「謙也」
 荷物運び終わったか?という白石の声に謙也がおうと頷いた。
 あの後、あっさりとフロントの係員が変えてくれた部屋に移動して、自由時間を使って荷物をいじらず携帯ゲームに没頭している謙也を見て、呆れながら白石はまあええかと思う。
 この恐がりな同級生は、千歳とユウジを襲った事件を知らない。
 話す必要も、ない筈だ。
「謙也、なにやっとるん?」
「ゲーム」
「そうやのうて」
 言いながら白石は謙也の傍にしゃがんで手元を覗き込んだ。
「ああ、アクションゲームなん」
「そやで?」
「いや、らしい」
「なんやそれ」
 そう笑った謙也が、不意に携帯ゲーム機を床に置いた。
「謙也?」
 伺った白石を見つめて、いつもの人懐っこい笑みを浮かべる。
 それになんや?と首を傾げた白石は、一瞬なにが起こったかわからなかった。
 次の瞬間、自分の身体は壁に押さえつけられていて、覆い被さっているのは、謙也だ。
「…謙也………?」
「白石」
 呼ぶ声が、いつも通りなのに彼は酷く暗い笑みで耳元で囁く。
「したい」
「っ…謙…!」
 理解する前に拒絶の意が出たのは、謙也の顔が首筋に埋められ、舌が執拗に首を舐め回したからだ。
 チリ、という痛みに跡を残されたと知る。謙也はこんな悪戯などしない。
 これは本気だ。あの瞳は、本気だった。
 謙也が好きなのは、財前の筈だ。俺じゃない。
 殴ってでも拒まなければと抵抗しようとしたのに、全く身動きがとれないことに驚愕した。白石は見た目より力がある。本気なら、あの千歳すら上からどかせるくらいの力はある。
 なのに。
「謙也…!」
 拒絶に叫んだ白石のシャツを乱暴に脱がしてズボンのジッパーを降ろし、足から抜き去る。
 そして下肢に埋められた唇が含んだものに堪えきれない悲鳴があがった。
「…んぁ…っ」
「白石…」
 呼ぶ声だけが、謙也だ。
「ん…ん…っ」
 口に謙也の指を押し込まれ、知らず舌を絡めてしまう。
 白石の唾液にまみれた指が口から引き抜かれて、なにもまとっていない下肢のそこを突然抉った。
「…ぁ…っ!」
 ぐち、と音がして何度も指はそこを抉る。悲鳴が零れるのを堪えるために口を両手で押さえた。
 二本に、三本に増やされていく指に、いけないと思うのに抵抗が意味を為さない。
(なんで…こんな…)
 こんなことになっているんだ。謙也は、財前のものじゃないのか。
 それ以前に、あの瞳。あの暗い。あれは、謙也?
 本当に、これは、謙也……?

「お前…っ……謙也………ぁ…っ……?」

 喘ぎを漏らしながら白石が紡いだ言葉。
 謙也は白石の下肢から顔を上げて、その瞬間目を合わせてニヤリと笑う。
 恐怖に張り付いたような身体が、それでも教えた。
 謙也じゃない。
 これは、謙也だけど、謙也じゃない。
 霊感がないなら、謙也の姿をした何者か、と思っただろう。
 だが強い霊感は、謙也の身体自体は実体。謙也自身だと教えた。
 謙也の中にある心が、謙也ではない。
「出て…け…っ……、ぁあ…っ!」
 謙也を冒涜するなと言いかけたために開いた口から嬌声が零れた。
 指が乱暴に体内をひっかいて、ずるりと引き抜かれる。
 足を乱暴に引っ張られて、床に引き倒され大きく足を開かされる。
「…あかん…駄目や…っ!」
 そんなこと、許される筈ない。と。
 全身が拒絶するのに、暴力ですら退かすことは出来なかった。
 おそらくは室内に入った時から、知らず術中に入っていたのだ。
 軽い、金縛りのように。身体が動くから、縛られていると気付かなかった。
 気配が途中まで謙也そのものだったから、気付かず鍵まで閉めてしまって。
「…謙也…ッ…イヤや…!」
「イヤやないやろ?」
 謙也の姿で、誰かが笑う。
「いつも、千歳によう鳴かされて、好きなんやろ」
「……ち、がう……」
 それは千歳だからだ。お前だからじゃない。
 例え、謙也だって駄目なんだ。
 下肢のそこを、謙也の熱塊の先端が抉った。
「や…!」
 この上ない拒絶に張った声が言い終わらないうちに、その熱塊は白石の体内の最奥までを抉り、全てをその中におさめて瞬間、その体内に熱い液体を吐き出していた。
「…………ぁ………ッ」
 最早嬌声すら零れず、達せず、仰け反って涙を零した白石の体内から熱塊が引き抜かれる。
「そうや…」
 謙也がぼんやりと呟く。

