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キミを愛そう/星の向こうで感じる距離で
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高速の回転がかかった黄色いボールがベースラインを叩いた瞬間、審判も、観客も、相手も、相手の味方も呼吸を忘れた。
ただ、自分の味方たちだけが時が動いていると教えるように歓声をあげる。
「ゲ…」
審判が我に返り、僅か上擦った声を飲み込む。そして高らかに告げた。
「ゲームセット! ウォンバイ比嘉、木手! 6-0!」
その声は、沖縄比嘉中の九州地区大会優勝を告げたも同然だった。
「っあ―――――――――――! きっもちいー!」
「あ、わかるわかる! わんもすかってした!」
閉会式を終えた後、着替えもしないままコート脇の芝生に集まって、ペットボトルを片手に騒ぐ甲斐と平古場を、木手は止めるでなく見遣った。
これは、成果だ。
これが、頑張ったからこそ必ず叶った褒美だ。そう思った。
「こら、あんまりはしゃがないの。そんな嬉しい?」
それでも口はそう言っている。木手の癖だ。
「うれしいって! あのじら! 試合前はまぐれっつってたのによ! 終わったあと真っ青なの!」
「あんだよ永四郎も喜べよー!」
「別に、」
喜んでいないわけじゃない。この大会が始まった時、比嘉は所詮沖縄勢と当たり前の弱者と見られた。
二十五年九州地区止まりの沖縄代表など、九州の強豪校にとってただ試合しなくてはならない手間なだけの消化枠だ。
事実、他の沖縄勢の学校はみな一回戦敗退。唯一決勝まで進んだ比嘉を応援した彼らも、まさか比嘉が優勝するなぞ思ってもいなかったのだ。多分、沖縄だってやればこのくらいは出来るという、他力本願の弱い遠吠えのつもりの応援だったのだろう。だから、木手がリターンエースで勝利した瞬間、歓声をあげたのが比嘉の選手しかいなかったのだ。
沖縄は観光名所としては有名だ。東京方面の学校で、沖縄に修学旅行で来ないのは海外に行く金持ち学校くらいで、修学旅行先としては京都、奈良と同じく、沖縄は常連名である。
しかし、その沖縄でスポーツ、と聞けば強い選手など浮かばない。それが普通だった。
少なくとも、今年までは。
腕を組んでフェンスに寄りかかりながら、木手は手で口元を隠して笑った。
それは確信の笑みだった。
これからだ。
鍛えたのは同輩だけではない。後輩達も次の時代を間違いなく築けるよう育てている。
これで比嘉中はこの先九州で知らないものはいない学校になる。
いや、きっと全国でもだ。そうしてみせるだけの努力を、木手はしてきたし、仲間もしてきた。
こうみえて、木手はおとなしやかな人間ではない。人一倍負けん気が強く、プライドも気の強さも人一倍だと自覚がある。
それでも人一倍冷静に振る舞うのは、主将という立場故だと知念は思っている。
比嘉で木手に信頼(ある意味信仰と紙一重の)を寄せていない部員はいない。
同輩でレギュラーの平古場たちこそ馴れ馴れしいが、他の一年、二年は木手の言うことならば人殺しさえ疑わずするんじゃないか、と思うくらい木手の言葉に従順で、その指示を間違いと疑う警戒も躊躇いもない。木手はひどく信頼されていて、事実、それにたる人間だ。
監督の早乙女はお世辞にもいい監督ではなく、ひどく自分勝手で暴力的だ。
比嘉中を強くしたのは、自分たちを強くしたのは間違いなく木手永四郎その人で、早乙女ではない。ともすれば早乙女の暴力的な指導からまだ弱い一年を庇ってまでくれて、一から弱点まで見て、指導してくれる木手に皆全幅の信頼を置いている。
