秘色恋告 もし、一日だけ、本心を言葉に出来なくなったら、どうしますか? 「どうしても? せやったら、翌日、弁解するしかないんやない?」 自分はそう答えた。 「身体で言うかねぇ…。あとは、逆のこと言おうとする。そしたら、言えっとやなか?」 千歳は、そう答えた。 目を覚ました。妙な夢を見ていた。 みんなで出かけている夢。街頭で、アンケートにつかまって、聞かれたのは妙な質問。 「もし、一日だけ、思っている本心と逆の言葉しか口に出来なくなったらどうしますか?」 夢の中で、自分は「翌日弁解」と答えた。自分の夢の中の千歳は「身体で言う」と言った。 あれは、自分の夢なのだから、千歳の回答は自分の妄想だろうが。 (アホっぽい…) そう考えて、白石は寝台から降りるとクローゼットの扉を開けた。 その日の学校は、本当にいろいろおかしかった。 「おはよ。謙也」 「おはよう!」 いつも通り遅刻ギリギリに登校した謙也が、斜め前の席に座ってから、白石の方を振り返る。 「宿題やってきたんやろうな」 どうせやってない、だろうと思いながら白石は聞いた。だが、謙也はあからさまに「やばい」という表情を浮かべて、 「うん、ばっちり」 と言った。顔と、台詞が一致していない。言った直後、白石が浮かべた驚いた顔を見て、謙也は己の口を塞いで、「え? あれ?」と慌てる。 「今のほんま! …あれ」 「今の、嘘」と言おうとしたのだろうか。謙也はしきりに首をひねる。 「謙也?」 「…え? あの、宿題、やってあるから」 しかし、その表情は焦っている。顔一杯に「やってへん」と書いてある。 「…なぁ、謙也、今朝、なんかいい夢見た?」 なんか変な夢見なかったか?と聞こうとした白石は、口から出た言葉に固まった。 「いい夢見たで?」 謙也も答えてから、また首をひねる。 おかしい。 ふと、周囲のクラスメイトを見遣ると、全員が会話の端々で首をひねっている。 白石はぱっと携帯を取り出して、メール作成画面で文字を打ち込む。 『今朝、本心と逆のことしか言えなくなったらどうしますか?て夢見た?』 文字は思った本心がそのまま打ち込めた。ほっとする。 それを謙也に見せる。謙也は答えかけて、すぐ無理だと思ったのか、思い切り頷くに留めた。 「……」 多分、他のクラスメイトもそういう夢を見たんだろう。 しかし、なんなんだろうこれは。 『千歳、俺の夢でもそう答えてたで?』 昼頃には、クラスメイト全員が携帯や筆談なら本心を話せると認識したらしく、全員が携帯やノートに向かっている。一言も声がない昼休みの教室は、不気味だ。 謙也が、夢の中の千歳の回答をそう答える。 自分の夢の中の謙也の回答はこうだったと、ノートに書くと、謙也はそうそう、と頷いた。 ということは、千歳のあれは本心なのか? 『気になるん?』 謙也の持つ携帯に記された言葉。 白石は微妙に笑って、頷いた。寂しそうに、複雑そうに。 千歳が好きになって、もう何ヶ月だろう。 部活を引退して、まだ一週間。 でも、千歳は引退後すぐに、彼女を作った。 謙也が、はた、と視線を引っ張られたような顔で教室の窓を見遣る。廊下側の窓には、廊下を歩く生徒や教員が見える。 そこを歩く千歳の長身と、隣に可愛らしい少女。 白石は、見たことを後悔した。視線をすぐ、逸らす。 本心なんか、言えたって言えなくなって意味はない。 だって、もう、千歳には届かない。 どんなに好きでも、もう届かない。 言わなかった。言えなかった俺が悪い。知っている。わかっている。 男同士だからと、言う前から諦めて。 臆病になって、我慢して。 ものわかりよく、千歳と彼女の会話を「大事にしたれな」なんて後押しする。 うんざりする。 うんざりするのは、最悪なのは、臆病な癖に、弱かった癖に、本心一つ言えない自分。 そのうえで、わかって欲しいなんて、願う、救いようのない自分。 『俺は誰より、質が悪いから。救われたがって、誰かを頼る。 でも、本当は助けを求めた傍から、助けを必要としていない。 自分しか自分を助けられないと思ってるから、誰かの助けを邪魔に思う。 転んだ時、いつも、自分の力だけで立ってる癖に、誰かの助けを欲しがるだけ欲しがる』 ノートにその言葉を、本心を書いてしまったのは、今が異質な日常だったからだ。 謙也は一瞬、辛そうに目を瞬いて、すぐ白石の柔らかい髪を撫でてくる。 自分は、馬鹿で、救いようのない、愚か者だと。 知っている。痛いほど。 授業が終わって、帰路を急ぐ。商店街の道は、混雑していた。もう、帰って眠れば、明日は普通。 だから、早く帰りたい。 白石は唐突に足を止めた。 進行方向の交差点。信号待ちしている二人の男女。 千歳と、可愛らしい彼女。 なんで、こんな日に限って会うんだろう。 白石は考える暇もなく、踵を返して元来た道を戻った。 今は、話したくもなかったから。 迂回する道はどこだったか。