「あの子なんて、死んじゃえばいいのに」

 そう呟いた瞬間、彼は意識を失って倒れた。
 何かの、気配がなくなった。
 それにただ安堵して、すぐ犯してしまった背徳に、涙が溢れた。
 誰にも言える筈はない。
 こんなこと。

 起きあがると謙也の後始末と身支度を整え、服を直してすぐ部屋を後にした。
 階を変えたのに、何故。と今の白石に思う余裕がある筈はなく。
 ただ、謙也に記憶がないなら、なにもなかったと振る舞おうと決めた。
 それでも、千歳以外に犯された身体は重く、涙を止めようと思うのに止まらない。
「白石?」
 呼ぶ声が、千歳の響きをしていなかったことをこれほど感謝したのは、最初で最後だろう。
「……せんせ」
 渡邊が茫然と泣く白石を見て、表情を変えて駆け寄ると、そっと背中を撫でた。
「……センセ、センセの部屋連れてって…」
 落ち着くまで、いさせてとか細く願う。
 渡邊はなにも言わず細い身体の教え子を抱き締めると、自分にあてがわれた部屋に招いた。




 とん、と煙草を取り出して口に銜えると、渡邊は黙り込んだままの白石の肩にそっと上着を着せた。
「窓あけるから、寒いやろ」
「……大丈夫、です」
「子供は大人の言うこと訊いとくもんや」
「…」
 白石は茫然としたあと、くすりと笑った。
「白石?」
「…子供っていったかて、」
 ぎゅ、とその手が着せられた上着を掴んだ。

「セックス出来ますよ?」

「普通に、つっこんでもつっこまれてもイケるし、なあセンセ、どっからが大人なん。
 普通にそないなことしてイケるんやったらガキやなんて言わへんやないか―――――」
 続く言葉は、渡邊の腕に遮られた。
 煙草の匂いがする、腕の中に抱き込まれて、自然喉が嗚咽に鳴った。
「……痛いんやったら、そんな似合わん言い方すんな」
「………どう、しようオサムちゃん……」
「ん?」
「謙也、…覚えてたら……! 謙也、悪うない…。
 俺、気付かんかったんが悪いて…! 千歳に、…知られたない………ッ」
「………あの部屋な」
 背中を宥めるように撫でて、渡邊はぽつりと言った。
「昔、閉じこめられとった子供がいたんやと」
「…子供……?」
「七つになるまで、出たらあかんって。けど、その子は七つになっても出られなかった」
「………」
「その子には許嫁がいて、狐に憑かれた家系やった。
 狐に食べられないように、七つになるまで閉じこめて育てる風習やったんや。
 けど許嫁は外で育った。それが、その子は許せなかった。
 やから、部屋の中で呪った。そしたら、許嫁は七つで死んだ。
 …それが知れて、その子は七つを過ぎても出られんようなった。
 ………その子は、相思相愛の恋人っちゅーもんを憎んでて、別れさそうとするんやと。
 ホテルの人に訊いた。あの階に泊まったカップルは、必ず別れるんやて」
「………狐様?」
「訊いた話やから、ほんまかはしらんけど。…謙也が覚えてないならええ。
 けど、その子がそこまで甘いとは言い切れんしな」
 ああ、やっぱり自分は混乱というか、錯乱に近いのだ。と穏やかに背中を撫でる渡邊の声を聞きながら白石は思った。
 なんとしても秘密にしたいこと。ならば自分は顧問の前でも普段通りであるべきだった。大人の余裕に甘えてすがったなど言い訳にもならない。
 自分は矢張り、錯乱に近い精神にいるのだ。
 そう結論付けて、白石はそのまま瞳を閉じた。
 このまま眠ってしまおう。
 彼は怒るだろうか。教え子をやれやれと甘やかすだろうか。千歳を呼ぶだろうか。言うだろうか。
 … もうどうでもいい。
 疲れた。
 起きたら、全て夢ならいい。
 そうあり得ない夢を抱いて白石は糸を引く眠りの中に意識を落とした。





