ビューティフルデイズ
-blind summer fishU-

第三話−【魔法を聞かせて】





「―――――――――――――なるほど」
 手をぱんと打って、財前が淡々とコメントした。
「光。そんだけか…?」
 白石から事情を全て聞いた財前の反応に、謙也が言う。すると彼は、いやいや、と手を振った。
「怒ってますよ? ただ、俺らはそこに入れんのですから、怒るより手を考えんと」
「…まあ」
「……これ、ラストのヒロイン、アーコーティックの藍って子?」
「…うん。…光?」
 不意に本を見ていった財前に、白石が首を傾げると彼はにっと笑った。
「うまくやれるかもしれんですよ。これ」
「…?」
「ただ、白石さんには多少、キャラにない演技してもらわなあかんけど…」
 そこから財前が話した作戦を聞き終えて、白石はやってみる、と言った。
 そういや、この人案外土壇場に強いんやった、とは財前の談だ。





「失礼しました」
 番組が終わり、挨拶をして出てきた少女が不意に廊下に立っている青年に気付いて顔を赤らめた。
(あれっ…柊の光だ…! 嘘っ…)
 明後日をぼうと見ていた彼は、はたと彼女に気付くと、驚いたように目を見開いた。
「…あ、…」
 そう零して、困ったように視線を降ろす財前に、話しかけずにいられず近寄る。
「えと、光…くんもここで番組あったの?」
「…あ、うん」
「あたしも…って…知らないよね」
「いや…」
「…え」
「知っとるし…」
 少ない言葉から、そう零れて耳を疑った。
「…アーコーティックの…藍さんやんな?」
「う、うん」
(嘘、光があたしのこと知ってた…っ)
「あ、藍でいいよ!」
「…藍」
 小さく微笑んで言われて、心臓が一気に跳ねる。
「今、藍って…うちのメンバーと同じ映画出てるやん?」
「あ、うん!」
「…ええなって」
「え?」
「…俺が、…藍の恋人やりたかった」
 そうテレビでは絶対見られない恥じらった顔で言われて、落ちない女はいない。
「…あたしも光がよかった!」
「ほんま?」
「うん!」
「…よかった。俺、女の子に嫌われてんちゃうかって」
「そんなことない!」
「…、…」
「光?」
「……あ、…俺、……撮影、見に行ってええ?」
「あ、うん! あたしが話通しておくし!」
「ありがと。…………」
 急に黙り込んだ財前が、迷うように何度もこちらを見る。
 その熱っぽい視線が訴えるものを、大抵の女の子が『そう』いう意味にとっても無理はない。
「…光」
 浮かされて答えた彼女も例外ではなく、その声で意味が伝わったと悟った彼が、近寄って頬に触れてきた。
「…な、もう…わかるやろ?」
「…え」
「俺…あんたんこと…どう思てんのか」
「……」
「……藍は…年下の男って…好き?」
(嘘…夢みたい…)
「…光が好き」
「…なら、俺のんなってくれる? いろいろ周りうるさいけど…俺は…藍が傍おるなら…ええし」
「あたしも…」
「…、」
 安堵した財前が幼い顔で笑って、不意に真顔になった。
「…あ、藍って、あそこの監督と懇意やんな?」
「あ、うん」
「…あのな、…藍が俺と付き合うん、他はどうにかなる思う。
 ただ、監督がなんて言うか。藍を気に入って映画にも選んだって聞いて」
 それは事実だった。贔屓という程目をかけられている。
「…手、回される前に、監督にはっきり…俺と…付き合うて…言うてくれる?
 …藍が言ったなら、監督、聞くと思う。…俺もその日、なんとかスタジオ入って、部屋の外におる。藍がなんかされんよう傍おるから」
「…うん、言う。頑張る!」
「…よかった」
 言った財前が急にすごく近づいて、顔の横に手をつくと額になにか触れた。
 すぐ唇だとわかる。
「本番は、後で」
「…うん…っ」
 遠くで藍ちゃん!と呼ぶ声がして、今見つかったらあかんなと財前が離れた。
「あ、じゃあ…」
「うん、明日、行くし」
「うん! 絶対だよ!」
「わかっとる」
 手を振って走り去る彼女を笑顔で見送った後、財前は振り返ってニヤリと笑った。
「…チョロいな」
「…お前、怖い」
 陰に隠れていた謙也が出てきてそう言った。
「褒め言葉っすわ謙也くん。あの女、雑誌でも俺に気ぃあること言ってたし。
 利用せん手はないでしょ?」
「…いや、あそこまでスイッチオンオフ可変なお前が怖い」
「女って生き物は自分だけの顔に弱いんスよ。あとは年下らしく振る舞えばええ。
 大抵の女これで骨抜ける自信ありますよ」
「…やめとけや? 洒落にならんから」
「やりませんて。面倒や。ほな、ツテも手に入ったとこで、行きましょ謙也くん」
「おう」
「あ、あと謙也くん、一個ごめん」
「ん?」
「…ちょっと、あのツテ使わんと」
「………?」
 疑問符を浮かべる謙也に、わからんならええです、と言って歩き出した。





