生け贄の羊のようには
学校の休日。
冬という季節が導き出した遊びを最初に誘ったのは、確か忍足侑士だった。
「ひろー…、侑士ー、荷物のコインロッカーシェアせん?」
「おー」
「あ! 白石! 俺もすっと!」
「お前の荷物多いから嫌や」
白石に一刀両断されて、千歳ががっかりしたようにすねた。
痴話喧嘩すんなー、と言いながら忍足がコインロッカーに小銭をいれる。
「跡部はよく来るのか?」
「なんだ手塚、そのキャバ嬢みてえな質問は…」
手塚としてはただ自分はあまり来ないから来るのかと聞いただけだったので、そんなことを言われて、は?と頭の上にクエスチョンを浮かべた。
「はいはい、跡部は手塚をいじめない」
不二が制止して、とりあえず靴履こうねと促した。
来たメンバーは千歳、白石、手塚、不二、跡部、忍足だ。
そもそも最初に忍足が白石、跡部、手塚、不二を誘ったところ、白石が行くならと独占欲の強い白石の彼氏たる千歳がかぎつけて、というのが実際。
(そういや、千歳って滑れるんやろか…)
千歳とスケートに来たことはない白石だ。そうは思った。
「なあ、不二くん」
「ん?」
「千歳って、滑れるんやろか…」
「…滑れるんじゃない? 下駄であんなに早く走れるんだし」
「そうやんな…」
「てゆうか、キミが知らないのが意外…」
「いや、来たことなかった。手塚くんは?」
「滑れるよ? ボクもそこそこね」
「ふうん。跡部くんと侑士は聞くまでもあらへんしなぁ…」
誰かが転ぶ光景は見なくてええわけか、と言うと当たり前だ、と言われた。
「まあ、幸村が真田を連れて来てたら、あったかもしれないけどねえ」
幸村も来たがっていたが、やっぱり行けないと昨日言って現在に至る。
「真田くんは滑れるか滑れんかアリナシやんな」
「だよね。すぐ滑れるようにはなるんだろうけどさ。白石は?」
「俺が滑れへんと思うん?」
「ぜんっぜん」
「やろ」
「ほら、そこの逆ナンコンビ。早くリンク行くぞ」
「はー……跡部、なにそれ」
呼びに来た跡部に頷きかけて不二が些か聞き捨てならないと言う。
「見たまんまだろーが。てめーら並んでるだけで目立つんだよ」
「……跡部に言われたくないよ」
「同感や」
肩をすくめた二人が、仕方ないとリンクに向かった。
リンクに降りると、馴れているのは当然。手早く靴を履いた跡部達が軽く滑るのを追って、白石もかつんと足を降ろした。
軽く滑って、鈍ってないと頷く。
その背中に、
「ま、待つたい白石!」
「…千歳? おまえ…履くん遅い」
履く時点でもたつく千歳を笑うと、千歳は拗ねる暇なく必死に履こうともがいた。
「しゃあないなぁ…」
白石が仕方ないと滑って近寄り、千歳の大きな足に靴を履かせてやる。
「ほら、ちょっと足あげ」
「あ、すまんね」
「ええよ」
「…白石、」
「ん?」
「…なんか新婚さんみたいでよかね?」
「あほ言っとらんではよ立て」
「いたか…」
つい調子に乗った千歳の発言に頭を叩いた白石にも懲りずに笑う千歳に、遠目に忍足が“あれ大丈夫か”とぼやいた。
「あーん? 大丈夫だろ。白石がいりゃあ」
「そやな」
「しっかし、てめえもご苦労だな忍足」
「は?」
なにが?と聞き返した忍足の耳元で跡部が近寄って意地悪く言う。
「てめえ、白石を誘いたくて来たんだろ?」
「……なんで?」
忍足のなんで?は、“なんでそんな風に思うん?”という自覚ないものではなく“なんでわかったんや”というもので。
「わかるわかる。で、白石一人誘うと絶対千歳がうるせえから、カモフラージュに手塚に俺に不二も誘った。このメンバーなら話聞いててめえら二人きりにしてやれるからな。
けど白石に関しちゃ勘のいい千歳が結局ついてきてあげく見せつけられてりゃ世話ねえって話だ」
「…嫌味ならよして欲しいわ」
「誰が。てめえは普段眼力でも使わねえとわからねえ癖に、白石が絡むとてんでわかりやすいって有り難い忠告だ。
だから千歳に気付かれてんだよ」
「…そんなに?」
「思い切り」
断言されて、自覚がないと忍足は呟いた。
滑り出した跡部を追わず、傍の手塚に顔を寄せる。
「なあ手塚」
「ん?」
「お前、俺が蔵ノ介好きやって気付いとる?」
「ああ」
「…なんでやねん」
「何故と言われても、見ればわかるだけだが…」
「…そんなにか」
