「迷惑なんや」










 大学卒業の年、幸いにも近くの中学に受かったのは好都合だった。
 しかもそこは母校だった。
 渡邊オサム、22歳。暦は三月。
(幸先いいわ…)
 卒業論文も済ませてのんびりと草原に寝転がった。
 テニス部のOBだったし、今年テニス部の顧問だった教師が抜けるというから多分任されるだろう。それでも構わない。
 声が聞こえた。
 近所で遊んでいる子供の声だろう。気にしなかったがふと顔を上げた先、道にぼんやりと座り込んでいるのは、とても綺麗な子供だった。
(………ハーフ、かなぁ)
 白金の髪。翡翠の瞳。日本人離れした美貌が、幼さの中にある。
(あれは…あと五年もすればえらい別嬪になるわ)
 近くの子やったら四天宝寺入るやろ、声かけてみよと近づいた。
 近寄る足音に、その幼い美貌が顔を上げた。
「…なんや、おっさん」
「お…俺はまだ22歳や!」
 意外な口の悪さにびっくりしながらも、やっぱり美人やなあと再認識。
「俺と十二歳ちゃうやん。おっさんや」
「はあ? 自分かてこの年になればわかるわ!」
 言いながら、ん?今この少女は自分をなんと言った?
「お嬢ちゃん…今なんちゅーた?」
「は? 誰がお嬢ちゃんやおっさん。俺は男や」
 とても、びっくりした。
 この美貌で、将来とんでもない美人になることが約束済みの美貌が、男。
(…俺、流石にショタやないわ)
 興味が一気に失せる。
「おっさん、近所の人?」
「俺には渡邊っちゅー名前があります。自分はなんて名前?」
「…白石蔵ノ介」
「蔵ノ介くんか…そらまた」
 どっかに討ち入りしそうな名前やなぁと言いかけて、その美貌の身体を横から奪った少年がぎっと渡邊を睨んだ。
「なんやおっさん、蔵ノ介になにしてんねん」
(…こっちは将来えらい男前になりそうなガキやな)
 黒髪の少年。同級生だろうか。
 十二歳差というから十歳か。
「侑士…」
 白石という少年が呼ぶ。
「蔵ノ介、行こう」
「あ、…」
 黒髪の侑士という少年に引っ張っていかれる途中、最後のように彼は振り返った。
 その瞬間、映った翡翠の瞳の色。
 それに、俺は心臓を奪われた心地だった。




 それから、よく俺は十歳のガキ(それも男)に会いに行った。
「自分、四天宝寺来る気あらへん?」
 おっさん暇やなぁとぼやく蔵ノ介も、無下に追い払おうとはせずあると答えた。
「俺、テニスやっててん」
「あの黒髪の」
「侑士? 忍足侑士」
「あいつも来るんか?」
「どうやろ……。親父さんの都合であいつ転校多いんや。もしかしたら来年は東京行くかもしれへんて」
「…そうか」
「けど寂しくあらへんで。侑士の従兄弟とも仲ええんや。そいつもテニスやってて、謙也言うん! 謙也も四天宝寺行くて」
 笑って振り返ったその笑顔に、いちいち心を奪われて。
 俺は、気が気じゃない。
 いつか、この綺麗な少年は同じ年の誰かに奪われてしまうだろう。
 こんなに綺麗な宝石を、原石を見つけたのは自分なのに。
 渡邊が四天宝寺テニス部のOBでテニスがうまいと知ると蔵ノ介の態度も人懐っこいものに変わった。
 テニスを教えることさえあったが、渡邊が驚くほど蔵ノ介はうまかった。
(こら、確実に将来部長クラスやな)
「おっさん?」
「いい加減名前で呼べ」
「やって、渡邊さんって言いにくい」
「ほな、オサムちゃんでええよ」
「……」
 蔵ノ介は一瞬瞬きをして、それから花が綻ぶように微笑んだ。
「オサム、ちゃん?」

(奪われる)

 心が。

 こんな、こんな子供に。

(奪われる)

 執着する。

 そのままでいて。誰にも染まらず、俺の手の中に来い。

 お前の身体が育ったら、俺が染めてやる。


 その幼い手を取って甲に口付けた。
「な…」
「蔵ノ介。お前間違いなく宝石やわ。…綺麗や」
「な、なにすんねん…!」
 振り払おうとする手首を掴んで、笑う。
「俺、四天宝寺に職決まってん。多分テニス部の顧問なるわ。お前の面倒も見たる」
「…いらん!」
「楽しみや。……お前が、………俺のもんになる日」
「…っ変態やおっさん!」
 叫んで腕から逃げ出した細い、細い身体。
 無駄だよ。
 お前がテニスを望む限りは、逃げられやしない。

