―――――――――――全国大会、一日目。
「よう! 謙也」
試合の終わった大阪府代表、四天宝寺附属月天学園−通称北四天高校の休憩するゾーンに顔を見せたのはよく知った従兄弟。
従兄弟は夏休みの初めの二日に大坂に帰っただけですぐ東京に帰ったから再会は『久しぶり』だ。
「おう、侑士。そっちは勝ったん?」
「勝った勝った。俺と跡部が入ってんで? 負けへんて」
「こっちかて千歳と白石が入ってんやから負けへんわ」
「俺もおるしな〜」
背後から伸びた手が謙也の頭に乗って、降る意地悪い声。
びくう!と震えた謙也を余所に、侑士はにこりと相手に微笑んだ。
「お久しぶりです。弥勒さん」
「久しぶり。侑ちゃん。
相変わらず男前やんな〜。謙ちゃんも見習えや」
「イヤや。退け弥勒兄」
「んやと…!?」
ぐぐぐとヘッドロックをかけられる謙也を侑士がアホやわーと傍観している。
遠くから見た部員たちが、あれだれ?という顔。
「忍足侑士。氷帝学園高等部一年レギュラー。
謙也と弥勒先輩の従兄弟ばい」
「ああ…従兄弟」
説明した千歳が、丁度帰ってきた有楽に駆け寄った。
「? 有楽先輩、白石は?」
有楽は先ほど、白石とユウジと一緒に立海の試合を見に出かけたが。
「白石は一氏と一緒に幸村たちと挨拶しとる」
「…迎え行って来ます」
「行って来い」
「あ、俺も行くわ千歳」
ほぼ反射神経のように、歩き出した千歳に謙也が追従した。逃した弥勒が舌打ちした後、まあいいかと見送る。
小石川が、俺も、と後を追った。
「そない躍起になることでもないけどな。ユウジがおるし」
「ばってん、俺のおらんとこ行くな言うとーとに…」
些か憮然とした顔の千歳を、小石川が遠慮なく笑った。
「わかりやすいなぁお前ら」
「…そういや、気になっとること聞いてええ小石川?」
立海の試合のあったCコート方面に向かいながらの足が唐突な質問に一度歩が遅くなった。
「ん?」
「俺ら…つか、白石が千歳選んだ時、なんで俺がフられるてわかったん?
白石が言うたん?」
「え?」
「どげん意味ね謙也」
「いや、俺んとこに慰めに来た光にようわかったなって聞いたら、小石川に『今日謙也がフられるから慰めに来たってくれ』て呼ばれたて」
「あー、あれな…、白石にはどっちか片方をちゃんと好きになったから片方をフったほうがええんか的な相談しかされてへん。
『どっち』かが『謙也』か『千歳』かも聞いとらん」
「ほななんで」
「いやぁ、…謙也やろう、フられるんは…て随分前から思っとったから俺」
「なんやと!」
「…恐るべし小石川、ばい」
思わずコメントした千歳が、遠くの視界にフェンスに寄りかかる白石を見つけた。
(……怠い…)
かしゃん、とフェンスに寄りかかったまま、動く気が起きない。
試合が終わった途端、急にしんどくなった。
「白石、どないしたんや、そない気怠そうにして」
え?と声を返してから白石は怠そうに顔を上げて、そこに立つ人物に少し驚いた。
「渡邊先生? …見に来はったんですか?」
中等部顧問の渡邊だ。相変わらずのトレンチコートで、おうと頷かれる。
「中学の大会が、高校の大会の後やからもう来てた。
やから見に行こう、て」
「へぇ…」
「辛そうやな? なんか気分悪い?
