「……っ……ぁ……」
 扉を開けて、認識するなり石田は空き教室の扉を閉めた。
 施錠して振り返る。
 休日明けの空き教室にいるのは、謙也と白石だけだ。
 謙也は椅子に座って、携帯を暢気にいじっている。
 その足下で、両手を背後で、いつも左腕に巻いている包帯で縛られている白石は下肢に布を何一つまとっていない。
 断続的に荒い呼吸を漏らして、むずがるように身をよじった。
「…ぅ…あ…っ……は…、…ぁ……あ、ぎ…ん」
「白石、師範に助け求めても無駄やで」
「…っあ……け…や」
「師範、白石に触れるんはええけど、ソコはいじったらいかんから」
 指とか駄目な、と言いながら謙也は携帯をかちかちと操作している。
「…なんか、クスリ飲ませたんか?」
「まあ、相当クるヤツをな」
「そうか」
 驚いたのは石田も入ってきた一瞬だ。彼ももう顔を変えず、手近な椅子に座った。
「…謙……也…っ」
「ん?」
「…挿…て…っ…」
「あかん」
「…おねが………も、…くるし……あかん……っ。
 指…でも…謙也んでも…道具でも…なんでもええから……挿れて……っ」
「あかん言うてる」
「…や……っ。……も…くる……」
「珍しいな。いつもは焦らすくらいならヤるやろ、謙也はんは」
「ああ、これはお仕置き。こいつ、結局千歳に抱かれよったから」
「ああ」
「……は……、……け…ん」
「白石、お前、あれほど千歳んこと嫌がってたやん。
 なに素直に抱かれてんねん」
「……わから…っ」
「わからんわけあるか」
「……っ」
 その床に倒れた翡翠の瞳から涙が零れた。
「泣かせてどないするんや」
 石田が気遣ってその頬を拭ったが、それすら過ぎた刺激で、びくりと震えた身体を、石田は“触れるだけならええんやろ”と言って抱き起こして抱え、服ごしに背中に手を這わせた。
「っ…あ…! っ…うあ…や…ぁ…」
「ほんまに相当キてるな。これだけでもうあかんか」
「…ぎ…、挿…れ…っ」
「それは、白石が素直に言うたらやろ」
「……」
 その双眸からぽろぽろと零れた涙が観念したように歪んだ顔を流れる。
「…少し…思いだし…っ…とらん…けど…、…ぁ……っ…とせの…嘘やない…て。
 思て…しもた…から……拒め…か……」
「…そうか」
「やから…も…抱かれた…りせんから…やから…っ」
「…で?」
 謙也は相変わらず携帯をいじっていたが、視線は白石に向けていた。
「…さい」
「ん?」
「…ごめ…なさ…い…ごめん…さ…謙也……ごめ…っ………」
 泣きながら繰り返す白石の傍によって、その縛るために包帯を解かれた左腕をなぞる。
「…なさ…い………謙也……お願……はよ……挿…て…っ…滅茶苦茶…ん…犯して…っ」
「…わかった。よう言えたな、ええ子やわ」
 そっと空いた手でその髪を撫でると、濡れたまま外気にさらされていた下肢のそこをいきなり三本の指で抉った。
「っ…あ…ぁ……や」
 それでも、飢えていたというように裂けることなく受け入れる場所を深く抉りながら、あらわになったままの左腕を撫でた。
 普段、包帯に覆われている場所。
 そこに走るのは、幾筋もの線の痕だ。
 まるで、鞭でも毎日振るわれたかのような。
「師範」
「ん?」
「これ、千歳のいうことがほんまなら、その前世の痕なんかな。
 前世の話がほんまかおいといて、立場は低かったっちゅーか酷かったらしいし」
「多分な。千歳はんが来るまでなんの痕か誰もわからんかったけど。
 白石自身、生まれた時からあったって言ってたし」
「そやな」
「……は……あ……、ぁ」
「ま、ええ。どうせ千歳には受け入れられん話や。
 白石がとっくに、自分だけのものやないなんて話はな」
 言って、指を引き抜くと拒絶のような悲鳴が白石の口から漏れる。
 安心しろ、と宥めてそこに熱塊を宛う。
 ほんの少し、安堵した顔は欲情に染まりきっていて、次に与えられる刺激を待って涙がもう一筋零れた。











Ark−悪徳なんか怖くない−








 ―――――――――――――九月、全国大会抽選会。

 アッという間に過ぎた季節にも変化はあって、たとえば白石があからさまに千歳を拒絶出来なくなったことも含まれていた。
 それを知っている謙也たちが無理矢理白石と千歳の間に線引きを行った所為で、千歳はより深い拒絶を感じたかもしれないが。
 それでも少なくとも千歳はまだ知らないままだった。
 白石が、自分以外の部員とも、関係を持っている、なんてことだけは。
 彼は謙也たちのそれは、単純に端から見れば危ない経緯で部長に近づく異邦人から部長を守っているだけ、としか思っていないのだし。

