「冗談やめろや! 絶対にイヤや!!!」

 春。満開の桜の下。
 四天宝寺中テニス部のクラブハウスの中から、そんな悲鳴が響き渡った。


(ええと…)
 千歳千里は非常に困った。
 自分は一週間後に迫った来月、四月からこの部の部員になることが決まっている。
 今は春休み。顧問の渡邊に春休みから参加してええで、と言われたので今日初めて四天宝寺を訪れた。
 当然、部の部員、これから仲間になる同級生や下級生とは全く面識はない。
 千歳は平素、マイペースだ我道だと言われるが、いくらなんでも目の怪我という事情で途中転校する場所では、流石に少しくらいは緊張する。それを自覚した。
 中から聞こえた悲鳴に、ノックして声をかけようとした身体が戸惑ってしまって、動けなくなったことをわかって、初めて緊張していたらしいと気付いた。
 桔平が訊いたら笑われそうな話である。
(どげんしよ…)
 中は見えないがよくわからないけれど、万が一もめ事でも起こっているなら、まだ部外者に近しい自分が乱入するのは、非常にまずいだろう。
 困った、と途方に暮れかけた千歳の前で扉が中から開かれた。
「うお! びびった」
「あ、すまんね…」
 扉を開いた金髪頭の少年に謝った。出ていく用事でもあったのだろう。扉の前に仁王立ちしていた千歳に驚いて、誰や?と訊かれた。
「いや、今年から入部するこつなった、九州の千歳千里たい。よろしく…」
 やや遠慮気味ながら、当初の挨拶の目的を果たす。
 少年は、ああ、と頷いて、お前でかいなぁと見上げた。
「ま、入れや。顔出しきたんやろ? なに突っ立ってたん。入ってくれてよかったんに。
 話オサムちゃんから訊いとるし」
 俺、忍足。と彼は自己紹介した。
「入ってよかと?」
「お前もこの部の部員になるんやろ? 部員を入れない部室ってなんやねん」
「そうけんね…。けんど、今入ってよかと?」
「なんやえらい遠慮すんな。お前人見知りなんか?」
「いやそう見られたことは一回もなか。ただ、入ろうとした時に悲鳴みたいば声聞こえたけん…。もめ事じゃなかか?」
「ああ、白石の声な。ちがうちがう。白石が一人でわめいてるだけ」
「…白石」
 ぼんやりと呟きながら一歩クラブハウスに足を踏み入れた。
 白石の名は知っている。大阪の西の本命と名高い四天宝寺の白石蔵ノ介の名は、中学でテニスをやっている人間の間では有名だ。
 これだけの強豪校で強い三年を押しのけ、二年の時からシングルス1に固定されて、部長も任された豪傑。おまけに去年の準決勝、王者立海を一番苦しめたのは四天宝寺だと評判で、その準決勝でも彼はシングルス1だったと訊く。残念にも三タテで敗北したため彼に出番は回って来なかったが。
 確か訊く限り、公式戦負けなしという実績だ。
 中を見遣ると複数の部員に囲まれた姿が見えた。彼がそうだ、とすぐにわかった。
 遠目でくらい見たことはあって、その日本人離れした外見を珍しく見た記憶があったし。
 その染めたと思えない白金の髪に翡翠の宝石のような色の瞳に端正な完成した美貌。
 多分、外国の血が入っているのだろう。彼を取り囲む少年たちは自分ほどではないにしろ肌は日に焼けて茶色い。その中で際だつのは、彼の肌が恐ろしいほど白いからだ。
 恐らく外国の血が入っているという噂は嘘ではない。本当にそうで、いくら焼いても色が黒くなってくれない体質なのだろう。でなければいくら念入りに日焼け止めを塗っていても、日焼けが宿命のような炎天下試合・屋外コート練習が当たり前のテニス部の部長なのにあの白さはまずあり得ないからだ。
「イヤやったらイヤや! 俺は絶対やらへんからな!」
 試合開場で見かけた時のような冷静な理性の人のイメージはどこへやら、なにがイヤかは知らないが、白石は断固としてイヤだ、と主張している。
「蔵リン。こういうのは部長がやるもんよぉ?」
「部活説明会ならそうやな…。けど勧誘会は別や! そんなん小春とユウジが笑いでもとればええ!」
「…勧誘会?」
 千歳が聞き覚えのない単語に首を傾げると、傍にいた忍足という部員が、あああのな、と言った。
「うちの学校だけやと思うんやけど、新入生の部活説明会の後に、勧誘会っちゅー半分ネタの会があんねん。なにやってもオッケーで、とにかく部員ほしさにネタもどきのことやる部ばっかや。で、今回、部長なんやからお前がやれや、って全員で白石に言うてんやけど…」
 忍足は一旦言葉を切った。白石を指さす。
「あの通りやたら嫌がってしもててな…」
「……」
「大阪の学校やから、芸くらいできんとあかんってオサムちゃんも言うてんけどなぁ」
 それはあまり本人の人格とは関係ないと思うが、千歳は敢えて言わなかった。
「…部長、さん? そげん嫌がらんとってもよかや? もっと気楽にすればよかやなか?」
 余計な口出しかと思ったが、部員につかみかからん剣幕というより、完全に毛を逆立てて殺気だってしまった猫のような白石に言わずにはいられず。
 宥められないだろうか、という気持ちの方が強かったが。
「………、千歳、くん? 九州の。いつ来てたん」
 白石はぱちぱちと瞬きをして言った。
「千歳でよか。今日から来るつもりやと」
「そうか」
「ああ、千歳? も言うたれや。部長なんやからやれって」
「イヤや」
「白石。あんま我が儘言うもんやないで…?」
「イヤや!」
「…そげん嫌がらんと…」
「普通の勧誘なら受けて立ってやっとるわ!」
「……普通、やなかと?」
 そういえばなにをやる予定なのだろう、と伺った千歳に、白石は今にも泣き出しそうな子供のように嫌がって。
「メイドの格好…女装して俺に壇上立て言うてんねんやこいつらは! やれるか!
 てか俺が女装なんて気持ち悪いだけや部員ひくわ!」

