CROVER LOVE

CROSS LOVE番外A





 ヤツの家に泊まり、おいしく頂かれたあと、着替える前に風呂に入った時に、俺は『げ』と漏らした。
 太股とふくらはぎ、脇腹、胸元と鎖骨に、もう気持ち悪い量のキスマーク。
 俺は、なんとなくこうなる予感がしていた。
 予感がしたなら先手を打てと誰もが言う。
 俺は先手は打っていた。ヤツ―――――――千歳千里には、一ヶ月前から『プール開きの前日からはキスマークはつけるな。つけたら、しばらくヤらせない』と念を押していた。
 昨日も千歳が泊まりに来いと言うから、条件にそれを出した。
 今日スる時も、押し倒された時にちゃんときちんと言った。
 ついでに、千歳という男は記憶力もよい。頭もよい。

(馬鹿にされた上に、初めから自制する気がなかったとしか思えへん…!)

「白石。なに、風呂場の前で固まっとうや」
 脱衣所の扉を開けて、その憎い顔がやってきた。手にタオルと着替え。ぬけぬけと、一緒に入る気か。
「ん? 白石?」
 踵を返し、脱衣所の扉に向かう俺の肩を問いつめるより早く掴み、抱き寄せた千歳が頭上で言った。
「一緒に入るばい」
「俺はもう浴びた」
「白石が? 長風呂なんに…嘘つくんやなか」
 嘘じゃない。本気でもう身体は洗った。ただ、湯に浸かろうとした手前で身体中の痕に気付き、なんだどこまであるんだ?と鏡の前で確認した―――――――――先刻に至るのだ。洗っている最中既に、なんか多いな、とはわかったのだが、なんせさっきまでは千歳に散々穿たれた箇所が痛かったり腰がしんどかったりで、丁寧に洗う余裕も気力もなかったためかなり意識が余所にいっていた。
 鈍痛が少しマシになった途端、主張を激しくしたかのように見える痕たちは、まあ忌々しいが、痕を残した本人に比べたらまだ可愛い。痕は肌に出来た鬱血で、つまり自分の身体なんだから。
「嘘やないわ。証拠に、お前の出したんついとらんやろ」
 汚い例えだが、そこまで言わないとこいつは自分のいいように曲解する。頭がいいから、理解したうえで情報をねじ曲げる。俺のこと限定で。
 すると千歳はおもむろに俺の下肢に背後から手を伸ばして、先ほどまで穿たった箇所を前触れなく指でなぞった。顕著に反応してしまったあと、振り返って殴ろうとした行動は読まれたらしく、強く抱きしめられて阻止される。千歳の裸の胸板が、背中の皮膚と首筋の後ろに当たる。
「ああ、確かに」
「………〜〜〜〜〜〜〜〜〜。千歳、お前()ぁ?」
「ん?」
「俺が、明日からプール開きやから、痕残すな、て、言うたん、聞いてたやろ?」
「うん」
「残したらヤらせん、て言うたやろ?」
「うん」
「…頷いたやんな?」
「うん」
 いちいち区切って言ってやる言葉全部に律儀に頷くのは、真面目になってるのか、馬鹿にしてるのか。
「…で、これは?」
「俺相手に、正攻法使う白石がどうかしとうばい?」
「は?」
「俺、最初に白石が欲しくなった時、白石に『ヤらせてください』って了解ばとったと?」
「……………………」
 絶句した。ついでに、あきれ果てた。
 残念にもなった。なんだ、こいつは。

 俺達の初めて、始まり、付き合うきっかけは、残念だが告白ではない。
 こいつが、俺を無理矢理説明なく、いきなり押し倒して最後まで犯した−強姦した、というのがきっかけだ。
 そこから俺がこいつに折れたのには、右翼曲折した事情があるのだが、そこは敢えて語らない。

