CROVER LOVE

CROSS LOVE番外D







 それは、きっかけは本当に、くだらなかったのだ。



(目、醒めてもうた…………)

 沢山の寝息が聞こえる中、起きあがる影があった。
 合宿所内の、レギュラー部員が眠る寝室。
「……、あかん、寝直せへん…」
 なんか目がさえた、とぼやいて白石は寝所を抜け出した。他の仲間を起こさないように。


 別の部屋。誰もいないその庭に面した縁側に出ると、まだ夏なのに、涼しい空気が髪を撫でた。
 頬をくすぐる風に目を閉じると、思い出をいくらでも振り返れそうだ。
(そうや…あれから、もう? いや、言い方がおかしい。
 まだ、…四ヶ月ちょい…なんや……)
 何年も、一緒にいる気がした。千歳とは。



『…千歳が嫉妬してキミにしたらしいR18なことってなに?』



 昨日、不二に聞かれた言葉。
 その所為で目が覚めた。千歳本人は、忘れたのか、覚えていてその上でなのか手塚と語り合ってるし。
「あいつ…いっぺんがつんて…」
「なにががつんと?」
 背後からその声がして、びっくりした。特有の、艶さえあるんじゃないかという低い声。千歳だ。
「驚かすなや…起きとったん?」
「白石が起きた所為で」
「俺の所為か」
 微かにショックだ。意味は多分ないが。そう呟くと、千歳は傍に立って、「嘘」と意地悪に笑った。
「その前から目ば醒めとったよ。白石が出てくんが見えたけん、ついてきた」
 前髪を大きい、褐色の指で掻き上げられる。指が額に触れる感触に、思わず頬が熱くなった。
「白石は、眠りが浅かね」
「まあな。夢は見る方や。お前は?」
 千歳の指が自分の髪の中に伸びて、柔らかい皮膚を優しい手つきで撫でる。愛撫みたいに。
 気にしないふりで問いかけると、「夢は見たり見なかったりばい」と暢気な声。
「そうか」と返した途端、腕の中に抱き込まれていた。
「…な」
「白石、顔、赤い? 欲情したとや?」
 間近に顔を寄せて問われた。千歳の顔は、嬉しそうに笑っている。
「お見通しなら、聞くなや…」
「半分くらいばい。それに、お見通しじゃなか。…白石が俺を欲しがるように、わざとそげん触れ方しただけばい…」
 耳元で、低く囁かれると力が抜けて、千歳の腕にしがみついた。
「性悪…」
「白石限定でなら、ヨかね。そん称号も…」
 耳朶を噛んだ千歳が、吹き込むように囁く。必死に手を伸ばした白石の身体を、きつく抱く。
「ま、白石がくれるなら、なんでもよかよ?」
 そのまま縁側に押し倒されてしまう。見上げた千歳の顔は、優しくて、欲情に潤んでいる。
「…ほな、『馬鹿』」
「あはは。…それも、よかね。そん顔で、……………言われるなら」
 鎖骨を緩く噛まれて、身体が跳ねる。服にかかった千歳の手を拒まず、自分からもキスを仕掛けた。








 ―――――――――――――「…千歳が嫉妬してキミにしたらしいR18なことってなに?」






 あれは、本当にくだらなかった。
 千歳が反省してるかは、別として。
「ああ。あー? お前、まだやっとらんの?」


『そもそも出とったんしらんかったばい』


 電話相手は千歳だった。ある日の夜八時。
 家の自分の部屋で、俺は風呂上がりだった。タオルを部屋着の肩にかけて、携帯を左の耳に当てていた。
 千歳の電話内容は、『明後日提出の課題』についてだ。
 やってないという。
「お前、これやっとかんとまたあとで出されるで? 鬼のように。あの先生は」


『んー、やけん、明日教えて欲しか。明日、昼で終わりばい?』


「ああ。そうやな。…わかった。学校ちゃんと来いや?」


『ちゃんと行くばい』


「ならええんやけど―――――――――――――お」


『白石?』


 千歳の向こうの問いに、笑って『なんでもない』と答える。
 少しあいた自分の部屋の扉。向こうから入ってきたのは、自分に一際懐いている我が家の愛猫。
 黒猫で、また鳴き声が可愛いが、滅多に鳴かない。
「ほな、明日。部活は朝だけやからちゃんと……うおっ!」


