● アヤカシKNIGHT ●

 第七話【辻褄合わせの恋・後編






 あれから、状況はあまり変わっていない。
 白石はやはり、なにも喋らないからだ。そして、乾だけが認識できる、白石の憑依の影も変わらない。
 白石と千歳の部屋を覗くと、寝台の上にいた。
 寝台に長い足を伸ばして座る千歳の腹あたりを枕に、丸くなって眠る白石の姿。
 寝顔は無邪気な子供そのものだ。
 柳が近寄ろうとすると、千歳が指を立てて制した。
 千歳が傍らの携帯を操作すると、柳のポケットが振動する。千歳からのメールだとわかって取り出し、フリップを開いた。

『今の白石は、俺以外が近づくと逃げる』

 確かにそうだ。眠ってはいるが、起きてしまいそうではある。

『了解。今から、宍戸たちと調べた箇所に行ってくる。目を離すなよ』

 そう千歳の携帯に送ると、千歳は視線で了解したという風に頷いた。
 柳が出ていって少しした後、白石が瞬きをして、また眠そうにする。起きたが、眠い。という風に。
「無理せんでよか。寝なっせ」
 軽く身を起こし、白石は視線で千歳に訴える。
「いなくなったりせんよ。起きるまでここにおる」
「……」
 そういうと安堵したのか、にこりと笑い、彼はまた千歳の身体にしがみついて目を閉じた。
 その柔らかい髪を撫でる。
 今日は、晴れているようだ。少し、暑かった。






「東京にもこんなとこあるんだな…」
 この学校は東京にしては珍しく、傍に裏山がある。
 そこが、宍戸が聞いたコダマヒメの縁ある地らしい。
 乾、宍戸に柳がそこに足を踏み入れたのは午前十時頃。
 若干、日差しが暑い。
 川原に出ると、浅瀬だが水が綺麗なようできらきらと光る。
「で、…聞いた話、もうちょい先か?」
「いや、ここら…だよな?」
「社があるという話だが?」
 どこにもそんなものはない。
 もう少し深みに入ろうとした時だ。


 ア――――――――ア ア ア ア ア


「……え?」


 ア ア ア ア―――――――――――――ア ア ア


 周囲に突如響き渡ったのは、声だ。
 いや、声というより、
「歌…か?」
 歌詞はないが、歌だ。
 徐々に大きくなるが、人の姿はない。反響するように、鼓膜の中でうるさく響く。
「…おい、なんだこれ」
「…子供…? いや、女の子の…声」


 ア ア ア―――――――――――――ア ア ア


「…う、わ…っ」
 耳が割れそうなくらいの大きさになって、思わず周囲を何度も振り返った。
 瞬間、視界が切り替わる。
 足下には川原があり、水が流れる。
 だが、今まで周囲にあったのはただの森と緑の草原。
 今は、そこに社が見える。
「……」
 歌は、もう聞こえない。
「……あれ、か?」
「でも、…」
 軽く眼鏡をずらして、乾はそこを見る。現実、ではないような気がする。眼鏡がなくても、リアルな物体ならはっきり見える。だが、社や今の景色は、ぼやけるのだ。
「…あれ」
 社の境内を覗き込んでいた宍戸が、なんだこれという風に声を上げ、しゃがんでなにかを拾った。
「…携帯?」
 彼の手の平に収まるのは、携帯だ。
 しかも、イエローグリーンのそれは、見覚えがある。
「…メールを盗み見るのは悪いことだが、…ちょっと」
 乾が受け取って、フリップを開く。
「どうだ?」
「…メールの個別フォルダに『千歳千里』のフォルダがあるし、中には千歳に間違いないメールが沢山。その内容から、これは白石の携帯で間違いないね。形からして、前に見たあいつのだ」
「なんでこんなとこに」
 柳は不意に考え込み、それから社を振り返る。
「仮定だ」
「仮定?」
「たとえば、ここがコダマヒメの住処だとする。
 そして、千歳には放浪癖がある。彼がここに来たことが皆無とは言えない。
 おそらくたまに来たりしただろう。それを、コダマヒメに気に入られた。
 そして、白石も、千歳を探しに来たことがあった。その時にそれを落とした。
 コダマヒメは、それを見て、千歳が白石を好きだ、と知った。
 ……白石になれば、千歳に好かれると思った」
「…………、ナシ、とは言えない」
 風が吹く。
 歌は聞こえない。





