HAPPINESS

◆HAPPINESS◆










「人間の耳って恐ろしいよね」
 そんな事をぽつりと言った不二が、口元を大きめの服の袖で隠して笑った。





 目立つ、公園の時計の下で、駆けてくる手塚を見付けて。
 不二は叫ばずに手を振る。此処だよ、と言いたげに。
 叫んだら、困らせるなと思って。
「悪い、待たせた」
「いいよ。待ち合わせ五分前だもの」
 僕が早く来すぎただけ。
 笑って、不二が手を促すように伸ばす。
 くすぐったそうな笑い。
「行こ」


 休日の街はこれでもかという程人で賑わっていて、人の群を何とか抜けて、映画館まで行く。
 最新の洋画を見て、昼食を済ませ、さあどうしようという事になったときに不二が言った。

「遊園地、行こう?」

「…今からか?」
 行けないことはないが、時間的に苦しい物がある。
 時計を見ることでそう示す手塚に、“何も全部制覇しよう”っていうんじゃないんだからと不二が笑う。
「それに明日も休みでしょ? ならさ」
 表情。潜む色に手塚は気配だけで笑う。“お願い”と言いたげな目の前の人。
 そう言えば先週、言っていた。

「ディズニーランドか?」
「…うん!」
 一回手塚と二人っきりで行きたかったんだよと嬉しそうに笑う顔を見ていると、止める気なんて全くなくなる。
 二人きりと言ってくれる、それだけでも嬉しい。
「判った」
 苦笑混じりで、仕方ないななんて感じで。ぽんと髪を撫でて言う。
「ほら、時間無くなるぞ」
 変な感じ。そう呟くように笑って腕に絡む、暖かい身体。
 往来じゃなければ、なんて事を考えて、自分が思ったより理性の効かない人間だとふと手塚は悟ってみたりした。


「やっぱり混んでるね」
「普通の休日だからな」  二回アトラクションを回るだけで五時を回って、ベンチに腰掛けて息を吐いた。
「ごめんね?」
「いいさ。一緒に…いや」
 ?マークを浮かべる不二から視線を外して、手塚は咄嗟に口元を押さえた。
 もの凄く、自然に言おうとしてしまった。
 悪くはないのだが、きっと言ったら不二はひどく嬉しげに笑うだろうから。

 問題は、それを前に自分の理性が持つかという話で。

「…なに変な顔してるの?」
「…何でもない」
 背中を向けて、赤くなりかけた顔を収めようと手を付く。
 しばらく、どちらも何も言わない間が流れる。
 普段なら不二が喋るから何とかなるのに、それがない。
 流石に気になって、額から手を外した手塚の耳に、ふと沈んだ声が掛かった。
「……ちょっと、失敗したなって思ってる」
「…え?」
「ほら、ディズニーランドって恋人同士で来るとさ、“別れる”ってジンクスあるじゃない」

 俯き加減の顔。
 そろそろ夕陽も掛かる。非日常のような造りの世界が、余計現実味を無くして。

「……ちょっと、失敗したかなって」
 顔を上げて、泣きそうに笑う。
「…不二…、」
 髪にゆっくりと触れる。馴染んだ感触。
 夕焼けの、陽の強さで誰の表情も染まって見える。
「……嫌だった?」
「…不二、俺は」
 言いかけて、詰まりかける手塚に焦れたように、不二が再び視線を降ろす。
 余計に焦って、その肩を掴んでから微かに震えていることに気付き。

「………っぶ」
「………………は」
「……っく……ふ………ふふ…っ」
 どう見ても、不二は笑っている。
 体が震えていたのは、笑いを堪えていたからで――――――――――――
 そもそも、何故笑っているのか。
「あははっ……手塚悩みすぎっ…大体あれジンクスじゃないじゃん…っ。
 ただ単に初デートで来ると待ち時間長いから話すことが尽きるってだけだよ…っ」
「………不二」
 低い声で呼ぶ。込められた響きに潔く気付いて、不二は驚くほどぴたりと笑いを止めた。
「…ごめん手塚。怒った?」
「…当然だ」
「ごめんって…。で?」
「……?」
 今度は手塚が浮かべた疑問符に、不二の指先が額を指した。
「嘘吐かないで。“一緒に”のあと何言おうとしたの?」
「………、不二………お前」
 判っててやったなと続けるはずの言葉が、不二の指に遮られる。
 手塚の唇を、なぞるように触れていく。細い、けれど女性程華奢ではない手。
「判るよ。だって凄いナチュラルに言うんだもの。
 でも」
 僕は君の口から訊きたい。
 折角のデートなのに。
 詰まらないよ。
 そう告げて。

 手塚の唇をなぞった指先を離して、自分の唇に押し当てる。

 舌先だけ出して笑う。

「間接」


 真っ赤になっている顔なんて、誰にも分からないだろうに。
 不二にはきっと、お見通しで。

 いつでも。


 額を押さえて、呟く。



「――――――――――――――…全く……お前には」


「え?」

 勝てないよ。


 顔を寄せて微笑む。
 不二の頬を手で撫でて。

「一緒に――――――――――――――――いられるだけでいいと言おうとしたんだ」

 ふわりと、凄く嬉しそうに笑う不二の笑顔に、何もかもよくなった気がして。

 まぁいいや。


 そんな風に。

 顔を寄せて、唇を自分から塞いだ。



 一度だけ、けれど深く。



 離した後、秘め事みたいに笑う耳に。

 いいなぁあの彼女ーねぇ今私にもしてーとか、美形は特だよなとか零す辺りの声が聞こえて。少しだけ二人で笑った。
「僕、彼女だって」
「女装しているわけでもないのにな」
「ねぇ?」
 酷いよねぇなんて、全然そうじゃない顔で笑う不二の手を取って。

「“彼女”…って言われたから?」
 安心してる?
 そうわざと訊いてくる不二が、それでも離したりしないと言いたげに指の力を込める。
 違うよと言うように、自分も力を込めた。

「俺が繋ぎたいだけだ」

「……………………………………………………………って」
「…?」
「人の耳って………恐ろしいよねぇ」
「は?」
 いきなりワケのわからないことを言いだした不二が、袖の長い服で口元を隠して。
 それでも判る笑みを、たたえて。




「……手塚、今日泊まっていいよね?」