あなたの隣の神隠し

幕間−【今は無き七不思議の話】




「おい、千歳。顔(ツラ)貸せ」

 高校一年の文化祭の当日。
 廊下で会うなり文字通り胸ぐらを掴まれて跡部に言われ、千歳はきょとんとした。
「どこに…? てかいきなりなんね、跡部」
「いいから来い。忍足謙也もだ」
 傍にいた謙也が俺?と己を指さした。
「ちゅーか、どこに?」
「一年九組。白石のクラスだ」
「ああ、白石の…。あいつのクラス、なにやってるか知ってんのか?」
「いや、知らねえ」
 前を行く跡部は堂々と言い切った。
 そして片足を軸に芝居がかった(彼はいつでも芝居がかった動きだが)動きで振り返ると、自信満々に言った。
「だが、準備の段階であの白石が心底嫌がってやがった。
 それだけで行く理由としちゃ充分なんだよ」

 ああ、なるほど。嫌がる白石が見たいだけか。

 上記は謙也と千歳の心の声である。
「ほら、行くぞ」
「はいはい…」
「謙也、けど、あの白石が嫌がる出し物ってなんばい?」
「さあ?」



 一年九組。
 入り口にかかった看板の下、ずらりと並ぶのは女生徒の群だ。
「うわ、なんやこれ」
「すごい列たいね」
「…はぁん」
 跡部が納得した、と笑う。看板には『執事喫茶』。
 そのままずかずかと入る跡部を思わず謙也たちも追ったが、先頭を切るのが跡部だけあって誰も止めない。

「お待たせ致しましたお嬢様。ロイヤルミルクティーでゴザイマス」
 とりあえず、笑顔も口調も完璧だが、内心の嫌な気持ちが語尾に出たな、と跡部は思った。
「白石くんこっちー!」
「おやおや、こちらのお嬢様はせっかちでいらっしゃる」
「おい、白石。今、語尾の『ございます』がカタカナになってたぜ?」
 そのまま見ているのも楽しいが、そこは跡部景吾。
 笑顔で接待する白石の背後に立って声をかけると女子の悲鳴とともに、驚いた顔の白石が振り返った。
「あ、跡部くん!? …てか千歳に謙也…っ」
「おい白石、『お帰りなさいませご主人様』じゃねーのか?」
「それはメイド喫茶や跡部くん!」
「白石、丁寧語、丁寧語」
「千歳も黙れや…。てか自分らは野郎やからええんや…!」
「つれへんなぁ…白石。『なにになさいますか、お坊ちゃま』くらいアドリブで言えなパーフェクト執事とは言えへんで?」
「うっさい謙也…。俺はそんなパーフェクトはいらん…」
「白石くんー!」
「はい、今すぐ参ります。そんなに急かさないでくださいお嬢様」
 笑顔を作って客に甘い声で言うと、白石はヤクザでも射殺せそうな視線で謙也たちを睨み、『さっさと去ねやこのドグサレ野郎共』と吐き捨てて客の方に行ってしまう。
「不快指数が相当高いな。今の白石は」
「…てか、既にキャラ変わってたやん、今の白石…」
「ありゃ、明日の仮装テニスで使い物になんねーかもな」



 テニス部の出し物は毎年、仮装テニスである。
 仮装をしてお客とテニスをする、というものでオプションは様々。
 ようは『お客とテニスをする』のだから、お客とシングルスで戦うもよし、希望してきたお客と組んで、ダブルスをするもよし。とにかく、なんでもありなテニスだ。
 ルールも初心者に優しく多少型破り。
 シングルスでも、アウト判定のラインはテニス部員は通常のシングルスラインだが、お客の方はダブルスラインを超えなければイン判定。
 また、テニス部員の打つ範囲をラインの半分にしたり、ベースラインからネットに詰めることを制限したり、とにかく初心者でも楽しんでやれるように、がルール。
 このテニスの最大の目的は、テニス部側は他ならぬ部員獲得、である。
 目的は大人はもちろんだが、近所の中学から来る中学生や北麗学園高校生の他部活の部員。彼らにテニスへの興味と楽しさを教えて、あわよくば来年、または途中入部を促す、のがテニス部側の最大の目的と言える。実際効果は高く、文化祭後は帰宅部の生徒からも途中入部の部員を多く得られるのだ。
 テニス部にとっては試合料金など二の次。
 なにより、今年の一年は強く、テクニックも色物揃い。
 例年より倍の効果が期待出来る、と先輩たちから参加部員の多くを一年に任された。
 ――――――――――当然、先ほど機嫌が極寒期だった白石蔵ノ介もそのメンバーである、が。