 寝台に眠ったままだった白石が身を起こす。
 頬を撫でると幸せそうに微笑んだ。
 その身体を抱きしめ、額についばむようにキスを落とす。
 くすぐったそうにそれをうけていた白石だが、不意に千歳が離れ、その身体を抱えてソファに降ろしたので、むずがる子供のように頬を膨らませる。
 構わず、傍の引き出しをあさった千歳が、また白石の前に座って、そっとキスを仕掛けた。
 それを心地よさそうにうけていた白石だが、すぐびっくりしたように身を退く。
 唇を押さえる手。自分がなにを口移しで飲まされたのかと、千歳に訴える顔。
「一つ、言うとくばい」
 千歳はその反応に構わず、傍のソファに腰掛けた。
「俺は、白石の恋人じゃ、なかよ?」
「……、ぇ?」
「俺は、白石の、セックスする、『お友達』。恋人じゃなか。
 もちろん、俺は白石を、好いてなか」
「……」
 嘘だ、という風に白石は首を左右に振る。
 ソファから立ち上がり、すぐ、その場にへたりと座り込んだ。
 上気した頬。真っ赤な顔で、泣きそうになる。
 身体をよじって、涙目になって千歳を見上げる。
「言うたばい? 俺は白石を特別好いてなか。…裏切る裏切らないの関係じゃなか。
 ひどかこつもする。女の子なら、大事にするけん」
「……っ、っ……」
「それとも、口でしてくれっと?」
 涙を溢れさせ、千歳を見上げた白石は伸ばされた千歳の手を掴む。震えている。
 それを見下ろした千歳の顔が、嗜虐に歪んだ。




「え…」
 一方、社の近くを調べていた柳たちは、うっすらとして見えにくくなった景色に周囲を見回す。

 ア ア ア ア―――――――――――――

「…え、また」
「おい」
 宍戸が持っている白石の携帯が唐突に振動する。
 バイブにしては、異常に大きく震える。

 ア ア ア―――――――――――――!

 そう、一際大きな歌が響いた瞬間、ばちん、と破裂した音が同時に。
 手の平の携帯が、真っ二つに割れて壊れている。
「……」
 景色は、ただの川原に戻っていた。






 床に座って、自分の股をすりあわせながら、白石は涙を浮かべて千歳を見上げた。
「してほしか?」
「……ぅ…あ……っ、…」
「……白石?」
「…っ」
 手を伸ばすと、頬に触れた。顕著に震えて、涙を一筋零す。
「ぁ…ち…とぉ…せ…」
「……、」
 微笑み、震える身体を抱きしめると、それだけで感じるのかびくりと反応して、千歳にすがりつく。
「お帰り、て言うてよか?」
「…。ぅ…ん」
 辿々しく頷く声。涙に濡れた瞳で見上げ、千歳の腕を掴む。
「……ぁ……す…き?」
「……恋人じゃなかよ」
「…」
 あからさまに傷ついた顔。ずるいと思う。
「…セックスのお友達」
「……っ……ぅ」
 震える手で千歳の胸を何度も叩く手を掴んで、頬にキスを落とした。
「っ」
「…恋人じゃなか」
「…ぁ…」
「…―――――――――――――」
 手を脇に差し入れて、膝の上に抱き上げる。それだけでも感じて泣く身体を抱きしめ、耳に囁いた。
「俺が、白石を一方的に好いとうから」
「………」
 赤くなった頬で、それでも白石は千歳を見つめて反芻するように唇を動かす。
 声にならないけれど。
「…白石を、俺は好き。…お前が、…どう思っとうか、わからんけど」
「……、せ」
 ぎゅ、と千歳の胸元に白石は自ら抱きついた。少しでも感じる身体で、必死に。
「…ち、とぉ…せ……れ、……」
「…うん」
「………はなれ…や」

『千歳と、俺、離れるの嫌』

「……わかった。…離さん。…いつか」
 きつく抱きしめてから、身体を持ち上げ、寝台に押し倒す。
 薬で敏感になった身体を鎮めてやるために。
「……言葉で、言うてな?」
 落とされたキスは、今度は唇に。



 千歳に、恋人じゃないと言われて、悲しかったから。
 今は、それが嬉しい。だけでよかった。






「…コダマヒメは、結局なんだったんだろうな」
 寮に帰還した乾の言葉に、忍足が聞いた話や、とジュースを手渡しながら言う。
「一説では、ただ知恵遅れの女の子ってだけで、それがわからんかった時代やったって」
「でも、消えてたって」
「そこが、わからん」
「…でも、終わってないよな?」
 宍戸が言う。柳も頷いた。
 白石に重なる影はもうない。憑依はなくなった。
 だが、彼はまだ、言葉を話せない。

 そして、一連の起こった危険な事故は、コダマヒメだけの話ならば、辻褄は合わない。

 黒幕が、いるのだ。









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