ブロック体会を控えた、夏休みの登校日。
 甲斐たちはテニスが関わらなければのんきなもので、夏休みに入る前に転入生が三人も来ていた、ということをそこで、何故か下級生の新垣に教えられた。
「転入生…」
 知念が、ぼやーとした印象を変えずに呟くと新垣は呆れたように“知らなかったんですか?”と言った。といわれても、自分たちはいかに早乙女のスパルタに耐えるか、うまくつきあうか、どうやって迫った大会を勝ち進むか、あとは仲間のこと以外に関心がさしてない。
 木手は別としても。
「なんか、真面目っぽいけど感じが悪いって、みんな言ってましたよ」
「みんな?」
「うちの部の二年」
 そこで顔を見合わせてみる。比嘉中テニス部はどいつもこいつも、木手が集めただけあって、なんというか図太い。あの早乙女のスパルタを前にしても、数人しか辞めなかった二年や一年がそろっている。その二年がそんなことを新垣に(すなわち自分たち三年に伝わるように)言うということは、相当イヤなやつなのだろうか。新垣は敢えて、感じが悪い、と曖昧な言い方をした。しかし、実際はそういうことだろう。
「なんか言われた?」
「………」
 言われたらしいが、言いたくないのだろう。新垣は沈黙した。
 そしてたいてい、この後輩が言いたくないことというのは、部への侮辱が先輩への侮辱の二択だ。
「わかった、注意しとくから、もう教室戻れ」
 甲斐が背中をたたいて励ますように柔らかく言った。甲斐は基本、副部長としては事務以外はかなり役に立つ善い人間だ。フォローもお手の物である。
 新垣はうなずいて、一度振り返っただけで教室のある一階に下りていった。
「転入生なぁ。」
「多分、他の中学のやつだからさ、気に入らないだけじゃねえ? うちが強いって言われてんのが」
「多分」
 おや、と思った。知念の多分、の響きはいつもと違った。
 そうならいい、と自分を納得させるような、多分、だった。
「知念くん、なんか知ってんの?」
「まさか。今知念だって転入生のこと知った口振りだったじゃねえか」
 甲斐が聞くと、知念が返すより早く平古場が否定する。いいコンビである。もういっそお前らもダブルス組んでみろよ、と田仁志が呟いた。
「いや、気のせい。多分」
 今度の多分、はいつもの、煙に巻くようでいて実際なにも考えてない多分、だった。
 その調子に、甲斐がどっちかにしろよ、と言いながらもそれ以上追求する気をなくしたようだ。
「あ、男テニ。なにたむろってんの? 君たちがたむろってるとほんと堅気に見えないよね」
 さらっと通り過ぎざまに爆弾投下。いつものことなので、平古場は見もせずにその相手の首根っこをひっつかんで止めた。
 通り過ぎながら爆弾投下した男子生徒が、あ、シャツのびた、と暢気に言って振り返った。
「なんだよ。特に甲斐とか平古場とか知念とか田仁志とか堅気に見えないんだよ体格とか顔とか髪とか」
「要するにこの場にいる全員だろそれ」
「うん」
「しれっと言うな」
「木手は?」
「あれは年齢詐称気味だけど一応堅気に見えるよ?」
 と真顔でこの男は言うので嫌だ。木手の小学校時代からの友人らしいが、甲斐たちが相手だと彼はいつもこの調子である。
「ったく……あ、なあ、」
「なに?」
「お前、夏休み前に来たっていう転入生、知ってる?」
「あ、今しったんだ」
「お前今、は、って馬鹿にした笑い出したろ?」
「うん」
「否定しろ」
「甲斐、甲斐」
 知念が静かに止める。この生徒と会話すると、いつも平古場か甲斐は自分のペースを持って行かれて話しが断列するか脱線する。
「知ってるけど。てか同じ学校の奴らだった」
「へえ、てことは木手と同小の奴らか」
「んー…………。その小学校、人口一学年100人だったんだけどね」
「は?」
 なんか話関係なくなってないか、と甲斐が制止を入れようとしたが、その少年は続けて。
「素行自体は問題ないっぽいのに、その100分の20分の3が来るって。しかもこの時期」
「………どういう意味?」
 100分の20分の3ってなんだ。しかも時期なんて卒業間近でもない限り、関係ないだろう。
「あのさ、さっき新垣がその転入生の苦情漏らしてたでしょ」
「ああ、うん、よく知ってんな」
「その転入生三人組、新垣たちに言ってたんだよ。“ここの部は監督も主将もろくでなしだ”って」
「…………」
 一斉に甲斐たちは無言になった。彼らは部活のことで(特に木手に関して)馬鹿にしたことをたたかれると、無口になる。武術家の自覚があるので、手は出せない。まして相手が一般人だと、どこで聞いているかわからない。そこで口だけならと出してしまって、ちょうどその相手に聞かれて乱闘寸前を木手が止めたことがあって以来、示しあわせたように怒りを隠してか無言になるのだ。
