か、永四郎を誉めて。
永四郎を認めて。
俺たちを笑って。
だめになってしまう。
離れてしまう。
永四郎。
好きなのに、どうしてごめんなんだよ。
わからないよ。
誰か、お前は頑張ったって、永四郎に言って。
彼が、壊れてしまう前に。
俺の言葉じゃ駄目なんだ。
誰か―――――――――。
「なんで駄目なんだよ」
次の日の学校帰り、甲斐はそう言った。
「言ってみりゃいいじゃん。頑張ったって、もういいよって」
「裕次郎…」
甲斐は、知らないから言えるんだ、そう言えたら、楽だったけど。
言えなかった。なんでだろう。
「……木手もお前もなぁ。肝心なとこで足踏みすんだろ。
木手はさ、ごめん、じゃなくて、好きだって言いたいんだろ?
謝るのは、お前を自由にしてやりたいけど、そうできないくらい好きだからで。
だったら、お前が“頑張った”って言うだけでいいんだよ。
そんな、小難しく考えたって。離れる時は、離れるんだからさ」
そんな日、来て欲しくないけど。
ごめんは、愛情の裏返し。好きだよ、と言えないあいつの好きの言葉。
だからごめんなんだ。
誰より後ろめたく思う、弱いキミの。
せめての防衛。
「永四郎くん、いますか?」
木手の親は、いるわよ、と言ってあげてくれた。
でも、今日は特別疲れてるのか、寝てるのよ。起こしてあげて。と。
木手の部屋は、さすがに綺麗だ。
ベッドに上半身を乗せる形で眠っている姿に、ふ、と笑った。
ベッドに横になって寝ればいいのに。
「………」
言いたいことも、何一つでてこない。
眠る横顔に、とらわれる。
誰か誉めてって。言っていたけど。
誉めてあげる。頑張ったって言ってあげる。だから、言わないで。
ごめんなんて、言わないで―――――――――。
眠る横顔に口付けた。
「……、平古場クン?」
「……ごめん、」
「……え」
「何時間か、俺にくれてやって」
そのままベッドに組み敷かれても、彼はなんら抵抗をしない。
だから、それで十分だ。
もう、十分だ。
もう一度口付けた。
「……永四郎」
「あ、三時間経ってる」
行為の後、服を腕に通しながら木手がぼんやりとそんなことをいう。
「いいじゃん。俺は二時間とかって限定してないしー」
「そうですけど」
「……でもさ、頑張ったじゃん」
「……」
木手は、ずいぶん驚いたようにこっちを見た。
「男同士って痛いんだろ? でもよく声出さんかったじゃん。偉いって」
言うと、彼はしばらく呼吸を忘れた顔で。
それから、少し、泣きそうに。
「………妹がいるから、我慢しただけですよ」
と答えた。
届いてる?
頑張ったって、思えてる?
それならいいから。
もうごめんは言わないで。
好きだって、
ちゃんと言って。
「好きだ。永四郎」
その首筋に、口付けた。
「あ」
その日の朝練の部室で、そんな声を漏らしたのは、確か田仁志だったと思う。
一点を見つめたまま、固まった。
「慧くん?」
甲斐がいぶかしんでのぞき込む。
田仁志がなんだか形容しがたい顔で見つめている一点を、たどっていくと木手の顔があった。
「?」
木手の顔。だよな。特に別に、他に変なものは。
「……あ」
気付いて、甲斐も声を漏らす。
木手が気付いていないのか、“早く着替えなさいよ”と言う。
「甲斐、絆創膏あるか?」
「……一応。こら凛」
知念に手渡しながら、甲斐は平古場の首根っこをつかむ。
「うわ! なんだよ」
「うまくいってオメデトウ。でも首筋はやりすぎだ」
「…………は?」
「……キスマーク、見えてんぞ」
甲斐の言葉に、平古場は理解が追いついたというように、ああ、と呟いて。
「え? あれ、…………一日で消えないのか?」
「三日は目立つんだよ。わかってないならつけるな」
わけのわからない木手の首に絆創膏を貼って、知念が一週間はプール休めよ、と言った。
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