 俺の、宝石。

 俺が育てる、原石のダイヤモンド。




 自分は間違いなく狂っている。あんな、十歳のガキに。




「センセ。これここでええの?」
 願った通り、逃げなかった宝石。
 十五歳になった部長は、資料を理科教材室に置いて渡邊を伺う。
「ああ、ええで、すまんな部長」
「ええけど別に…。けど金ちゃんは使わんでな」
「白石は可愛がっとるな」
「そら、可愛えもん」
 さらっと答えた白石の言葉に、欲情の欠片もない。
 ああ、俺もお前を、そんな純粋に可愛がれていたなら。
「ああ、白石、忘れもん」
「え、なんですか」
「ほら」
 渡邊が差し出した資料を疑わず、手を伸ばした白石の細い、白い手首を掴む。
「…センセ?」
「やっぱ、お前宝石やな。……どんどん綺麗になりよる」
「…っ」
 昔の言葉に、白石は渡邊が教師の顔を辞めたと悟って身を軽く退いた。
 逃がさず、棚の間に閉じこめる。
「センセ…冗談きつい…。子供いじめて楽しいんか?」
「なにいうてん? 俺は十歳のガキやったお前にすら欲情した大人やで?」
「…………」
「そのお前が」
 その白い手を取って、指の付け根に舌を這わせた。
「…っ」
 びくりと身を竦ませた白石の色素の薄い髪を撫でて耳元で囁く。
「…折角、俺が抱ける身体に育ったんに、手ぇ出さん大人がどこにおるん?」
「……センセ」

 乱暴に扉が開かれる。

「こらオサム! 白石になにしとんねん!」
「…謙也」
 乱暴な乱入者は渡邊を白石の傍から無理矢理どかすと、白石の手を掴んで。
「ほなもう用ないやろ。つれてくわオサムちゃん」
 言い捨てて白石を教材室から連れだした。
「……今も昔も、忍足の家の奴がいっちゃん邪魔やわ」
 ぼやく渡邊は追わない。
 わかっている。
 あれは、自分の宝石だ。
 宝石は、主人の手から逃げられない。
 より強い、主人が現れない限り。

 だから、あれは俺の宝石。

 謙也、お前には磨けないだろう? その宝石は。

 残された部屋で笑って、既に校舎外に出た白石と謙也を窓から見下ろす。
 どうかしているってもう昔に思い知った。
 けれど、あの日から俺はあの宝石に全て奪われた。





「白石、もうあのおっさんと二人きりになったらあかんからな」
 昇降口を出てテニスコートに向かう親友の背中を見遣って、白石は笑う。
「…けど、俺部長やもん」
「けどやない。俺も連れていけ」
「………センセは、本気やないと思うで? やって、俺みたいな子供にそんな」
「……」
 謙也の足が止まって、白石を真っ向から見つめた。
「侑士から聞いてんで。十歳のガキにすら色目使ったおっさんが、今の白石に興味なくすわけあるか!」
「……………そんな、わけないて」
 少し、笑って、白石は軽く俯く。
“オサムちゃん”、あんたは俺を宝石だと言うけど。
 例えるなら、俺はただの人工のダイヤモンド。
 原石じゃない。
 だって、謙也が来なければきっと抱かれることを拒まなかった俺の、どこが綺麗な宝石?



 奪われた心はお互いに。
 気付かないまま、歯車は回る。



「白石…お前、オサムちゃんのことどない思うてんの?」
 謙也の問いに今度こそ笑う。
 本当のことなど答えられない。
 だから、嘘を吐く。
 まるで、それは宝石のイミテーション。
「迷惑なんや。正直な」
 その言葉に謙也は信じて安堵するけど。
 侑士、お前がいたら、気付いて俺をなんと詰る?
 それが、怖いよ。




 宝石はいつまでも原石のままではいない。
 磨かれるままに輝いて、いつか。









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 単作。オサムが変態ですいません…。
 初のオサ蔵。
 でもきっと一番の邪魔は忍足一族より千歳…。
 エロさを念頭に置きました。ヤってはないんだけど、いちいちエロいオサム。言葉とかな。