双人ヴァンパイア



第六話【消えない鼓動】

 



 俺の、彼への感情は最初から一つだ。


『打とうか? 千歳』


 たった一つ、救いをくれた人だった。





 千歳に、彼のアパートに連れてこられても、白石は黙り込んだままだ。
 途中、雨に降られて濡れてしまった。
「着替え…」
 千歳がなんとか白石のサイズに合いそうなものを見繕って来たが、白石は部屋の隅にしゃがんだまま、微動だにしない。
「…風邪、ひく」
「………」
「白石」
 呼んで、起こすように手を握っても、反応はないまま、虚ろに視線が彷徨う。
 身体を少し起こして、濡れた服を脱がせた。抵抗はない。
 そのままシャツだけ着せて、腕の中に抱きしめた。
「……ごめん」
 苛めたいんじゃない。そう信じたい。
 あんな、酷い言葉を言うつもりは、本当になかったんだ。信じてくれ。
「…弱く、なかよ」
「…………」
「白石、…返事、声にしてくれ」
「………」
 少し、身を離して見下ろした顔は、矢張り虚ろで、宙を見る。
「………ごめん」
 千歳は一言謝り、白石の手を掴んで床に引き倒す。
 上にのしかかって、耳元で囁いた。
「女になりたかの?」
「…………」
 逃げないなら、する、と精一杯脅した筈だった。それでも、白石は身体を一ミリも動かさず、逃げなかった。
 手を放し、首筋に顔を埋めた。身体を掻き抱いて、首筋を何度も舐める。
 身体が湿っていて、誘われるように抱いた。ただ、気持ちは一つしかなかった。






『ゲームセット。ウォンバイ立海。7−5』


 あの日、響いた審判の無情な、残酷な声。

 耳にこびりつき、頭に張り付いて、あの日からずっと離れない。

 立海の勝利を告げた声。四天宝寺の、負けを告げた、声。



 あの日のことを、生涯忘れない。






 頬を、涙が初めて流れる。
 濡れた自分の下肢。顔を埋めていた千歳が、気付いて顔を上げ、少しだけ安堵を見せた。
「……」
 そのまま、裸の身体を、胸に抱き寄せられる。
「……泣いてよか。泣け」

 泣けなかった。

 彼らの引退試合なのに、まだ引退するわけじゃない自分が、泣ける筈はなかった。
 ごめんなと、お前に回せなかったと、謝る彼らの前で、泣ける筈がない。
 泣けなかった。
 余韻にすら、泣けることはなく。

 あの日から、不発弾のまま胸に刺さっていた。


「…っ…」
 髪を撫でる千歳の手は大きく、暖かかった。
「っ…ぁ……―――――――――――――」
 抱きしめる腕が、髪を撫でる手が、優しくて。
 千歳じゃないみたいに優しくて。
 ただ、泣いてしまった。

 泣きたかったのか。

 あの日から、本当は、悔しくて悔しくて。

 負けてしまったことが、悔しかった。

 負けたくなかったんだ。


 勝ちたかった。みんなで、先輩たちで、自分だけじゃ意味がなくて。





 だから、あの言葉は意味があったんだ。






 目が覚めると、布団には誰もいなかった。
 ただ、一組しかない布団の隣に、まだ暖かい感触が残っている。
 ゆっくり起きあがって、白石は部屋を出た。
 狭いキッチンで料理をする千歳の背中が、白石に気付いて振り向く。
「起きたと? おはよう」
 普通の朝の挨拶。千歳は、明るく笑う。
 彼は、優しい表情を作る。目が見えないからと、気をつけているのか。
「おはよう……」
 まだ少し眠く、窓から差し込む日差しが眩しくて、そう答えた。
「……うん」
 千歳はなんだか、間抜けにそう答えて、部屋の方を指さす。
 顔を染めて、横を向きながら。
「着替え、洗ってあるけん…着替えて」
「…え」
 自分の格好は、そういえばシャツ一枚。しかも足はかなり出ている。
 白石も頬を染めて慌てて部屋に引っ込んだが、すぐ顔だけキッチンの方に出した。
 真っ赤になって、恥ずかしがったような、照れたような千歳。
「…お前、俺が好きなん?」
 昨日の行為といい、しかし、そんな筈はないんだろうか。
 そこまで思って、白石は再度千歳を見た。言葉さえ失って、耳まで真っ赤になっている顔だ。
「……ごめん」
 今度は白石の方が謝ってしまう。
 まさか、図星だなんて。
「…フっとう?」
 ごめん。がそういう意味にとれたのか、怖々聞いた千歳に答える術はまだない。
「…わからん」
「……せめて、なら、付き合うくらい」
「…ってなんやねん。わからんならええんか」
「……お友達?」
 千歳は、昨日のことが嘘のように弱気になりながら伺ってくる。だからおかしくなって笑った。

「まあ、それくらいなら、ええかな」



 そう答えたら、微かに、嬉しそうに笑った。








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