木漏れ日に君の詩

◆木漏れ日に君の詩◆










 天気がいいのも、いつものこと。
 部活があるのも、いつものこと。

「――――――――――――――――…一体、どうなさったの?」
 思わずそう、不二でさえ訊いてしまうくらいには間抜けな構図。
「やぁ、どうしたんだろうね」
 なんて口調は至っていつもの乾で、しかし困っているのも何となく判る。
 薄暗い部室と、真昼の明るい外の対比。その境に立って、不二は奥を見つめている。
 眼鏡だけ輝く、それにビビらない程度には馴れた。

「どうするの?」
「手塚が戻ってくるまでに改善したいな」
「無理じゃない?」
「何とかなんないかね」
「…応相談」
 お互い、浮かぶなんて苦笑だ。
 外の、テニスコートの騒がしい空気。
 まだ来ないでと、お互いに不在な部長に祈ってみる。

 けれど、こういう時は限ってどうにもならないもので。
 部長、とか言う声が外からして内心頭を抱えてみる。
 身動ぎをする、ベンチに座ってノートを閉じた乾の、肩に菊丸。
 反対側に越前。
 昨晩徹夜したのだかしらないが、乾の肩を借りて気持ちよさそうに寝息を立てている。
 可愛いなんて思うのは最初だけだ。とりあえず乾が哀れだ。

「いつから?」
「途中までは、ノート覗いてたんだけどね…」
 迂闊。なんて呟いた乾が、何とも言い難い表情を一瞬だけ浮かべた。
 嫌な予感がして振り返れば、手塚が居るのはもう暗黙の了解。
 いつも以上に難しい顔で、でも一応驚いてはいるらしい顔で。

「校庭二十週」
「…え? 僕も?」
「当然だ」
「…てことは俺もなわけね」
 やれやれといった風情で言えば、当然という彼の表情。
「あー……眺めてるんじゃなかった」
「諦めな不二。俺としては私刑執行の道連れがいて嬉しいよ」
「時々君は腹立つよねぇ」
「光栄だよ」
 言いながら、乾は自身の肩を数度揺らす。
「ほら、いい加減起きなさい。落とすよ?」
 僅かな身動ぎと呻きが返る。
 扉の方で、
「どうして寝ていたんだ」
 手塚が上らせた問い掛けに不二はにこりと微笑んで言う。
「教えてあげない」



「あ――――――――――――――――手塚の馬鹿」
 何度目かのフェンスの前を通り過ぎる。
「英二、手塚に訊かれたら追加されるよ?」
「っげ無し無し今の無し!」
「もう遅いっス」
「嘘っ!?」
「嘘」
「……おチビ」

 一定のリズムで刻まれる足音や、遠くから見えるテニスコートの打ち合い。
 休日の学校は、校舎だけなら静かだ。
「はいはい、喧嘩しない。どっかの福島コンビじゃないんだから」
「そうそう、巻き込まれた僕の身にもなりなよ」
「…一番の巻き込まれは俺だと思うけどね」
 聞こえてくる、手塚の声にそう零して。眩しい太陽を眼鏡越しに見上げる。
 側で越前が。
「……福島…って誰っスか?」
 と問うてくる。
「福島名産コンビ」
「だから誰だよ」
「桃と蛇」
『桃(先輩)と海堂(先輩)?』
「Yes.
 とくだらない事言ってないで早く終わらせないと追加されそうだね」
 ピと指を立てて肯定した矢先に、乾はそんな事を言って速度を上げる。不二もそれに倣った。
「あぁ本当。睨まれてる睨まれてる」
「うわ――――――――――――――――…怖――――――――――――――――…」
 語尾を伸ばして呟く菊丸を、不二と乾は揃って見遣って。
「怖いって言えてるうちが花だよねぇ」
「思える内が楽だよな」
 等と呟く。
「……なにそれ」
「教訓っスか?」
「似たようなものだね」
「言わぬが花。知らぬが仏」
「教えろよ」
『嫌』
 重なって返された言葉。二人が何か問うより早く、乾と不二は一様に速度を上げた。