 確かに始まりはそうだ。だからって、お前はその後、俺と真面目に付き合うようになってからは、きちんと俺の都合と体調を気遣ったじゃないか。
 予習復習しないとヤらせない、と俺が言い出したのに、素直に従って、毎日ちゃんと予習復習をおとなしくやるじゃないか。それから、ちゃんとしていいか聞くじゃないか。それで、俺が体調が辛いと言えば、『予習復習したとに』なんて文句も言わないでわかったって言うじゃないか。
 理解できなくなって、怒れなくなった。
 普段からそういうヤツなら、俺は混乱しない。普段、ちゃんと俺を大事にするヤツだったから、混乱している。
「……ごめん。嘘ば言った」
 背後から、つまり上から俺の顔を覗き込み、額にキスをしてそう言うヤツの顔は、打って変わって殊勝だった。
「聞いちょったし、わかっちょったし、…そぎゃん言うたら、白石を混乱させるこつもわかっとった」
「…なら、なんで」
「…気にいらん」
「は?」
「…気付いてなかと? 一週間くらい前から、白石んこつを見とる男が数人おっと。
 視線が、初めの俺と同じやったけん…見せたくなか。いや、俺はそれだけじゃなかったけん…」
 同じクラスやけん、プール一緒やし、と歯切れ悪く言う千歳の顔は、こいつが俺を覗き込む形なので、よく見える。情けないが、俺の好きな顔。
「…アホ。最初からそう言えば、仮病使うてやったんやで?」
「ほんなこつ?」
「…お前が本心で俺を心配したり、想うことには、俺も相応の気持ちを返す。
 …ちゃんと付き合う時に言うたやろ。お前が嫌がるのわかってて、意地悪するように見えるか」
「…見えなか。白石、優しかもん」
 もう一度額にキスをして、千歳は俺をぎゅうっと抱きしめる。
「…じゃ、少しだけサボっとって? 一週間以内には駆逐してくっけん」
「五体満足には止めたれな?」
「五体満足程度には我慢すっけん、懲りんようなら男として再起不能にはするかも…」
「ああ、そんくらいなら別にかまへんかまへん」
 何度も額に、キスを落としながら話す千歳の胸板に身体を預け、背中を押し当てていると、段々気分が変な方向に流れてしまう。俺がこうなるのは珍しいが、俺がこうなってるくらいだから、こいつなんか危ないのか。
「……な、千歳」
「じゃ、もう寝るったい。俺は浴びてくっけん、白石は休んでてよかよ」
 ……ん?
 あっさり安心して、俺から離れて、千歳は風呂場の戸を開ける。
「千歳…?」
「ん?」
 ん?じゃなくて。なに、その爽やかな顔。
「……白石? はよ、服着んと風邪ひくばい」
「………………………………………」

 あとから考えると、俺のその時の着火点は相当低かったのだと思う。謙也レベルくらいに。
 とにかく、自分が『その気』になってるのに、『ヤることなんか頭にもない』という顔をしている千歳が何故か、その時は許せずに風呂に入っている千歳の隙を盗んで、服を着てさっさと自宅に帰ってしまった。
 携帯は即、電源を切った。




 翌日、千歳は珍しく朝練の十分前には部室にやってきた。普段、朝練ごとさぼるのに。
「…白石。あの」
 着替えの済んだ俺の傍まで来て、千歳はなにやら言いづらそうな、そんな顔をする。
 それでいて、心配そうな。やっとわかったのか。
 だが、まだ許すつもりはない。一言千歳が謝れば流石に。
「今日はずっと、俺の傍におってくれん?」
 しかし、千歳の『言いづらそうなこと』はその遥か横を行った。シングルスの試合なのに、ダブルスラインよりアウトの打球を打たれたような。
「…昨日の例の奴らが…」
 最後まで聞かずに、その場を離れる。追いすがろうとした千歳の足を踏みつけて、呻いた隙に『着替えとけ』と部長の顔して命令した。

 なんでかはよくわからない。だが、腹が立った。
 自分だけ『ヤりたりない』みたいなことを思っていたのかと思ったら、腹が立つ。
 以上に、あんなに密着してふれあっていたのに、千歳はまた欲しくならなかったのだと思ったら、悲しいだろう。





 そんなことを考えて、でも口に出せずにいたら、気付いたら俺は校舎の裏で数人の同級生に囲まれていた。
 溜まってるとか、そういう類のことを言われたし、千歳からも聞いていたからわかるけど。俺も大概迂闊だ。聞いた翌日にこれか。アホか、俺。
 自力で切り抜けられるとは思うが、正直身体が昨日のせいで怠いので、難しいかもしれない。
 大体、千歳はどうしたんだ。守るとかなんとか、言ってただろう。見張ってろや。まさか、俺の態度に拗ねたとか言わないやろ。それで見放す程度か。だったら泣く。
 伸ばされた手が無言のままの俺の服を掴もうと伸ばされてもそんなことをだらだら考えてしまって、自分はどれだけあいつが好きなのか。あいつの助けを、無条件に信じるほどに、欲するほどに、当たり前に思うほど。