朴念仁の手塚にすらわかるレベルか、それは千歳に筒抜けな筈だ、と肩を落とす。
忍足は白石の幼馴染みとはいえ、中学が離れている間に九州からの異邦人にあっさり白石を奪われて告白すらまだという状態。白石は恐らく自分が己を好きだなどと気付いてもいない。千歳が白石に手をつけたと聞いた時は、東京の地から従兄弟の謙也を叱りとばして当然キレた謙也と延々三時間電話で喧嘩した始末。
その後白石に意を決して“千歳はやめろ”と言おうと電話をかけ、しかし久しぶりの白石の声に“綺麗やなー”と聞き惚れて用件を忘れる始末。すぐ謙也にかけ直すと、謙也に“お前、阿呆ちゃうんか、どんだけ白石が好きやねん”と馬鹿にされて反論出来ない。
とにかく白石が好きなのだ。
小学校時代から、元々綺麗な外見の彼を甘やかして守るのが特権だった。
幼い頃弱かった彼も、中学の大会で再会した時には、すっかり成長した男前と言っていい美貌に成長し、テニスの実力などあっさり上回られてしまった。
それで守る必要がなくなったかと言えば、危うい時期特有の色気さえアンバランスな程美しい幼馴染みに余計それが増す始末。
しかしそれも全てあの千歳の役目というから、嘆くしかない。
しかも、折角白石が東京に出てきた高校は寮制で、白石の同室は千歳と来ている。
(とは言っても、諦められんのやからしゃあないやんか…)
不二には知られている始末だ。
というのも、夏の部活の時、よく試合以外では上は長袖に下はハーフパンツの白石をベンチから眺めていたら、
「忍足、忍足」
「ん? ああ、不二、なんや」
「いや、キミってさ、視線がいやらしいわけだ」
「は?」
「…そんな舐め回すような視線で白石を見るの、どうかと思うよ」
「………」
呆れたように言われて、絶句の後、
「…そんな目しとった?」
「思い切り。ほら」
指さされて、顔を上げる。ついついハーフパンツからすらりと伸びた綺麗な足しか見ていなかったが、顔を上に上げると、白石が些か戸惑ったように赤い顔で自分を見遣っている。
「白石がさ、“なんやすごい見られてへん?”って戸惑ってるからボクが来たんじゃないか」
「……すまん」
「いいけど」
隣に座った不二が、もういいよーと白石に手を振る。白石はやっと安心したのか、謙也に向かって話しかけに行ってしまった。
「でも、キミ、美脚って嗜好だったよね? ストライク?」
「うん、それもある」
「他にあるんだ」
「…ちゅーか、蔵ノ介がなぁ…エロいんやもん」
「は」
「…足があんなに露出しとったらエロいしそれをわざわざハーフパンツでおるし」
「…いや、みんなあの格好だよ? 夏にジャージ上下長いの着ろって?」
「いやあんな、蔵ノ介は足綺麗ちゅーか、首もやけどもうなんか全部綺麗っちゅーか、足白いし…見てて飽きひんちゅーか、むしろ勃つ」
「……はっきり言うな」
「…あれが他の男のもんかと思うと嫌やわ」
「……キミはもう一回告って砕けた方がいいんじゃない?」
―――――――――――――以上、回想終了。
「……」
(わかりやすいかもしれへん…)
そう思った時だ。
「…っ…わっ…ぶ!」
「うわ千歳!」
リンクの入り口であがった潰れたカエルのような悲鳴と、続いてその白石のびっくりした声。
見ると一歩踏み出した瞬間ずっこけた千歳が顔面をリンクに打ち付けていた。
「……大丈夫か?」
「うん、大丈夫たい…えっと」
起きあがった千歳が白石に気にするなと笑って、もう一歩進んだ途端またずっこけた。
いや、滑ってコケた。
「……お前、…滑れ…へんの?」
白石がまさか、と聞いた。
「あー、多分。滑ったこともなか」
「ほんまかいな…」
「ばってん、すぐ滑れるんじゃなかね?」
「まあ、そうじゃねえの? 千歳だしな」
「跡部もああ言うとるし」
「そやな。千歳やしな」
白石もすぐ“千歳だし、滑ったことがなくてコケただけならすぐ滑れるだろう”という結論に達した。
しばらく思い思いに滑っていると、不意に忍足のところにシャッと氷の切る音が響いて止まった。
「侑士」
「おー、蔵ノ介。一周してきたん?」
「うん。侑士は?」
「俺もや。跡部とかと一緒に滑るんは大変やから」
「そんなに?」
「てか、跡部によってくる女がな」
「…ああ」
白石が笑って、ふと周囲を見渡した。
「千歳?」
「うん、どこやろ…って」
