だきしめて 俺と、白石蔵ノ介は、恋人同士だ。 だけど、未だに、 「白石。明日、空いてるか?」 「ん?」 放課後の教室、謙也の声に鞄を片手に振り返った白石は首を傾げる。 その可愛い仕草にときめきながらも、謙也は本題を口にした。 「カラオケ行かへん?」 「ああ、ええよ」 「よっしゃ! ほな、明日、いつものとこな」 「うん」 楽しそうに頷いて、自分に微笑む白石はいつものことだが、綺麗だ。 そして、可愛い。 「で、一緒に帰らん?」 「あ、悪い。俺、部に顔出さな」 「え? 今日は」 休みの筈だが。部長の白石が知らないはずがない。 「新聞部」 「ああ…待っとるで?」 「いや時間かかるからええよ」 「……うん」 その綺麗な顔で「NO」と言われれば食い下がることも出来ない。 俺は白石を見送って、項垂れた。 ―――――――俺達の間には、まだ肉体関係がない。 「押し倒せばよかのに」 でも待っていたら一緒に帰れるかもと、テニス部の部室で時間を潰そうと謙也が訪れると、いたのは千歳と小石川。 「お前と一緒にすな色欲魔」 「以下同文」 速攻で千歳の意見を切って捨てると、小石川が便乗した。 千歳が「相変わらず息が合うとね」とぼやく。 「ケンちゃんコンビを馬鹿にすんな。お前に勝ちはない」 「謙也、俺そんなん初耳やけど…」 「お前、たまに空気読まんよな…」 異議を申し立てた小石川にそう言ってから、謙也はベンチに座り込んだ。 「せやけど、それって白石が拒否っとるん?」 「え?」 小石川の言葉に、首を傾げた。意味がわからない。 「せやから、一線越えへんのって、白石が謙也を拒否っとんの? それとも、謙也が手ぇ出せへんだけ?」 再度問いかけた小石川に、謙也が黙り込んだ。フリーズに近い。 その沈黙に、小石川と千歳は顔を見合わせた。 「謙也が手ぇ出せへんに800G」 「俺、10000G」 「現実の金で賭けぇや!」 「現実の金ならええんかお前…?」 我に返って突っ込むと、小石川に即ツッコミ返された。 そういうわけじゃないが。 「そういう賭けされると、俺がほんまヘタレみたいやん…?」 「そういうとるやんか」 「え!?」 「やって、白石と付き合うて確か、……三ヶ月?」 指を折って数え、小石川は疑問符付きで言った。 「二ヶ月や」 「あ、一ヶ月水増しした…」 「そういう単語ちゃうやん…」 ならどう言ったら満足なんだ?と視線を千歳に向けられた。 相談を持ちかけたなら、つまりそういうことじゃないのか、と。 「……………抱きたいし、…せやけど、」 怖い。 白石が、男があかんかったらって。 「…せやけど、我慢するか覚悟決めるかなら、…一回は言っとかんとあかんやろ?」 「ま、謙也に我慢させて付き合っちょったって知ったら、白石傷付くばい」 一人で帰る道は、つまらない。 謙也と一緒なのが一番楽しい。 ただ、最近わからない。 謙也は本当に俺が好き? 「…手、出してくれへんやん……」 不安になった傍から、らしくないと白石は空を仰いだ。空は、赤い。 視線を道に戻すと、視界にこっちを見て笑っている男が目に入った。二人。 嫌な感じがした。 周囲を見渡すと、見事に人気がない住宅街で、それも住宅の途切れた公園傍。 まずい、かも。 白石は一歩下がると、踵を返して方向転換した。 喧嘩なら負ける気はしないが、大会前だ。避けられるなら避けたい。 男なのに、何故かそういう目で見られることは多かったし。 追いつかれない自信があった。足は速い。 だが、背後に迫った足音にぞくりと背筋が寒くなった。瞬間、片腕を掴まれ、すぐ後頭部に鈍い痛みが走った。 いつも使う帰り道を急いで走った。 部室にいる間に、白石が帰ってしまったと気付いて、謙也は慌てて追いかけた。 姿はもう見えないが、いつも通りの道なら、すぐ見つかる。 駅を抜けて、商店街を通り過ぎる。 住宅街に入っても見えないから、もう家に着いたかも、と謙也は肩を落とした。 「…ヘタレか」 千歳に言われたことに、軽く傷付いた。そうかもしれないけど。 「………………」 へこみそうになって、謙也はハッとして顔を上げた。 