Teens-リアル・ハート-
















「……―――――――――――――――」
 部活を引退したとはいえ、習慣は残っているもので。
 普通より早く登校してしまうのもその一つだ。
 思わず部室に向かいそうになる足や、部外者となった自分に少しだけ感じる居心地の無さ。
 普段ならば生徒の大半が校門をくぐっていないこの時間に、階段を上ったところでよく知った顔ぶれを見付けて、乾は足を止めた。
 遠くから、生徒達の声がする。本来なら朝練のはずのざわめきは、文化祭の準備に追われた生徒達の物だ。
 日常とは違う空気。落ち着かない校舎の色。
 背後の、上階への階段の表示が“4F”と書かれて、朝日に照らされている。
 もう一階上らなければならない。
「…あ、乾」
 やはりというか。先に気付いたのは不二だった。その声に反応して手塚が振り返る。
「おはよう」
 軽い笑みだけを口の端に乗せて声を掛ける。
 不二が同じように“おはよう”と返して、手塚はただ相づちを打った。
「準備?」
「まぁ、僕はね」
 準備というか練習だけど。
「は? 手塚は違うの?」
 強くアクセントを置かれたわけではないが、何となく判る。
 何だ。
「違うよ。でもまぁ、付き添い?」
「…不二」
 何だろう。不二のテンションが。
「乾、君は?」
「あ、俺? 俺は習慣でつい。
 どうせだから音楽室行くけど」
「ああ、タイタニック?」
 何時もと変わりないように見えて。
 何だろう。
(おかしいっていうより…)
 手塚も手塚だ。
「アルマゲドンもだけど」
「じゃあ、聞いててもいい?」
「は? お前練習は?」
「もう終わったよ」
 いいだろ? と笑いかける不二を通り越した視線で、自分を睨み付けるくらいなら普段は止めているだろうに。
「……手塚がいいならいいけどね」
「何ソレ」
「被りたくないだけだよ」
 要らぬ嫉妬とか、余計な敵意とか。
 なら聞くまでもないと言った不二が、笑顔で手塚を振り返る。
「いいよね?」
 後ろ姿では判らない。でも笑ってるんだろう。
 手塚はただ難しい顔をして、やがて“勝手にしろ”とだけ答える。
 不二のテンション。嫉妬剥き出しの癖に、止めない彼と。
 何となく、理解できて乾は胸中でため息を吐く。
(またかこいつら…)
 ここまでくれば予測は容易い。
「じゃあ、借りてくよ」
 不二が隣に並んだところでそうわざとらしく言えば、更に強くなる双眸に今度こそため息を吐いて、背を向けた。



「……で、お前なに怒ってんだ?」
「怒ってないよ」
「だろうな。でも似たようなものだろ。また変な抱かれ方でもしてきたか?」
「――――――――――――――――…乾?」
「…はいはい」
 手塚にしろ不二にしろ、睨まれたって大して怖いとも思わない。
 馴れだろうか。いや昔から、怖いと思ったことはない。
 やや薄暗い廊下を、何となく真ん中を通っていく。
「…………裕太がね」
「え?」
 ふ、と。息を吐き出すようにして不二が話し始めた。
 疲れているのだか、呆れているのだか判別つかなそうな態度と声で。
「……裕太がさ、昨日帰ってきたんだよ。ルドルフ休みだっていうから」
「ああ…。……で、なんでお前がそうなんだ?」
「最後まで聞きなよ。
 …手塚が、―――――――――――――――……」
「ヤろうとしてた時に邪魔入れられたとか?」
「先回りしないで」
 素っ気ない口調で紡がれた言葉に即座に言い返す。しかし否定は出来ない。
 強ち間違っていない。
「ああ、嫉妬したのか?」
「だから先回りするなよ」
(間違っちゃいないけど!)
「で、嫌だって言ってるのに何回も好き勝手され…ッ!?」
「だから、先回りするなって言ってるだろ…!」
 靴の踵を思い切り、爪先に落とされたので流石に言葉を途切れさせるしかない。
 痛みに思わず足を止める乾を睨み付ける不二だが、それだけやっても顔が多少なりとも赤くなっていては迫力も何もない。
 好きで痛い思いをしたいわけではないので、そうとは、乾も流石に言わなかった。
「……第一、間違ってるし」
「違うのか?」
「…、もういい」
 ギッともう一度睨み付けて、それ以上の会話を諦めたように不二は乾を置いて歩きを再開させる。
 後方で、乾のついてくるでもない足音が響いて、彼に気付かれないように息を吐いた。
 確かに、指摘されたことは間違ってはいないが。

『………もう二度と、』

 見下ろされて、紡がれた言葉。

 背くつもりだとか、そういうのは全くなかった。
 彼の所為で立てなくなったのを、弟に引っ張られたからといって、あれは不可抗力ではなかろうか。

(…それを、怒られたって困る)

 嬉しくないわけではないけど、困る。
 裕太は弟なのに。
 それで嫉妬されて散々責め立てられては。
 赤くなりかけた頬を隠すように、少しだけ俯いた。




「…怒ってるっていうか、困ってるっていうのか。アレは」

 結局、来ることを止めた不二を置いて。
 一人の音楽室で、鍵盤に手を掛けたままで呟いた。
 練習するはずの曲とは違う、空で弾けるメロディを叩いて。
「―――――――――――――――贅沢…、なのは誰なんだろう」
 少しだけ、頭が痛い。
 気のせいだった。


back