(……それは嫌がる方が当たり前ばってん)

 千歳は白石の拒否に思わず納得してしまった。
 それは、イヤだ。自分だって、指名されたら嫌がる。
「第一…勧誘会のネタはこの学校では文化祭の出し物に直結すんや…。
 今回だけって女装したら、…俺は文化祭でまたメイドの格好丸二日する羽目になる…!
 イヤや…絶対、イヤや!!」
「……それは、大変たい…」
「けど、白石以上に似合う奴いるかぁ?」
「おらんと思いますけど」
「財前!」
「事実ですわ部長」
「……そげん言わんと…部長さん可哀相たいよ…それ嫌がって当たり前ばってん…」
「……お前」
 賛同した千歳に、唯一の自分の味方だとばかりに白石は千歳の身体にしっかりとしがみついてきた。否むしろ抱きついている。
「…お前、ええ奴や……俺、さっきまで味方一人もおらんで…俺が間違っとる気にだんだんなってきてしもて…!」
「ああ…はいはい、部長さんが正しか反応たい。部長さん可哀相たいね……」
 本当に可哀相になってそのまま背中を撫でてやる。
「お前、白石を甘やかすなや…」
「そげんいうても、ここまで嫌がっとるん、無理強いはよくなかよ…。
 いくらなんでも男にメイドは可哀相たい」
「…やから、ネタやっちゅーねんあくまで」
「もっと気軽なネタでよかとね」
「……あかん。お前は俺らと価値観ちゃうわ」
 忍足に駄目だしをされた。いや、これが普通だ、と千歳は真剣に思った。