見つけたらしい。すぐ呆れて白石が滑り出す。追うと、千歳は未だに入り口の傍の手すりに手を伸ばした姿勢で氷の上を這っていた。
「…自分、どんだけ…」
傍まで来た白石が呆れて言うと、顔をあげることも出来ず“白石〜”と情けない声。
「手すりに掴まれや…」
「掴まっとったばってん転んだと」
「…ほら」
手を貸してやると、手の長い千歳の指はすぐ手すりに届いた。
だがおいおいという危なっかしい動きで、ぷるぷると震えながら立ち上がると、まるでお前は雪山登山客かという歩きで手すり磨きのように歩く始末。
「…自分なぁ…それスケートちゃうし」
「ば、ばってん無理たい」
「自分は意外に下手やんな…」
ほら、と白石が手を出した。
「へ?」
「俺に掴まって滑れ。引っ張ってやるから。そのうちコツ掴むやろ」
「…白石、優しか…だけん」
「ん?」
「恋人みたいとね」
ぽへ、と言われて白石が容赦なくその暢気な頭を叩くと、“転ぶたい!”と騒がれた。
もう気にせず腕を引いてやる。
「流石白石だね。やっぱりほっとけないんだ」
「ああ…………」
「手塚?」
「いや、あれは危なくないか…?」
手塚に指さされて不二は見遣る。確かに引かれて滑る千歳は姿勢が前のめりで、あれでは。
「……やばいね」
「お、おい千歳…姿勢」
「へ?」
「姿勢、まっすぐにせえ。危ない」
「だ、だけん」
「なんや?」
「…出来なか」
「へ? って、お、おい、ちょ…っ!」
うっかり勢いがついた滑りに、千歳が前のめりでいたのがまずかった。
白石は足を滑らせなかったも、千歳が思い切り転び、当然前にいた白石を押し倒す勢いで氷に倒してしまった。
「白石!」
遠くで跡部の声がするがそれどころではない。
「…いっ……いった……」
「すまん…」
白石の上に倒れた千歳はそうでもなくても、思い切り後頭部を氷にぶつけた白石はそうもいかない。自分の重みプラス千歳の重みの勢いだ。痛みは押してしるべし。
「……自分、絶望的に下手やっちゅーねん」
「すまんね…」
謝った千歳が白石を解放しようと起きあがった瞬間、遠目の跡部があ、という顔をした。
「っ!」
「へ…っぐえ!」
「うわ、また倒れた千歳の脳天が白石の鳩尾直撃…」
遠くの不二の声など最早白石に認識出来るはずもなく、ただ腹を押さえて悶絶するしかない。
「す、すまん白石!」
「ええから自分はもう起きあがんな…!」
震える声でそれだけ言うと、白石はなんとか千歳の下から這い出てそのまま滑り出してしまう。
「白石!?」
「もうお前の面倒なんか誰が見たるか! 勝手に転んでろ!」
捨てぜりふを吐いて滑り出す白石を千歳がなおも呼んだ。
「白石! そうじゃなかばってん前!」
「へ?」
千歳を振り返ったまま滑っていたので、はっとして前を向いた時は遅く、立って話しているカップルが眼前だ。
「っ」
当然止まる暇はない。だが背後から伸びた腕がひょいと白石を宙に抱き上げて、停止させた。
腰を掴まれ、リフトのように持ち上げられた白石がきょとん、とした後背後を見遣る。
「て、手塚くん…?」
手塚だった。
「大丈夫か? 危なっかしい」
「す、すまん…」
「いや、気をつけてくれ」
言って降ろされ、白石はもう一度謝ると礼を告げた。手塚は淡泊にいやいい、と言うだけだ。
「意外と力あんな手塚」
近寄ってきた跡部が言う。そんなにない、と言う手塚に笑って、白石ははあ、と一息。
手すりを見ると、千歳が安堵した顔で見ているが、やはりリンクに膝をついたままの姿勢。
「……しゃあないなあ」
放っておきたいが、仮にも恋人をあんな姿で放置しておくのも問題で、それにあの事故は千歳の故意ではないのだ。
仕方ない、と呟いた白石がもう一度傍まで滑っていく。
「白石、大丈夫と?」
「なんとか。ほら、手」
「…また繋いでくれっと?」
「荒療治」
「ん?」
意味がわからない千歳を引っ張ると、今度は姿勢が整う前に勢いよく滑り出した。
「し、白石! はやか! はやかよ!」
「うっさい」
そのままスケートリンクのど真ん中まで連れてくると、今度はうまく止まって、千歳の手を離した。
「白石?」
「おまえ、ここから手すりまで滑ってこいや」
「は?」
つまり、いつまでも手すりとお友達だから上達しないのだ。手すりのないところで無理矢理滑る努力をさせないと、という意味らしい。
「む、無理たい!」
「やってみてから言え! ほな」