視界の向こう、公園傍の道に落ちている携帯。 駆け寄って拾うと、間違いなかった。白石のだ。 「え? なんで…?」 急に、嫌な予感が胸を襲ってきた。 落とした? なら、気付くんじゃないのか? 傍には公園がある。 落ち着かない。急いで公園に足を踏み入れる。 ぱっと見、誰もいない。 気のせい? でも、堪らなく嫌な予感がする。 「―――――――――――――…や」 一瞬、なにかが耳に触れた気がして、謙也は背後を振り返った。 「? …今」 誰かに呼ばれた気が。 視線の向こうは、深い茂み。向こう側に噴水がある。 謙也は茂みに向かって走り出した。 なんだろう。嫌な感じがそこから。 「…け……」 そこにいたのは、白石と、見知らぬ男二人。 両手を押さえつけられた彼の服は、辛うじてシャツが腕に引っかかっているだけで。 なにがあったかなんて、馬鹿でもわかる。 自分に気付いて、男が顔を上げた瞬間、声があがった。 「謙也…っ!」 白石の焦った声が耳に触れた。 自分に蹴り飛ばされて倒れ込んだ男に掴みかかると、謙也は拳を振り上げた。 もう一人が叫んで手を伸ばしたが、片手で顔面を殴り飛ばすとうめき声だけで気配が消える。 こう見えて、喧嘩はテニス部レギュラーの中でも強い方だ。 顔面を殴った片割れは既に意識がない。だが気が済まない。 頭の芯が、なにかで焼き切れている。なにも、考えられない。 ただ、どうしようもない憤りがあって。 「謙也!」 背後から、自分を抱きしめる腕があった。自分の背中にしがみつく、暖かい感触。 白石が、背後から抱きついたと、理解するのに、時間を要した。 「…もうええから」 「…せやけど」 「未遂やから。ええから……行こう…?」 自分の声は酷く冷たくて、白石の声は震えていた。 それに気付いて、一気に頭が冷えた。 こんな奴ら構ってる場合じゃなかった。 怖かったのは、白石なのに。 「…帰ろう」 白石の声に、今度は頷くことが出来た。 白石の家は運良く家人がいなかった。 白石の服は破けていなかったから、帰ることは出来た。 彼の言うとおり、未遂だったらしく、抵抗した時に負った手と顔に傷があっただけだ。 湿布に覆われた顔で、白石は小さく笑った。 「お前、ヘタレは場合によるんや」と。 謙也の手に出来た擦り傷を消毒する手に、貼られた絆創膏が痛々しい。 「痛いとこあらへん?」 「ないで? 謙也おったし」 信じることが出来ない。白石は隠し事がうまいから。 消毒中で、消毒液で湿った手で、白石の手を掴むと腕の中に引き寄せた。 抱きしめると、一瞬震える身体。やっぱり、怖いんじゃないか。 何度も謙也の手が背中を撫でると、白石の身体が徐々に弛緩する。 「…怖い?」 「…、すこし」 「なんか、して欲しいことあるか?」 優しく抱きしめて、優しく額にキスを落とす。 「……」 本当は、じゃあ抱いてくれって言いたいけど。 謙也が困るから。 「…このまま、抱きしめててや…」 「…うん」 今は、自分を抱きしめる謙也の腕だけでいい。 それだけで、恐怖が癒えていく。 今言うことじゃない。 だから言わない。 でも、よかった。 お前を抱くのは、最初から最後まで、俺だけでいい。 「………謙也、」 「ん?」 「………もしかして、シたなっとる?」 抱き合って、二時間くらい経っただろうか。 唐突に白石が言った。 びくりと身を震わせた謙也に、白石は腕の中で身を震わせる。 怯えさせたと危惧したが、彼は謙也から少し身を離すと心底おかしそうにくすくすと笑い出した。 「おま……ほんまKY!」 「ひ、ひどっ…」 「……我慢したろ思ったんになー」 「……?」 くすくすと、さっきが嘘のように楽しそうに笑って、白石はいつも通り、強気な顔で自分を見た。 「あいつらの手の跡、…謙也が消して?」 「………」 夢みたいに、綺麗な笑顔。 頬が一気に熱くなるのを、感じた。 手を伸ばして、もう一度抱きしめる。 「……空気なんか読んだらんからな」 「それが謙也やから」 やめたくなったって、そんなの読まないと言ったら、彼は嬉しそうに笑った。 2009/07/19 |