呼吸共有

◆呼吸共有◆










 息をする。

 簡単な呼吸。
 意識せずとも、出来なければ困る事。
 意識すれば、しなければ出来なくなる事。

 むしろそんなものだと、気付く時。




 ゴールが小さく軋んで埃を蒔く。
 学園の隅に使い古され放置されたバスケットゴールは、力を込めればそのまま外れてしまいそうな風情で、おっかなくてダンクなど出来やしない。
 ほとんど誰も使わないからと、掃除もされないままのコート。
 鬱蒼と生えた草はコンクリートの隙間からも顔を覗かせる。
 空だけ同じ、青。

「英二はさ、似合いだと思うんだよ」
 たんとついて、投げられたボール。
「ああ、ソレは同感」
 ゴールに僅かに触れただけで、くぐる。
 自分より遙か背の低い彼が、同じ距離から投げているのに、自分より余程正確だ、と乾は感心する。
「あれだけ動ければねー結構重宝されるよ」
「頭抱えるんじゃないか? 二組の連中」
「バレーにやたら力入れてたみたいだからねー」
 転がってきたボールを拾い、ゴールの下から不二が離れたのを見計らって、乾も軽く投げてみる。
 ゴールの縁を回ってから、ボールが中に落ちた。
「ナイッシュ。結構上手いじゃない乾」
 選択はあってた?
 小さく首を折って笑い、不二はまた視線をゴールに固定する。
 軽い手首と足だけの動き。またも触れずにゴールをくぐった。
「それは不二だと思うけど。十一組って二回戦で六組と当たるよな」
「僕じゃ戦力になんないよ」
「謙遜は過ぎると嫌味」
 表情を乗せるでもなく言ってやると、不二は声を小さく出して笑った。

 球技大会というものが青春学園中等部にも存在した。
 五つの種目から選べる、全学年混合の行事だが、所属している部活動の球技だけは選択できない。
 長身が有利になるだろうというクラスメートの薦めもあって乾はバスケットを選択したが、同じ選択を不二もしていたとは意外だった。

「データ重視の君が何言ってるの乾。
 僕のシュートが入るのはこういう」
 言いながらまた、ボールを軽く放る。耳に心地良い、ゴールをくぐる音。
「誰も邪魔がいない時。試合中なんてディフェンスがいるもの。狙ってらんないよ」
「ま、確かにそうだけどね」
「ダンクやってよ」
「…壊れると思うけどな」
 あのおんぼろじゃ。
「上から叩き込むだけでいいじゃない。あれ試合用のより低いもん」
 乾の背なら普通に投げ込めるでしょ?
 可愛らしく首を曲げる様に邪気がないと言い切れたらいっそ楽だと乾は思う。
 いや、実際邪気はない。ただ本当に見たいだけだろう。
 だから動機や希望自体に邪気はない。あるのは最終的に意図される結果に対する予想。
「……俺は器物破損したくないぞ」
「なにそれ? 何も僕壊せなんて言ってないじゃない」
「違った?」
「違うよ。本当に見たいだけ。
 だって君は手を伸ばすだけで届くじゃない。狡い」
 狡いなんて、くすぐったそうな微笑みでいう台詞じゃない。
 言っていることと表情が合致しないのはいつもだけど。
「狡いなんて思ってない癖に」
 小さく息を吐いて、乾は転がったボールを手に拾い上げる。
 要は“器物破損したくない”なんて台詞を言った時点で不二には俺が“やってくれる”事を判れたわけで。
 有り難うの意味かな。あの笑みは。
 まぁいいか本当に壊すワケじゃないと思って、乾はゴールに向かってひょいと手を伸ばす。
 その手から難なく投げ入れられようとしたボールが、前触れもなく上から降ってきた別のボールに弾かれて転がった。
「不二…」
 頼んでおいて邪魔したかったのなんて言う言葉を用意して振り返った先で、不二は先程と同じようにボールを両手に持ったまま乾の方を見上げている。
 その顔に“や、僕じゃない”と書いてある気がする。心なしか驚いている。
 じゃ今のは誰だと、乾と不二が顔を見合わせ後方を振り返ったところで犯人はあっさりと判明する。
 足下に転がったバスケットボールを片手に拾い、何を考えているのだか判らない表情でこちらを見ているのが分かる眼鏡越しの双眸。
「……手、塚じゃない…。何邪魔するのー折角乾に頼んだのに」
 驚いたのも束の間、手塚相手に大仰な息を吐いてそんな文句を言えるのは不二くらいなものだろうと乾は思う。
 それにしても手塚に邪魔されるとは思わなかった。
「普通に上から落としたところでなんの面白みもないだろう」
「また君そういうらしいこと言う。僕が見たかったの。君と僕の価値観は違うでしょー」
 何したいのねえと無表情の手塚の顔を離れて覗く不二の台詞にも一理はあるが。
「同じだったら怖いだろう」
「そういった意見を求めているんじゃなくてね。
 邪魔しに来たの?」
「いや」
 皺を残したままの無表情で不二に返せるのも手塚くらいなもので要は。
「練習」
「って君もバスケットなの?」
「も?」
「僕も乾もそうなの。英二はバレーね」

