最初から、キミしか知らない。

 キミしか、要らない。


 最初で最後の、運命の子。








禁断











「千里、来なさい」
 その日、俺は初めて彼に出会った。
 六歳の誕生日を過ぎた日。彼が生まれた日。
 俺の父親は、当時の南方国家〈パール〉国王の腹心で、母親は彼の乳母になることが決まっていた。
 乳兄弟に当たることになる、彼―――――――南方国家〈パール〉第二王子、蔵ノ介。
 出会ったのは、彼が生まれた時。

 最初から、彼を知っていた。

 言い換えれば、彼は最初から俺しか、知らないのだ。





「千里!」
 なにしろ、蔵ノ介は元気で明るかった。
 俺は、ずっと傍で見ていた。
 哀れみの寂寥で愛でた時期はとても短く、胸の詰まるような愛情で見つめた日々の方がずっと、長い。
 彼が、五歳を過ぎる頃には多分囚われていた。俺の方が、既に彼なしで生きられなくなっていた。
 彼が、十一歳の時、俺は十七歳で、随分身長差もあったけど、蔵ノ介は気にすることもなかった。
 一年、一年が大事で、重かったのだ。
 だって、彼は、



「…直系血統?」
 あれは、十一年前、蔵ノ介が生まれた数日後だ。
 父と、国王に呼ばれて、俺は一人、その秘密を抱えることになった。
 南方国家〈パール〉には、初代王の血筋を薄めず保つための因習がある。
 外部との交わりを全く持たず作る、兄弟結婚で生まれる直系血統。
 得てして短命で、二十歳には死に至る。



「…千里?」
 なにも知らず、見上げる蔵ノ介の大きな瞳に囚われるたび、愛しくて苦しくなる。
 悲しくて、苦しくなった。
「…蔵」
 彼を、あとたった八年か九年そこらで失うのか。
 一年なんてあっという間だ。彼はすぐ二十歳になる。
 そして、死んでしまう。
 不思議そうに見上げる顔。まだ、幼い。
 十一歳の子供。
「…蔵は、俺を好いとう?」
「…? 好きやで?」
 屈託なく答える唇を、そっと塞いだ。
 一瞬、なにが起こったかわからず茫然として、すぐ抵抗した身体を押さえ込むのは容易く、皮肉にも彼の悲鳴は全く俺の抑制には働かなかった。
 まだ幼い身体を陵辱しても、罪悪感はないほどに、多分その時から狂ってはいたのだ。
 泣き叫ぶ姿を最後まで犯してしまうほどには、彼に狂っていたし、恋していた。



 だって、一年はすぐ終わるんだ。



 だって、いつまで待てばいい?
 彼が俺を特別に愛するのを。育つのを。
 一生愛さないまま死ぬかもしれないのに。

 待てるわけがなかった。

 だって、彼は死んでしまう。
 直系血統だから。二十歳には。

 その前に手に入れたくて、思いやれなかった。



 夜に、自分を見上げる顔はいつだって冷たい。
 段々、蔵ノ介も諦めてきていた。俺を拒むことも、助けを待つことも。
 なにしろ、男に犯されたなんて話は彼はとても誰かに言えないし。
 そうして、いつか彼の方が抱かれることを諦めて、享受して、それは彼が十五歳の日。

 いつものように面倒そうに、瞳の奥で厭うた色を伏せて、俺から視線を逸らした。
 寝台に押し倒された身体。その上にのしかかった自分を、見ようとしない。
「…蔵」
 返事も。
「……蔵」
 何度か目で、面倒そうに瞳を向けたが、声は発さなかった。
「…蔵」
 押さえつけていた両手首を、その時何故か離してしまった。
 抵抗しもしないし、逃げることもしない。
 けれど、俺を拒絶したように、名前を呼ばない。
 気付けば、あの時からずっと。

 だって、待てなかった。

 だってもう時間がない。

 その晩、初めて抱かずに部屋を出ていった自分を、彼がどう見送ったか知らない。
 安堵しているとは、思っていたけれど。




 覚えていない。
 初めて身体を貫かれた時は、幼すぎて、鮮明な記憶も残らない。
 ただ、裏切られた気持ちと、彼に対する不発弾のような恐怖があっただけで。
 そのうちに、諦めた。
 修復したいと、思ったことは何度もあった。
 千里を好きだったし、大事だったから、元に戻りたかった。
 気の迷いならいい。気分が悪かっただけなら。
 そう願っても、すぐまた裏切られて、信じても裏切られる。
 だから、面倒になった。彼を信じることを、元に戻るということ。

「…殿下は、最近千里と話しませんね」
 ある日、宮仕えの男に言われた。そうか?と淡々と返しながら、最近どころじゃないと思う。
 あの日から、まともに話していないんだし。
「………殿下は、千里が嫌いですか?」
「……………」
 わからない。
 諦めているだけで、まだ、戻れるなら戻りたいと思っている。
 やはり、まだ好きなのだろうか。意味もないのに。
 答えない自分に、男は話題を変えようと考えたあと、明るく作った声で言う。
「兄上は、よくなりましたか?」
「会わせてもらってへんし」
 そのころ既に、たった一人の異母兄は病気を患っていて、会えなくなっていた。
 俺が知っていると思っていたらしく、男はたちまち困った風になる。
 その時だ。上で悲鳴がした。
 なんだろうと思う暇なく、上の階から誰かが飛び降りてきた。
 傍の男が、見てすぐ悲鳴を漏らした。
 彼の名前を呼んだ声も聞いた。兄の名前。
 彼が? 目の前の、彼が?