「そいつらもね、木手が主将じゃなかったら、多分そんなことは言ってない」
「……なんで?」
「もしかして、小学校ん時、木手と仲悪かった奴ら?」
「てゆーか、……………知って…ないか、木手が言うわけないし」
「なにが」
「木手さ、小二から小四までの三年間小学校行ってないんだよ。いじめが原因で」
 今度は、怒りより驚きと、意外、が先に来た。木手がいじめ、…似合わない。
 なにもかも出来ない生徒が標的になるならわかるが、木手は割合なんでも出来る方だ。
 それに体格にも恵まれてないとは言えない。その木手が。いじめる側(いや絶対しないだろうという確信があるが)ならまだしも、いじめられる側。登校拒否ということは、そういうことだ。
「……なんで?」
 さっきから、この言葉を言っている気がする。しかし他に浮かばない。
「教師が発端のいじめなんだけど、すげーくだらないよ?」
「すげーくだらないのか?」
「うん。あ、いじめの質自体は深刻だった。お葬式ごっことか、木手の方は逆にその花瓶職員室持ってってその教師の机においてやってたけど」
「……うん、そういうとこ永四郎だよな」
「ただ木手がいじめの標的になったきっかけがすげーくだらない。
 あのさ、木手って語り癖あるじゃん。普通に知ってる知識を話したがる癖。
 あれって普通に相づち打ってりゃ済むじゃん。木手もまともな回答なんか求めてないでしゃべってるし」
「ああ」
「それをさ、当時のクラスメイトが気味悪がったんだって。
 で、担任の教師が家庭訪問の時に親に言ったんだと。直してみては? って。
 そしたら、木手ってあの、空手本家の跡取りじゃん。親族も居合わせたらしくて、それで親族に“うちの跡取りに”って感じで教師が猛攻撃されたんだと。
 で、それにキレた教師がいじめはじめたんさ。親族にはたちうちできないからってガキの方の木手に」
「………すーげーくだらねーなー。ほんとに」
「でしょ。で、生徒も最初は染まってなかったんだけど、木手ってたまに人一人分の隙間あけて座るじゃん。体育の時とか。で、隙間開いて俺がいて、俺に言ってたんだけどさ。その語り癖を。たまたま木手の癖知らなかったやつが木手の真横にいて。そいつが自分が馬鹿にされてると思ったらしくて」
「……そこから生徒の間にも飛び火したってか?」
「うん。くだらないでしょ」
「……くだらなすぎてなんとも言えない…怒りたいけど」
 実際、甲斐も内心怒っている。どんなにくだらないことがきっかけだろうが、木手がそれが原因で三年間学校に通えなかったのだ。あの木手が。
 三年間。小学校生活の二分の一。それは、とても重い。どちらかといえば、生徒よりその教師が憎かった。
「まあ、それだけなら木手もやり返して、登校拒否になんなかったんだろうけど」
「まだあるのかよ!」
「いや、いじめ自体はそれだけなんだけど。さっき言った例で、木手の親族がアレじゃん。
 親族の耳に入ってさ、こんな学校に通わせてられないだの警察に訴えるだのって騒いでさ、結局転校はなかったんだけど、そんな騒ぎを起こす親族のいる生徒だって他の教師の知るところになっちゃって。教師たちがあからさまに木手に対して腫れ物っていうか、今にも壊れる寸前の水たまりの氷さけるように接してるもんだから、生徒もまるでヤクザの子供から逃げるような姿勢になっちゃって、落ち着くまでとても通えたものじゃないし、通っても勉強教わるどころじゃないって判断した木手が自主的に休んだ期間が教師どもが落ち着くまでの三年間。だから、登校拒否したっていうか、登校拒否させられた、っていうのかあれは」
 で、さっき言った100分の20分の3は全校生徒引くそのクラスの人口引く、今回の転入生。って意味。と男は最後にまとめた。
「……永四郎、その間、勉強は?」
「家でやってたよ。人一倍真面目じゃん。ここぞとばかりに火種んなった親族利用して教わったって聞いたよ。ほんと木手らしいっていうか」
 それは事実なのだろう。彼は自分たちの中で一番頭がよい。知念など十番以内に入っているが、木手はその上を行く。だから、余程遅れがないよう頑張ったのだろう。
 木手のことを知っているつもりだった。癖とか嗜好とか、仕草とか、口調とか。
 強さ、とか。
 強さに変わりはなかったけれど、彼がその三年間、全くつらくなかったはずはない。
 そのことを知らなかった。知らずに自分たちは彼を頼った。
 それが、付箋をつけたように、記憶に走った。
 木手とその日、再び会ったのはHR終了後だった。