「明日もクラスの出し物はあるだろうしな…」
「…そやなぁ…人格変わっとったもんな、あれ」
「白石なら大丈夫じゃなかね?」
「それこそなにを保証にだ? 千歳」
「…跡部たちにはわからんでよかの」
 ふ、と遠い眼をした千歳は白石の寮の同室である。
 きっと、夜散々白石に我が儘を言われるだろう、という予感がしている千歳は、もう馴れて今更なにを言う気もない。
「あれ…」
「謙也?」
「今…下の中庭に…、光っぽいんおらんかった?」
「光?」
 窓を見遣った千歳は、おらなかよ?と言う。
「あれ?」




 一年九組。ようやく休憩になった白石に、容赦ないクラスメイトが「宣伝になるから着替えるなよ!」と追い打ちをかけた。
「はいはい」
 ぞんざいに答えて、白石は教室を出た。
「おう、蔵。機嫌悪いな」
「侑士」
 出てすぐ見つけた幼馴染みに思わずそのまましがみついた。
「侑士〜……。みんなひどいねん…」
「お疲れ。とにかくなんか食い行こうや。ええたこ焼きの屋台みっけたんや」
「行く」
 腹減ったとついていく白石は周りの眼を惹いているが、疲労困憊した今の白石にはただのそよ風だ。
「でな、そこのたこ焼き屋台で」
「『お帰りなさいませご主人様』、やないんですね。白石さん」
 既視感を感じる台詞は廊下の角から。
 驚いて見遣った白石に、そこからひょこりと顔を出した少年がにやりと笑った。
「財前! …てか、お前、ここの生徒やないんになんで仮装しとん?」
 財前はしっかり、お坊さんのような和装を着こなしていた。
「ああ、来年ここ入る言うたら、テニス部の先輩らが貸してくれました。
 似合ってますよ。白石さんの執事」
「うっさい」
「でも似合ってますよ。カッコイイって意味で」
「う……、……あれ?」
 うるさい、と言いかけ、白石は固まる。
 そこにいたのは、財前同じくまだこの学校の生徒ではない中学生二人。
「氷帝の…日吉くんに…ルドルフの不二…裕太くん?」
「はい。カッコイイですよ。白石さん」
 そう言ったのは不二裕太で、チャシャ猫風の耳とチェックの衣装。
「ええ、似合ってます。…跡部さんよりマシだ」
 日吉は財前と違ったタイプの和装で、袴だ。
「……揃うと派手やなキミら」
「それは言わない約束ですよ。というか白石さんもその『派手』な集団ですよ」
 日吉が言って、ところで付き合ってもらえます?と白石と忍足を廊下の奥に来るよう促した。
「なんや?」
「面白い話を聞きましてね。この学校、七不思議が八個ある、って」
 それ、既に七不思議じゃない、という言葉を紡いで、日吉は付き合ってください、と笑った。



(つきあえちゅーても)
 白石は仕事がある、と断って、自分の教室に戻ってきていた。
 忍足は付き合うと言っていたが。
 そういえば、どんな七不思議だと言っていたか、そう考えた時だ。
「…え?」
 客の一人の声に、思考が引き戻された。
 教室の電気がパチパチ、と点滅している。
「…これ、おい、どないしたん?」
「さあ?」
「俺、ちょっと外見てくる」
 外に飛び出した生徒を見送った瞬間、角の電灯が一際激しく点滅し出した。


 …… タイ


「…え」


 …… シイ 欲シイ


 …… 燃ヤシタイ


「…っ」
 脳に直接働きかけるのは霊的なモノの声に間違いはない。
 点滅の酷くなった蛍光灯がパチ、と一瞬火花を散らした。
「お借りしますお嬢様!」
「え?」
 傍のテーブルの客の前からナイフを掴むと、白石はその酷い点滅の蛍光灯目掛けてナイフを投げる。
 突き刺さって割れた瞬間、ぴたり、と教室中の点滅が収まった。
「…逃げた」
 呟いた白石を、クラスの生徒はぽかんと、ナイフを奪われた形のお客は顔を赤くして見ていた。