 あの、爛れた皮膚しかない、生きているかも不思議なあれが?

 よろける足でそれが近づくのを、茫然としか見れなかった。逃げる余地がなかった。
 それが俺に触れるその前に、いつの間にか間に割っていた身体が、それをナイフで殺した。
 返り血を浴びた姿は、間違いなく。
「…せんり?」
「……、」
 血に汚れた顔で、千里は随分驚いたように俺を見た。
 そして、すぐ、とても嬉しそうに微笑んだ。
 あの日以来、見れなかった、大好きな顔で。

 でも、彼はすぐいなくなった。

 連れていかれた。
 理由を、やっと知らされた。
 兄は、治らない病気で、その病は人に伝染る。
 だから、誰も会わないよう封鎖した場所にいた。
 そこから逃げ出した以上、兄を誰かが殺すしかなく、けれど血を浴びれば病も伝染る。
 誰もその役をかってでる人はいないはずだ。なのに、千里はそうした。
 病の症状も現れていないのに、隔離された千里は一言、こう答えたと人伝えに訊いた。

「蔵が死ぬより、俺が死んだ方がいい」

 ああ、あれはやっぱり馬鹿だ。
 俺とやり直そうとか、元に戻ろうとか、そんなつもりが最初からない。
 俺の気持ちは無駄だ。
 最後まで、裏切られて終わるわけだ。

 …終わる筈だった。






 かたん、と鳴った窓に千里は立ち上がって窓を閉めた。
 食事は運ばれるが、人とは会わない。
 まだ、病らしい症状は出ないが。
「……」
 あれだけ、格好つけたことを言って、でももう会いたくなって。
 先に死ぬ方がマシだ。なんて嘘だ。
 どっちもイヤだ。どっちも同じだ。
 彼を抱けない、会えない、笑う顔に触れられない。
 同じだ。
 微かに零れた涙を拭って、視線を動かした時、なにかが視界に触れた。
 幻かと思って振り向き、すぐ疑った。
 蔵ノ介がいるはずない。
 誰も来ないんだここは。
 それ以前に、彼は俺を憎んでる。
「………アホや」
 けれど、そこに座る人影は間違いなく蔵ノ介で、幻じゃない。
「……なして」
「………………………………………………………もうええ」
「…え」
「好きって言え。いつもみたく」
 立ち上がった身体が、不意に微笑んでそう言う。
「それでチャラ」
「…。…蔵?」
 いろいろ、わからない。
 けれど、彼が昔のように俺に微笑んだから、なんだかどうでもよくなってしまって。
 手を伸ばしたら、彼の方から引き寄せられた。
 ただ、抱く身体は、暖かかった。





 兄の病は、人から人に感染しない病だったことが後にわかる。
 兄に伝染したのはペットだ。
 外に出られるようになった千里は、しきりに不思議がっていた。
 何故、俺が自分を許したのだろう、と。

 許してない。

 俺の不発弾は、まだあるままだ。
 未消化なままだ。
 俺も、千里を好きだった。
 なら、何故待たなかった。
 待てば、待っていれば、俺はもっと早く千里に好きだと言ったのに。

 だから、胸のどこかで憎んだまま、諦めたまま、裏切られたまま。

 けれど、千里が待てなかった理由も、千里がいない間に知った。
 俺は、二十歳まで生きないからだ。

 だから、俺も踏ん切りがついた。
 短い命なら、不発弾を抱えて、胸の中に裏切られた憎しみとあきらめを抱えたままでも千里を愛せるから。
 死んだら消えるから、未消化のままでいい。
 解決なんかしなくていい。
 それより、残った時間、千里に会いたい。
 笑う、大好きな顔に、会いたい。


 内緒にした。

 千里にだけは、内緒にした。







 ずっと、内緒にした。








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 番外ミッシングリンク編(リョーマ召還から復讐王の名前がつき、千里が殿下を殺め、謙也が復讐を誓うまでの空白の南方国家〈パール〉の物語)執筆の構想を練ってる途中、そもそも千里と殿下っていつから始まったんだ?になり、考えた結果こうなりました。…うっかり私も殿下は周囲からも二十歳までに死ぬと思われていた「直系血統」設定を忘れてました。
 一部で軽く出ただけだから…。

 2009/02/11