木手は潔癖で神経質なとこはあれど、テニスに誠実で嘘がなく、自分が集めた以上、始めた以上惨めな思いは仲間に絶対させないと強く言い、そして必ずそれを現実に出来る力と信念を持った木手を、嫌う部員は少なくとも比嘉には誰もいないと思っている。
その木手が、こういう口振りをするのは、少なからず味方を思っているからで、他者を馬鹿にしているつもりではない。
だから、知念はその兆しを先程の木手の“別に、”に見ても止めなかった。
「喜んでないわけじゃないです。ただ、目標はたかがブロック大会如きの優勝じゃないでしょ。その分は全国制覇の時にとっておきなさいよ」
周囲の学校にも聞こえる冷ややかな木手の声に、他校の選手も教師もざわめきたった。
自分たちが惨めに負けた大会を指して“たかがブロック体会”と言ってのける木手に対する殺気めいた陰口があちこちで響く。
しかし、“所詮まぐれだ”と言い切る選手は全くいなかった。
一回戦、二回戦までは“まぐれだ”と言い切る人間ばかりだった。
しかし、決勝までを巨漢の田仁志を先方としたレギュラーで、一ゲームも与えず勝ち進み、決勝の全国常連校である獅子楽すら誰一人一ゲームも落とさず勝利し、最後S1の木手が一ゲームはおろか、ほとんどポイントも与えずに勝利した今は違った。
観客はともかく、戦った選手やその学校の監督には比嘉中の強さははっきりわかっているのだ。それをまぐれとは言い切れない。まぐれと言い切るなら、それに負けた彼らがまぐれで負ける程度の選手だと自分で自分を貶めることになるからだ。
現に今も、“まぐれだろ”という選手はいても、すぐ他の選手が“まぐれなわけあるか! あの動きのどこがまぐれか!”という訂正に“…そうだな”と言葉を直すのだ。
事実、決勝相手の獅子楽の選手は、一切の嘲笑をしなかった。
ストレート負けしたショックの大きさ故か、試合後の挨拶で負け犬の遠吠えよろしくなにかたたかれると思っていたが、部長も部員もなにも一言も言わずただずっと俯いていた。
「だーなー! みんな弱すぎ! なんで今まで獅子楽強かったわけさ?」
「あのね、人の話訊いてました? 橘クンと千歳クンがいなくなったからでしょ」
「だからだって! 橘と千歳だろ? じゃ二人じゃん。二人じゃ二勝しかあがんないじゃん。三勝してこそチーム優勝だろ? だからわんてっきり他の選手もそこそこ強いと思ってた!」
「あ、わかる。まさかラブゲームで勝てるとはおもわんかった」
と平古場が甲斐に賛同する。
そこを、知念が大きな身長を屈めて座り、言った。
「平古場、甲斐。その辺で」
「…ぬーが? 知念どした?」
「知念くん?」
その様子を、平古場や甲斐はもちろん、木手も不思議に思った。
知念という男は、木手の元に一番に集まっただけあって愛校心がひどく強く(副部長じゃないのが不思議なくらいだ)、比嘉を格下と馬鹿にする選手を許さない。
冷静に見えて、キレると一番怖い男だ。
だから、知念も今までの大会での比嘉に対する陰口にはそれ相応の挑発で返している。
その知念が止めるとはどういうことか。
知念は声を潜めて。
「特に獅子楽がかなり頭にきてるっぽいから、あまり挑発しない方がいい。
全国進出が決まった以上、わったーも暴力振るえないし、かといってやられっぱなしじゃ怪我して駄目になる」
続いた言葉に納得した。
「そうですね。平古場クン、甲斐クン、静かにね」
「最初に言ったの永四郎なのに……」
「ま、いーけーど。今は気分最高だし?」
心持ちみな余裕もあって、知念の忠告を受け入れる。
だから、そこに見覚えある顔が近寄っても、みなさして危険だと思わなかった。
みな武術の使い手なのだ。知念はああいったが、いざとなれば防御しているだけに見せて、相手を倒す方法など彼らはいくらでも知っている。周囲に防御としか見えないならば、暴力を振るったコトにはならないのだ。
「おい」
獅子楽の連中だった。