 目が覚めたら、全てを失った心地だった。
 雨音がする。
 それは自分の頭上にも降っていて、容赦なく濡れる。
 ホテルに戻ればいい。けれど、会うことが怖い。
「…謙也クン」
 背中に自分を呼ぶ声が反射して、びくりと肩を振るわせながらも振り返った。
「なにしてん」
 無愛想な後輩が、それでも心配しているのか傘を差して近寄ってきた。
「…」
「風邪引きたいんスか謙也クン。そこまで馬鹿やとは思っとりませんでしたよ」
 明日、俺とダブルスでしょ、今度こそ最後のダブルス負けたいんスか、と不機嫌な声は、それでも謙也を案じた。
「………光」
「はい?」
「……明日、他ん奴と組めや」
「……悪趣味な冗談は受け取り拒否します」
「冗談やない」
「……殴って欲しいなら受けて立ちますよ」
「……好きにせえ」
 投げやりに答えた。振り返ることをやめた。
 今、あの黒い瞳に見つめられたらすがって泣いて甘えてしまう。
 それは、駄目だ。だって痛いのは俺やない。
「謙也クン」
 戻ってくれと願うのに、後輩は近寄って冷えた頬をそっと撫でた。
「顔真っ青や。ひどい顔しとります。なんやあったでしょ」
「ない」
「嘘やな。人一倍心配性な謙也クンが他人を身勝手に心配させる筈あらへん。
 …普通なら」
「……鋭いのはええけど、そのことは他人に使えや。俺に使うん、もったいない」
 吐き捨てるように呟いた。見上げた曇り空が見えなくなったのは、髪を乱暴に掴まれて視線を合わせられたからだ。
「これで俺と別れるとか言うてみぃ。殴る程度じゃすまさんで」
「……………どうすまん」
「本気なん?」
「……結構」
 白石を傷付けて、無理に暴いて、それで自分だけ、愛しい人になんかすがれっこない。
「やったら部長でも犯そうかな」
 だから、その後輩の言葉に思い切り振り返ってしまっていた。髪を掴まれていることを忘れていたから、とても痛い。
「やっぱ、謙也クンがへこむ時は部長がらみやな」
「…カマかけたんか」
「割と本気ですよ?ただ、俺は臆病もんやから、はったり程度で千歳先輩に殺されそうになるのは勘弁ですわ」
「…いい根性しとるわ」
「けど、謙也クンと別れることが天秤にかかってんなら迷わず犯したりますよ。部長」
 あんたと別れるくらいなら、殺されていい―――――――――――――そう告げられる。
 負けそうになる。泣きそうになった。目尻が歪んだ。
「……甘やかすな。マジ……お前に甘えてまうやろ」
「そうして欲しいんですけど」
「俺は、…親友がきっと甘えられんくなってんに、自分だけ飛び込めん」
「……謙也クンは、部長になにしたん」
「………」
 交わすことはできた。嘘を吐くことも。出来た。
 あの親友は、強がりだからきっと誰にも言わないから、自分も強がればそれでなにもなかったことになるはずで。
 だけど。
「……ごめん白石」
「謙也クン?」
 伸ばした指で、財前の髪をそっと掴んだ。精一杯、すがった。
 それが、今の精一杯だった。

「……白石、犯した」

「…謙也クンが?マジですか」
「俺やってわからん…ほんまは。気付いたら……」
 堪えられないような沈黙の後、後輩は謙也の額にキスを落としてくれる。
「……やから」
「別れたいんですか?」
「うん」
 嘘だ。
「そうですか」
 後輩のあっさりした声。一瞬、理解出来なかった。
「ほな、俺風邪ひきたないんで、戻ります」
「…」
 光、と呼べない。
 すぐ見えなくなる背中が雨に変わる。
 嘘だ。
 別れたくない。
 行かないで。
 お前は、絶対俺を引き留めてくれるって、…自惚れた。
 それくらいには、愛されているって。
「……ひかる」
 ここにきて。捨てないで。抱き締めて。
 願うのに、言葉は取り消せなくて。
 このまま死ねれば、胸の強い痛みなんか嘘になるだろうか。
 そのままコンクリートに倒れそうになった肩が、強い腕に支えられた。
 傾いた視線に映るのは、自分の上に差された傘と覗き込む黒い瞳。
 黒い、髪の。

