- 抱きしめてしまいそうさ -




 自分を部屋に招き入れた千歳は、なるほど不機嫌だった。
 勝手知ったる千歳のアパートに来るのももう何回目か。
 好きなとこすわれ、と言う声も機嫌悪く低い。
 理由は説明されたばかりで、問いただす気も白石には起きない。

 ただの欲求不満、だそうだ。

 それまでは適度に女癖の悪さを披露し、発散していたらしい千歳に白石が大会が近い、控えろ、と注意したのはさほどおかしい流れではない。
 だがそれから二週間。千歳の機嫌は下降する一方で、流石に伺った白石に千歳は言った。
「単なる欲求不満たい。気にせんで」と。

「自分でせんのか」
「?」
「やから」
「……一度味しめると、自分でなんて無理ばい」
 呆れるが、それで万一テニスに支障が出ても困る。
「ええけど、テニスのコンディションは崩すなや?」
「わかっとう」
「ならええけど」
 どこかよそ事に答えて、白石は本来の目的の合宿のプリントを渡すと、踵を返した。
「ほな、明日は六時からな」
 言うことは言った、と帰ろうとした白石の背中。
「白石」と声がかかった。
「…なんや?」
「コンディション、崩すと困ると?」
「…当たり前やろ」
「…だけん、ほんなこつ溜まっとると」
「……」
 なにが言いたいのか、と溜息が零れる。
「女がいかんて、言うたん白石とね?」
「まあな」
「……」
 千歳が不意に立ち上がって、扉に手をかけていた白石の肩を強く抱いた。
「……なに」
「…ばってん、男ならよかと?」
「…は?」
 いぶかしんで眉を寄せた白石の身体をぐい、と振り向かせる。そのシャツから覗く鎖骨をカリ、と噛まれて思わずびくりと反応した隙を逃さず、千歳にひょいと抱き上げられてしまった。
「っ…な…!」
 戸惑う間なく、床にどさりと投げ出された身体に巨躯がのしかかってくる。
「コンディションが崩れるん、困る。だけん女相手も困るなら、白石が相手してくれんね?」
「………」
「白石くらい、綺麗やったら男でも関係なか」
 伸ばされた手が、シャツのボタンをすぐに三つ四つと外す。
 その間もただ千歳を見上げるだけで、抵抗の言葉すら発さない白石の露わになった胸の飾りを噛んで、それに小さく声を漏らした白石の顎を捉えると意味もないように問いかけた。
「抵抗ばせんってことは、よかとね?」
「……それで、部活に支障がでんと、女にも手ぇ出さんならな」
 条件付きの合意に、千歳は逆に上機嫌に笑うと、白石の身体を床に押しつけて下肢から衣服を取り去った。



「…っ……あ、…っぁ……ん」
 下肢のそこを何度も指が出入りして、指の腹が感じる場所を擦る刺激に白石が喉を仰け反らせて喘いだ。
「たまらん声すると…」
「ヤ…っあ……」
 声を堪えようと最初は思ったが、千歳に言われてやめた。

「声、我慢されると気持ちよくなか。鳴いてくれん相手とヤってもつまらん」

 ただでさえ犯され損なのに、声を堪えただけで終わった後も不機嫌でいられては意味がない。
「や…ぁ」
 ぐるりと内壁を擦られた後、挿入された三本の指をばらばらに動かされて漏れる声は、もう今更堪えようと思っても無理だ。
 途端、指が引き抜かれた。
 ぐいと足を大きく開かされて、思わず声があがった。
「ま…千歳…!」
「なんね」
「…避妊具くらいせぇ」
 男同士だからといって、必要ないわけじゃない、と文句を言うと、千歳は口角をあげて意地悪く言う。
「中で出された方が気持ちよかよ?」
 そんな経験、絶対ない癖に。
 思ったが、声には出せなかった。
 千歳が言葉にしてすぐ性器をそこに宛って、挿入を始めたからだ。
「ッ…あ…っ」
 肩を押さえられて、身を進められるとずぶずぶとそこは性器を飲み込んで、程なく全てを収めた。
「ちゃんと、後で掻き出しちゃるけん」
 そんなことはイヤだと言いたかったが、すぐ律動を始められて漏れるのは喘ぎだけだった。