しかし一番近くにいた平古場は軽く無視して“なーアイス食べたい。アイス売ってる自販機ない?”と甲斐に振った。
「おい」
「あ? あるだわけ? んなもん関東行かないとないに決まってんだろ凛」
「あー、修学旅行であったよな。東京。アイスの売ってる自販機。
平古場三つも四つも買って、腹壊して」
「おい!」
「…んだよ知念。慧くんのほーが山ほど食べてたさ」
「あ、そうそう。慧がな。お前それ百円勿体ないだろって感じでさ。一口でぱくって」
「おいこら聞いてんのかよ!」
「「「「聞こえてるってうるさいな」」」」
「でさー、当たりがないって嘆いてたよな」
「コンビニで売ってんじゃないんだから当たりあるわけねーじゃんなー?」
「慧くんは食べ物のこととなると馬鹿になる」
「知念ひどいさー」
「平古場と甲斐の方がよりひどいこと言ってるし」
獅子楽の一人があからさまな平古場たちの態度に舌打ちを大きくしても、誰一人注意を向けない。その態度が余程頭に来たのだろう。
木手がそろそろ移動した方がよさそうだと思った時だ。足首にぬるい感触を感じて、身が一瞬震えた。
「……へへ…部長さんよ…ほせえ足首だな…。一握りしてまだ余る」
まずい、完全にキレている。足首を掴まれながらも、木手は呑気にそう思った。
木手は基本、片足で何十時間も立っていられるので、片足を掴まれたくらいは慌てる範疇に入らない。他人の手の感触が気持ち悪いというのは別個にしても。その足で相手を吹っ飛ばすくらいは出来るので、あまり危機感はない。
しかし多少腹は立った。木手は身長と体重、体格の割りに人一倍小さい自分の足を気にしている。縮地があるからテニスをやっている時はあまり気にしないが、足の小ささや細さは、ボールを追う時、長時間の試合で身体を支える時、足の大きな選手に比べ多少の遅れを取る。
「…しかし、真面目に見りゃどことなくカマくせえな。あんた。
もう手術済みってか?」
ぎゃははと汚く笑う相手に、嫌悪感は実際あまりない。割合女性的だ、と木手は言われ慣れている。かといって、別にそういう人種ではない。単純に物心つくころには武術をやっていたから、身体の線や芯の動きがそう見えるだけなのだ。
しかし側で立った殺気に、木手は初めてやばいと思った。知念だ。
失念していた。知念は木手をひどく、ともすれば弟のように思っているところがある。
それだけの愛情があるのだ。木手を“女性らしい”ならまだしも“カマ”扱いされて、怒らない男ではなかった。
「知念クン…ッ」
いいから、と続けて制止しようとした言葉は足に触れた冷たい感触に、知念の振り上げられかけた腕と共に止められた。
「あんた、武術使いなんだろ? 流石に足の腱切ったら、どうなんのかなぁ」
掴まれた足首にナイフの切っ先が当たっている。既にジャージの一部が切り裂かれていた。
それを見て、攻撃出来る知念ではない。平古場たちも顔色を変えた。
「キミ、自校の出場とか、いいんですか?」
「は? お優しいな。そんなこと気にしてくれんのか」
「いえね、俺はあくまで実力で名を轟かせたいわけですよ。それが“部長刺される”なんて見出しで有名になっても嬉しくないもので」
「そーかい」
「いいんですか? 獅子楽だって全国行き、決まってるでしょ」
「そうだな」
「だったらそれ、退けなさい」
「いや?」
「……」
どういうつもりだと思った。ナイフを出した時点で、既にまずいのだ。
それなのに、これだけ言ってもやめないというのは。
「俺はな、いわゆる捨て鉢部員でな。試合に勝てば部に残っていいって言われててな」
「……つまり、負けたからもう獅子楽部員じゃないから、なにしても全国出場に傷はつかないから?」
「そういうこった」
まずいな、とため息をついた。
穏便に済む相手ではなさそうだ。それも部のことも保険にはならない。