 翌日、いつものように監督の部屋に来た白石に、口角をあげて迎える。
「じゃあ…」
「待ってください」
「ん?」
「…あの、…あれって、…写真。ネガですか?」
「…どういう意味かな?」
「…いや、…ネガなんか、メモリなんかなって」
 白石がそれは普通のカメラか、デジカメかと聞きたいとわかって笑んで答える。
「メモリだよ」
「…見してもろてええですか?」
「…まだ、渡したり出来ないよ?」
 机を挟んで立つ白石は、相変わらず怯えた顔で、それでも言った。
「ただ、見たいだけです。…俺を押さえ込むくらい、出来るでしょ?」
「……」
 考え込むそぶりで、言ってやる。
「なら、今日はもっと先をやってもいいかい?」
「……っ」
「…頷いてくれたら見せる」
「…………」
 瞳を揺らして俯いた白石に、背筋がぞくりとした。
 苛めるのが癖になって困ると思っていると、顔を上げてはっきりとした声が自分を見る。
「…“もっと先”…ですか」
「……」
 その震えていない声に、一瞬驚く。
「…そない曖昧で、ええんですか?」
 白石の唇が笑んで、自身の髪を手で掻き上げる。
 さらりとプラチナにも見える髪が指の隙間から流れた。
「…“最後まで”て…言うてくれてええんですよ?
 …あんたにはそうできる条件がある。…俺を、“好き勝手にして”ええ権利…」
 髪から離れて、己の顎を捉えた白石の長い指がすっと、一つの仕草のようにそこで止まる。微笑む色は男に媚びる妖艶な色香を見せていて、まるで別人だと思うのに、魅入られて喉が欲に鳴った。
「……そこまで言うなら可愛がらないといけないが。…キミも案外悪い子だな。
 そういう顔を、隠して無垢なふりしてるなんて」
 言って、テーブルの引き出しからメモリを取り出して置く。傍に現像分の写真も置いた。
「これ一個だけだ」
「…そう」
 白石は手を伸ばそうともしない。
 それを理解して、近づくと腰に手を回した。
 いつもそれだけで怯える身体は、全く震えもしない。
「…せやけど監督…、ああいう俺も、…今の俺も…ゾクっとするやんな?」
 自分の首に手を伸ばした白石が空いた手で服をなぞる。
「…ああ」
「ならええやん。…はよ、犯して」
 耳元で囁いて微笑んでやる。すぐテーブルに押し倒されて監督が己の上着を雑に脱いだ。
 白石の手が待てないというように彼のズボンのファスナーを降ろした。
 すぐ覆い被さろうとした時だ。
 ノックと同時に扉が開いた。
 驚いて白石から離れると、そこにいたのは見知った少女。
「あ、藍…」
「え、あ…!」
 すぐ監督の着衣の乱れに気付いて真っ赤になった少女に、監督が焦る前に白石がするりと傍から抜け出す。
 頭が半分混乱しているだろう監督の目を盗むのは容易く、素早く置きっぱなしのメモリと写真を手に取ると気付いた監督が止める前に、扉の前まで来ていた足が振り返って笑う。
 してやった、という顔だ。
 意味を理解する前に、持っていたメモリと写真を傍の誰かに渡した白石が、廊下に向かって言った。
「あ、あの…、今来たら…監督が…女の子押し倒してて…っ」
 その前に、廊下にいたスタッフがどうしたの?と白石に聞いていたらしい。白石の声にすぐスタッフが数人入ってきて、中を見て青ざめた。
「監督! なんてことを…」
「藍ちゃんをそんな…」
「い、いやこれは…」