 彼は知っているのだろうか。いや、知っているのだろう。その上でなにも思っていない。
 そういう人間だ。残酷なわけではない。ただ、木手は人間として見るに値しないと思った相手を、記憶や視界から抹消することに躊躇いがない。
 多分、転入生が同じ小学校のやつだ。と知って、ああ、そう。と言うくらいだろう。
 いじめたやつの顔を覚えているかも怪しいものだ。
「さっきあの人と長く話してませんでした?」
 あの人、木手のあの学友のことだ。木手は彼をそう呼ぶ。
「珍しい。キミたち彼を嫌ってませんでした?」
「嫌ってない。ただ、最後には自分がなに言ってるかわかんなくなるから話したくないだけで」
「それは十分嫌ってますよ」
 真顔で言った木手は、一瞬、その男から聞いたことを思い出して、不安を顔に閃かせた甲斐に気付いたのだろう。
 軽く、その額を小突いた。
「らしくないね。キミは明るく笑ってないと、後輩が怯えるでしょ。後輩たちは俺にビビってるんですから、キミまで怯えられては困るんですよ」
 少し小馬鹿にして笑った木手がいつも通りだったので、甲斐もつられて笑った。
 つられて、“木手はそんなビビられてねえよ”と漏れた。
「そうでした?」
「そうだっつの。ただ、あいつらが話しかけようとした時に限って、お前晴美の側にいんじゃん。あれお前にビビってんじゃなくて晴美にビビってんの。あの生臭坊主に」
 言ってから、甲斐は反射で周囲を見渡した。早乙女が万一いやしないかと思ったのだ。
 その行動があまりに挙動不審だったので、木手が軽く吹き出した。
「あ、笑うことねえじゃん…」
「いえいえ、すいません。でも」
 甲斐クンのそれはもう条件反射でしょ、と言いかけた木手の言葉は遮られた。
 へらへら笑ってんじゃねーよクズ。という男の複数の声が、その場に響いたからだ。
 向こうに、三人で固まって笑う男子生徒が見えた。彼らがくだんの転入生だろう。
 さきほどの言葉の主も。
 木手より甲斐が先に言葉を発しかけた。それよりあの人、と木手が呼ぶ生徒の方が早かった。
「木手、知り合い?」
 いつの間にいたのだろう。日誌片手に、彼はそう聞いた。
「知り合いねえ……失礼な。俺は知り合いを選んでますよ。俺に非力極まりない馬鹿な知り合いはいらないです」
 言外に、馬鹿さ加減の極まりない彼らは知り合いの範疇にも入らない、興味がない、と切り捨てた木手に、三人は顔色をなくした。
 青ざめて、その場を後にする。
 やっぱり、木手は怖くて、すごい。そう甲斐は思った。
 木手は、ああいう手合いがどういう言葉を一番怖がるか知っている。
 いじめは、関心を引く手段でもあるし、自分が優位に立っていると優越感を抱くためのものでもある。
 そのいじめていた相手に、下等生物扱いされた上、いらない、興味がない、むしろ誰ですかあれ、と記憶に付箋を貼る必要もないその他大勢扱いされることは、いじめた人間にとって、屈辱であり敗北だ。
 木手は、すごい。多分、辛かった。苦しかった。でも木手は恨みごとを吐くことに身を任せることも、甲斐たちに怒らせる暇も与えず、その方法に頼らずあっさり相手を無力化した。
 彼が、沖縄のテニスを全国に見せてやろう、と言った強さの根元を見た気がして、甲斐は自然笑っていた。
「なに? 甲斐クン」
「いや、なんも。なあ凛ー。いつもの駄菓子屋寄って帰らねえ?」
「ああ、俺あれ食べたい」
「前はまってたいちごのガム?」
「今はマンゴー」
「そうか」
 会話は元通りの軌道を描いて、帰り寄り道することを決めて終わった。
 木手が興味を持たない相手に、怒りの感情を裂くほど、甲斐たちもお人好しではない。
 木手に興味がないなら、そう判断して自分たちも忘れるべきだ。
 帰り道、木手がその友人から自分の登校拒否(?)のことを聞いたと知って、あれはなかなか有意義な時間でしたよ。と言った。そこには脚色も負け惜しみもなかった。本当にそう思っている顔だ。
 なんでと聞いたら、その時間、キミたちを探す時間が出来たわけだから、有意義でしょ。と言った。
 木手は怒りを引きずらない。なんにでも上昇意識を持っていて、結構ポジティブだ。
 だから、木手がそういうなら、気にしていないのかもしれない。案外、辛くなかったのかもしれない。それは言い過ぎかもしれないが。
 それより、学校の義務教育より自分たちとの未来のための時間を有意義だ、と選び取った勝者の言葉に、逆に励まされて、誉められたようで嬉しかった。



























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