「謙也クンの嘘吐き」

「…光?」
「泣くほど、俺が好きなら、あんな心臓止まるような嘘、本気でも言わんでください」
「……光」
「なに?謙也クン」
 その瞬間、負けてしまった。
 許されないのに。駄目なのに。それなのに。
 腕はその手を掴んでいた。顔をその胸に埋めてすがりついていた。
 傘が落ちて転がっていく。
 落としてしまったのかと思ったが、逆だった。落としたのだ、後輩が自分で。
「…光が濡れる」
「そしたら一緒に風邪ひいてください」
 風邪ひき同士でダブルスですわ、部長が怒ると笑って抱き締められた。
「謙也クン」
「……ひか」
「好きやから、泣く時は俺のおらんとこ、いっちゃヤですよ?」
「光…ごめ…。……俺も」
「知ってる」
「…俺、どないしたらええ、白石に、どうしたら」
「どうもせんでええ。謙也クンの意志やないなら。
 部長にはあの人がおるんやし」
「…千歳?」
「他にいたらあの人がその人殺しそうや」
「…そやな」
「謙也クン、部長が千歳先輩と付き合った時、隠れて泣いたやろ」
「………」
 沈黙の後、なんで知ってるん!と叫んだら意地悪に笑われた。
「天才にはお見通しや。ガキ」
「な…!」
 俺の方が年上やと言おうとしたけれど、とても優しく笑われたから、出来なくなった。
「やから大丈夫や。そんなけ部長を好きな謙也クンが本気で部長をどうこうとか、あり得へんから。そんくらい部長やってわかりますよ」
「………………ほんまかな」
「ええ。やから、早く部屋、一緒に戻りましょう」
 キスされて、手を引かれる。
 今度は逆らわず後を追った。
 雨が止むまでには、彼の雨も止めばいいと願った。





「あらぁ、もう晴れるかしらねぇ」
 小春がたまに使うカマ口調で窓の外を見遣って呟いた。
「え? まだ随分降っとるとよ?」
「ああ、そっちの雨は」
「?」
 眉を寄せた、ベッドサイドに座る千歳の指が、ベッドに横たわって眠っていた手に掴まれた。そっとすがるように。
「ああ、ほなうち部屋戻るわ」
 小春も気付いて、そう言うと小走りに扉に向かう。
「ああ、すまんね」
「ええよー。ほなまたね千歳くん。蔵リンによろしく」
「うん」
 覚醒した頭で、小春の声を認識した。
 そっと起きあがらないまま、無意識に掴んでしまっていた指の持ち主を見上げた。
「ああ、白石。起きたと?」
「…ち」
「貧血たいね。オサム先生に聞いたと」
(知らない。訊いて、ない? センセ、黙っててくれた?)
「なんば飲むと?」
 いろいろ買ってきたと、とペットボトルを複数渡される。
 起きあがって受け取ると、こないいっぺんに飲んだら病気になるわと笑った。
 それに微笑み返して、千歳は不意打ちに唇を塞いだ。
 避けられなかったが、避けなかったと思う。
 痛いのに、心地いい。
「白石、大丈夫たい」
 え、と零れた。
「俺は今回は謙也責めんし、白石も責めるようなことしたくなか。
 俺は白石が俺のもんでいてくれるだけでよかから、汚くなかから平気たい。
 …俺には白石は全部眩しかね」
 にこりと、笑って言われて、顔が真っ白になるように血の気がひいた気分だった。
「…知って、……んか」
「訊いた」
「……………………謙也は、」
「悪くなかろ?」
「……わかっとるなら、ええ」
「うん」
 喉が、張り付いてうまく声が出ない。
 怖い。
 千歳は、大丈夫だと言ったけれど。
「…」
 千歳は気付いたわけでもないのに、やっぱあかんばい、とぼやいた。
 その言葉にびくりと震えた。のに彼はこう言った。
「俺にはこういう口だけの正攻法はむかんね。俺はやっぱり抱いてめちゃくちゃにしちょってから俺は好いとうって言いたかと」
 独り言のように吐いた暢気な声が、微笑んで白石の上に覆い被さった。
「ばってん、抱いてよか?」
「……………」
「白石」
「……イヤや、ないんか」
「白石、俺の言葉訊いとったと? 俺は白石は全部綺麗って言うたと」
「…………」
 千歳は些かムッとしていたが、それが逆に全てが夢のようで。
 白石の腕は反射のように千歳の首に回されていた。
「………俺、汚い」
「…汚くなか」
 背中を抱き締められて、言われた。
「千歳が俺を、絶対捨てへんって知ってて試した。…やっぱり、汚いわ」
「俺はその方が嬉しかばってん」
「…俺はイヤや。まるで下手な女みたいに、全部あげたから全部くれってすがっとる馬鹿みたいや。やのにやめられん。欲しいて。欲しいてしゃあない。
 女なんかいらん。男なんか嫌いや。……ただ、お前がいい」
「……うん」
「…昔なんかしらん。昨日なんか、いらん。
 …今のお前がええ。……馬鹿な女みたいでええから……俺のもんになってくれへんか」
「、もう、なっとると」
 そっと、撫でられて髪に口付けられる。
「……早う、抱いてくれ。お前以外の跡なんか、いらへんねん。
 早く、胸の痛みも全部、…取ってくれ。謙也のこと憎みたないんに、とれへん鉛が胸に埋まってる……。
 早く、取ってくれ……ッ」

