ジャバウォッキー
-blind summer fishZ-

後編−【ジャバウォッキーを笑うなかれ】




「…へ? ほな、…まだおるの?」
 大浴場に向かう途中だった。白石の言葉に、忍足は間違いない、と一言。
「なんか気持ち悪いねん。まだおる」
「……ほな…」
「別にいいでしょ。死ぬわけじゃなし」
「梶本。あんま他人事ぶってんな?
 お前にもし取り憑いたら、お前が千歳謙也にキスすることになるんやで?」
「僕が女将さんに聞いてきますね」
 すたすたと笑顔で手のひらを返した梶本を、ちょっと唖然と見送る謙也たちに忍足が言う。
「気にすんな。梶本はあーいうヤツや」
「梶本。いつもです。教室にスズメバチの巣があっても絶対自分が刺されないなら平気で本読んでるんです」
「…白石まで言うレベルなんやな」
「あ、すいません。シャンプー忘れました。取ってきますね」
「あ、一人で平気か蔵」
「うん!」
 若干心配やけど、と呟いた忍足に頷く謙也たちの視界から足音が聞こえなくなった。




「でも、こうして会うの相当久しぶりだよな。俺、お前が一番都合つかないと思った」
 廊下を歩く二つの浴衣姿の片方が暢気に言うのを、片割れがまあな、と肯定した。
「不二も都合つかなかったね。大石くらいつくと思った」
「まあ、いいだろう。たまには」
「そうだな。あ、そういえば手塚。お前この間日本にいたんだって?
 越前連れ戻しに」
「ああ」
「で、なんで越前、日本にいたんだ?」
「……知らないが」
 多少困ったような声とともに、そこを通りかかった身体が浴衣の裾を思わず踏みつけて転んだ。
「うわ!」
 咄嗟に背の高い方の青年が受け止める。
「大丈夫?」
「あ、はい。有り難うございます!」
「…あれ、キミ…」
 その青年がそう言いかけたところで、倒れかけた人間―――――白石は片方を見て、目を瞬かせた。
 その片方、手塚国光と言えば、なんとも形容し難い顔で固まっている。
「…あ、あの!」
 早くこの場を去ろう、と決めた手塚が、片割れを「乾」と呼んで踵を返そうとした矢先。
「すいません! お話聞いていいですか!?」
「………は?」
 手塚が思わず顔を引きつらせたのを、乾は不思議そうに見ていたが、無理はない。





 問答無用で白石たちの部屋に連れて来られた手塚たちは、事情を聞いて取り敢えず納得した。
 幽霊事件で情報が欲しい。そこに泊まり客を見つけて、だ。
 今、この宿にいる泊まり客は全てこの事務所の人間で、一般は自分たちだけ。
 白石は事務所以外の泊まり客だと判断したから連れてきたという。
「とりあえず、自己紹介かな?
 俺は乾貞治。東京のN附属大学の一年。
 一応、教育学科の生徒。来年は教育実習もあるよ。
 ここに誘ったのは俺」
「…手塚国光。海外で仕事はしている」
「へえ。…教師見習いさんか」
「ん? どげん繋がり?」
「中学の同級生。中学の友だちを誘ったんだけど、手塚しか都合がつかなかったんだ」
「そっか」
「で、…手塚? なにさっきからそんな死にそうなんだ?」
「気にするな」
「…そう?」
 あっさりした言葉で納得する乾を横目に、手塚は溜息を吐いた。

 自分と彼、白石蔵ノ介は先日、会っている。
 後輩の越前リョーマを回収しに来た折りで、越前が彼になにをしたかも知っていれば、回収しに来た時は、白石が越前の骨を折っていた現場。
 越前に大元の非があるので、何も言わなかったが。
 白石はその時、自分にも会っている。
 だからわからない。
 何故、よりによって自分に話を聞くんだろう

 それよりなにより、彼が他のメンバーに自分=越前リョーマの先輩ということをいつ話してしまうのか、それが恐ろしい。
 この様子では、他のメンバーはそのことを知らない。
 なにより、何故彼は平気な顔でいるのか…。

「てーづか?」
「あ、ああ」
「俺達が知ってること、聞きたいってさ」
「…ああ」
「……っても、あんまりないよ。
 ただ、一週間前、自殺があったって聞いた。
 その人は女性問題や淫猥罪を繰り返してて、それで仕事を失って自殺したらしいから、多分その人かな。
 普通、すぐお経をあげるんだって。ここ。
 ただ、まだその人への供養は済んでない。済んでないのはその人だけらしいから、多分間違いないんじゃないかな」
「…なるっほどなぁ」
「でも、それなら何故千歳くんを襲ったんです? 白石くんならわかりますけど」
「梶本。お前な…」
「さあ。ただ、身体があれば男でもよかったんじゃないかな。
 わかんないけどね」