そうは考えたが、これは少し分が悪い。平古場たちも知念もナイフの方が先に肉を傷付けるなら手出しが出来ない。一年と二年の部員が、罵倒したくてたまらないが、すれば尊敬する部長が怪我をするので出来ずに悔しげに顔を曇らせる。
ナイフが軽く肉に食い込んだ。皮膚の一枚が切れて、血が滲む。
その時だ。
木手の足にナイフが食い込まない絶妙の角度で相手のナイフを持つ手の上に落とされた下駄が、それを止めた。
「っ! あでででででで!」
ナイフごと足を、よりによって下駄で踏まれた選手は痛がってナイフから手を放す。
その隙にナイフを拾って遠くまで放り投げた甲斐が、大丈夫か? と聞いた。
顔がやや青い。心底心配したらしい。
「すみません。大丈夫です」
答えて、後輩たちにももう大丈夫だと合図をしてから、その下駄の持ち主を見上げて、少し驚いた。
「……千歳、クン?」
そこにいたのは今は獅子楽にいない千歳だった。
「キミ、大阪に転校したんじゃ…。というか大会はいいんですか。九州なんかにいて」
「関西大会は一昨日終わったたい。ちょっと見に来たとよ」
「はあ…まあ、助かったから礼は言いますよ」
木手と千歳は二年の時に知り合っている。さして親しくないが、会えば会話をする仲だ。
「ち、千歳!?」
踏まれた選手が悲鳴のように叫ぶ。
「退くばいよ。邪魔けん」
「お前…」
「こらぁ! てめえらなにやっとるか! 早く儂のとこへあつまらんかい!」
聞き慣れた怒声が邪魔をした。早乙女だ。
竹刀を肩に乗せて歩いて来て、ちらんかいとばかりに怒鳴る。自分のところの主将の怪我も知ったことではないという顔だ。
しかし有り難い。早乙女は如何にも顔から身体から暴力を振るいますという教師の見本なので、大抵のうるさいヤツは早乙女を見ると殴られると思って逃げる。
いい虫除けだ、と言ったら、あんな恐ろしい虫除けはいらん、と平古場は前に言っていた。
ナイフはどこへやら、その選手も遠吠えすら残さず逃げていく。
千歳が追うでなく、ため息を軽く吐くと。
「追わんでよかった?」
「ええ。噂ならまだしも、警察に届けられて、さっき俺が言ったような評判で有名になっても嬉しくないしね」
「木手は相変わらず木手らしかなー」
「木手! 真っ先に儂のとこに報告にこんか!」
「……行きましたよ。行ったら監督、お酒を過ごされてて聞いてなかったじゃないですか。
酔いはさめたんですか」
「ああ? そうだったか?」
「そうですよ。チューハイの缶開けたとこだったから覚えてます」
「そうか? 覚えてねえ。まあ来たんならいい。後でもう一回報告しなおせ」
「はい」
言うだけいって早乙女は踵を返した。
甲斐がまだ青さの残る顔で、“なにしに来たんだよ…”と呟いた。
あとは昼食を取って帰るだけになった。
木手の傷は軽い切り傷で深くなかったが、切れた範囲が長かったためガーゼを貼られた。
それをちらちらと気にして見ながら、甲斐と平古場が昼食を口に運んでいる。
「永四郎は? 食べないのか?」
「後で食べますよ」
「……“また”吐き気がするのか? さっきの所為か?」
また、と知念に聞かれて、木手はすまなそうに笑った。
甲斐と平古場も、箸を止める。
木手には拒食症のようなところがあった。
食べ物を完全に受け付けないまでも、精神状態でひどく、一口食べることすら辛い時がある。
そういう時は女子が食べるような小さい弁当箱の中身すら食べきれない。
半分食べたところで、これ以上食べたら間違いなく吐く、という吐き気に襲われるからだ。
それに、木手の生い立ちが関わっていることを、少なくともレギュラーは知っていた。
「……また、なんかあるのか?」
「……全国大会の前に、親族総出の挨拶が」
木手が仕方なく答えると、甲斐と平古場、田仁志があからさまに不機嫌になった。