普段、他の道を使わないから、わからなかった。 少し迷って周囲を見渡した瞬間、腕を強く誰かに掴まれた。 全身が警戒に震える。だが、見上げた人物は、千歳だった。 大通りから離れた閑散した住宅街の道。千歳と、自分以外いない。 あの子もいない。 「なして、逃げっとや」 千歳の言葉が、胸に真っ直ぐに刺さった。痛かった。 でも、すぐ、笑いたくなった。だって、今日は、『本心』は言葉に出来ない。 千歳の言葉は、本心じゃない。 差詰め、『なんで逃げない?』というところか? 自分が腕を掴んでいるから逃げられないに決まっている。 「白石」 責めるような千歳の声がする。嘘だと思う。でも、痛い。 「ああ、逃げたわ。それが悪いん?」 逃げてない、と言おうとしたけど、やっぱり逆になった。 なんだか、ばからしくなった。ここでは、もう、本心なんか届かない。 明日になっても、千歳にだけは、本心なんか届かない。 一生。 だって、一番、救いようがないのは自分だから。 「お前と彼女の取り合わせなんか見たないわ。腹立つねん。 大体、彼女ほっぽっとくなや」 「…白石」 「追って来られたって困んねん。お前はあの子が好きで、俺なんか…」 胸が痛むのと、同じ力で穿つ。それくらい痛いほど、わかっている。 言葉にしているのが、ただただ自分の本心だと。 あの頃、決して言えなかった、本当の気持ち。 「お前なんか、…嫌いや! せやから、さっさと九州帰れ! 二度と顔見せるな! 手離せ!」 「…嫌ばい」 「離せや…! 気持ち悪いわ! お前なんか、嫌いや言うとるやろ!」 千歳が、目を痛そうに細めて、白石の頬に手を伸ばす。詰る癖に、手から逃げることは出来ない。 「お前なんか、会いたなかった。 …はよ消えろ」 逆の言葉ばかりが、口から出るから。 逆に突きつけられて、痛い。 『あの子を放っておいてほしい。 追って来てくれてうれしかった。 お前が好きや。九州になんか帰らないで。 …顔が見たい。離さないで。 …好き』 絶対、本当の言葉にならない、本心。 一生、言葉になんかならない。 自分が救いようがないと知っている。 誰より救われたがっている癖に、他人の手助けを本心は嫌っている。 手を差し伸べられたら、嫌がってしまう。 自分で立ち上がるしかないと信じている。 なのに、救われたがっている。 「……だって、救われたがっても、誰も俺を助けられる人なんかおらん。 自分で立つしかなかった。ほんまはわかっとる。 助けていうたら、助けてくれる人がようさんおることも。 …全部が全部、同情や悪意ばっかりやないことも」 白石の頬を伝う涙を、千歳は指で拭って、両手で顔を包んだ。 見上げる彼の顔は、何故か笑っている。優しく、慈しんで。 顔までは、縛れないのに。表情は、その人の本心なのに。 「たすけて言うたら、別れてくれんの…? 俺が、お前が好きや言うたら…痛い言うたら」 「……」 いつの間にか、本心は素直に世界に出ていた。言葉になっていた。 千歳は微笑んで、白石を抱きしめた。 何度も後ろ頭を撫でて、泣いている瞳にキスを落とす。 『身体で言うかねぇ…。あとは、逆のこと言おうとする。そしたら、言えっとやなか?』 千歳は、夢でそう言った。 これは、お前の本心? 千歳の手が、自分の唇をそっとなぞってくる。顔を近づけて、瞳を閉じるように促した。 これが夢でも、いいと思った。 目を閉じると、優しいキスが唇に落ちた。 翌日、あのおかしな現象はどこにもなかった。 謙也に聞くと、「なんの話?」という。そもそも、そんなおかしな日があったこと自体、記憶にないらしい。 「俺の傍におったあん子、そもそも人間やなかけん…」 千歳がその日の昼、屋上でコトのいきさつを話してくれた。 ある日、学校の裏山で出会った少女が人間でないことはすぐわかったが、気に入られてから、どうも本心が言葉に出来なくなった。 自分に好きだと言いたくても出来なくて、困ったという。 「あれって…」 昨日の、全員の本心が逆になっていたあれ。あれは、彼女の最期の善意だったのだろうか。 「白石が、俺を好き言うてくれたら、成仏してやる…らしか」 生きてる人間には、お化けは勝てんからね、と千歳は笑う。 「生きてる人間は、ダメなことは一個もなかて。生きてる限りは、チャンスはいつかあるから。やのに、諦めてるから、むかついた……やって」 「……怖いな」 でも、実際、合っていると思う。 諦めていた自分は、本当。 「千歳」 「ん?」 「……好き」 ちゃんと言葉に出来ることが、とても嬉しいと思う。 千歳は嬉しそうに笑って、白石の後ろ頭を抱いて引き寄せて、耳元で囁く。 「俺も、好いとうよ」 だから、もう救われたがっても、馬鹿みたいに諦めたりはしない。 キミに届きそうなこの指が、届かないなんて、諦めたりしない。 助けてくれる手があるなら。 ちゃんと、好きだと言うから。 2009/07/03 |