番外編:フミキリさま
第四話−【はじまり、はじまり】
「あ、切原っ」
ようやく自分の第三男子寮に帰ってきた赤也を、裕太がおかえりと迎えた。
「不二。お前第三じゃないだろ?」
日吉の言葉に、心配でさ、と裕太。
「…白石さんもそのくらい心配すべきだな」
「え?」
白石さん?
「いや、なんでも」
「切原? 大丈夫か?」
赤也は生返事にうん、としか頷けない。
怖いし、それにあんなにはっきり拒絶されてしまった。
まだ同じ学校に来て数週間だけど、優しい先輩だって思っていたのに。
「でも、綺麗に治ってよかったじゃん。痛み止めもらった?」
「へ?」
「へ、って頬。歯医者! 腫れてないしさ」
歯医者?
え?
行って、ないのに―――――――――――――?
「っ!」
「お、おい切原!?」
自分の部屋にダッシュした赤也を、裕太を押しとどめてから日吉が追った。
治ってる。
虫歯。酷かったのに。
フミキリさまだ。
フミキリさまの褒美だ―――――――――――――!
グルッグー グルッグー グルッグー
部屋で軽快に、不気味に響いた声に謙也ははて?と首を傾げた。
ぱか、と携帯を開いた千歳に、お前の着ボイスか!と驚く。
千歳はあの後謙也の部屋に来た。白石のいない部屋にいるのも、なにもかも苦痛だったのだろう。
そのショックは、赤也以上の筈だ。
「なんや、今のボイス」
「エイリアンのアニメのエイリアンの声」
「ダレの着ボイスやねん」
「桔平」
「うわ」
「ちなみに、白石は今、」
ギャアアアアアアアアアアアアアアア!
「っていう着ボイスに変えたばい…」
「…お前、ブラックにキレてんな……」
謙也だって、信じられないけれど。
信じられないから、結局信じたい。
携帯を凝視した千歳が、不意に立ち上がる。
「やっぱり、わからんままぐたぐた思い悩むんは性じゃなか。
もう一回白石んとこば行ってくる」
通称フリーデリーケ寮、第二男子寮の二階。
部屋から出てなにか話し合って、頷いた白石に財前と忍足が笑んだ。
「白石」
階段に向かった二人を追った白石を呼び止める声。
上の階に向かう階段の横。下の階に向かう階段の前に立つ長身。
「なんや、千歳」
まただ。
白石はあれから、俺を、切原を親の仇のように見る。
何故、そんな敵意に満ちた目で見られなければならない。
「白石」
「近づくな」
「…」
「…こっち来んな?」
吐き捨てるような声。冷たい視線。
一年から同室で、昔から優しくて、仲間思いで。
「…っ」
信じてた。
きっと、迷わず力になってくれるって。
一緒に悩んでくれるって。
怖くても、傍で訊いてくれるって。
信じてた。
「なんで…? なして…!?
なんでそがん目で見っと!?」
「…理由もわかれへんのか?」
「わからん。わかりたくなか。
…白石…俺、白石の仲間、…たいね?
そやろ…?
ちが……うなんて……」
言わないで。
相変わらず冷たい視線。
口を開きかけた白石に、咄嗟に訊きたくないと願った。
反射で手を伸ばしてその身体を囲い込んだ瞬間、白石が全力で両手を胸に突っぱねた。
「…ぁ…っ!」
「千歳!?」
背後は階段だ。
バランスを崩した千歳が背中から落下するのを、今更に気付いた白石が青ざめて手を必死に伸ばした。
忍足の声が遠く響く。
信じてた。
がたんっ!と高い音が鳴った。
途中まで滑り落ちた千歳の巨躯は、階段の途中で止まっている。
その身体を支えるのは、片手で千歳の身体を抱く白石の手。
「…しら」
片方の手は手すりを必死に掴み、千歳の落下を防いでいた。
「…いし」
なんとか体勢を取って階段に座る形になった千歳を、上から忍足が心配して駆け下りる。
「……った」
掠れた声で、白石が言った。その千歳を映す瞳は、限りない優しさしかない。
「……しらいし」
ああ、いつもの白石だ。
いつもの、俺を見る目だ。
「……ごめん、千歳」
階段の上に戻った千歳に、白石が謝る。
「いや……なんでか訊いてよか?」
「……、」
「蔵。言った方がええ」
忍足の言葉に、白石がやっとおずおずと口を開いた。
「侑士と、財前と、フミキリさまの…契約解除方法探すん…お前や切原くんに知られたらアカンから…」
「…おれと、切原んため?」
白石が無言でこくんと頷く。
「なんでん言ってくれんとや…」
「契約した人間が打破する動きは見えるから、フミキリさまに早く招かれたりする恐れがあるからあんたと切原はじっとしとかんとアカンって、白石先輩が」
「せやけど、お前は効かんやろ? 切原も。やったら冷たいふりして遠ざけるしかないてな」
財前と忍足が白石の代わりに説明する。
「………俺達んため……」
「目は…」
「え?」
「目が、お前ら見る目がああなったんは……お前らを睨んだんやない。
