かくれんぼなんてもうしない

◆かくれんぼなんてもうしない◆











 やけどは全治二週間という容赦のないものだった。
 跡残るかもしれないよ、と医師。
 木手はもう一週間ラケットを握っていない。
 その間にも怪我は増え続けて、身体で包帯やガーゼがない場所の方が少ない。
 最近、彼を見つけるのに役立つのがその包帯の白さで、甲斐はそれがとてもイヤだ。
 あれから、用具入れのことを調べている。
 主に平古場が主体になって調べているそれは、相当ひどいものだった。

 用具入れで首をつった生徒は、かつてのテニス部主将だった男だったという。
 早くから先輩に期待されていた。だが部長になって、それでも大会は九州止まり。
 ブロック大会一回戦で敗退し、その無能を責められたという。
 そして引退の日、命を絶った。

「……木手が妬ましいんかな、そいつ」
 甲斐は放課後の教室で呟いた。
「だろーな。永四郎はなんたって初全国の立て役者で信頼篤いそいつとは真逆の部長だ。
 死んじまえって気分なんだろ」
「凛…このまま、どうなると思う……?」
「…憶測なら、最悪」
 言って平古場は席を立った。
 窓際に立って窓を開ける。その金の髪が風に流される。
「…どんな憶測?」
「…、引退の日に、永四郎を殺す……って意味」
 甲斐は呼吸が止まった。
 引退。実質の引退まで、あと一週間を切っている。
「どう、したら…いいんだよ! 俺イヤだぞ木手が死ぬなんて!」
「俺だって冗談じゃねえよ。かといって霊媒師もいねえし」
 木手は最近、あまり笑わなくなった。
 話しかけても意識ここにあらずという時が多い。
 精神すら、そいつに脅かされている。
「……」
 悔しい。
 なにも、してやれることが見つからない。
「甲斐」
 教室に不知火が入ってきた。
 ただならぬ空気も構わず、わかったと言った。
「え?」
「あの言い習わしの本当の意味だ。あれって、神隠しと同じ意味だったんだ」
「神隠し?」
「よく言うだろ? 川の流れをさかのぼるな。って」
「ああ…」
「あれって、流れに逆らうと死者だか神様の国に繋がっちまって帰ってこれなくなる…神隠しに遭うからやっちゃだめって言うんだ。
 北の押入も同じ。北ってことは鬼門。鬼の世界の入り口だろ?
 まあ、木手は神隠し寸前ってやつ」
「解決策、解決策は…!?」
「……」
「不知火!」
「それが…ない」
「なんだって!」
「あるといえばあるが…あまりに頼りないんだ」
「……どういうことだ?」
「意志勝負なんだと。行きたくない。ここにいたいって意志が強固なら、連れてかれる手前で戻ってこれる。だが意志が弱かったり中途半端なら………」
「……連れてかれる…死ぬ…ってこと……?」
 不知火はただ頷いた。
 木手の意志の強さには自信を持っている。
 だが、最近の木手の精神状態の危うさを思うと。


 意志の勝負。
 教室の前にいた知念は、すぐ踵を返した。
 思えばあの朝も、自分の行為で木手は我に返った。
 ああしていなければ引退を待たず連れていかれていただろうか。
 今、木手は田仁志が見張っている。
 先ほど、木手はまた新しい怪我をした。
 目を一瞬離した瞬間だった。
 立て付けの悪い扉を引っ張った瞬間、あり得ないことに人差し指の爪がはがれた。
 爪のはがれた箇所からの出血は思いの外ひどく、一度知念に付き添われて病院に行って来た。
「知念クン」
 部室に戻ってきた知念を、木手と田仁志が迎えた。
 その指の新しい包帯が痛い。
 もう手や腕はほとんど皮膚が見えないほど包帯まみれだった。
 その身体をなにも言わず抱き締めた。
 田仁志が一瞬ぎょっとしたが、察してすぐ席を立ってくれた。
「知念クン…?」
 強く抱き締める。
 連れていかせるものか。死なせるものか。
 木手の意志が足りないなら、俺が引っ張る。
 だから、行かないでくれ。

「どこにも、行きませんよ…」

 わかっているわけではないのに。木手はそう言って腕を背中に回してくれた。

 静かに、恐ろしく時は過ぎる。

 引退の日が来た。
 前日から木手の家に全員で泊まり、必ず二人は起きていて全員が一時間たりとも寝ている時間はなかった。
 そのまま学校へ行き、引継を済ませてあとは帰るだけだった。
 木手は流石に感慨深いようだったが、自分の身もわかっている。
 急がせる甲斐たちに文句を言わず、知念が呼んだ彼の親の車で家まで向かった。