 その日以降だ。
 白石の定位置が、自分の傍らになったのは。
 白石は何かにつけ、唯一の味方である千歳の傍に来るようになった。
 練習の時は忍足たちもやたら言ってこない。だから練習の時は部長の職務に集中して、休憩や着替えなど、私語が割り込む時間になると白石は千歳の巨躯の後ろに逃げ込んでくる。
「千歳が困っとるやろ」という忍足はそういう自分が寄ってたかって白石を困らせているという自覚はないようだ。忍足や金色から逃げるように背中に隠れながら、白石はたまに千歳を上目遣いに見上げて「ごめんな…」と謝る。
 それが子供らしく可愛くて、千歳は「いや、かまん」と笑う。
 それが新学期に入っても続いて、忍足たちが結局折れた。
 というよりただでさえ目立つ転校生。その背後に年中矢張り目立つテニス部部長が隠れているのでは、もう名物だ。彼らは千歳が可哀相だから、と言い張って別の案にするからと、だからもう逃げんでええ、と白石を宥めた。
 白石はそれでも勧誘会の日まで千歳を壁にして、怯えるようにしていたが、勧誘会のその日、自分を呼ばず舞台にあがった金色と一氏を見て、やっと安心したらしい。
 千歳の隣に座って、すまん、と矢張り謝った。
 そうして見ると、普通の年頃の少年より成熟したような完成した男前。
 男らしいし、理性っぽく整った顔に子供らしさを見いだせるのは大人たちくらいだろうという顔。
 背後に隠れていたとき、上目遣いに見上げて謝った彼は、確かに可愛らしかったのに。
 そう思って、千歳は舞台を強調するため暗闇にされた体育館の並んだ椅子の一つに座ったまま、隣の白石を見下ろして言った。
 実験のつもりだった。あれは、逃げる小動物に覚える錯覚ではないか、否か、と。
「白石、そげん毎回謝られると肩重かよ」
「あ、すまん…。ってまた謝っとるな」
「いや、今のはかまん」
 重い、と言ったのはわざとだ。彼は部員に対し、責任感が強い。短いつきあいだが、わかる。
 そういうことで、彼が自分の言うことに多少素直に出ると思った。
「そげん悪か思われても困るけん、一個我が儘訊いてもろて、それでちゃらにせん?」
 我が儘、と言った。お願い、ではない。可愛いか否か知りたいだけだったので。
 中学三年生の男子に可愛い、はまずないのでお願いではない。
「…ええけど、なに?」
 女装は却下な。と念を押す白石に、するわけなか、と自分も念を押した。
「白石、ちょっと近く来なっせ」
「ん?」
「で、見上げてみてくれんと?」
「お前を見上げないで見るのは無理やろ…」
 おとなしく傍に来た白石がそう言いながら見上げてきた。
 矢張り感じるのは自分よりよほど完成した男前の男らしさで。
 錯覚だろうか、矢張り。
 前の列の生徒たちが傘持ってない、という話をしている。そういえば雨音がしていた。
 雨。自分も持っていない。そうぼんやり思った時、体育館の外で大きな轟音。
 雷鳴だ。かなり大きかった。耳がびりびりした。女子の悲鳴がぱらつく。
 ひゃ!という悲鳴が、傍でも聞こえた。
 次いで胸元に暖かい感触。
 見下ろすと白石だった。雷に驚いて千歳に咄嗟にしがみついてしまったらしい。
 すぐ彼も我に返って、すまん、と謝った。
 その見上げる瞳。その顔は矢張り可愛かった。子供らしく年相応で、可愛らしい怯えを隠した表情。
(ああ、…そげん意味やったとか)
 心の中で納得した。
 よかよ、と笑ってそのまま白石をぎゅっと抱き締めてやった。
 は?と目を白黒させる白石の髪を可愛かね〜と撫でていたら彼が抵抗する前にこちらに人目から身を低くして避けてきた忍足が「お前って自分よりちっこいヤツみんな可愛えんとちゃうんか?」と前から訊いていたように一言。
「そげんわけはなかよ?否定ばせんけど」
 自分で自分が趣味が博愛ではない自覚はある。小さい子は可愛いと思う。純粋に。
 一年生とかは、可愛い。
 でも、性格を見て好かなかったら普通に可愛くない、と言い切れる自分はそうではないと思う。
 兎に角、腕の中で微妙な顔をして見上げてくるこの部長は可愛い。
 それでいい。
 だからなにがあるわけではないが、でも可愛い。
 彼は部長だから付き従うように言葉を訊く時もあるだろうけれど、彼が可愛いという印象は決定事項だ。
 なら暇な時は精々可愛がってやろう。
 流石にあの赤い髪の一年と一緒くたに可愛い扱いをしたら角が生えると思うので、取り敢えずは心の中だけで可愛がろう。
「白石はほんなこつ可愛かね」と後日忍足に二人きりの時に零したら、もの凄い顔で否定された。






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 一応ちとくらではありません。軽ALL話。出てない人いるけど。
 この千歳は白石を可愛い強がりウサギ、として認識していて、可愛かねー。
 それだけです。
 なにがあるわけでもない。
 …ちとくらじゃないよ!