「そういえば、甲斐クン」 部室で着替えていると、不意に木手が言った。 彼の唐突な質問は今更なので、気にせず甲斐はなに?と伺った。 部室には自分と木手、あとは引退を間近に控えた三年の先輩が二人。 「昔やってた、「カノッサの屈辱」って番組知ってます?」 「…? いや、知らない」 「まあ、でしょうね。あれ、関東圏の番組ですし。 沖縄って九州でやってる番組すらほとんど放送されませんし。 地上デジタルになれば違うんでしょうけど、そもそもニュース以外みたいって思いませんし」 「…?」 確かに、沖縄はチャンネル数が相当少ない。 テレビは最早娯楽ではない。ドラマを楽しみにする人間が珍しい。 沖縄県民のテレビの使用例は、ニュース。 それから、好きな作品がドラマ・アニメ化した際、または映画のDVDで見る。 あるいは、子供の多くは、テレビゲームで。 それくらいだ。 実際、甲斐は好きな漫画があってもアニメを見ようとは思わない。 中学生の小遣いでDVDなど無理だし、漫画でいいと思っているし、なによりそんなことよりテニスや道場通いの方が好きだ。 木手や平古場もそうだ。だが大抵の部員の家にゲームだけはある。 そのあたりは、人並みの中学生だと思う。 「その、カ……とかがなに? 関東圏の番組なら、なんで木手知ってんだよ」 「カノッサの屈辱ね。いえ放映当時、本土の友人に深夜のウィンブルドンの録画を頼んだら間違って録画されてたんです。まあ、時間を間違えたんじゃなく、時間を一時間多く録画してしまっていただけでしたから、ウィンブルドンもちゃんと録画されてましたけどね」 「それが?」 「クイズ番組? みたいだったんですけど。 甲斐クン、最初は緑。回ってるうちに赤くなるもの、なんだと思います?」 「…?」 最初は緑。で、最後は赤? 「信号機?」 「先輩、信号機は回りません」 「だな…」 蚊帳の外から答えた先輩が、だよなぁと頷いている。 わからない。 「駄目。わかんない」 降参した甲斐に、木手はつまらなそうに言った。 「ミキサーにいれた青ガエル。だそうですよ」 「ぅげっ! 気持ちワリー! なんつークイズ出すんだよ!」 「その番組に言ってくださいよ」 「今俺に言ったのは木手だろ!」 先輩二人も、うげ、という顔を隠さない。 木手一人が、そうですか?という顔だ。 「うげー…後で凛にも言ってやろ…」 「平古場クンは知ってますよ。俺がそのビデオ見た時、隣にいましたから」 「…」 甲斐は沈黙した。じゃあ知念に話そうと心の中で思う。 「木手。お前性格たまに悪いなぁ」 「え? たまになんですか? いつもじゃなく」 「たまにだよ。いつもじゃないよお前は。いつもだったら俺達お前のこと可愛がんないし」 先輩がだろ?と言って笑い合った。 「そうですか…?」 「外のヤツが好きに言うのは構わないけどな、気にするな。 お前は割合優しい性格してるし。まあ、お前は意識して引き締めるだろうから、甲斐が明るくて助かるだろ」 その言葉には木手は素直に「はい」と答えた。 甲斐はくすぐったくて軽く木手を凝視した。 次の部長は木手だと昔から決まっていたが、最近になって「副部長はキミですからね」と木手に言われた。 木手はずっと甲斐を副部長にすると決めていたらしい。 それでか、と聞いた時納得した。 比嘉中の二年、一年はテニス以外に練習していることがある。 標準語、だ。 全国常連になるんだから、みんな標準語を少しは使えないと困る。 そう木手が言っているからだ。 その木手が特にキミは必ず必要になるから、と標準語をちゃんと覚えろと言い聞かせたのは自分で、それは一年の時からだった。 不思議に思っていた甲斐は、木手のその告白を聞いて納得した。 木手は多分一年から自分の代の副部長を自分に決めていた。 時に部長代理にもなる副部長が標準語がさっぱりでは困る、と自分に特に言っていたのだな、と理解した。 だからか、普段から標準語を混ぜて話すようになってしまった甲斐と平古場が一緒にいると目立った。 