知念は木手を心配して、こういう時でも食べられる果物の入ったタッパを渡してくれた。
知念は、木手がそういう体質だと知ってから、木手が唐突にそうなった時のために必ずフルーツの入ったタッパを持ってくるようになった。
甲斐たちは、“まだ中学生だろ? なんだよ”と木手の親族に文句を呟く。
正確には、木手の生い立ちはあまり関係がない。木手の血の繋がりに関わっているのだ。
そもそも木手の父親はアパレル系の会社員だ。母親も至って普通の専業主婦である。
しかし、その母親の血統に問題があった。
母親が、沖縄に道場を構える琉球空手の総本山と言われる本家の家の当主の次女なのだ。
父の頼み込みに、当主である木手の祖父は、長女がいるということもあって次女を木手の父に嫁に出した。だがその後、子を流産したことがきっかけで一子ももうけないまま、長女が子の産めない身体になったのだ。
本家の当主の子は木手の母とその女性だけで、息子はいない。
そして木手に兄や弟がいない以上、木手が本家の跡取りなのだ。
それは木手が生まれて一歳になる前には決まったことであり、母親が年を重ねてもうほとんど次の子など産めない年になった今では、最早木手が本家の跡取りだというのは動かぬ決定になっている。
そのため木手は幼い頃から親元ではなく祖父の元で武術を教えられてきた。
ただ、祖父も家にこもるだけではいけないと考えてくれたので、テニスをやることにも喜ばれたのだ。
ただ、ただ一人の跡取りであるために、また武術家として既に類を見ない程強く、バランス感覚の超人である木手は、ひどく親族からも大事にされていて、こうやってなにかと本家に呼び出され、親族の挨拶に出されることは多い。
それも最初は嬉しかったものの、テニスを始めて以降、祖父はともかく、親族が反対してまだテニスをやっているというとやれ“またそんな悪さを”等と口さがなく言われるのだ。その上全国を目指していて、卒業後も後輩の面倒を見るつもりであると知れればなにを言われるかわからない。最悪テニスさえ中学で辞めさせられてしまうのではという危惧と親族の期待が重圧になって、木手は度々拒食を起こすようになった。
「すいません…。折角全国行きが決まったのに、よりによって主将がそんな様で」
それが自分の心の弱さから来ていると思いこんでいる木手は、非常に申し訳なく思って謝った。
「な…誰が永四郎が悪いっつったよ!」
「なあ木手、一回くらい休んだっていいじゃんよ。継ぐっていう意志が確かならあっちだっていいんだろ?」
甲斐と平古場が続けて言う。
それが余計、申し訳なかった。彼らの努力の上に成り立った喜びに水を差したと思ってしまうからだ。
「甲斐、平古場。そういう言い方は、余計永四郎が困る」
知念は、そう言って止める。
知念は祖父に会ったことがある。祖父が孫の友達の顔が見たいと言ったことがあって、その時それなりに礼儀をわきまえていて、かつそんな退屈な呼び出しに応じてくれる友人が木手には知念しかいなかったからだ。知念は二つ返事で引き受けてくれた。
武術家と聞いてはいたが、より長い手足と身長の知念は祖父に大層気に入られて、孫を頼むと再三言われている。知念としても、祖父単体なら嫌っていない。知念が嫌っているのは身勝手な親族であって、木手のやることを尊重している祖父ではない。
また、武術家としては木手の祖父ほど教えを乞うのに充分な相手もいないからだ。
「木手」
しかしかかった声は、比嘉のメンバーとは全く違う声だった。
ふと顔を上げると、見知らぬ男が立っている。いや、正確には日差しが逆光になって顔が見えない。
「木手、永四郎…か? 比嘉の、部長の」
相手は、今度は断定ではなく確認するように呼んだ。
「そうですけど、キミは? ここらの地方の人じゃないですよね。訛りがない」