(あと、六時間…)
 時計を見る。午後の六時。
 あと六時間で今日が終わる。
 今日さえ終わればもう安全だ。
 ただ、その最後の綱渡りが危険だった。
 意志の勝負。
 部活から解放された木手は、矢張り心はここにあらずだった。
 今は甲斐の目の前で冷蔵庫をあけている。
「水分補給くらいしなさい」
 いつもの癖のように言って、甲斐にスポーツドリンクを手渡した。
「うん…」
 彼は、今日が賭だと知らされていない。
「木手…」
 かつん、と物音がした。
 床をなにかが転がって来る。
 かろん、と止まった。
 それは丸い鏡だった。
「…落ちたんでしょうか」
 どこからだろう、と木手がしゃがんで手を伸ばす。
 その刹那、鏡はあり得ないことに勝手に二つに割れた。
 甲斐が思わず椅子から立ち上がって駆け寄る。
「木手!」
 だが遅く、木手は切れ味の良さそうなその破片を手にしていた。
「…」
「おい、なんの騒ぎ…」
 入ってきた平古場が顔色を変える。
 鏡の破片は、割れた切っ先を木手の首筋に当てられている。
「えいしろ…っ」
 もう意識がここにないのか、木手は言葉を発さない。
 近づけない。
 近づけばその前に首をかっきられる。
 どうしたらいい。
「木手!」
 甲斐が呼んだ。
「永四郎!」
「木手、帰ってこい!」
 繰り返し呼ぶ。それでも戻らない意識。
 鏡が首に食い込んだ。
「…っぁ…!」
 甲斐の喉が悲鳴をあげた時だ。
 背後から全く気配をさせず近づいた腕が、強く木手の両腕を引っ張って頭の上で固めた。
 勢いで鏡が転がっていく。
「知念くん…!」
 知念だ。
「永四郎」
「………」
 ここにいない彼を呼んだ。
 返事など帰らない。
 それでも呼んだ。
 わかってくれ。
「甲斐、平古場」
「な、なに…?」
「明日になるまで、二人きりにして」
「…知念…?」
「頼む」
 強く言う知念に、覚悟を悟って、平古場は軽く笑った。
「明日になったら、永四郎は罰ゲームな」
 言っとけ、と言って踵を返す。
 彼は善い人間だ。若干かなり放任だが、無責任でも不誠実でもない。
 信頼、だ。
「……任せたからな。知念くん」
「…ああ」
 甲斐がそう呟き、部屋を出て扉を閉めた。
 意識なく立つ身体を強く引っ張って、傍のソファに座らせた。
 そのまま深く唇を塞ぐ。
 今日は強く貪っても、彼はなにも答えない。
 そのまま抵抗ない身体を押し倒した。


 かすかな声が零れる。
「…む、り…も…っ」
 貫かれて、我に返った木手が懇願するが、まだ放せなかった。
 時間が、まだあと十分ある。
 あと十分で十二時。
 あのあと、ずっと知念は木手を抱き続けている。
 身体はもう限界で、木手の顔色は酷く青ざめている。
 無理させていると知っていたが、意識を保たせる方法が他になかった。
 行為の最中だけが木手が知念を理解る時間だった。
 その理解を失わせたら終わりだった。
 強く腰を引かれて、木手はまるで死にかけの小鳥のように弱くはねた。
 腕はだらりとたれていて、もう知念にしがみつく力もないと教えた。
 それでも、一度も“イヤだ”とは彼は言わない。
 彼も、わかっている。
 繋ぎ止めていて欲しいと願っている。
 それがこの行為しかないなら、その辛さに耐えていた。
 木手の中から抜かないまま、抱き締める。口付けた。
「…ん……」
「…永四郎…」
「ちね…ク…」
 蒼白な顔が、それでもしがみつく力もない身体で呼んだ。
「…と」
「…ん?」
「もっと………してください……もっと強く……ここにいさせて」
 泣きそうになって、掠れた声が願った。
 強く抱き締めて、もう一度唇を味わった。
 そのまま激しく挿入を始める。
 声が引きつって、最早あがらない悲鳴は呼吸だけ。
 青くなって白くなっていく顔が、それでも知念を見つめて。
 呼んだ。
 ぶら下がったままの手を繋ぐ。

「好きだ……」

 そう、強く思って突き上げて抱き締めた。
 声が最後のように鳴った瞬間。時計が音を鳴らした。
 十二時の合図。
 時計の針を見つめて、木手を見下ろす。
 荒い呼吸すら最早出来ず、死んだように浅い呼吸をしているし、顔は青を通り越して真っ白だ。
 最早自力で動かない腕は、まだ包帯がはずれない。
 眼鏡のない、髪の降りた顔は、幼く見えた。
「…永四郎?」
 繋がったまま、呼んだ。
「…………」
 還らない返事に知念が不安になった瞬間、その顔が緩く弛緩して、“…なに?”と呟いた。
「…えいしろ…」
「…だから、…なに……?」
 返ってくる答え。どこかに行っていない意識。
 木手の中から自身を引き抜くと、震えた身体を抱き締めた。




 あれから一週間、木手は学校を休んでいる。
 相当無理をさせられたため、まだ身体が思うように動かない。
 それでも、もうあの驚異はなく怪我も徐々に治って包帯は減っていった。
「…腕、跡残ったな」
 コンロでやったやけどを、まき直す時に見て、呟くとキミのせいじゃないでしょ、と言われる。
「でも…」
「男なのに、気にしません」
 言われて、知念は困った。
 すっかり木手は木手だった。
 強くて、しっかりした仕切り屋の。
「…知念クン?」
「あ、いや……」
「しっかりしてくださいね。まだ部には顔出さないといけないんですから」
 部は強い部員がそろっているが、元レギュラーには及ばない。
 木手には来年も全国に行けるレベルに育てる義務があった。
「手伝う」
「当たり前です」
 俺たち全員が先輩なんですから、と木手。
「……永四郎」
「なんですか?」
「……おあずけ、いつまで?」
「……しばらく。あんな無理はもうイヤなので」
「もう、あそこまでしない…」
「どうでしょうね。キミが怖いって思い知らされましたし」
「…永四郎」
 泣きそうになって呼ぶ知念が余程情けない顔だったのか、木手は軽く吹き出してその額にキスをした。
「あと、一日我慢してくださいよ」
 と言う。
「……」
「知念クン?」
「…わかった」
 どうやら、今日も同じように長い一日になりそうだ、と思って知念は名残を惜しむように抱き寄せた。