「白石、しんどない?」
「は? いや…、ヤったん一昨日が最後やよ? それお前やんか健二郎。
 お前そない激しシた記憶あるんか?」
 抽選会場の室内の前列の椅子、隣の小石川の言葉に小声で返すと、そやな、と一応の返事。
「手塚も復活、多分、幸村も復活か…」
「…まあ、おもろいやん。どっちも欠場のまんまてっぺん立ったかて、つまらんわ」
「そうやな。……立海とは、決勝まで当たらんな」
「…まずは、…青学か」



「部長! 飲み物いかがっすかー!」
 部活中にも関わらず列車のカート売りの真似をする赤也に、いらないよと言いかけて幸村は“じゃあ、りんご”と答えた。
「はい、どぞ!」
「赤也、真田がいないからはしゃいでない?」
「いえ! 副部長と柳さんが抽選でいないからってそんな!
 それに、部長に関することは、けっこ、甘いっすよ、副部長」
「しょうがない。俺は真田のお兄ちゃんだからね」
「出たぜよ、幸村の“真田のお兄ちゃん”発言」
「文句あるの仁王?」
「ない。けど、お前さんが甘やかすから、真田がつけあがんじゃ」
「禿げ上がるよりマシじゃない?」
「いや、そういう問題じゃないし」
 淡々とジャッジした丸井の横で赤也が呼吸困難に陥っている。おそらくハゲの真田でも想像したのだろう。
「てゆかさ、中学あがった時? 会った時には既に“お兄ちゃん”宣言してたよな?
 幸村くん」
「うん、だって本当に“お兄ちゃん”なんだよ?」
「あれのどこが可愛いのかわかんねー」
「つか、…誕生日、副部長の方が早いですよね? 部長、早生まれでしょ?」
 笑いの収まった後輩の言葉に、幸村は笑う。
「そういう意味じゃないんだな」
「…あれか? 柳が言ってたが…。
“精市は前世の記憶があると言っていて、前世で真田は自分の“弟”だったらしい。そのせいだ”とか」
「え、それマジジャッカル?」
「マジだよ?」
 答えたのは幸村だ。
「えー? 嘘とか思わないけど、えー?
 よりによって幸村くんが真田の兄貴?
 どういうチョイス?」
「嘘とは思わないの? みんな」
「だって幸村くんだもん」
「今更、前世覚えてても不思議じゃないですしねー」
「そういうことじゃ」
「あ、俺もそう思う」
「ふうん、ああ、…そういえば、いたな。知ってるヤツで複数。
 前世を覚えてて、困ってたヤツ」
「え? 誰?」
「青学の手塚と―――――――――――――……今は四天宝寺、の千歳?」
「え? なに前世仲間?」
「そこそこ付き合いあったかな。どっちも死に別れた妻を捜してる、とか言ってたけど…。
 会えたかなぁ…」
 俺は真田に会えたから、もう別にいいんだけどさ、と幸村。
 神奈川は晴れている。
 雨が降り出したのは、抽選会場の方だった。





 機械越し、頑張りましたね、という声に相づちを返した。
 全国ベスト4―――――――――――――それが、去年と今年の、四天宝寺の成績だった。
 比較的押さえた濁声で電話を切ると、渡邊は宿泊しているホテルの廊下を歩いてくる千歳に目をやって、思いついたように招いた。
「なんですか?」
「いや、…最近白石とはどうなん?」
「急とですね…。いや、…見た通り、謙也たちのガード硬かで…」
「…それ、お前、“まだ”ただの部長を守る防衛意識やと思ってんか?」
「…、まるで、違うみたいな、言い方するとですね」
「…まあ、違うな」
「じゃあ?」
「…」
 渡邊はぽい、と千歳にカードキーを投げた。
 渡邊の部屋のものだ。
「俺の部屋の風呂場にでも隠れてろ。ええもん見せたる」
「……?」
「白石のほんま、知りたいやろ」
 この顧問に、なんの思惑があるのか、知らない。
 けれど、白石の、と言われて、頷かない自分ではなかった。
 少しでも、近づきたい。彼は、思い出したいと言ってくれたんだ。
 少しでも、彼をもっと知りたかった。