 俺は完全に外野ですかお二方。

 乾の意見としてはそうだ。
 実際、手塚相手に文句をかますのと不二相手に表情の変化も少なく返せるのと、両方自分にしっかり当てはまっている事を乾は自覚せずして馴染んでいる。
「ああ、大石は卓球だった」
『……へー』
 しかしそこにきて手塚の台詞に不二と一緒にリアクションを返してみたり。
 なんかそれっぽいとか思ったのは多分同じ。
「でも君がよくバスケなんて選んだね」
「おかしいか?」
「や、そういうんじゃなくてむしろ」
「あってないわけじゃないんだけどテニス以外思いつかなかったんだよな要は」
 台詞を次いだ乾が“な”と不二に視線を向ける。
「英二のバレーとかは違和感無いんだけどね。
 むしろ手塚の場合“へえ出来るんだ”じゃなくて“ああそうなんだなぁ”って感じ」
「…お前の言い回しは遠回り過ぎだ」
「これでも近道だよ。その点乾は“ああね”って感じだけど」
「俺は不二がバスケっての意外だったけど、手塚は?」
 どう思った? と特にコメントもしなかった手塚に水を回してみる。
 向けられる笑ってもいない眼差しに、不二はボールを持ったまま手塚の周囲をくるっと回ってみる。
「似合わない?」
「いや、割合戦力にはなるんだろう?」
「手塚、似合う似合わないじゃないでしょそれ」
「そうは言うが。意外なんてのはそいつがやっているのをあまり見ないから“意外”なんだろう。俺にそう言った感想はない」
「や、俺も見た上で意外なんだけど」
 予想通り何だかわかんない言い方するな手塚。
「要はさ、乾や皆が“意外”って言うのはバスケ=背が高いっていうのがイコールだからじゃない?
 一年の乾だったら同じ意見貰ってたよ多分」
「以前にやらなかったよ。ま、大抵そんなものだと思うけどさ」
「なに?」
「不二に“意外”っていうのは違うよ? 俺」
 言いながら、先程手塚に弾かれたボールを手に、ゴールに投げ入れる。
 今度はゴールに触れずに落ちた。
「じゃあなんだ?」
「なんだろうね」
「勿体ぶってる?」
「まさか」
 違うよ、と言って乾はまた拾い上げたボールを手にゴールの下へと近寄る。
 大した高さの距離もない。
 ひょいと、不二にお願いされたように投げ入れて、少しだけ首を傾げてみる。

「多分、不二が手塚に言ったのと同じ」

 意外とからしくないなんて言葉じゃない。
 不二の言い方は実際遠回しでなく近道で、それ以上彼の中で合う言葉がないだけで。
 それで判る手塚には“遠回し”
 ソレと同じ。
 不二がふと、思い出したようにくすくすと笑い出す。
 訝る乾の視線を受けて、ぽーんと持っていたボールを一回頭上に投げて、拾わずに落ちたボールを捕まえるようにしゃがみ込む。
 何かね。そう口にする。
「英二は僕が選んだの“意外”でも“似合わなく”もなかったって」
「へぇ?」
「もしかしたら僕が選ぶかも知れないって言ったんだけど。
 それと逆?」
「さぁ」
「そんなものは菊丸に訊かなければ判らないだろう」
「判るわかんないじゃないよ」
 真面目な顔して言わないでよ手塚、と不二が言えば案の定難しい顔をして。
 額の皺が増えるのを横目で乾は見たりして。

「いーんじゃない? 自分達で判ってれば。
 あんまり突き詰めようとするとさ混乱するよ」
 なんだかあっさりとした乾の台詞に、顔を傾けた不二が笑っていないのが妙に可笑しい。
「ほら、水飲もうと必死になると逆にわかんなくなるのと一緒」
「…息するの意識すると無意識に出来なくなるってやつ?」
「かも」
 どっちでもいいんだけどそんな事。
 なんて言って、シュートを決めたボールを乾は手塚に放る。
 なんだと言いたげな視線に、口の端を上げて不二に視線を回す。
「折角三人いるんだから、ミニゲームでもやんない?」
「三人で?」
「やるつもりなら出来るよ」
 シュート練習よりいいんじゃない。
「まぁそうだね」
 なんて言った不二が後々、身長差にかこつけて届かないよう上げる俺達に対してハンデを求めたりするのだが、手塚は“戦術の一つだ”とか言って聞く耳持たなかった。
 俺も手塚の意見に従うことにしたから、不二はその後首を痛めたりした。