黒區
-blind summer fish\-

第三話−【宣戦布告A】



 ―――――――――――――通称、皇帝こと、黒皇〈カウゼル〉。




「……そら、また」
「えらく仰々しい通称やなぁ。宗教家?」
 傍で聞こえた関西弁に、白石や千歳、マイペースの梶本までもがびっくりして横を見る。そこにはひらひらと手を振りながら視線をステージに預けたままの忍足二人。
「え、謙也さん…侑士」
「光に聞いてん。ここにお前らが来とるって」
「来てていいんですか?」
 そう梶本が聞いたのは、二人の空気が“いつも通り”だったからだ。
 緊迫感がおかしいほどない、のんびりとした空気。
「あー、発売日までに出来ればええやろーと、思て。のんびりやるわ」
「以下同文」
 にこりと笑う顔は、いつも通りそのものの謙也と侑士だ。ああ、と酷く安心してしまう。千歳が財前に「お前が?」と聞く。
「ええ、まあ。爺に冷や水かけただけですけど」
「「まだ若いわ」」
 二人揃ったツッコミに、梶本と裕太が顔を見合わせて笑った。



 ライヴハウスから戻る、ホテルへの森林脇の道は舗装されていて、人の座らないベンチが並んでいる。
「あのままだったらどうしようかと思った」と笑いを含んで言おうとした。結局裕太は口に出さず、背後を振り返る。
「裕太?」
 侑士が気付いて振り返った先、立つ二人の青年の片方は、あのプロデューサー。
「残念。気付かれてしまった」
「なんの用事や?」
「いや、手紙をスタジオの部屋の下にでも差し込んでおいたら面白いんじゃないか―――――――――とうちのリーダーが抜かしたのでな。しがないパシリだ」
 柳がそうおどけた口調で言うので、侑士が呆れた顔で「嘘は真面目に吐きぃ」と返す。
「いや、あのひとはこういうこと本気っすよ」
 返事をしたのは、あの切原赤也の方。
「幸村さんは至ってテキトーに本気なんで。関わったら大変です」
「…。変な通称に、そんな性格かい。苦労しとんなあんた」
「まあ楽しいからいい」
 柳はやはりおどけて答え、持っていた手紙を手首のスナップで投げようとして、固まる。
「つかぬことを聞くが、紫はリーダーは忍足。キミだな?」
「他におるん?」
「いや、一目瞭然だ。ただ、…柊のリーダーは誰だ?
 白石は後期参加だから違うだろう。千歳か」
俺やっ!
 真顔で問われてしまい、必死に挙手した謙也を見て、柳は「そうなのか。想定外だ」と抜かしてくれる。一応少しでも調べればわかる情報だが、これは一見リーダーに見えない謙也をわかっておちょくっているんだろう、と侑士や梶本、千歳は断定する。
「では見ておいてくれ。ああ。多分こいつらも同じスタジオだから問題なく済むよう祈っている」
「…は?」
 梶本と裕太の疑問符が重なる。冗談だろう、と言いたげな。
「あと、赤也は赤目になるとやばくなる。刺激しないようにな」
 言うだけ言って、手紙を謙也に投げつけると踵を返した柳と違い、切原はその場を動かない。
「おい、帰れや」
 財前の言葉にもにやにやと笑い、切原は逆に歩を縮めた。口笛が響く。
「流石、勘聡いな」
「…何の用事や切原赤也」
 黒皇のギターは軽く笑って、「ホント聡い」と言った。彼のポケットに突っ込まれたままの右手。それを睨み付ける、察した財前を見つめ返して、「やらないよ」とおどけた。
「面倒くさいし」
 多分、事実だ。ただなにかする、とアピールしているだけで、実際やらないだろう。彼らはそんなつまらない仕掛けは打たない。
 切原はふと、千歳に背後に庇われた白石を見て、口の端を上げた。
「いいなぁ。警戒ってか、脅えてますって顔」
「…? お前」
 財前の言葉を遮り、切原は指を立てて白石を指した。
「訊いてるぜ。あんたの話。白石蔵ノ介。
 柊の、箱入り『お姫さま』」
「…っ」
 露骨に反応した白石を更に庇う千歳に構わず、「ほらやっぱり」と切原は重ねた。
「普通、こんなこと言われたら男なら食ってかかるか平気な面で流すだろ。
 まして芸能界だぜここ。なにか図星さされてもなにもありませんって顔と言葉で通すのが礼儀。それすら出来ないってか、しないで済むよう守られてた。
 だから、『オヒメサマ』だって」
 更に身を縮こまらせた白石を見て笑った切原が、すぐ顔を引き締めて数歩飛んで下がった。
 その足があった場所を蹴った足は、財前のものだ。
「喧嘩、売り買いしたんは俺とお前や。俺に売れや赤目」
「……売ってんじゃん。お前だって、馬鹿正直に自分のことでキレたりしねえ。俺より、お前導火線長いから。見るからに。なら、大事なオヒメサマ狙った方がいいんじゃね?」
「…」
 長々と言って、しかし刺激出来てはいたのだろう。赤く充血した瞳を財前に向けてから、切原は唐突に踵を返す。
「これ以上バトってたら俺マジキレっから。今は帰る」
「今度は俺に売ってきぃや。ワカメ野郎」
 その言葉に、切原が足を止める。一瞬警戒した財前の予想を裏切ってなにもしなかったが、一瞬彼は財前を睨んだ。
 遠ざかる切原の足音が響いて聞こえなくなる。
「………」
 あの刹那、他のどのシーンより明確に走った背筋の寒さに、財前は手を一度軽く拭った。





