「部長さんは」










 千歳の部屋は、いつも花の匂いがする。

 その六畳の居間は、広くも狭くもない。
 連れ込んだ恋人は千歳のベッドから起きてきて、今日は学校行かなと言った。
「え? どげんして。もうちょい仲良うしよ?」
 その細身を引き寄せて、腕の中に囲い込んだ千歳に、白石は阿呆とその頭をこづく。
「今日、金ちゃんの誕生日。学校は学校でも、中学」
 白石たちは、今年から高校生だ。
「…あー……金ちゃん、年度生まれなん?」
「そう。祝われにくいやろ」
 謙也が三月下旬は祝われないって愚痴言っとったけどなぁと笑う。
「そら、祝いにいかんといけんね」
「やろ?」
「プレゼント、なにやると」
「ねだられた食べ物オゴってやればええって」
「白石はほんなこつ金ちゃんに甘かね」
「千歳も甘い」
 言って、顔を見合わせて笑う。
「まあ、先月聞いたらナチュラルに“兄弟が欲しい”て言われたけどな」
「……兄弟」
「そう。妹か弟欲しいんやない?」
「…」
 千歳はそのまま抱えた白石の手を取って、指をぱくりとかむ。
「こら」
「そげんつんけせんと。金ちゃんのために今日はがんばるたい」
「………阿呆、いつ俺らが金太郎のおとんとおかんになった!」
 そんな寒い夫婦コントはあの二人にやらせとけ!と息巻く白石を抱きしめて、冗談でもなかよー?と笑う。
「白石が子供孕める身体ならとっくにはらませとるばい」
「………俺らやっと高校生やぞ。なんやねんその俺に優しくない問題発言」
「白石は女の子やったら美人だけん、心配たい。だから早う俺の子生ませとくと」
「………もうええ」
 ツッコミ疲れたらしい。白石はなにもかもを放り投げて千歳の胸に頭の重量を乗せた。
「部長さんは」
「…ん?」
「部長さんは、忙しかね。卒業しても、あれこれって」
「俺、もう部長ちゃうで」
「俺は白石以外の部長さんを知らんね」
「………知らんでええよ」
 本当は、獅子楽時代の部長とか知ってるんだろうけど、千歳は言わない。
 決着がついた今、橘とも頻繁に連絡を取り合うが、惜しげもなく白石のことを話すので、白石は次に橘と大会で会うのが怖い。
「………千歳」
 思い出して、声はその名を形取った。
「ん?」
 白石は身をよじると、千歳と向き合ってその顔を挟むように両手を添えた。
「……九州、戻らんでよかったんか」
 千歳の元には、そういう話が多く来ていた。
 きっと。

 きっと、帰ってしまうと思っていた。

 こいつは、最初から俺のもんやない。
 最初から、俺だけのもんやない。
 いつか、こんな日が来る。
 やから、悲しむな、自分。

 言い聞かせて、千歳に改めて聞いた、二月の冬の帰り道。

「帰らんとよ?」
「………」
 最初、言葉がなかった。
「なんで?」
「そげん、聞くと?」
 千歳はそれこそ、驚いたという風に白石を見下ろして、その腕を掴んだ。
 自然、逸らしがちだった視線が絡み合う。
 真剣に、自分を見下ろす、見つめるその瞳の、片方が見えないなんて、嘘だ。
 なにかの、悪い夢。
 けど。

「俺は、白石のいない余所にはもう行かんね」

 言った唇が、素早く、深く白石の唇を荒く塞いだ。
 拒める筈はなく、ただ翻弄されながら、その大きな背中にすがりついた。

 許されない。

 理解っていたのに。

 口づけの合間、喉を裂いたのは、残酷な願い。

「……行かないで」

 泣きそうに、そう囁いた白石を強く抱きしめて、千歳は誓っちゃると耳に吹き込んだ。
 寒い、寒い冬。
 冬が過ぎて、お前と別れる春は来なくて、
 お前と、また過ごす春。

 だけど。




「…………千歳」
「…白石、どげんして、そげん泣きそうなんね」
 そっと目尻を押さえた大きな指に、すりと頬を寄せた。
「………俺は、……酷い奴や」
「………白石?」
 千歳の胸。大きなこの胸に抱かれるのが好きで、何度も頬を寄せた。
 その胸に、すがりつく。
 そのまま見上げて、その見えない瞳を手で囲った。
「……お前の、瞳に俺が映ってへんなんて、信じられへんって思うのに」
 思うのに。
 嘘だと、思うくせ。
 けど。

「…俺は、お前が右目失うてよかったとか思う」

「………」
「……お前が、右目なくさんかったら、……」

 お前の傍に、いられなかった。

 続く筈の言葉は、千歳の大きな口にふさがれた。
 お前はそうやって、俺の酷ささえ奪う。
 言ってないから、いいよと奪う。
 その瞳が、見えていないなんて嘘だ。
「……右目は、桔平にやったと思っちょったけど、違うけんね」
 離れた唇が、紡ぐ。
「右目は、白石の傍に来るための、片道切符やったと」
 いとおしげに落とされる唇は、見える白石の右目をなぞる。
「……なら、一生往復せんでええ」
「せんよ。……片目は、白石を見るための宝たい」
 抱きしめる腕があって、囁く声があって。
 やのに、阿呆や。阿呆やなぁ、俺。

 片目だけでも、誰かにやったんかって。

 思うなんて。
 その片目だって、こいつは俺にくれるのに。
 優しい理由を、くれるのに。
 その瞳が見えないなら、その分彼を俺にください。
 彼を、彼の温もりを、彼の声を、彼の腕を、彼の背中を、彼の心を。

 全部、俺にください。

 神様。

「………………千歳は、もう、」
「ん?」
「もう、どこにも行くな」
 行かんと、と答える言葉を、泣きたい思いで受け取る。
「行ったら、今度は俺が……片目使うて会いに行く」

 呟いたら、耳ざといように拾って、させんよと笑う。

「白石の綺麗な目は引き換えにさせん。俺が、二度と離れん」
「……男で、よかった」
「白石が?」
「…男やから、お前と同じ夢、追いかけられる。お前と、会えた……」
「…………俺は、白石がどこにおったとしても、見つけたと」
 そのまま深い口づけが降りてくる。
 ただ、ひたすらに追って、切ない心を与えるようにすがりついた。

 その、見えない瞳で俺を見て。

 俺に会うための切符なら、一生。

 一生俺だけを見ていて。その、とこしえの暗闇で。

「…………金ちゃんに、妹は作ってやれんけどな」
 思い出したように言ったら、千歳に豪快に笑われた。


 千歳の部屋に咲く香る花。それは彼が得た、金の髪の白い花。








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 単作。金太郎BD小説のつもり(どこが!)。
 金太郎を一切出さずに彼の誕生日を祝ってみよう、とやったらただのちとくらになった。
 でもおいしい右目ネタを書けたのでよしとする。
 取り敢えずおめでとう金ちゃん。全然祝ってなくてごめん。