『…てことやねん』

「ちゅーか、蔵。電灯を割るって無茶すんな」

『しゃーないやろ。あのままやと全部の蛍光灯が火ぃ吹いてた。
 幽霊がおった場所やからその蛍光灯。それに、多少力使うて割ったから』

 破片が飛ばないようにはした、という白石に忍足はやから無茶や、と言った。
「そない力はお前がしんどいやろ。今、力入らんのとちゃう?
 休んどけ。跡部か千歳でもそっち行かせるわ」
 悪い、という肯定の声が向こうから返った。

「おい、日吉。不二…裕太。財前。
 …そこか?」
 電話を切ると、目張りで塞がれた使われていない教室を見遣った。
「ええ。入ると死ぬ教室。自殺が三回行われた呪われた教室らしいです」
「俺らが近づいた所為やな…」
「え?」
「いや…」
 裕太の声に、首を振って忍足は懐から小さな十字架のアクセサリーのついた長い鎖を取り出す。
「忍足さん?」
「聞いたことはあったわ。…中に鏡があるらしい。
 その鏡が原因やって。その鏡に映った生徒は死ぬ。由来まではしらん」
「…映らずに割ればええってことですか?」
「まあ、そやな」
「…なにもやらなくてもいいだろ。ほっといても」
「いや、やっとこうか。害は少ない方がええ」
「え?」
「いや」
 裕太ににこりと笑って、忍足は扉の前に立つと、踏ん張って思い切り扉を蹴破った。
「うわ!」
 裕太の悲鳴と同時、中の電灯が一気に点く。
 忍足を追うように飛び込んだ財前と日吉に、溜息をついて裕太も追った。
「鏡、鏡…」
 きょろきょろと探す裕太の視界に、いきなり椅子が飛び込んだ。
「へ!?」
「避けえ不二!」
 横に割って入った財前が裕太の顔面に飛来した椅子を蹴り飛ばす。言われてしゃがんだ裕太の頭上をそのまま椅子が吹っ飛んで、壁にぶつかって落ちた。
 がたがたと揺れて浮かぶのは椅子や机。
「…ひええ…お化け屋敷の二乗倍…」
「ちょっと待ってろ不二。…財前、これ手伝え」
「わかった。でこれは日吉」
「寺でもらって来た護符の図柄」
 日吉に渡された護符の図柄を一瞬で覚えたように、財前が反対から黒板にチョークで描き始めるのと反対から、対のように日吉も描き出す。
 その頭に飛来した椅子を、ヤケになった裕太が持った椅子でたたき落とした。
「やるやないか不二裕太」
「不二弟上等です! 兄貴なら笑顔でやりますよ!」
「そら言えてるわ!」
「よし! 描けました忍足さん!」
 こつ、とチョークの音と同時に日吉が叫ぶ。途端床に落ちた椅子や机は、それでもがたがたと揺れた。
 なにも飛ばなくなった教室で、忍足は周囲を見渡すと、奥にあった布のかかったモノに目を留める。
「あ、でも、映ったらやばいんじゃ…!」
「安心せえ。映ったりせえへん!」
 忍足は少し身体を横に動かすと、布を取り去る。鏡は横に動いた忍足を映さない。
 その鏡面目掛けて、忍足は持っていた鎖の先の十字架を振るって叩き付ける。
 瞬間、ぱきんと割れた鏡に呼応するように、椅子と机はかたり、と動かなくなった。




「なんでやる気になったんです? 忍足さん。最初乗り気じゃなかったでしょ?」
 帰路に就く日吉に聞かれて、忍足は困ったように首をすくめた。
「俺はな、幼馴染みが霊感困ったさんやから。
 …あの時も真っ先にあいつがおる教室が狙われたし、放置したら、あいつがまた危険な目ぇ遭う」
「…はぁ」
「ま、そういうことや。もう帰り。明日も来るんやろ?」
「ちゅーか、明日が本題ですわ。
 白石さんに『俺達が相手の時はハンデ使える思うなや』と伝言よろしく」
「はいはい」
 ほな今日はホテルなんで、と帰っていく来年の後輩たちを見送った背中に、あの幼馴染みの声がかかる。
「侑士! あれ、財前たち、帰ったん?」
「明日来る、やと」
「ふうん」
「お前、身体の調子は?」
「もう大丈夫。せやけど」
「…せやけど?」
 途端疲れた様子になった白石は、明後日の方向を見て言う。
「…俺、あれ以降…『黒○事』言われるようなって……」
「あー…」
 戦う執事がまずかったな、という忍足の声も白石には遠い。
 文化祭一日目、夕方のことだった。