「…っ終了っと」
 かしゃんとフェンスに手を着いて、それから不二は息を整える。
 ちょっと速度を上げすぎて走ってしまったのは馬鹿みたいだ。
 ざりと視界に入り込んだ靴が、土を踏む音。メーカーで判断は付く。

「終わったよ二十週」
 手塚だ。
 しかし見上げた先で、また彼は難しい顔をしている。
「………? なに? まさか追加?」
「……いや。他はどうした」
「…他?」
 クエスチョンマークを浮かべて、くるりと後ろを振り返る。
 手塚が、難しい顔をしたのも判った。

「…………あれ」
 誰もいない。
 三人とも居ない。
 どうしたことだこれは。
「………ごめ、僕全然気付かなかった……」
「それよりあいつらは何処へ行ったんだ」
「あはは、知らない」
「探すぞ」
「はーい…」
 ていうか、気付けなかった僕が悪いんだろうか。とか胸中で思わないでもない。


 校庭をしばらく走って、ついには校舎の側まで探して。
 校舎裏、木々の木陰になった、日差しの抜け穴。
 木々の影が、まだらに落ちて水面のようだ。

「…………あれあれ」
「……………」
 よっぽど眠かったんだねぇなんて不二の声と、余計に皺の増えた手塚と。
 二人の眼前。
 一本の木の根元に寄りかかって寝息を立てる乾と、少し離れた草の上に越前と菊丸。
「…追加、何週?」
「三十」
「…うわ大変」
 自業自得だけど、なんて言いながら不二はひょいと乾の側にしゃがみ込んだ。

「おい、不二…」
「いいじゃない少しくらい。どうせデータ整理で遅くなったんだよ」
 起きないかななんて、顔の前で手を振る不二は明らかに楽しんでいて、手塚も止める気をなくす。
「乾が居眠りなんて珍しいじゃない」
 眼鏡を、邪魔とばかりに外して。それでも起きない彼の素顔をまじまじと眺める。
「……どうした?」
「ん――――――――――――――――……」
 黒い髪が掛かった、影になった顔。図体だけでかくなって、眼鏡の下は一年の時と大差ないように見える。
「……素顔は年相応、かな?」
 指さして笑う。見上げた表情は如何にも、楽しげで。
 木漏れ日の中にとても似合いで。

「…………部活中、なんだが」
 思わずそう零しながら、少しだけ近づいた。
「……固い事言わないの」
「不二…」
「いいじゃない、少しだけ。どうしてもって言うならまた走るからさ」
 とんと、乾の横に腰を下ろして、ね? と手塚に手招きをする。
「俺にも走れと?」
「走りたくなければコートに戻りなよ」
 そんなこと言ってないと、くすくす笑って不二は背中を木の幹に当てる。
 もう言っても無駄とは、何となく悟れる。
 負け惜しみで。

「五分だけだ」

 そう言って座り込む。眼を閉じた不二が、呼吸だけでくすりと笑った。





『…………………………………………………………………………』
 同じ色の沈黙。
 視線の先も同じ。
「………………………………………………………………………………………おチビぃ」
「…………………………………………………………………………言わずとも知れるんで言わなくていいっス」
「……言わせろよ」
「………嫌っスよ」
 心地の良い木漏れ日。
 草の上。
 一本の木。

「………………………追加、何週かね?」
「………………………ま、同罪って事で」

 自分達が誘って、そのまま木の根元に凭れて眠ったままの乾の。
 膝を枕代わりに寝息を立てているのは誘い損ねた不二。
 更に驚くべきは、その反対側で草の上に寝っ転がっている部長で。

「………………うーん…………怖い?」
「……………かどうかは別にして。なぁんか二人の言い分も判ったような」
「要追求?」
「…面倒っしょ」
 寝かしときましょ。
「その方が、俺達にはお得っスよ」
 踵を返した後輩を一度目で追って、菊丸はまだ見たりないというように三人を見返す。
「…………………………う――――――――――――――――……………ん……………」
 地上を渡る風も、遠くのテニスボールの弾む音も。
 三人にとってはいい子守歌。

「……………やっぱ、怖いかも」
 ぽつりと呟いた菊丸が、そのまま素直にコートに戻った後もしばらく、眠りは妨げられないままだった。