試合大丈夫なん?」
「試合、今日のは終わりましたし勝ちましたよ。
まだ午後にあるけどそっちは俺、出番ないです。千歳はある。
明日からは俺も千歳もオーダーに出ないですし」
「温存か」
答える元顧問には有り難いが、今は会話をするのも怠かった。
少し声にうるさそうに目を細めたのがバレたのか、渡邊が不意に近づいた。
「お前、もしかして」
「…え?」
「ちょお、ごめんな」
え?と問う暇もなく左手を掴まれる。
そのままフェンスに押さえつけられて、なにと思った時、足の間に割り込んだ渡邊の足が下肢のそこを布越しに触れてきた。
「…っ」
「あ、生理中か」
そら辛いわ、と囁く声を理解するどころじゃない。
羞恥に顔を赤くする白石の顔を、渡邊から守るように間にラケットが突き出された。
「すんません。そゆこと、余所でやってくれませんかね」
あからさまに憮然とした声は標準語だ。
慌てて身体を離した渡邊と、白石がそちらを向くとまだ中学生のはずだから、多分幸村たちを応援に来た立海の切原赤也。
「ものすげー視覚の公害っスよ。傍で、男が相手でも教え子襲う教師、て」
「…あ〜すまんすまん」
「謝るんだったら向こうの真田さんたちにも謝ってください。
俺、も、行くんで」
本当にそれだけ、と去っていく私服姿を呼び止める。
「なんスか白石さん」
「ありがとうな」
「いーえ」
ひらひらと手を振っていく切原を見送った後、白石はふと耳を掠める必死な声に視線を巡らせた。
「しら…いし…っ! はよ止めに来いっ…! 落ち着け…千歳…っ!」
「……あ」
そちらには、一部始終を見ていたのだろう。
今にも殴りかかろうとする千歳と謙也を、一人で必死に押さえる小石川。
「ほな、俺は行くわ」
「ちょ、先生無責任な! …知っとったんですか?」
呼び止めかけて、ふと気付いた。性別を知らないなら、あの反応はおかしい。
「知っとる。受け持った時からな。しらんのに、普通に受け持っとったら対処できんこと多いやろ、ほな」
手を振ってひょうひょうと去っていく元顧問を見送って、でももうちょっと考えたやり方をして欲しいものだと思う白石の背後でまだ小石川が頑張っている。
止めるか、と振り返った時、不意に視界が揺れた。
「……っ」
息を呑んだ声は小石川だ。
その場にどさ、と倒れた細い肢体に、千歳と謙也も顔色を先ほどとは変えて、解けた小石川の腕から抜けて駆け出した。
「白石!!」
貧血らしい、という診断に医務室に寝かされた青い顔が申し訳なさそうに先輩たちを見上げた。
「俺ら、試合頑張って来るし、気にせんと寝とけ?」
「はい…」
「千歳、行くで!」
「…、」
「千歳、ええから」
大丈夫、と白石本人に促されて、微かに頷いた千歳が立ち上がった。
「謙也、頼んでよか?」
「うん」
笑んで頷いた謙也の肩を叩いて、千歳は医務室を後にした。
「せやけど、貧血やなんて」
「生理中やねんな」
「あー…」
ついでに渡邊の行動の真意も聞いて、あの教師は、と謙也は内心毒づいた。
「……」
「苦しい?」
聞くと、ちょっとと囁くような声。
「シャツ、少しボタン開ければ」
「…あ、」
言ってからそれすらも辛いのか、と思い至った謙也が、俺がやろか?と聞いてきた。
声が普通だから、うんと頷いた。
二つだけ外されたボタンに、楽になった呼吸でありがとと見上げて、白石は声が掠れたのを感じた。
外した手を下ろしたまま、真っ赤になって余所を向いた顔。
「…けん、」
「…ごめん、ちょお外で頭冷やす…っ」
「謙也…っ…っん」
思わず起きあがった瞬間、眩暈がして手を突いた。
外に出たまま、医務室の扉にもたれかたって、謙也は情けないとへたり込む。
普通に、接そうと誓った。
白石が気に病まないように。千歳が気を遣わないように。
彼らが幸せになる障害にならないように。
いっそ、迷惑なくらい普通でいよう。
いつも通りの『忍足謙也』でいよう。
そう、頑張って来た。
『…俺、今まで『謙也がうざい』っていう光の気持ちは理解出来んかったばってん、今ものすげー理解出来たばい………』
出来てるって思った。
だから、なのに、
こんなあっさり、仮面は崩れて。
見えた薄い色の肌。欲情して、触れたくて、手を這わせたくて。
二度と告げないと誓った思いがあふれ出しそうで。
急に懐で鳴った携帯に、誰やとシカトしようとしてすぐ手に取った。
この着信音は一人しかいない。
「…しらいし?」
『謙也? 具合、…悪くない?』
「悪いんは白石や」
『なら、ええねん…』
向こうの声、震えてる。
急にいなくなったのに、誤解させたってしかたないのに。
電話するのが、どんなに勇気が必要だった。
『謙也』
「…ん?」
『………謙也』
「なんや」
『…………』
繰り返し、俺の名前を呼んで、それ以外を言わない声。
『…ごめん。おかしいみたいや。…休むな』
返事をしないでいると、向こうでそう言った声が笑った。
待って。
切らないで。
意味が、わかった。
言う言葉がないんじゃない。
他に呼べなかったんだ。
友だちになんか、戻れる筈ない。
「白石…っ」
向こうで戸惑った声が聞こえた。
「白石…っ…しらいし……白石…っ」
好きや。
好きや。好きや。好きや。
「…白石…っ」
痛いほど。
こんな思い、忘れられるわけなかった。
苛む程に愛しくて、痛む程に嬉しくて。
電話が繋がっている今は、今だけは、俺のことを考えて。
千歳を、忘れて。
普通でいようと思った。
親友でいようと誓った。
千歳にとって、白石にとって。
無理だ。
愛し過ぎて、忘れられない。
砂浜をさらう波のように、寄せて返して。
永遠に消えない雫の恋。
「…白石」
忘れられっこない。
綺麗な思い出に出来ようもないんだ。
大好きな君。
世界で一番大好きな、たった一人の、女の子。
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