 その翌日だ。
 千歳がその日が課外授業と知ったのは。
 有り体に言えば渓谷へのスケッチ授業。途中は当然ほぼ山登り。
 その日に知ったにも関わらず参加出来たのは、ひとえにジャージが置きっぱなしだったからに違いない。
「千歳ー、お前飲み物どないするん?」
「昼飯用に買ってあったい」
「そか」
 二組との合同授業なので、後から山道を歩いて来た謙也にそう返す。
「謙也、山ではスピードスターじゃなかね」
「阿呆か」
「ちゅーか、そんなんで迷子になったら笑ったる」
「なんやと白石」
 謙也にくってかかられてそっぽを向いた白石は、多分俺から顔を背けたのだろうな、と思った。
 馴れてはないが、経験が皆無とも言えないだろう彼でも、自分を抱いた人間と翌日普通に話すのは難しいだろう。
「…」
「……、」
 一瞬、白石が謙也が見てない時に顔をしかめた。
「…白石?」
「…は?」
「…どげんした?」
「なんでもないわ阿呆。……っ」
 否定しかけるも、また顔をしかめて白石は足を一瞬止める。
 その肩から落ちかけた鞄をひょいと持ち上げた千歳を、白石はハッとして見上げた。
「俺が持っちゃるよ」
「阿呆。いらん」
「そう意地張るもんじゃなか。辛かろ?」
「…返せ」
「ばってん、どう考えても無理…」
「うるさい! ほっとけ言うてるやろ! 余計なお世話やうざいねん!」

「………」

 周囲の生徒も静まる程に叫んだ白石当人も、すぐまずいと気付いて口をつぐんだ。
 しかし、出た言葉は取り返せるものではない。
 とりあえず、「うるさい」「ほっとけ」は見過ごすが、「うざい」はない。
「そう」
「千歳…」
「返す。じゃ、勝手に無理ばしとれ」
「……お、おい」
 背後に聞こえる謙也の声が、すぐ白石に謝れと言っていたが、白石は知らないと繰り返す。聞くのも面倒になって、千歳はさっさと歩きにくい山道を登った。




「……っ……」
 あれから何分か、いや三十分は確実だが。
 白石がハッと顔を上げた時には周囲の道に誰も生徒はいなかった。
 元々、もう途中からあまりに酷くなった腹痛に足も止まり気味ではあったし、おまけに頭までくらくらする。それでは周囲に人がいるかいないかなんてわかるわけもない。
 謙也もしつこく言っていたが、それも頭に響いて仕方なくてぞんざいに追い払っていたから、向こうも疲れて先に行ったのだろう。
 しかし、全員に置いて行かれると、自業自得でも寂しい。

『持っちゃるよ』

 甘えておけばよかった。
「……っいた………」
 なにか悪いものを昨日食べただろうか。覚えがない。
 堪えられないほど痛むので、両手で腹部を押さえていても、全く痛みがマシにならない。
「…っ……たっ………いた……」
 深く息を吐いてなんとか進もうとするが、逆に痛みが増すだけだ。
「……、…は……」
 頬になにか冷たいものが当たる気がする。
 気のせいではない。
「……マジ…?」
 雨が降り出していた。





「…あれ、謙也」
 休憩所で、一人できょろきょろしている謙也を見つけて声をかけると、情けない顔で千歳!と呼ばれた。
「どげんしたと?」
「白石がおらんねん! どないしよ…置いてきたりするんやなかった…」
「…おらんの?」
「うん」
「どこにも?」
「…おらん」
「………」
 いやしかし、あれだけ強気に言っていたのだし。
 しかし、具合は本当に悪そうだった。
 あれが昨日の自分の所為なら、非は自分にある。
 それに、自分だから余計頼れなかったというなら、やっぱりその原因は自分で。
「……謙也、傘貸してくれ。迎え行く」




「…さむ……」
 崖になったところにしゃがみ込んで凌ぐも、ほとんど意味がなく全身が冷たい。
 冷えて更に痛みが強くなったようで、まるでナイフで抉られたような感覚の痛みに、涙まで出そうになった。
「……っ……いた……」
 両手で押さえたって意味がないが、押さえてしまう。
 その姿勢で膝を丸めて、詰めていた息を吐いた。
 今頃騒ぎになっていないだろうか。誰か流石に来てくれるだろうけど。
「……素直に聞いとけばよかった」
 腹じゃなく胸が痛い、なんて気のせいだ。
 あれは、性欲処理だ。千歳が自分を選んだ意味なんてまるでない。
 なのに、勝手に明日会ったらどんな顔するかと気にして、会ってみれば全く普通の顔にああそう、と思い知って。思い知ったってなにが?と自問自答して、気付いた挙げ句がこの様だ。
 あれが性欲処理以上のなにかであって堪るか。
 なのに、密かに傷ついている。
 本当は、少しは気にした顔で会って欲しかった。
 これが恋だとかなんてそこまで突き詰めたくないけれど、身体は?くらい心配して欲しかった。
「…女みたいや…馬鹿らし……っ…いつ……」
 急に酷い痛みが襲って、うずくまるように身体を丸めた。
「…いた……ッ……いっ…」
 痛いし、寒いし。
 もう、誰か早く来てくれと願った時だ。
 耳に「白石!?」という声が引っかかった。
 けれど、それは期待したクラスメイトや謙也の声ではなく。
「白石!? どこおると!?」
「…千歳…?」

(嘘や。なんでよりによってあいつが来るん!?)