 自分の部屋に戻ってきた渡邊の後をついてきて、白石はええんですか?と聞いた。
 それが礼儀上だけだと、渡邊は知っている。
「お前の性格や、教師の部屋に、なんて考えるんはわかるけどな。
 もう、試合はないんやし」
「…ま、そうですけど」
「ほら、…こっち来ぃ」
 招かれて、素直に差し出された手を重ねると強く引かれて、テーブルに押し倒された。
 さほど驚かず見上げてくる白石の胸元をはだけて、その白い肌に散った赤い痕に目をやった渡邊が、唇をあげて問う。
「コレ、誰? 謙也? 財前?」
「…誰や思う? …センセ」
 その声が普段の彼からは信じられないほど甘く媚びていて、狭い室内に麻薬のように響いた。
 伸ばされた腕に引き寄せられて、顔を胸元に埋めながら、考えて渡邊は“小石川?”と言う。
「…や…、銀」
「…ほな、まずいか。銀の後に俺は、お前しんどいやろ」
「なに言ってるん? 銀とヤったんもう昨日やし。
 別に、センセのくらい…エエえだけで、痛くあらへんもん」
「ふうん…」
 その強請る頬を包んで、深く口付ける。
“見えるように”。
「ヤって欲しいんや? お前、試合の後身体うずくって、去年も俺に言うたやんな」
「…去年は、試合なかったから余計」
「……白石」
 覆い被さって、耳元で囁くとびくんとそれだけで感じるように身体が震える。
「悪い子やな…お前」
 その声に、笑みを返そうとして、場違いな扉の音に遮られる。
 茫然と向けた視界の先、風呂場の扉は開いたままキィと揺れる。
 その前に立つ、俯いた震えた巨躯。
「……、センセ。わざと?」
「…まあな」
「…センセの方が、“悪い大人”やろ…」
 白石が押し倒されたままそう言った声を、それ以上聞きたくないというように千歳が部屋を飛び出していた。
「……牽制? それとも……なんや言いたいん? センセ」
「……あいつが気付かんからな。……言いたい、かな」
「……気付かない…なにを?」
 ようやく起きあがって問いかける教え子の額にキスをして、服を整えてやると、今日は部屋戻れと促した。






 人気のない廊下まで走ってきて、あがった呼吸より鼓動の方が早いことに笑えなかった。
 あれが―――――――――――――白石の本当?
 あの口振りは、まるで去年から彼らに身体を許しているという意味で。
 だから、謙也たちは俺を遠ざけた?
「っ……! なんでん…!」
 しゃがみ込んで、呻るように吐いた言葉。
「…こげんこつ…汚か…!」
 それでも、わかっている。
 死ぬほど、汚いと、醜いと思う。
 でも、それは決して白石を向いていない。
 その言葉と感情の矛先は、間違いなく渡邊や謙也たち、そして他ならぬ自分だ。
「…なんで…っ!」
 白石に聞けば答えてくれる?―――――――――あの場所ですらあわてなかった彼が、素直に言う筈があるのか?
 何故、たった一度抱いた時気付かなかった。彼が明らかに、そういった行為を行われることに馴れていると。
 足音が背後でして、まさかと振り返るが、そこにいたのは石田だった。
「……」
 彼は、全てわかったように悲しげに微笑む。
 彼さえ、汚いと思う。けれど、何故か殴りかかることは、出来なかった。
「……千歳はんは、知ってんか?」
「……なにを」
「…千歳はんの過去がほんまかはしらん。けど、それを誰かに言うんは、辛うないか?」
「………?」
 疑問符を浮かべた千歳に、石田は痛みを押し隠すように笑った。



「精神科の先生やった親戚の受け売りなんやが…。
 大抵の辛いことは、人に言うたら楽になる。大抵は、楽になって、励まされて、明日って思える。…大抵はな。
 やけど、そうやないこともある。
 …言葉にするだけで、涙が溢れてとまらんようなことは、…ほんまは口にしたらいかんことや…ってな。
 それだけで辛いことは、いかん、って。
 そういうことは、思い出したから辛いんやない。
 言葉にしたことで、自分で言葉にしたその言葉に自分自身で滅茶苦茶に傷つくからや。
 自分の言葉自体が、刃になるほど…世界を呪うしかない、しんどいことも、ある。
 そういうことを口にわざわざして、聞いてもらうんは、傷に塩塗るんより痛い話やから、したらいかん、って言うてたわ」
「………」
「白石は、…俺らのそういうこと、わかってんや。
 俺らには、一つはそういうしんどいことがあって、口にしたら涙とまらんくらい、しんどいことがあって、…たまに、それに囚われて、なんも未来見えなくなる。
 …白石は、…抱かれるんが好きで抱かれてんやない。
 …俺らの行き場のない、言葉にもできんしんどい気持ちごと、“もうええよ”って、“もう自分傷付けるんはやめや?”て…受け止めてくれるだけや。
 ただ、…白石は優しすぎるだけや…。
 俺らはそれに甘えすぎとるだけ。…白石は悪いこと一個もない。
 …そんな白石の、…自分犠牲にするほど優しすぎる心は、…千歳が愛してた“彼女”にはなかったんか?」