「ま、待つたい白石!」
引き留められる前に、と勢いよく滑り出した白石の左腕を、しかし千歳はしっかり掴んでしまった。
「…え」
当然、それは思い切り真後ろに白石を引っ張る行為でしかないが、初心者の千歳にそんなことまで頭が回るはずはなく。
「う、うわ…っ…わ…っ!!」
最早立て直せない程真後ろというより真下に引っ張られたのだ。
白石はあっけなくリンクに派手に真後ろにぶっ倒れた。
「っ…白石!?」
咄嗟に手を離した千歳が声を上げるのと、跡部達が急いで近寄ってくるのは同時。
しかし、
「あ、ダメだ。今の、思い切り脳天を撃ったもんね…」
「完全に白目剥いてるな…」
「目を回すレベルやすまんかったか…こら千歳! よりによってリンクに叩き付ける阿呆がどこにおんねん!」
「…すまん」
忍足に言われても、謝るしかない。とにかく目を回したどころかあまりの衝撃に白目をむいた白石を放置出来るわけもない。
一旦切り上げて、リンクを出ることになった。
その後も白石は意識は戻っても、頭が相当痛いらしくリンクには戻って来なかった。
「…う〜」
寮に帰って、リビングから続く寝室の自分のベッドの上、白石は氷枕を頭にのせて未だ呻いていた。
「大丈夫と?」
「大丈夫やないわ…」
「すまんね…」
「もうええ…」
はあ、と嘆息して氷枕を退かす。もう溶けていて意味がない。
「痛か?」
頭をそっと撫でられて問われた。
「ううん…大丈夫」
それは本当だし、千歳の撫でる優しい手は心地よかった。
「…白石、可愛かね」
「なに言うてん」
「ううん」
くすくすと笑う千歳が、不意に白石に覆い被さってちゅ、とキスを仕掛けてきた。
「ん…」
柔らかいキスを避ける理由もなく受けていると、肌を辿ってちゅ、ちゅと首筋を辿った唇がたくしあげた服の下の肌にも触れた。
「…ん…、なに、するん?」
「したか…」
「しゃあないな…」
もとより千歳に強請られては弱い。了承の返事に千歳は上機嫌に笑って、ベッドに上がると白石の身体を押さえつけるようにしてベルトに手をかけた。
「蔵ノ介ー」
「…っ」
しかしもう消灯かと思っていたのに、隣のリビングに響いた幼馴染みの声に白石が身を竦ませた。
寝室か?とぼやく忍足の声に、千歳に退けと小声で言う。
「ち…っ…やぁ…っ」
思わず声があがったのは、千歳が構わず服ごしに性器を擦ったからだ。
「や…阿呆! なに考え…」
「心配せんでも寝室の鍵ばかけとーよ」
「そんな心配…っ…待…っ」
制止を聞かず千歳がベルトをあっさり抜き取ると、そのままズボンに手をかけ、一気に下着ごと足から抜き取ってしまう。
「や…まっ…っや…!」
いきなり足を割られ、下肢のそこに舌を這わされて声をあげるなという方が無理で。
その時に寝室の扉がノックされて、冗談ではない。
なのに千歳の指が遠慮なくそこに差し入れられて息が止まる。
「…っ……」
「なんで声我慢すっとや」
「あ、たりまえ…っや…っひ…!」
二本の指にぐるりと中を擦られて、声が反射であがる。
耳を必死に澄ませると扉の前に気配がある気がして、声を必死に堪えるしかない。
「しょんなかね…」
その言葉に諦めてくれたかと思う間もない。指が引き抜かれたと思ったら、そこにひたりと千歳のモノが宛われて。
「ちょ…ま…っ」
冗談じゃない、やっとそこは二本の指を受け入れられたばかりなのに。
第一忍足がすぐ傍にいる状態でその行為自体信じられない。
一体どうしたんだという白石の視線すら、千歳は笑った。
「…っ」
非難めいた視線すら交わされて、そこに宛われた熱が一気に押し込まれた。
遠慮のない挿入に堪えられるわけもなく。
「っや…ひぁっ…!」
悲鳴のような声をあげてしまう白石に構わず、そのまま抜き差しを始めた千歳を止める余力がある筈もない。
「っあ…はぁ…ん……ぁ…っ!」
「可愛か、白石」
くすくす笑う顔がとてつもなく意地悪だと思っても、今の状態で抗議など出来ない。
救いはもう物音が全くしないことだ。多分いないと諦めて出ていってくれたのだろう。
「…っ…ぁ…ひぁん…!」
強く奥を擦られて嬌声が堪らず上がる。
その首筋に口付けられて、仰け反った時。
がん、と強い音が一度寝室の扉を叩いた。
その音にびくりと動きが止まる。
「……ゆう…し?」
まさか、まだいたのか?聞いていた?