「白石!」
 呼ぶ千歳からは白石が見えないらしい。
 返事なんかしたくない。痛くて堪らないからすぐ返事をしたくても、千歳が相手なんて絶対嫌だ。それは、もう、恋心を肯定するに足る意地だけれど。
「しら…っ……おるなら返事せんね!」
 近くまで来て、ようやく見つけた千歳が傘を片手に駆け寄ってくる。
「どげんしたと? なんか…」
「うるさい!」
「…し」
「うるさいやろ! 黙って来いや…大体なんでお前なん! 謙也がええ!」
「……あのな」
「帰れ! 一人で行ける! ええから戻れや!」
「……」
「はよいなく…」
 傘が急に地面に転がった。
 なにかと顔を上げると、いかにも憮然とした千歳の顔。
「…いい加減にせんね」
「…ちと」
「人が雨ん中心配ばして来たとに、なんねその言いぐさ!?
 誰がよかとか選り好み出来る程お前偉かと!?
 帰れってなんね、俺かてこげん面倒して感謝ならまだしも文句言われんなら来たくなかよ!
 正直さっさと戻りたかし…ばってん今のお前置いて帰って文句ば言われんは俺たい!
 いい加減にせんね! ほん…」
 千歳が声を止めたのは、雨に打たれながらこちらを見上げていた白石の顔がぽかんとしていたからだ。
 彼らしくない間の後、すぐ歪んだのは、千歳が怒鳴るのを止めたから安心したのかどうか。
「……っ…アホ……病人てわかるなら怒鳴んな…。
 み、…頭、響くし…っ…耳痛い…お前声でかい自覚あるんか…」
「…、し、白石」
「…お、お前…な、なんでお前が…来る…っ…や……。
 俺やってはよ楽なとこ行きたい…。…い、…いた。
 も、わからんし。俺やってこんなん俺ちゃうてわか…っ」
 詰まりながら言う声は震えていて聞き取りづらく、その顔は紛れもない涙で濡れている。
 声が詰まるのは、喉が泣いて震えるからで。
「…い、いたい…おなかいた…痛い…っ」
 まるで子供のように泣いてしまった白石の前にしゃがみ込んで、参ったと千歳は頭をかいた。
「…悪い。悪かった…。怒鳴ってすまん。
 俺が悪かです。すまん。……もう怒鳴ったりせんから…。
 …泣きやんでくれ」
「……千歳のアホ…っ…。な、なん…普通の顔…」
「…いや、俺が過剰に反応したら俺が被害者ぶったこつなるし…。
 ああそうやなか。…難しかね…。
 あの、…俺も男とヤったん初めてやけん…。だけん、俺も……。
 ごめん、泣くな…」
「…っ…痛い…なんでこんな痛いん…」
「…それはしらんばってん……、…ごめん。
 ちゃんと白石は大事やけん…、性欲処理ではなかよ…。ごめん」
 白石が欲しい言葉がそれかはわからないが、言いたくなった。
 自分は多分、そう言って彼を抱きたかった。
 邪魔したプライドが性欲処理と理由を作った。
 それで彼が自分に頼れなかったなら、やっぱり悪いのは自分で。
「……帰ろ? な、負ぶってくけん……。…白石」
 まだ泣きじゃくる白石を抱きしめて、宥めるように背中を撫でた。




 ようやく落ち着いた白石を負ぶって休憩所まで向かう途中、背中で白石が不意に言った。
 その声は散々泣いた所為で鼻づまりだ。
「…なあ、俺、心当たりないんや。なんでこない腹痛いんか」
「…食べ物は?」
「ない。俺が賞味期限切れ食うように見えるか?」
「…ぜんっぜん見えなか。それはむしろ俺たい」
「やろ?」
「……あとは、」
 そういえば、昨日は結局掻き出してやると言いながら、白石が急いで帰ったためそれはならなかったが。
 まさかと思うが。
「…白石、昨日、帰ったあとちゃんと出したと?」
「なにを?」
「俺の…、中出したん…」
「……あれ、出さんとあかんの?」
「……いかんよ。そのままにしたら確実に腹壊す」
「……なに、これ、それ?」
「…みたかね」
 背後で絶句した白石が千歳の肩に頭を乗せる。
「…白石、実は昨日が初めてやったと?」
「…うん」
「女の子とは」
「ない」
「……そか」
 それは、余計怒られるわけだ。やっぱり俺が(以下略)。
「…白石、今度はちゃんとかきだしちゃるけん、泊まっていくたい」
「……、」
「白石?」
「…性欲処理?」
 疑う声が背後から聞こえる。
 顔は見えないが、あの時のように泣いているのかと思ったら胸が痛い。
 ああ、もう、負けた。
 駆け引きするだけ、負ける。
 もう、負けでいい。
「…好きやから抱くたい。文句あっと?」
「………」
 声はなかったけれど、代わりに首にぎゅ、と両手を回された。
 その温もりに小さく笑って、見えてきた休憩所に急ぐ。
 今頃、謙也が青くなっているだろうと思った。







 2008/11/28