「ああ、すまない」
相手が一歩下がった。それで、日差しが建物に遮られて顔がようやく見えた。
「………手塚?」
木手が、まさかと思って言った。相手は東京の青学の部長だった。
「…手塚? だれそれ」
言った甲斐を、不知火と新垣が持っていたタオルではっ倒した。
テニスをやっているなら“手塚”の名前は有名である。
「……あ、青学の手塚な。ここ九州だから結びつかんかった」
流石に二枚のタオルで叩かれれば痛い顔を撫でて、甲斐が呟く。
「何故キミがここに。日程、さっき確認したけど、確か今日が関東の決勝じゃないんですか…………ああ」
問いかけて、木手は自己完結のように納得した。
「…確か、肩の怪我で来ていたんでしたね。こっち」
「ああ。……聞いていたか」
「まあ、主将ですから?」
「弁当、開けないのか? ……まさか“まだ”食べられないのか」
「…………え? 木手、青学の手塚と知り合い?」
木手の拒食を知っているのは、比嘉のレギュラーと監督の早乙女。それから祖父と両親くらいだ。あとは木手の学友くらい。
「手塚の祖父が、警察の柔道の師範でね」
「…ああ、じーさんが友達なんか」
「といっても、小学校にあがる前に一度、本土に行った時会ったことがあっただけで、友達でもなんでもないですよ。テニスしてるのは、知ってましたけど。事実、さっき手塚は俺のことケツに疑問符で呼んだでしょ?」
「あー…………」
「キミは? リハビリ終わったの? 偵察?」
「……」
手塚は嘆息のようなため息を吐いた。
「…?」
「祖父が、優勝するならお前のいるところだからと、どうせなら会って来いと」
「ああ……。俺、大会前に本家行きますから、祖父に会いたいなら案内しますけど?」
「……………」
「……手塚?」
ジャージの裾についた泥を払っていて、手塚を見ていなかった木手は、そこで初めて手塚を再び見上げた。
手塚は、何処か諦めのような顔で木手を見下ろしている。
「………俺は」
「……」
「あの日お前が、“テニスをやっている。だから戦えるなら楽しみです”と言ったのを覚えている。………………………一戦交えようくらい、言ってくれると思っていた」
「…………そんなこと言いましたっけ。…第一、キミが今リハビリ中なの知ってるのに試合したいっていう馬鹿に見えるんですか俺」
「………いや」
手塚はそれきり、諦めたようにため息を零すことすらせず、背中を向けた。
「全国で」
「……」
「全国で当たるのを楽しみにしている」
そう言って、手塚は会場の入り口に向かって行ってしまった。
「……なんだ、あれ」
甲斐が意味がわからないという風だ。平古場も似たような顔で、首を傾げている。
木手はまた胸が重くなったのを感じた。
会った記憶はあった。しかし、そんな言葉を交わした記憶はなかった。
まるで一生に関わる大事な約束を忘れたのかと責められたようで、胸が重かった。
「あ、手ザカ……だっけ。帰っちゃったんだ」
背後から声がして、流石の木手も驚いた。知念たちもだ。
そこに気付けば、ひどく猫目猫背の青年がいる。黒い肌に黒髪、眼鏡の一見とっぽい男だ。
「………手塚、です。伊勢クン」
「あ、…………鈴。やー、なんでいるさ? やーって弓道部だろ」
知念がいぶかしんで言った。
伊勢 鈴(いせ すず)。通称リン。比嘉中三年で木手のクラスメイトであり、木手の数少ないテニス以外の学友だ。通っている空手道場が平古場・甲斐・田仁志と同じ道場なため、仲がよい。その上伊勢は木手が跡取りである家の分家の息子。つまり親族の一人だ。
それでも木手と親しいのは、少なからず木手のやることを肯定しているからで。
「……やー、相変わらず気配消すことだけだけは上手な」
「“だけ”を二回言わないでくれゆーじ(甲斐のこと)。まあ僕は事実気配を消すこと以外特技ないけどね、空手でもね」