 お前の感触じゃなきゃ、こころは綺麗にならない。

「…そのまま、鉛なんか俺への愛に変えてあげるたい」
 ばってん、安心してよかよ、と笑って押し倒される。
 ひどく、落ち着いた。
 眠る前の嵐が嘘のように。
 このまま抱かれたら、きっと謙也のことも大丈夫になる。
 そう予感がした。
 だから手を背中に回してしがみついた。
 ただ、離れたくなかった。
 ただ、好きだった。涙はもう出ない。
 楽園で泣く筈がないから。この胸は、俺だけの楽園なんだから。




 本当は、少しは。いやかなり、謙也を恨む気持ちだってあるけれど。
 抱かれ疲れて、眠る白石の髪を撫でて思う。
 それでも、白石が責めないことで傷つかないなら、我慢する。
 嫉妬も、強い独占欲も腹が煮えくりかえる程まだ穏やかにならないけれど。
「…だけん、俺は白石の泣き顔が、一番イヤやけんね」
 苦笑して、ベッドに潜り込むとその細い身体を抱き締めた。
 狐だか狸だか知らないが、何度でも邪魔すればいい。それでも、俺はこの身を抱き締める。
 嫉妬がないわけじゃない。醜い独占欲が、憎まないわけはない。
 けれど、キミの笑顔が大切だから。

 だから、今はただ、キミの安らげる場所でありたい。

 キミがどんなに傷ついても、飛び込めるような。
 どんなに汚れても、すぐに涙が笑顔に変わるようなそんな場所で。

 ただ、今はキミの安らげる場所で。




 翌日の試合で圧勝した後、その足で大阪に帰った。
 結局、あのホテルのあの部屋はなんだったのか、本当は知らないままだ。
 それでも。
「白石! こないだの写真、オサムちゃんからもろてきた」
「ああ、すまん謙也。…小春たち相変わらずまともな顔あらへんな」
「いつものことやんか」
 謙也は一度謝って、すっかり今ではいつも通りだ。
 多分財前が頑張ったのだろう。
 胸の鉛はすっかりとれて、今では全く痛まない。
「師範はいつもこのポーズなんやろか」
「ああ、ピースとかせんよな」
「金ちゃんが頼んだらやるんやないか」
「ああ、そやなぁ」
 もうすぐ秋から冬になる。
 過ぎゆく季節に、変わっていく世界はそれでも変わらない。
 千歳は大阪に残ると言っていたから。
 それだけで安心してしまえる自分は、矢張り彼の女のつもりなのだろうか。
 微妙にむかついたが、まあいいかと思い直す。
 ということは、あれは俺のものということだから。
「そういや、この間押入整理しとったら鯉のぼり出てきた」
「えらい季節はずれやな」
「弟ももう出さへんしな。埃被っとった。弟の時くらい出したらええん」
「いくつやったっけ?」
「今小学校三年」
「そうやな、まだ楽しむ歳やんなぁ」
「そういや、鯉のぼりって何歳からやったっけ?」
「え、七歳やろ?ほら―――――――――――――」
 遠くでクラスメイトの女子の声がする。
 笑い声に混じって。
「ええ? あの子別れちゃったの彼氏と。ラブラブだったじゃん」
「それがなんか酷いこと言われたとかって、でも彼氏はそんなこと言ってないって…」
 その声の中に混ざる子供の笑い声。
 今はまだ、気付かない。






隠してしまえよ。その子の七つのお祝いまで

鯉のぼりが、昇ったら


隠してしまえよ この子が七つになるまで

鯉のぼりが空に昇るまで

この子の七つのお祝いに













=========================================================================================

 最初は狐退治(?)まで書く予定でしたが、こっちの方が怖いかな、と謎のまま終わらせました。
 タイトルとタイトル前と最後の文はあさきの「この子の七つのお祝いに」から。
 狐とかもそうですね。
 謙蔵の描写は正直、「えー」って人が多いと覚悟してます。
 でもその後の光謙はお気に入りだったりします(光の「ガキ」とか)
 これ言うと引かれますが一回ちとくら前提の謙蔵(強姦気味)を書いてみたかったという…。
 でも正気の謙也で書くと長編になる上、思いっきり修羅場るのでどうしようかなーと。
 そしたら「じゃあ正気じゃないならいいのでは」とこの話が浮かんだというからアレですね。
 …語れば語るほど貰い手なさそうな気がしてきました。いいです、うん。
 とにかく、私は書いてて面白かったんだい…(やおいシーン除く)