こういう関係 「試合しよーや! なあ!」 「いやったらいや」 「コシマエー!」 「いやだ」 それは青学との合宿の半ば。 ある日の真っ昼間だった。 コートの中心で、揉め合っているらしいのは東西のルーキー。 遠山と越前。 どうやら、遠山が試合したいとごねているらしいが。 「試合するんやー!」 「こら金太郎!」 他の部員が「あ」と思う暇なく、遠山の小さな頭に拳が落ちた。 遠山は呻いてその場にしゃがみ込む。背後に立っているのは四天宝寺の部長、白石。 「あ、…しらいし」 呻きながら見上げて、遠山はまずいという顔をする。 「金ちゃん、嫌がっとるやろコシマエくん。無理強いよくないで」 「無理強いやない!」 「それ以上我が儘言うなら毒手」 「…っ……」 あからさまに遠山は怯んで、黙るが、まだ未練があるように越前を見遣る。 越前の背後からその場に来た手塚が、彼の頭を帽子越しに叩いた。軽く。 「どうした。越前」 「あ、部長…」 「らしくないな。あそこまで嫌がるのは」 「…だって、こいつ俺の開けたばっかのファンタの缶けっ飛ばしたんすよ? 中身全部零れちゃって…」 「…金ちゃん」 「わざとちゃうもん! 謝ったもん!」 包帯を解く仕草をする白石に、遠山はずささっと下がって首を左右に振る。 「謝ってない」 「謝った!」 「『ごめん、ほな試合しよ』のどこが誠意なんだよ」 「まあ、そんな風に謝られても、納得いかないよな」 騒ぎを聞いて集まって居た中にいた乾がそうコメントした。 「金ちゃん、しっかり目ぇ見て、謝りなさいって言うたやろ?」 あれからなおごねる遠山を引っ張って連れてきたのはコートから離れた木陰。 あの場にいなかった千歳も気になってか傍にいる。 「やって、やって悪気なかったもん」 「あってもなくても、心から謝らんとあかんの」 わかるか?と白石は視線を合わせて言うが、遠山はまだ不満そうだ。 「金ちゃんは、コシマエくんと試合したか?」 「したい!」 千歳は問いかけて、返事を聞くと、遠山を手招いた。?と疑問符を浮かべながら傍に近寄った遠山の頭を撫でると、耳元でなにか囁いた。 「ほんま?」 「うん」 「…ほなワイ行ってくる!」 「いってらっしゃい」 駆け出していった遠山はどうやら、校舎の方に向かったようだ。 千歳の傍に立って、白石は「ええんか?」と聞く。 「素直なとこが金ちゃんはよかよ」 「…まあ、そやけど」 というか、なにを言ったんだろう。 「金ちゃん、特に越前に懐いとる…いや、好いとうとか」 「おい」 「友情で」 「…ああ」 うっかり誤解しかけて、白石は頷いた。納得と。 「同学年で、自分に負けない強かヤツっておらんかったばい。しょんなか。 ただ、そればっかで、俺や白石に対するみたいな気持ちがまだなか」 「…?」 「嫌われたくない、好かれたいって気持ち」 「……」 白石は考えた。確かに、そこそこはあるだろう。 だが、自分や千歳、謙也たちに対するような『心底嫌われたくない』『好き』という気持ちが越前に対してあるかというと。 「ないかもな」 「やろ? 試合したいばっかじゃ、相手も嫌がる。少しは相手の気持ちも考えんと。 越前は強かヤツと試合したいってとこ、金ちゃんに似とう。 ばってん、あっちはそこんとこ、わかっとうやろし。 金ちゃんが、わかれば充分」 「…わかっとるんやろか?」 「多分な」 手塚くん、いいお父さんっぽか、と千歳が言うと、白石は笑った。 あっちの父はやっぱり手塚か、と。 「越前」 ベンチで休んでいると、手塚がいつの間にか傍にいた。 手の平を出せといわれて従う。そのうえに、ぽんと置かれたのはファンタ。 「え」 「結局水分補給してないんだろう」 「…部長が?」 「…いやだったか?」 無表情で見下ろされた。だが、気遣われている。心配されている。それはわかる。 「いえ、有り難うございます」 「ああ」 越前は帽子を目深に被ってから、ファンタのプルタブを押し上げた。ぷしゅ、と音がする。 「…俺、あいつ自体は嫌いじゃないっすよ」 「…」 「聞きに来たんじゃないんすか?」 「…ああ。そうだ」 やっぱり、と越前は呟く。ファンタを一口飲んで、だってと言った。 「ファンタだって、怒ってないっす」 「説得力がないぞ」 「本当に! だって、あいつ『試合したい』しか言わないんすよ? 未だに『コシマエ』だし。俺と他の会話しないし。 …折角『先輩』じゃない、強いヤツなのに」 多少むくれた調子の後輩の声に、手塚は誰にも見えないように笑った。 顔をすぐ引き締めると、越前の頭を帽子越しに撫でる。 「言えばいい。わからないほど頭が悪いとは思ってないだろう」 「…そうだけど」 「交流は大事だ。他校でも。お前は、年上と一緒にいるからなおさら」 「……部長、それ心配?」 越前が、頭に手塚の手を置いたまま、見上げてきた。