 その日予定していた時間をスタジオで過ごし、そろそろあがる時間になって、謙也は今頃思い出したらしい。やっとあの手紙に手を伸ばした。
 喧嘩を売った相手の手紙なのに、そんな長く忘れていられる。すっかりいつもの彼だ。
 言うと、どういう意味だと謙也が小石川に食ってかかった。
 手紙の封を切る謙也を横目に、千歳はあれからどことなく沈んだ恋人を見下ろす。
「白石?」
「え、あ……」
 千歳の呼びかけに顔を上げて、でも、沈んだ調子の表情。
「……しかた、」
 話せ、と促す千歳の視線を理解したのか、白石は手をズボンの上で握りしめた。
「仕方ないっていうんは…わかっとるんです。俺、リョーマの…あの仕事でも守られたまんまやったし…」
 彼の口から出たあの名前に、ぴくりと反応した千歳に気付かず白石は己の手を握り合わせる。
「…小石川さんにも、誰にも守られとって、事実言い返せへん。強く人になにか言えへん。
……わかっとります。ただ、悔しいけど」
 俯くその髪を撫でてやりたくなって千歳は手を伸ばす。そんなことない、と。
 だが触れる直前、こちらを見ている視線に気付いた。小石川だ。
 だが彼はなにも言わず、謙也に視線を動かす。至って興味のない様子。
 手紙を凝視したまま固まっている謙也と、覗き込んでいる財前。
 彼らを余所に、千歳は立ち上がって小石川の前に立った。気付いたのは白石だけで、不思議そうに見てくる。
「あんた、…『白石奈鶴』のファンの息のかかった人間、なんですよね?」
 遠くに立つ、白石や謙也、財前たちに聞こえないように問いかけた千歳に、小石川はそれが?と聞き返した。
「…おかしいと思います」
「なにがや?」
「…普通、言うんやなかと?」
 小石川は、本当に千歳がなにを言いたいのかわからない顔で見つめ返す。
「国宝にまでして守りたがった『奇跡』なら、それに近づく妙な男には…」
 なにかあると思った。自分が白石と付き合っていることに関して。
 自分が白石を、抱くことに関して。
 まさか、この年で身体の関係がないなんて思ってる筈はない。
 そう疑って見遣った千歳が、言葉を一瞬失った。
 小石川の表情は、変わっていない。無表情。
 しかし、その中に半分、呆れが混じっていた。
「……千歳。お前、なんか勘違いしてへん?」
「…、?」
「俺が守れて命令されてんのは、『奇跡』の『歌声』や。
 重要なのは、『歌声』であって、心や身体や、まして貞操なんかやないワケ」
 失望さえ混じった顔で言われた詞。頭の芯が、すっと冷えたのを千歳は感じた。
「せやから、彼が万全の『歌声』を維持でけるなら、彼が誰と付き合うとろうが誰を好きやろうが、相手が男やろうが、抱かれとっても、構わへんよ」
 せやから。そう続けようとした小石川の視界がぶれた。瞬間、千歳が全力で小石川の横面を殴り飛ばしたからだ。
 小石川が床に倒れる音に、遠くにいた白石たちも気付いて青ざめ、逆にその場を動けない。
「…『歌声』『歌声』って……なんねそれ……!」
「……とせさ……?」
 呻る声が聞こえた。思わず呼んでしまった白石に振り返らず、千歳は巨躯を震わす。
「白石は道具じゃなか…。『歌』をうたうだけの『声』じゃなか。
 …白石の心や身体が『声』より軽い筈がなか!!!」
 その場が、しん、と静まる。謙也と、財前も、白石もなにも言えない。傍に、近寄ることも。
 ただその中で小石川だけが切ったらしい口を歪めて身を起こし、立ち上がると殴られた頬を自分の指で撫でた後、千歳に向き直る。そして、次の瞬間、容赦なく千歳の頬を殴り返した。
「…っ!」
 離れた場所で白石が息を呑む。勢いで同じように床に膝を突いた千歳が見上げると、小石川は自分の頬を押さえて軽く笑った。
「仕返し」
「………」
 茫然、とした。
「…そ、嘘やろあの……マネージャーやのに……アイドルの顔、拳で」
 謙也の同じように茫然とした調子の声に、胸中が同意した。
(殴って、…返してくると思っちょらんかった……)
 いくら腹を立てても五歳は年上。それに、一応託されているグループのメンバーの顔を、殴ってくるなんて。
「誰が、…白石蔵ノ介の、身体や心に価値がない、…て言うた?」
 彼かと疑う程、初めて聴いたような低い声に、千歳は反射的に顔を上げる。
「そう、言うたんじゃなかね」
「………………」
 自分を睨み付ける千歳をしばらくにらみ返した後、小石川ははぁ、と息を吐いて千歳に視線を合わせるためにしゃがみ込んだ。
「言うた、かもな」
「っ」
「そう誤解させる言い方やった。悪かったわ」
「………、え?」
 突然の流れに合わない謝罪に、千歳が思わず聞き返してしまったが謙也たちも同意見だった。
「正確には、『歌声』以外は制約せんでええ、て言われてる、て意味や。
 どうでもいいわけはない。ただ、今のはそう誤解させる言い方やったな」
「……、どげん、こつ」
「…そうやな。乱暴な例えを二個しよか。
 一個目、ホンマに『歌声』だけが重要なら彼が心を病んだ五年前にアメリカは彼の声帯を摘出して都合のいい誰かに移植した」
「…、…」
「二個目、…世界ツアーの時のガード。越前リョーマ。あれは試し、や」
「……」
 最初の例えに声を失ったままの千歳が、それでも視線でどういう意味だと訴えた。
「前に彼が白石になにしたか聴いてたしな。今後、彼が白石にいい子な保証はどこにもない。せやからわざとお願いした。もし、彼の言葉や口調、仕草に微かでも邪なもんを感じたら、俺は即、越前をアメリカに売った」
「……売った?」
「考えぇ。国宝に指定しようとしとったんはアメリカや。やから、もし彼がまだ白石を害するつもりなら売った。彼はテニス選手やけど、国にとったら大事は『歌声』や。そうなったら彼はプロとして、全て失ったはずやな。そして、俺は感じたら、それを辞さへんかった」
「………」
「ただ、…それは白石本人にとっても『邪』な場合や。
 彼自身ももちろん大事。やのに、心や身体まで自由を縛ったら、白石蔵ノ介は死んでるんと一緒やろう。…そういう、意味で言うたんや。悪いな。言葉が足らへんかった」
「……、…じゃ、俺は」
「前のマネージャーからも話は聴いてる。データも見せてもろた。
 …深く突っ込まへんでも、キミらが白石にとってどんなに大事かわかるつもりや。
 …やから、キミらなら、任せられる…って信頼のつもりやったんやけど…」
 わかりにくくてごめん、と小石川は重ねて謝った。
 立ち上がると、小石川は湿布とってくると踵を返す。その背中を千歳が呼び止めた。
「…あ、……すみま」
「お互い様」
 彼は笑って、自分の頬を指さしその場を去った。