青ざめた白石の耳にやっと遠ざかる足音と部屋の扉を閉める音が聞こえる。
だがそれで続きをする気などあるわけない。今ので一気に頭など冷えてしまった。
「っ…! ま、や…千歳!」
構わず動き出した千歳を制しようと叫ぶが、千歳は白石の足を胸につくほど折り曲げてのしかかると耳元で笑った。
「俺に抱かれてる最中に他の男の名前呼ぶなんば、いかん子たいねえ…?」
「ま…そういうわけや…っあ…っ!」
「もう他の男のこつ考えられんようしちゃるたい」
「っ…あ…っ…っ!」
意地悪く笑われる声すら、もう認識出来なくなるのに時間はかからなかった。
ばたん、と大きな音が響いて、跡部は顔を寝室から覗かせた。
同室の忍足が帰ってきたところだった。荷物を乱暴にソファに投げ捨てると、恐ろしい程冷たい顔で部屋を歩いてくる。
「おい、白石の様子どうだった」
「しらん」
「…忍足」
元から整った顔ではあったし、顔色が読めない程ポーカーフェイスはいつものことだ。
しかし今の忍足はポーカーフェイスではなく、感情が過ぎて冷たい色を顔に乗せていて。
傍目にも恐ろしい程怒っているのがわかった。
「なんか、馬に蹴られでもしたか?」
「………」
答えず冷蔵庫からペットボトルを取り出した忍足は一口飲むと、そのまま傍の壁を思い切り足で蹴り飛ばした。
「図星かよ」
「……殺されたいんやったらそのまましゃべっててもええけどな」
「は、誰が」
殺されるつもりもないが、これ以上無駄に刺激するつもりも跡部にはない。自分にはもうなにがあったか大体わかってしまったので。
千歳が自分がいることを承知であんな真似をしたことなんてわかっている。
それ以上に、あの掠れた声が自分以外の男によってなされているのだと理解しただけで心臓が恐ろしい怒りで冷えていく。千歳は自分が逆の立場だったらなどと考えもしない。いやそんなことなど考えない自信があるのだ。自分が白石に告白も出来ず、他の男に彼を奪われたりしないだけの自信が。白石を繋ぎ止める自信も、愛される自信も、愛せる自信も。
普段ともすれば間抜けなほどにこやかに笑っているあの男の得体の知れなさを思い知らされて怒るより、渦巻くのはただ白石が自分のものではないと思い知らされた一点。
もう一度壁を蹴ると、背後で跡部が聞いているのも構わず吐き捨てる。
「………大嫌いや…」
あの普段のただ幸せそうな顔がちらついて仕方ない。
それすら、意地悪く諦めろと言うようで。
「……幸せなヤツ…」
吐いた言葉から、空しくなっていく。それでも言わずにいられない。
多分、二度と手に入らないと思い知った。
それでも、
例え千歳がどれだけの自信で白石を扱おうとも、二度とあんな行為はさせないと思った。
あんな生け贄の羊が身体を暴かれるような悲鳴を、吐かせてなるものかと。
彼のあんな声は、お前だけが聞いていればいい。
だから彼をこれ以上惨めにするなと吐いた。
既に千歳が白石の傍にいることを認めていても、それまで許す気だけはなかった。