平古場はしらん、そんなん永四郎か真面目なヤツだけ出来ればいい、と言い張って全く標準語を覚えなかった。そのため現在一番訛が強いのは平古場になってしまっていて、その平古場が自分の傍で話しているのは、特に沖縄の外では目立った。 九州大会、二回戦敗退。 それが、今年の比嘉中の戦績だった。 自分たちの代では全国へ――――――――――もう悲願のような文句は誰もが胸に抱いているし、必ず出来ると思う。 最初、木手が沢山の武道経験者を勧誘して入部した時、テニス部の成績は九州大会ではそこそこのレベルだった。 そこそこじゃ駄目なんです。木手は一年のうちから先輩相手にそう言った。 なんだ乗っ取りか?と思った甲斐たちの拍子を抜くように先輩は「そうだなぁ」と笑うだけだった。 彼らは木手に寛容だった。木手の提案する体制の変更にも異存なしと従って体制を木手たちのやりやすいように整える柔軟性。 彼らは彼らなりに、部活に熱心だった。 ただ、それが全国進出に及ばなかった。それだけの話。 他人を「こんなことも出来ないのか」と自分のレベルで計って切り捨てることも、同じ考えで「お前は俺とは違うんだ」と見下される姿勢に甘んじることも簡単だ。 甲斐は正直、下手になんでも出来る人間を嫌いではない。 授業でも、一番に実技を終える生徒とは仲がいい。 甲斐はどちらかというとそういう授業の速度は中だ。木手は間違いなく一番だろうが。 一番に終えるような生徒は、自分に器用な自覚がある。 だから、他人を見て、自分のレベルで切り捨てる真似は逆にしない。 自分が優れている自覚があればこそだ。 逆に、切り捨てる真似を簡単にするのは、中レベルの、なにかに突出してない代わり、なんでも平均的に出来て、出来ないことが少ない人間だ。 そんな人間が、授業で進みの遅い所謂「下手」な部類の生徒に簡単に言う台詞を、甲斐は嫌う。 「こんなことがなんで出来ないの?」 この台詞が、一番イヤだ。 自分が出来るから、そして自分に優れている自覚がないからこそ、それすら出来ない人間が理解出来ない、そんな全てを込めた言葉。 これほど、弱者を切り捨てる言葉もない。 彼らが切り捨てる人間たちだって、頑張っている。 必死に頑張って、頑張って、徹夜したって。 出来ない人間は、出来ないのだ。 努力したって、平均にすら及ばない人間はどうしたって世界には存在する。 そんな人間を理解できるのはむしろ優れた人間たちで、平凡な人間ほど理解出来ない。 甲斐は普通のことに関しては平凡的であったが、テニスや武道で優れている自覚くらいあったのでそんな人間にはなれなかったし、だからこそ嫌がった。 平古場はもっと顕著に嫌がるので、彼らは平古場に怯えている。 言い様だ、とは流石に言わないが。 テニス部の先輩たちは、一応は優れている部類だった。 ただ、後から入った木手ら自分たちの方がより優れていただけの話で。 だからこそ、彼らは寛容で、理解もたやすかった。 だからこそ、彼らは悔しがっていたのだ。 自分たちに、全国を目指す力がどう頑張ってもないことを。 彼らにだって悔しさはあった。 二回戦敗退。その後、彼らは言った。 「全国に連れていってやれなくてすまなかったな」と。 彼らは悔しがって、悔いた。 後輩を相応しい場所まで導けなかった自分たちの弱さを悔やんだ。 強い自尊心も、後輩への愛情も、部活をやる人間としての熱意も上昇意識もあったからこそ。 彼らは彼らなりに、悔しく思った。 それを理解出来ない木手や甲斐ではなかった。 平古場すら、なにも言わなかった。 彼らは、良い先輩たちだった。 本当に、良い先輩たちだったのだ。 あの先輩たちは、今も高校でテニスをしている。 三年の夏。八月の空を見上げて、甲斐はぼんやりと思った。 彼らが引退した日、泣かないと決めていたのに、泣いてしまった。 先輩たちは笑って、頼むぞ副部長、と甲斐の肩を叩いた。 