風邪をひいた日





PM5:36 テニスコート

 練習中も、視線は不二を探す。
 喉以外、辛そうな部分は見えなかったけど。
 隠すのが上手い不二だから、安心は出来ない。
 菊丸と同じ事を考えているのだろう。
 視線の先で、フェンスに寄りかかった不二の姿の横に、乾も見付けられる。

「英二、よそ見するな」
「あ、ごめん」
 乾と一緒なら、多分大丈夫だけど。
 不安。
 この目で見ていないと、どうしようもなく。
 地に足が着かない感触。


英二…集中力途切れてない?
「だから喋るなって」
 だって。
 ぽんと頭一個分低い位置にある髪を撫でて、まぁねと賛同してやる。
 乾も同感だったが、理由が判っているだけに、何ともコメントしにくい。
 意識の隅に付く。掠れた、息のような声。
 集中力も全く乱さないポーカーフェイスでいられる手塚や、データ取ってられる自分より、菊丸は分かり易いだけ。
 気分屋、だから。
「のど飴、舐める?」
…いい。部活中だから
 このくらい、手塚も大目に見てくれると思うけどね。
 思ったけど、口には出さずに。



PM6:20 部室

 がやがやとした空気も、普段よりは下降線。
 時折入るごほごほとした声は、不二だけのものではなくて。
「……大丈夫か、乾」
 むしろ、不二よりも回数多く喉を鳴らしているのは、頭一個分でかい彼だからなお、視線は集まる。
「…ん、何とかね。大石あんまり俺に近寄ってると伝染するよ」
 そんな台詞を吐いた側から、口を押さえて少し身体を折っては乾が咳を繰り返す。
 一時間程度前は平然としていたのに。進行が早い。

乾って、卵みたいだね
 掠れきって、近くでなければ聞き取れない不二の声が、そんな事を急に言った。
「卵? 大石じゃなくてか?」
 咳の合間に返した乾の台詞は失礼と言えば失礼で(しかしデータノートに書くくらいだから彼の思考内では卵=大石)
 しかも言った本人悪いという素振りはない。
 前の不二の台詞が周囲に届いていないから余計。
や…形のことじゃなくって
 不二も不二で、自分の声がほとんど響いてないと判っているからの発言。
掛かる前は丈夫なのに、掛かったら進行するのが早いって事
「ああ、殻と中身ね」
 そうゆう事は俺が熱だしてっから言いなさい。
 なんて言っている辺り、周りの空気を判っているのか居ないのか。乾の場合はおそらく前者。
「…っと、じゃあお先」
うん
「…あ、ああじゃあ」
 不二以外、送り出す声は力無い。
 部室を出てからも、遠くで咳き込む声が響いた。
…じゃあ、僕もそろそろ帰るね
 息になってしまう声を精一杯音にして、不二は何とか周囲に響かせる。
 その後思わず咳き込んで、菊丸が咄嗟に顔を覗き込んだ。
「無理するなよ…」
ごめん
「謝罪はいいからな」
 咳の度に上下する髪を撫でて、菊丸は足下にあった不二の鞄を自分の鞄ごと纏めて持ち上げた。
…英二?
「一緒に帰ろうぜ。どうせ途中まで同じ道だし」
 じゃないとお前心配。
 付け足す言葉に、緩く微笑んで。
じゃあ、荷物は自分で持つよ
「お前甘えなよ」
でも熱はない
 掠れ声で、それでも強く答えるから。
 それ以上の押し問答で喋らせるのも悪くて、結局は菊丸が折れる。
「じゃ、校門まで持つ」
 でも折れるのはここまで。不二は、そう読み取ったのだろう。仕方なさそうに苦笑する。
…ありがと
 帰り、レギュラー位しか残っていない部室で、一気に二人も抜けると静けさも増す。
 部誌を届けるために校舎へ行っていた手塚が戻り際、二人に気付いて足を止めた。

「帰るのか?」
「そうー今日は英二君とお帰りなの」
 ぎゅーなんて不二の首に抱きついてやると、案の定増える眉間の皺。
「…菊丸、不二は喉を痛めてるんだ」
 あまり力を込めるな。
 そう冷静に諭せる、手塚はつくづく理性の人間だとこんな時に思う。
「へーい」
 正論だから、回した腕を放して。
 校庭。真っ暗になった空が見下ろす、不思議な藍色の空間。
 誰か走っていそうな、校庭。木々の影は、人影の輪郭に似て見えて。

 ぽんと、手塚の手の平が不二の頭に置かれて、軽く撫でる。子供にするように。

「ちゃんと休めよ」
うん。…有り難う
 くすぐったそうに笑う、不二を見て自然柔らかくなる手塚の視線も表情も。
 判りきった理由。
「菊丸」
 撫でた手を離して、手塚は菊丸に向き直る。
 口にしない言葉。

(ちゃんと送り届けろよ)

 目が、そう言ってる。
 返事に頷いてみせる。
「じゃ、不二行こう」
うん。バイバイ手塚
 あまり喋るなって言ってるのに。懲りてない。不二。


 こほん、と帰り道に、鼓膜に触れる、痛々しい音。
 あまり自分に訊かせまいと、我慢するから余計。
 大丈夫、って声を掛けると余計、不二は気を使われてると思うから。
 あまり口にも出来ない。
 不二の足が、ぴたりと止まる。
別れ道、でしょ?
 また明日ね

 元気そうに手を振る。
 表面化した、嘘が、痛いんだよ。判ってんの不二?
…英二?
 暗い道で、誰もいない事なんか理由に。
 抱きすくめた身体は、予想通り熱い。
「…熱、あんじゃん」
 いつも、お前平熱低いのに。熱いよ。
……………英二って、そゆとこ狡い
「狡いの、お前だよ」
 何でも笑うじゃんか。
 いつも笑うじゃんか。
 何でも話せって言わないけど。せめて風邪引いたから辛いくらい。
 言っていいはずなのに。

狡い

 遠くの、車のクラクション。
 外灯の、点滅した白光。
……英二、伝染るよ?
 望むところ。
 伝染して、そんでお前が治ればいい。
 けどそんな事言ったら、この手振り解くから。
「……………熱いよ」
……うん、英二も暖かい
 ぎゅーって、ぎゅーって抱きついて、しばらくそうしていた。
 離したくない。

………英二

 望んで手に入れた、“親友”の位置。

 だから俺は、乾や手塚と同じ位置に立てない。

 居心地のいい、不二の傍ら。
 何でも話してくれる。手塚や乾に話さないことすら話してくれる。
 その感情に恋を望んだら、俺はこの場所を失わなきゃいけない。


 抱き締める身体は暖かくて、暖かすぎて。
 俺に感情の名前すら忘れさせてくれた。






このままキスできたなら、俺は何にでもなれたのに。
  






風邪ネタ〜
管理人が現在本気で声でない状況下にいるのでそれをネタにしてみました。
転んでも起きません(違)
乾不二なのか塚不二なのか菊不二なのか。菊不二書く気でやったらこうなったです(爆)
皆様、風邪には気を付けてください。本気で喋れなくなります。すっげえ不便です