「……いきなりやからびっくりしたわ。いきなり修羅場や」
「すまん」
 湿布を謙也に貼られて、項垂れる千歳の前に白石はいるが、顔を見づらい。
 いきなりキレて殴って殴られての醜態。しかも、完全な自分の誤解。
 情けなくて恥ずかしくて、顔が見れない。
「とりあえず、今日はなんもないし。大丈夫やろ」
「…ああ、」
「俺、スタジオいつまで使えるか聴いてくるな」
 言うが早いが謙也はさっさといなくなった。
 気を利かせたのではないだろう。財前がいる。
「…」
 その財前はアホやなと言いたげな顔をして千歳を見ている。
「…そういえば、手紙、なに書いてあったん?」
 休憩でこちらに邪魔している侑士がそう財前に聞くと、財前はなんとも言い難い顔。
「俺も謙也くんも、わけわからんので放置したんですけど」
「ええから見せて」
 請求する侑士に手渡す財前の手は見せていいものか、とあからさまに戸惑っている。
 奪うように取ると、侑士が広げた。千歳と白石も覗き込む。
 そこには、



『早くより、安全を待つ人がいる』



「………え? だけ?」
「だけっすわ」
「…え、…早い新曲より…ええものをってこと?」
「いや、だったら『安全』ってなんばい?」
「わからんから放置したんです」
 顔を見合わせて呻る柊と紫のメンバー。




 一方、黒皇のスタジオ。
「そういえば、幸村さん。なんて書いたんですか? あいつらへの手紙」
 切原の質問に、幸村は綺麗に微笑んで首を傾げた。
「いや、なんかいい文句ないかなーって悩んだんだよ。でも浮かばなくってさー。
 そしたら、見てたニュースに丁度面白い言葉が映ったからそれ書いた!」
「………なんて?」
 その時点でろくな言葉じゃないと察したらしい。切原と丸井がおそるおそる聞く。
「早くより安全を待つ人がいるって」
「…………なん…どういう意味っすか?」
「……幸村くん、もしかしてそれって…街の交通安全標語?」
「うん!」
 笑顔で頷かれて、幸村以外の黒皇のメンバーは顔を見合わせ、無言で柊と紫に同情した。とりあえず、首をひねっているだろう。あとでこっそり意味は全然ないって教えておこうかな、と切原は思った。









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