木手は泣かずに、ただ先輩の言葉を聞いていた。 「泣かねえんだ?」と聞いた甲斐に、木手はこう言った。 「なんで」と。「俺はこの日をずっと待っていたのに」と。 ひどい、と思った。 けれど、意味は理解できた。 だから、言葉にはしなかった。 あのころ、あの頃ただの部員だった自分と木手。 けれど、あの頃自分たちに優しかった大好きな先輩たちを。 彼らを彼ららしからぬテニスに縛り付けていたのは、間違いなく自分たちだった。 彼らなりの勝利への目指し方はあった。 なのに、下手に実力と野望を持った後輩を持って、彼らはいくらいい試合をしても喜べなくなった。 強くならなくては、と。自分のためではない。後輩のために、と。 彼らのテニスを、彼らのテニスでなくしたのは、どう考えても自分たちだった。 だから、木手の言葉は、よく理解できた。 これで、彼らはやっと、ようやく彼らのテニスを出来るようになる、だから、この日を待っていた。と。 だからこそ、ひどいとも思った。 理解した上で、それでも彼らがいなくなる日を待った木手を純粋にひどく思い、羨ましくも思った。そこまで、自分は割り切れなかった。よかった、と先輩を思えなかった。 あの日悔しがった先輩に、言える筈がない。 今、彼らは彼らのテニスを高校でやっている。それだけが救いだった。 「全国行ったら、必ず応援に行くから」とこの前顔を出しに来た先輩が言った。 絶対来い!と甲斐も平古場も言った。 先輩達の大会に当たらないといいですね、日程。と木手も笑った。 それに木手たちの自信を見て、先輩は嬉しそうに笑った。 先輩たちが、好きだ。 彼らだから、好きだ。 「甲斐、お前なに欲しい?」 一年のある日、唐突に当時の副部長に言われた。 思いつかなくて、アイスと答えた。 部活の帰り、副部長は何故か高いハーゲンダッツをオゴってくれた。 理由はわからなかった。 なんとなく聞けなくて、翌日なんでだろうと不知火に零した。 不知火はあれだろ、と言った。 「昨日、お前誕生日だったじゃん」 ああ、そうか。 思い出して嬉しくなった。 優しい、優しい先輩たち。 彼らが好きだ。 だから、必ず優勝したい。 自分は、あの日の彼のような、いい副部長になれているだろうか。 「甲斐クン、今日暇ですね?」 「え、あ、うん」 思案に耽っていたら木手に急に言われた。 「ならいいです」 「え、なに」 「杉浦先輩から出頭命令です。俺達全員に。 で、甲斐クンは必ず来るようにと」 杉浦――――――――去年の副部長だった先輩。 「どこに?」 「いつものハンバーガーショップ」 「ああ、…なんかいいことあったんかな」 「また、キミ忘れてる」 「え?」 「誕生日でしょ。今日」 目が点になった甲斐に、木手は笑って一年が呼んでますよ、と言う。 いつだって、優しい先輩たち。 自分は、自分を今待つ後輩たちに、そんな先輩になれているだろうか。 いつだって不安で、いつだって心配で。 だけど、いつだって嬉しい。 誕生日祝いのつもりか、新垣が「甲斐くんはいい先輩だよね」と言った。 不知火が「いい副部長、の間違いだろ」と追い打ちのように笑う。 「足りないけどな。たまに」 「平古場、余計」 知念のたしなめる言葉すら、今日は優しい。 優しいから、誰も切り捨てなかったあの先輩たちのように。 誰も切り捨てないで、全員で全国に行きたい。 そう願って見上げた後輩たちの群は、眩しかった。 =========================================================================================== 甲斐BD話。 甲斐の誕生日は八月です。ええ、ボケました。 確か六月は比嘉の誰かの誕生日、確か甲斐。 と確認せず書いて、から知念が六月。甲斐は八月と気付く。 …いいや。と。 二ヶ月フライングのBD小説ということで(笑) 後日書く知念BDは多分知念木手になるんだろうな…。 |