頷いてやる。 「お前は常に桃城と一緒だからな。 同学年に親しい仲間がいないと、辛い」 「…俺、普通に堀尾とか、友だちだって思ってますよ」 「そうか?」 「あれだけ一緒にいたら、友だち。俺、どうでもいいなら口利かない。 あいつとも」 遠山のことだ。 わかりにくい、後輩の愛情の発露。やっぱり、仲直りしろ、というとそもそも喧嘩じゃない、と越前は返した。 「コシマエ…っ」 ぱたぱたと元気に駆け寄ってきた足音。やっぱり足早いらしく、遠山はすぐに越前の前に到着する。 「…なに」 無愛想に言った越前に遠山はずい、と缶を突き出す。ファンタの缶。未開封。 「お、お詫び…ごめん」 「……」 越前と手塚は固まった。越前の手にある、缶もファンタだ。 遠山も気付いたのか、あからさまに泣きそうになった。 「いいよ」 手塚の手をゆっくり払って、越前は立ち上がると、それを受け取った。 「味違うでしょ?」 ほら、と自分の持っている二つの缶を見せる。片方はオレンジ、片方がグレープ。 「どっちも好き。サンキュ、遠山」 「…っ」 軽く微笑んで言ってやると、遠山は今度はわかりやすく嬉しそうにした。 ちょっと撤回してもいいかも、と越前は内心思う。 少なくとも、自分のことコート以外で見てないと、ファンタ好きなんてわかんないし。 「試合してもいいよ」 「ほんま!?」 「うん。今なら」 「……あ、せやけど…」 なにかあるのか、遠山は躊躇って、視線を彷徨わせる。 「…コシマエって、向こうの人?」 「…? 血筋は日本だけど」 「向こうの話聞いてええ?」 試合は、また明日、と遠山は言った。 手塚の言うことも、当たってる。 ちょっとは、嬉しい。聞いてもらえるっていうのは。 「いいよ」 日陰行こうか、と越前は二つのファンタを持って手招く。遠山が元気よく追いかけた。 『コシマエの話、聞いてやったらよかよ?』 「入れ知恵か?」 「まあ」 手塚がよりかかっているコートのフェンス。網の向こう側に、二人のルーキーの姿。 「金ちゃんもそうやけん」 傍に近寄ってきた千歳が、にこりと笑った。隣に白石。 「遠山も?」 「自分のこつ、子供扱いされたり、無視されっと怒る。かわいい…も怒ったい。 自分を尊重されたがっとう」 「ああ」 越前も、か、と手塚はもう一度金網の向こうを見た。 少なくとも、楽しそうな姿ではある。 感情の発露が違うから、遠山ばかり楽しそうだが、越前も口元が笑っていた。 「手塚くんとこは、おとなしいな」 「…その分、生意気だが」 「うちもやって。可愛えけど」 白石は自分が卒業したら、心配だと零す。笑いながら。 「今、手塚くん、自分の息子の方がかわいいって思った?」 「……後輩だ」 「立場意識や」 「………………………………………………それは、そうだが」 可愛いが、と言外に言って手塚は小さく笑った。後輩はかわいい、と。 「……息子? お前の? 後輩じゃなく」 「ツッコミ遅いで手塚くん。後輩やけど」 どっちの後輩もかわいいんだけど。 やっぱり自分のトコのが、と思う。 意識なら、あれは可愛い息子だ、と千歳が言った。 その日の夜。夕飯前だというのに、昼間はしゃいで疲れたのか、遠山はすーすーと眠っている。 その身体を膝に乗せたまま、白石は傍をたまに通りかかる部員に「夕飯は?」と問いかける。「まだです」と明るい声が返る。「寝てるとこいつほんま天使っすわ」と付け足して。 「ほんまやな」 自分の身体にべったりとくっついて眠る遠山の頭を撫でると、もにゃもにゃと口が動く。 「しらいし……」 自分の名前を呼んだ後輩に白石の頬が自然微笑んだ。 「白石」 頭上から自分を呼んだのは千歳だった。声を潜めて、千歳は壁に手をつけてこちらを見下ろす。 「ああ、夕飯?」 「いや、まだ。よう寝とっとね」 「ああ」 「……」 急に黙り込んだ千歳は、白石の隣に唐突に座った。 自分の膝を叩く。 「?」 「白石が座って」 「あ! …………ほぉ。出来るか」 怒鳴りかけてすぐ、腕の中の後輩を思いだし、白石の声はしぼんだ。千歳がくすくすと笑う。 「いけん?」 「あかん」 赤くなりながらもダメだという白石に、千歳はしかたないとまた立ち上がった。 そして、遠山の閉じた目を手でふさぐと、白石の顔の横に肘をついて、白石の唇にそれを重ねた。 ちゅ、と音が鳴る。 「…………」 「お前は、俺の。これくらいは普通」 「……ア…………ほ」 やっぱり、怒鳴れない。それは、腕の中の後輩の所為なのか、それとも、うれしさからか。 「夫婦の時間はやっぱり、夜九時過ぎからばいねー」 「……アホ、アホ、アホ」 「質より量と?」 「アホ」 さっきから繰り返す白石は真っ赤だ。怒鳴れない分、数かと千歳が呟いた。 腕の中の後輩は起きない。 それに、少し、複雑になった。 2009/07/19 |