 結局あの後も、彼らと夕飯を共にした手塚は少し疲れていた。
 庭をふらふら歩いていると、途中で目があった彼が顔を上げて笑う。
 白石も散歩に来ていたらしい。
「あ、お邪魔でした?」
「いや…」
 そうとしか答えられない。白石の機嫌を損ねるのが今一番怖い。
 しかしそう考えてふと思った。
「聞いてもいいか?」
「はい?」
「…俺が越前の先輩だと知ってるだろう?」
「はい。会いましたよね」
「……何故、普通に話せるんだ?」
「……?」
 首を傾げる白石は、意味が本当にわかっていない様子だ。
「…越前は、お前を犯したんじゃないのか?」
 多少酷な言葉の気がしたが、遠回しでは多分伝わらない。
「ああ。でも、俺ちゃんとやり返しましたから。
 もういいですよ?」
「…だけか?」
「はい。…それにあなたは彼の先輩であって、彼じゃないですから」
「……………………」
 理解は、した。

 白石蔵ノ介。
 彼は多分、『気まずさ』を理解出来ない人種だ。
 謙也と名乗る青年たちから、彼が相当に人付き合いの経験のない人間だと聞いている。
 彼には、『自分の身内が酷いことをした』人間が、『自分の身内に酷いことをされた』人間と接する心境がわからない。
 自分の身内が、酷いことをした人間を知らないからだ。
『自分の身内』は彼にとってあの旅館にいるメンバーだろう。
 目立ったスキャンダルは聞いたことがない。
 多分、白石は千歳たちが酷いことをした人間と会ったこともなければ、千歳たちが酷いことをした人間も聞いたことがない。
 故に、自分が気にしていないなら、なにも問題はない。
 これが思考回路、というところだ。

「……怖い人種だな」
「はい?」
「…いや」

 怖い、と思った。
 白石があの時、遠慮ない反撃を越前にした理由が今ならわかる。
 彼は、心に中間がない。
 好きは好き。嫌いは嫌い。悪いは悪い。
 100:0でそうだ。
 だから、中間ゾーンの人間がいない。
 100:0で悪い、と判断した越前への遠慮がなかったのは、彼の思考では当たり前、というところか。

「白石ー!」
「あ、はい!」
 二階の彼の部屋の窓から、あの謙也という青年が呼ぶ。
 すぐ、失礼しました、と頭を下げて去っていく白石を見送って、手塚は溜息。
「手塚。そろそろ部屋戻りなよ。今、彼といたの…。……どうしたの? 疲れて」
 追ってきたらしい乾の肩を叩いて、手塚は重く言う。
「……乾、アリスの怪物を知っているか?」
「アリス? 鏡? 不思議? どっち?」
「鏡」
「…『ジャバウォッキー』かな? 歪な怪物」
「……ジャバウォッキーが人間の姿だったら、あれがそうだろう。
 恐ろしい」
「…誰の話だよ」
 夜も更けていく。
 月が空に見えて、庭は明るかった。






「…結局、あれ以降なにも起こりませんでしたね」
 帰りのバスに乗る最中、梶本が不意に言った。
「話した後、お坊さん来とったやん」
「まあ」
「……梶本?」
「……あの人」
 梶本が手元でいじっていた雑誌をめくって、謙也たちに見せる。
「割と前に気付いたんですけど、害がないならいいのかな、と…放置してました」
 そこには、プロテニス選手『手塚国光』の写真。
 対戦相手は越前リョーマの試合で、彼とは中学の先輩後輩、という記事がある。
「白石くんは知っていたんでしょうか?」
「……………」
「白石!?」
「…はい?」
 急に呼ばれて振り返った白石を余所に、梶本は『まあ多分知ってたんだろうな』と淡々と呟く。
 手塚にとってのジャバウォッキーは白石蔵ノ介らしいが、このメンバーにとってのジャバウォッキーは、間違いなくこいつ(梶本)やな、と忍足は思った。






「手塚、てーづーか」
 乾に呼ばれて顔を上げると、携帯が呻っていた。
 ここは帰りの急行電車の中だ。
「ちょっと出てくる」
「ああ」

 携帯を取って、喫煙所で通話ボタンを押すと、それは同じ中学出身の不二だった。

「不二?」
『手塚。乾との旅行はどうだった?』
「普通だ」
『嘘。あの乾とキミの小旅行。楽しいわけないね』
「お前からすればな。俺達は楽しかった」
『そう。信じてもいいけどね』
「勝手にしろ。…お前は今なにが忙しいんだ?」
『今はドラマ。二本やってるから』
「…役者だったか?」
『相変わらず関心がひどいね手塚。ボクはタレント。
 タレントでもドラマの仕事くらいあるよ』
「あ、ああ。すまない。
 …不二」
『なに?』
「『柊』と会ったことはあるか?」
『「柊」…あの?
 ないよ。部門が違うし。
 ボクは歌出さないからね。
 あ、でも裕太が会うかもしれない』
「裕太くんが」
『裕太。来月から「紫(むらさき)」のメンバーになるんだって。
 ほら、忍足侑士と梶本貴久の「紫」。三人目が脱退したから。
 彼らも「柊」と同じ事務所だよね』
「……そう、か」
『でもどうしたの? キミがこの業界に関心なんて珍しい』
「………不二、ジャバウォッキーを信じるか?」
『は?』
「……あれはジャバウォッキーだ。詳しいことは話せないがな」
『…詳しくない範囲で、説明もらえる?
 名前だけでいいから』


 電車はどんどん景色を変えていく。
 なかなか戻らない手塚を、乾が座席から訝った。






 THE END