「あれ?」

 場違いに響いた、冷静な声に視線が集まる。
 財前がいつの間にか部屋の中にいる。
 ソファの傍にあったものを拾い上げ、じっと見て、スタッフたちを振り返る。
「これって…まさか……媚薬とかゆー…クスリ…?」
 藍ちゃんに使うつもりやったんやないん?と続いた言葉がだめ押しだ。
 集まって騒ぐスタッフから財前は抜け出すと、扉の外にいた謙也とぱん、と手を打ち合う。
「白石さん、演技ご苦労様」
「…ものっそう疲れました」
「やろなー。あれおもっきりお前のキャラちゃうもん」
「…手は震えてるし」
「お疲れ」
 謙也がぽんぽんと背中を叩く。
「メモリ、本物ですかね?」
「本物や。ああいう手合いは幾つも用意せんし、偽物の準備もせん。
 あんたを見くびっとったんやから」
「…ところで光、あのクスリどっから」
「…あー、…昔の別のクスリくれてた人に声かけたらあっさり」
「縁切ったんちゃうんかー!!!」
「しっかり切りましたって今度こそ」
 いけしゃあしゃあと言う財前の首を掴んでじゃかあしゃあと叫ぶ謙也を笑っていると、角を曲がった先でずっと待っていただろう長身が、不安げな色を柔らかく変えて、微笑んだ。
 その胸に迷わず飛び込んだ白石を抱きしめて、言葉をくれた。
 自分にしか効かない、魔法を。

「よくやったとね。……白石……、好いとうよ」
「……はい」

 続く言葉なんか決まってる。



「俺も、…好き」






「あの監督はクビやて。当たり前やな」
「で、新しい監督になる、と」
「藍って子は特に問題にならんって。ニュースにも名前もでんって」
 気にしとったやろ?と謙也に言われて白石は頷いた。
「他人犠牲に出来る性格やないもんなぁお前」
 いつものスタジオで謙也と財前が仕入れてきた情報を聞いて、千歳ははぁと息を吐いた。
「千歳さん?」
「…新しい監督も白石を気に入ったらどげんしよ」
「あんたが不安煽るな!」
 立ち上がった財前に速攻頭を殴られて、いたかと呟く千歳は放置だ。
「あと、女の子役が続けられんらしいんでエキストラの足映すだけで終わりやそうです。
 ラストのラブシーン」
「よかった…」
「…光」
 一人、巻き込まれた少女の実体を知っている謙也が一応言ったが、彼もそれだけだった。
「あ、ほな、俺そろそろ飯買い行って来ます」
「あ、光、俺も」
 出ていく謙也と財前を見送って、千歳に笑いかけた白石に、笑い返そうとして千歳は思いついたように立ち上がって少し離れた場所で微笑む。
「千歳さん…?」
「…やっと、会えた。ずっと探しとった。…世界中でたった一人のお前を」
「…え」
「姿が変わっても、わかる。…例え千の花畑の中からでも一輪のお前の薔薇を見つけ出す。
 …もう一回、言うてよか?」
 それがラスト、女の子に言う台詞を言語だけアレンジしたものだと気付いて、白石は真っ赤になった。
 台詞の練習じゃない。わからない程、鈍くはなくて。

「千年経っても忘れないから、ずっと愛を誓う。お前は、俺の世界の全てたい」

 嬉しくて、泣きたくなって、それでも答える言葉を、自分は一つしか知らない。
 だから、俺が告げたら、抱きしめてキスをしてください。
 初めて愛を告げた日のように。何度でも。


「俺も、あなたを―――――――――――――」




 その腕の中で。









 THE END