 石田はそう言い終えて、いなくなった。
 ―――――――――――――あったから、言葉はなかった。
 セシアだって、過ぎるくらい優しかった。
 自分を犠牲にしても微笑む優しさを、もどかしく思いながら、甘えてすがって離せなかったから、ああなったんだ。
「…けど、ほんなこつは、俺もわかっとう…」
 一人、呟く。

「…あれは、セシアじゃなか」

 白石は確かにローディンセシアだ。
 けれど、自分が惹かれてやまない存在は、最早セシアではなかった。
 白石蔵ノ介という、前世など関係ないたった一人の存在。
 確かに、前世があったから彼と出会った。彼を知りたいと思った。
 でも、それはもうただの過程に過ぎない。
 結局、自分は前世を理由に、彼の傍にいたかっただけだと気付く。
 だって、こんなにも苦しい愛しさも、独占欲も。
 前世の彼女を思うなら、生まれる筈がない。
 前世の彼女を思うなら、白石をむしろ軽蔑する。
 けれど、彼をただひたすらに綺麗だと、優しいと、愛しいと願うだけで。
 そんな気持ちが欠片もない。
 もう、前世なんか関係なかった。
 前世を切り離して、忘れてしまっても。
 白石が好きだ―――――――――――――この気持ちだけは消えないなら、

 前世は忘れたっていい。

 白石が自分に微笑む代償が、前世の記憶なら、今なら喜んで捧げる。
 必要なかったわけじゃない。ただ、白石に出会った今は、もう持っていても仕方ないものだ。
 愛したいのは、彼女じゃない。
 今の自分が愛したいのは、彼女じゃない。
 彼だ。
 記憶があるから、彼に会えた。
 それだけでいい。
 記憶を持って生まれてきた理由が、やっとわかった。

 ああ、あの記憶は、…白石に出会うために持って生まれたものだったんだ。




 渡邊の部屋にもう一度行ってみると、渡邊しかいなかった。
「…殴りかかってこんな」
「…別に、そういう問題やなかとですから」
「そか。誰かから、だいたい聞いたんか?」
「はい…」
「……千歳は」
 言って、渡邊は口から煙草を離した。
 そのまま灰皿に押しつけて、消す。
「…前世と関係なく、テニス好きやろ?」
「…はい」
「それが、いきなり奪われたら、どないする」
「……」
「…想像できんやろうけど、…下手に実力あって、お前みたいにやり直せる範囲の怪我やすまんで、…止めるしかなくて、出来なくなって、…下手にプロなんか目指してた人間は、一番目もあてられん」
「…オサム先生?」
 渡邊は背中を向けていて、表情は全く見えない。
「…世界を呪って、滅べばいいとすら思って、何年も苦しんで…それでもテニス捨てられんと…部活の顧問なって…、教え子を可愛いと思いながら、どっかで自由にテニスしてる奴らを心底憎いと思っとる自分が、たまに心底な、あかんようになるわ」
「…先生……」
「俺が白石抱くんは、そういう時やし、あいつもそれ知っとるから好きにさせてくれる。
 有り難いし、甘えてるし、依存してんはこっちって話」
「………」
「けど、千歳」
「え?」

「そんな言葉に出来ない程しんどい気持ちごと受け入れてくれる優しい奴の、しんどい気持ちは、…誰が受け入れてやったらええ」

 ―――――――――――――わかっている。
 白石の、彼の辛さはどこにいく。
「失礼します」
 踵を返して去っていった千歳を見送って、渡邊は膝を押さえた。
 頬を涙が伝う感触を味わうのは、久しぶりだった。









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 一度手塚木手を書こうとしてやめました(笑)
 手塚木手編は別タイトルでやろうと。これは千歳×白石だけにしようということで(笑)
 でないといつまでたっても終わらない…。
 でも幸村は書いてて楽しかった。多分、幸村は「前世」とか言ってもひかれないよね?…と(笑)
 この話の白石はこういう理由でやってます。
 包帯の下もこの話のみですが、やっぱり「千歳のため」になったかも…。
 石田の語る「口にすると余計自分を傷付けるほど〜」は知り合いの精神科医師の実話。
 実際、口にして泣いてしまうのは、思い出して泣いたんじゃなくて、自分で言葉にした自分の言葉が自分を傷付けてるから、
 というお話。
 あー、確かにな、と。
 ところで、この「Ark」の謙也は大概「ホワイトディ」より質悪いですね…スイッチ常に入ってんじゃないだろうか…。
 ちなみに、大抵のメンバーは石田の理由から、ですが、謙也と財前だけは恋愛感情が前提で白石を抱いてますよ、
 という話。