「……千歳」

 そう、誰にも聞こえないほどの声で呼んだ瞬間、かなり遠くの位置の窓ガラスが、いきなり中側から枠ごと吹っ飛んだ。
「……え?」
 そいつらだけでなく、俺まで驚いて見遣ると、ひしゃげた窓枠とガラス片が日のあまり差さない裏庭に転がっている。
 その窓ガラスのあったと思しき窓の位置から、身体をくぐらせて出てきたのは、先ほど俺が呼んだ男だ。
「ち、とせ……」
 途端、震え出す男達の目に今の千歳はどう見えるのか知らないが、俺の目には生憎、神様かなにかに見えた。というより、カッコイイと思ってしまった。





「俺の話ば聞いとったと!?」
 ご丁寧に全員ノした後、俺の肩を抱いて強引に校舎の中に連れ戻しながら、千歳は流石に怒っている。
「一人になったらいけんて言うたばい!? 白石んこつ、狙っとるって俺、ちゃんと…」
 廊下の途中、薄暗いそこには、廊下の蛍光灯も日差しもない。
 無言で為すがままの俺に心配になったらしい千歳は、声を途切れさせて俺を覗き込んだ。
「白石…?」
 一回、言ったけど、声にならなかった。多分。もう一回、言ってみる。視線は我ながら必死だった。
「昨日…」
「うん…」
「なんで、あの時」
「…あん時?」
「風呂場でその話しとった時」
「ああ、うん」
「…またヤらんかったの?」
 俺にそう聞かれるとは思わなかったらしく、千歳は誰の目にも明らかにびっくりした顔をした後、「なしてそげんこつ?」と聞いた。
「千歳なら、ヤると思った」
「…いや、そら、…正直勃ったけん…」
 そこまでで大体を察したのか、千歳は正面に立つと、そっと抱きしめてきた。
「…あれ以上は、白石が」
「…俺がヤりたなっててもか」
「…シたかったとよ? 俺は。白石んこつは、いつでも欲しか」
 うなじの辺りを、大きな手に撫でられる。こんなことで泣きそうになるなんて、やっぱり思った以上にさっきが怖かったのだろうか。
「…ばってん、俺が確認出来とらん仲間がいたら困っけん…白石自身にも反撃する体力ば残しとかんと…と、…思って」
 歯切れの悪くなる千歳は、嘘は吐いていない。本心だ。わかる。ただ、黙ったままの俺に不安になっただけで。
「「…ごめん」」
 謝ったのは、俺と千歳両方同時。俺は涙声で、千歳は心配した声で。
「…え」
「機嫌悪うして…ごめん」
「べ、別によか! ただ…心配は、させんでくれ」
 もう一度しっかり抱きしめられると、胸が痛いくらい熱くなる。
 涙が零れた。ああやっぱり、なにがきっかけでも、今こいつを好きなのは、ほんまなんやと思う。






「あれ、白石。また休み?」
 数日後のプール授業の前、俺が着替えないのを見て謙也がそういう顔で言った。
「うん、ごめん」
「いや、俺はええけど、具合悪いん?」
「…まあ、ちょお、な」
 嘘じゃないから、そう答える。心配そうな謙也に悪いが、本当は言えなかった。
「すまんね」
 何故か謝る(謙也的には)千歳に、謙也が怪訝な顔をした。
 背後の俺を見遣って、嬉しそうに笑う顔。好きな顔だから、やっぱりつい笑い返してしまう。



「いつでも我慢せんと、欲しかったらしたらええねん。
 お前だけやで。白石蔵ノ介に、仮病使わせられる男は」



 それは、ずっと二人の秘密。
 でも、若干困る、と思ったのは、結構後のことだった。






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 CROSS LOVE本編完結前から番外編が浮かびます。
 あの本編は、あと一話で終わるから…。
 というか、CROSS LOVEは今後番外を連発する…多分。
 この話の千歳が書きやすくて書きやすくて。
 基本この千歳は執着心と独占欲と我が強いのでなにしても『千歳だから』で片づいてしまう千歳。
 進路シリーズの白石みたいな。
 本編六話みたいなことをやらない限りは、周囲も「千歳やからな」で流しちゃう。
 …書きやすいんですよね、この千歳と白石が。いつか、白石が折れたとこや、きっかけを書いてみたい。
 その前に完結。ちなみに番外タイトル、本来は「CROVER LOVE」ではなく「CLOVER LOVE」。
 でもわざと「R」にしてます。

 2009/06/03