「…自分で自分を貶さんでいいから。わかってるからやーが並はずれて弱いの」
「…ヒラくんフォローになってない……」
「……もしかして、手塚を案内したの、伊勢?」
「…ん、一応。あれが木手に会った時、僕いたしね」
「……伊勢クン」
「なに?」
「俺、一戦交えよう的な約束って、その時手塚としました?」
「………なんか、中学行ったら試合しよう的なこと言ってたよ?」
「……………」
じゃああれは手塚の戯言じゃなくて俺の記憶違いか。と木手はおっくうになる。
「…………」
「永四郎」
気にするな、そう知念は言う。
タッパを開けてやって、フォークに刺したオレンジを木手に握らせた。
食べろというのだろう。オレンジくらいなら吐き気も覚えないので、有り難く口に運ぶ。
酸味が口を潤して、木手は少し落ち着いたように空を仰ぐ。
空は明るく、暑かった。全国だ。そう、思った。
試合は出来ない、それはわかっていた。
手塚は会場の入り口で振り返ってもう見えない木手の姿を探した。
それでも願ったのは、あの頃自分の名前で判断して試合を願う選手が多かった中で、純粋に“テニスをやっているから”ということだけで試合を願った木手の言葉は、嬉しかったからだ。
まるでテニスを初めてやった時、コートに入っていいと言われたような、あの喜びを。
淋しかった。それを彼が覚えていないことが。
覚えている。その時の、はにかむような笑みも、大人びた口調も。
お世辞ではない、言葉のこもったテニスへの愛情を。
覚えている。キミが忘れてしまっていても。
キミを想う。キミが変わっても、自分が変わっても、海に遮られても、どんなに遠くても。
星の向こうの距離で、キミが笑っていても。
後書き
木手と手塚が試合前さして会話していなかったのをいいことに、知り合いであるとでちあげてみた。
ただ前置き長すぎたね。個人的に木手の足がちっさい(40.5見てぎょっとした)のをどっかでいじりたくて
書いてみた。危機感なさすぎっすうちの比嘉中。
不知火と新垣を動かそうと四苦八苦した結果、甲斐にタオルの一撃をくらわせる程度で終わってしまった。無念。
木手の拒食と実家構成は妄想。せめてもうちょっとロマンが欲しい。みたいな感じで考えた。(何処がロマンだ)
拒食症は海瀬の体験談です。吐くほどひどくなかれど、一口すらたべれんって時があります。ひどいときは二日
くらいなにも食べてないのに腹が全く空腹を訴えません。
やばいよな。とりあえず。
千歳と橘あたりと木手は顔見知りなんじゃない?っていうのが妄想。
このキミを愛そうシリーズは短編短編、で続くシリーズ。逢魔が時みたくあからさまに長編じゃなく
一話ごとに完結してて、続くみたいな。平古場たちが自分のことを「俺」じゃなく「わん」「わったー」と言ってるのがこのシリーズ。
中途半端にうちなーぐち。手塚×木手を書くにあたって、沖縄と東京は遠すぎじゃ!とパラレルばっか書いてたら
そういや手塚、一時期九州にいたんじゃん、と気付く。遅いよ。
そして出来上がったこのシリーズ。せめて手塚が帰るまでに出来上がってくれないかな。
出来上がった上で原作S1がああなのも怖いな。いいか。どっちでも。
基本、うちの知念は木手のことをほっとけない弟、のように思っています。
平古場と甲斐は結構すき、という感じ。田仁志は純粋に尊敬。新垣と不知火は頼れる、という感じで。
…誰一人カップリングになりません。うちの比嘉。カップリングが比嘉内で成立してるサイト様に謝れ―――――!(汗)
ということで私は手塚だったり他の誰だったりが相手です。しいてなるなら平古場?
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