『白石?』


 千歳は問いかけを繰り返した。俺はそれどころじゃない。
 膝に飛び乗って、そのまま肩にまでよじ登ろうとする愛猫の爪が痛い。
「こらっ、やめなさいっ。…いた…っ。ちょおヒカルっ!?」
 電話の向こうの声が、一瞬息を呑んだことは気付かなかった。
「ああ、悪い千歳。…千歳? おーい」


『…いや、白石? そこ、白石の家ばい?』


「当たり前やろ?」
 なんとか膝の上に落ち着いた猫の毛を撫でながら、俺は不思議になって答えた。
 お前の家以外で、俺はそう泊まったりしないのだから、そりゃあ自分の家だろう。


『今ん……』


「今? なんの話…? あたっ…。ヒカル。こら、引っ掻くな……。
 おとなしゅうしときなさい…。で、なんやったっけ? 今が?」
 向こう側は無言だ。繋がってはいるが。
「千歳? 千歳ー? …わっ」
 俺の訝る様子を、まさか猫まで訝ったわけじゃあるまいに、猫はぴょんとジャンプして、俺の首もと辺りに体当たりした。
 そのまま寝台に倒れてしまう。
「こらヒカル…。電話中。…ヒトのこと押し倒すくらい暇なら謙也に遊んでもらいなさい…」
 今いないが。謙也は。
 倒れた拍子に手から離れてしまった携帯を拾うと、既に繋がっていなかった。








 ―――――――――――――こらヒカル。電話中。



 電話の切れた向こう側。千歳は寝台に横になって、天井を睨んでいる。
 さながら、般若のように。
「…」
 光に、謙也?
 財前が? 白石の家に?
 膝に乗ってる?
 それも、最後、押し倒したって………。
「どげんこつと………」






 翌日の学校は、教員会議のため、昼で終わりだ。
 部活も休み。
 大抵家に帰宅して昼飯だが、俺は間違って弁当を作ってしまったという母を持った謙也に付き合わされていた。
「白石。で?」
 その代わり、話に付き合ってくれる謙也に、「わからん」と返す。
「いきなり切れとんのやもん。その後も繋がらないし。
 今日は来とるらしいけど」
「そもそも、なんでいきなり?」
「さあ? 俺も途中、まともに聞いてなかったけど、それで怒るかぁ?」
「なんで聞いてなかったん?」
「ほら、ヒカルが…」
「あー…」
 謙也もうちの愛猫のことは知っている。そもそも、ヒカルを飼ったのは、中一の時である。知り合いに誰も「ヒカル」という子がいなかったのでそう名付けたが(姉が)、その一年後に出来た後輩の名前が「光」だったので、それを知った人間の彼は微妙な顔をした。
「ちなみにウチのヒカルが一番大好きなんは、謙也やで?」というと、更に嫌そうな顔をした。謙也くんは、俺のですよ―――――――――――――と彼は言う。
 机に置いてあった俺の紅茶を、謙也は勝手に取って口を付ける。
 いつもなので、構わない。
「白石。本人に聞いたら?」
「あー、せやな…。あ、謙也、これ食って。終わり」
「ん」
 丁度、教室の入り口で千歳が待っていたのが見えて、俺は弁当箱に残った卵焼きを謙也の口に放り込んでから立ち上がった。
「ほなまたな謙也。千歳。帰ろう…………」
 謙也に手を振ってから、視線を千歳に移したが、千歳の表情は、なにやら暗い。
「……千歳?」