…お前らにフミキリさまがずっと重なっとるから、つい……」
つまり、親の仇を見る目は、自分たちではなくフミキリさまに向けていたのか。
「……ごめん、勘違った」
「俺も、ごめん。
せやけど、じっとしとって。
少しの間」
真剣に自分を見上げる白石の瞳は、いつもそこにある色。優しい、色。
だから信じようと思った。
「…うん」
「ここか」
翌日、フミキリさまの踏み切りに来た忍足と白石、財前は「流石に封鎖されてますね」という後輩の言葉通りの踏み切りを見遣った。
「まあ、しゃあない。蔵、大丈夫か?」
強い霊気はあてられると忍足はよく知っている。白石が若干青ざめた顔で、頷いた。
「これ以上近づかんなら、…やけど、ここおっても意味ないな」
財前がそういや噂から調べんでええんですか?と訊いた。
「ああ、そやな。学校の」
「いや、学校の連中は表層しかしらん。
詳しく知ってる筈なんは、ここらの道の店の人間」
白石が振り返った、踏み切りに続く商店街の店は、なるほど昔から決まった店員が店番をする類の店ばかり。
「なるほど。昔の踏み切り事故を調べるんやな?」
「大元の、『フミキリさま』、ですね」
「そういうことや。さ、気張ってくで」
散って、それぞれの店で聞き込みを続ける。
「ここも、外れ…」
メモに×をつけていた忍足の元に、財前が駆けてきた。
「財前?」
「白石先輩はっ?」
息が荒い。まさか幼馴染みになにか?と焦った忍足の背後からその白石の声。
「ゆうし?」
ぐるんと振り返った兄貴分にびっくりした白石を見て、安堵する。
「な、なんや財前。驚かせるな」
「勝手いわんといてください早とちり」
「…なんかわかった?」
「はい。
フミキリさまと思しき人物は、三十年前の北麗の生徒。
その人の両足切断の事故のあと、人身事故が多発しはじめたんで、多分」
「せやったらそいつは…」
死んだんか、と言葉を濁した忍足を財前が遮る。
「いえ、生きてはるんです」
「…え?」
その病室は、奥まった隅にあった。
家族も滅多に来ず、本人は起きているが話しかけても答えない。
ダメもとで看護婦に許可を請うと、学校の後輩ということで許可が数分おりた。
こん、と一応ノックをする。
きぃ、と開いた扉の向こう。
ばたんと閉じた扉。白石が青ざめて後ずさる。
忍足と財前も同じ胸中だ。
部屋を埋め尽くす、これはなんだ?
夥しい数の足、手、指、目。
「…まぼろし、すわ」
「まぼろしなら全員見えるか…」
忍足のツッコミも迫力がない。
「多分、自分のためや…」
「自分のため?」
白石は青ざめきった顔で頷いた。
「自分ののうなった足。それが欲しくて、与えられもせんものを集めて、集めて…。
死んだ奴らの怨念で部屋一杯になってんのに、それを手放せん…」
「…狂っとんか」
寝台に横たわる男は、なにか言っているが聞こえない。
幻でも見ているのか。はたまた同じ怨念か。
「普通、こんなん喰らいますよね?」
唐突に後輩が言った。
「へ?」
「白石先輩が影響受けはるように、普通、影響受けて…苦しくなったり」
「…そや、な…そのはずやのに」
何故平気なんだ?
普通なら、何年も生きていられないような空気なのに。
忍足の瞳が、はた、と壁際に向かった。
何重にも積み重なった、いくつもの千羽鶴。
それが、黒く染まっている。
「…蔵ノ介」
「え」
「穏便な解決なんかないんやろ?」
「…そら、こうなったら…」
「なら、最悪な方法とるわ。少なくとも」
忍足が壁に近寄って、千羽鶴を両手で掴んだ。
「千歳と切原は助かる」
理解した白石が、俯いて目を覆った。
「まあ、…こいつは無理やろうな!」
忍足の手が全ての千羽鶴を引き裂いた。
瞬間、全ての手足のビジョンが消える。
同時に響いた断末魔は、その男のもの。
その男―――――――――――――『フミキリさま』が亡くなったと訊いたのは、たった一日後のことだった。
カンカンカン…と鳴る踏み切りの音。
千歳はぼんやりと見遣って、手を右目にかざした。
あの日、一瞬だけ見えるようになった右目。
けれど、すぐ見えなくなった。それに安堵した。
ふ、と微笑む。
「…よか」
見えないのは、親愛の証だ。
歩き出した千歳の耳に、不意に声が聞こえた。
『フミキリさま、腕を治してください』
ばっと振り返ると、静かに遮断機で閉ざされた踏み切りが見えるだけ。
「………………」
小さく、笑った。
「あ、千歳さん! なんか面白いことないですか!」
元気に駆け寄ってきた赤也の頭を撫でて、そうやねえ、と首を傾げる。
「あ、今、流行っとう『コックリさん』はどうばい?」
その物語は、『あなたの隣の神隠し』に続く…。
END