(嫌やなこの空気……)
 肌に突き刺さるような空気が改善されないまま、千歳の家にたどり着く。
 千歳は、口数が少ないわけじゃない。よく話す。のに、今日は寡黙だ。
 背後の扉が閉まって、鍵がかかる。千歳がアパートの部屋の扉に鍵をかけるのはいつもなので、気にしなかった。
 気まずいと思いながら、部屋にあがると背後の扉がまた閉まる。千歳だ。無言なのが、怖い。
「千歳……? お前、ほんまどないして………」
 そう問いかけ振り返った瞬間、視界は変わっていた。
 膝裏と脇に手を差し込まれ、抱え上げられ、寝台に押し倒される。
「ちょお…課題やるんや…!?」
 俺の言葉など無視して、千歳は俺の両手を上でまとめてしまう。
「千歳……、…。」
 なにを盛っているんだ、と言う前に、背筋を寒いものが走った。
 頭上でした金属音。見遣ると、両手が鎖が繋がった枷で縛られている。
「……ち、とせ?」
「カラダ…見せてくれん?」
「は、…は? ッ!?」
 戸惑う暇もなく、乱暴に俺のシャツを掴んだ千歳の手が、シャツの前開きを力任せに引き裂いた。
「…ち」
 大きな手が、露わになった皮膚を辿る。鎖骨から、脇腹まで。
「流石になかね」
「………、なに、が」
「キスマーク」
「は? ……お前、ほんまなに……。
 なにしとんねん!? こんなんされる謂われないで?
 マニアックなことしたいんなら、余所行けボケ!」
 これ以上つき合えないと、叫んだ直後に、後悔した。
 千歳は今以上に感情の読めない顔で、自分を見下ろしてくる。
 どうも、今ので完全にぶちキレさせたらしい。
「い、…や……冗談……やて。…余所行かれたら、困る……っ」
 あまりの恐怖に、弁解する声すら震える。
「白石、薬、て、飲んだこつある?」
 暗い表情と裏腹に、明るい声で千歳は聞いた。
「え…………? そら、あるに決まっ……」
 そこまで答えて、意味が違うと気付く。千歳が聞いているのは、そんな市販品の薬のことなんかじゃなく。
 彼の手に握られているのは、小さな瓶。
「じゃ、説明はいらんとね」
「待っ………や、千歳………っ!?」
 悲鳴じみた声はすぐ、キスで塞がれた。そのキスで口内に押し込まれた液体を、飲みたくもないのに飲んでしまう。
 涙のにじんだ俺の目尻をそっと撫でて、千歳は笑った。今から獲物を食べる肉食動物のように、舌なめずりして。






 身体の痛みで、意識が戻った。
 あちこちが、痛い。
 寝返りを打とうとして、叶わないことを思い出した。
 手が、まだ自由になっていない。鎖の音がする。
「起きたと」
「……とせ」
 目を開けるのも、若干しんどい。そんな俺を散々好きなように嬲った男は、寝台の傍に座って、俺の髪を撫でた。今日初めての、優しい感触に泣きそうになる。
「……白石。」
 いや、泣きそうじゃない。泣いてしまった。
 頬を伝う涙を、びっくりしたように見て、千歳は俺の身体を抱き起こして、抱きしめた。
「泣かれたら、困っとよ…。大事にしたくなる」
「…わけ、わからん。なんで……」
「やって、白石が」
「俺、なんもしとらん…っ」
「嘘ばい。財前となんかあったんじゃなか?」
「…………………………ざいぜん?」
 なんか全然不安になったとこと違う場所から、ボールが来たような気がした。声にも「はい?」みたいなニュアンスが混ざって、千歳もびっくりしている。
「……なんで、ざいぜん?」
「や、やって、白石。昨日、電話で…」
「電話で? 財前の話題なんか…………………………」
 そこで、俺は気付いた。遅いが、気付いた。
 そうだ。こいつは知らなかったのだ。我が家の『ヒカル』お嬢のことを。
「…千歳。ヒカルは、雌や」
「……え?」
 意味がわからない、と情けない声を出した千歳の声が、もっと情けなくなるのは、あと数分後。







 外で、ぱらぱらと雨が降り出す音がした。
 一度千歳を受け入れてしまうと、止まっていられるのは、俺もきつい。
「そういや、そげんこつあったばい」
「他人事か……っん」
 自分の下にいる俺の頬に何度もキスをして、千歳は憎めない笑みで謝る。
「すまん。やけん、俺はしらんかったし、誤解すったい」
「そら、そうやけど…………」
「実は謙也にも嫉妬したけん…」
 言い終わる前に、髪を掴まれて千歳は唇にぶつかった感触に目を瞬いた。
 乱暴な、キスだ。
「そんなんエエ…はよ、…シて」
「…了解」
 キスを返して千歳が腰を動かし始めると、ほどなく声を止められなくなった。






「て、いうかさ―――――――――――――、千歳に蹴り入れにいっちゃダメ?」
「やめとけや。今は」
 その部屋の入り口付近の廊下。不二と謙也、乾が何故か佇んでいる。
「邪魔しないでいいよ。もう部屋戻らない? 不二」
「え? いや詳しく聞こうよ。終わったら」
「開眼しないで開眼しないで不二。石になる」
「え? なに、そういう怪談?」
「違うよ忍足」







========================================================================

 本編で出た「千歳が嫉妬してしたR18な話」。
 いつものごとくやおいからは逃げた話になりました(汗)
 白石家の愛猫は我が家では黒猫で、三歳の「ヒカル」という雌猫。

 2009/06/17