彼は嘘吐きだ。

 けれど、そんな姿を、愛していた。






キミを濁らせる業火

- He is liar -

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第三話【さいごのひと】












 あの毒は、結局自分を死に至らしめなかった。

 何故だと、毒が身体から消えるまでの数日、苦しい中でずっと考えた。
 彼のタクトは、間違いなく毒薬の倉庫だ。
 たまたま、『倉庫』に致死の毒がなかった?
 そんなはずない。彼の手口はかなりのプロだった。
 そんな殺人のプロがそんなミスをするものか。

 なら、答えは、






 毒が身体から消えたのは、あの対峙から、一週間後。
 泊まっていたホテルをチェックアウトして、彼の店に向かった。
 この街を出る時が今なのかもしれない。
 でも、最後に彼の真意が知りたかった。

「…千歳」

 背後から自分を呼んだ声は、聞き慣れた、大好きなテノール。
 背後を振り返った千歳の前には、腰にタクトを差した、白いスーツ姿の白石。
 店で見る彼とは、空気がまるで違う。間違いなく、こっち側だと悟らせる姿と空気。
 笑み。
「蔵」
「元気そやな」
「ああ」
「よかった」
「…ほんに?」
「うん」
 笑顔で次々に飛び出す言葉を、もう信じることは出来なかった。
「どこまで、本当?」
「…全部やで?」
「嘘やろ」
 嘘だった。弱い姿は、全て嘘だったのだから。
「…なにがええ?」
 白石は不意に悪戯じみたことを言った。やはり、笑って。
「…千歳の恋人でも、店の店員でも、ボスの女でも、組織の工作員でも、なんでも。
 ええで? 千歳が想いたい俺で、ドーゾ」
「…」
 彼のナニを信じたらいい。
 混乱した千歳は、懐から取り出した銃を白石に向けた。
 百メートルは離れた位置に立つ白石は、驚くこともなく、目を千歳から逸らさない。
「…なして、逃げなか」
「…なんでやろな?」
 白石はまた笑う。おどけて。口調は明るい。
「千歳は俺を殺せへんと思っとる、とか、あるいは、なんか作戦がある、とか」
「……」
「好きな風に、考えて」
 あくまで、自分からは言わない答え。千歳のトリガーにかけた指が微かに揺るんだ瞬間、白石が腰に差したタクトを抜き取って構えた。慌てて放った銃弾は、タクトの刃に防がれる。
「さて―――――――――――死合おうや…。その世界のもん同士、らしくな」
「…や、」
「な?」
「嫌ばい!」
 千歳の拒否に白石は舌打ちをして、地面を蹴る。
 頭上から降った光るなにかを全て銃弾で撃ち落とす。それらが地面に落ちる前に、千歳はその場を離れている。おそらく、毒薬の入った試験管だ。それも、今度こそ致死。
 千歳が放った銃弾を全て交わし、白石はタクトを振るう。至近距離で振るわれたタクトを千歳が銃の底で受け止めた。
 そのまま数秒、にらみ合う。
 何故、こんなことになっているのだろう。
 欲しかったのは、こんな時間じゃない。
 俺が欲しかったのは、

「…蔵」

 彼だ。すがるように呼んだ。愛しくて仕方なかった。
 もう、嘘でもよくなって。いいから、彼の傍にいたかった。
 千歳の泣きそうな顔にすら、顔を動かさず、白石はタクトを銃から離すと一気に背後に飛んだ。宙で武器を伸縮させる。頭上から落下して割れる毒薬の入った試験管。千歳は避けなかった。
 離れた場所に着地した白石は、茫然と自分を見る。千歳は呼吸が苦しくなったことを感じながら、彼から視線を逸らさなかった。
「…なんで」
 初めて白石の表情が揺らいだ。瞳が、涙で揺れる。
 その胸に銃口を向けた。

 欲しかった。傍にいたかった。

 例え、死の世界でも。

「…こっち、おいで。蔵」

 一緒に、死ぬなら、君がいい。

 白石の唇が震える。なにか言う前に、閉じて無言になった。
 顔を上げた彼の表情は笑顔だった。いつもと変わらない、優しい笑み。
 銃口から、避けない。





 引くはずのトリガーに指がかかったまま、縛られたように指が固まった。
 瞬間、傍の建物が吹き飛んで、自分たちの頭上から降ってきた。
 爆発音がした。
 彼に向かって手を伸ばしたのが、記憶の最後。






 熱い。
 身体の四方が、熱に囲まれている苦しさに意識が戻った。
 白石が瞼を押し上げると、眼前に千歳の意識のない顔があった。
 周囲は、崩れたコンクリートの壁で覆われている。
 千歳の身体が、自分の上に崩れたコンクリートの破片を防いでいた。
「…どんだけ、馬鹿なん、あんた」
 意識のない、血の流れた彼の顔を指で撫でた。
 多分、コンクリートの壁の向こうは炎だ。
 手を触れるだけで、コンクリートが熱い。
 おそらく、島荒らしの奴らだ。爆破した建物の下に自分たちがいたのは偶然じゃない。
 落ちてきた破片から、自分を助けた千歳に、笑みが零れた。
 泣きそうな、笑みが。


 あの日、面倒に思っていた。
 絡まれるのは初めてじゃない。でも、いつも謙也がいた。自分が武力を行使する必要はなかった。
 謙也がいなくて、困った。
 組織の人間だと、悟られないのが自分の矜持。
 丁度よく助けた人間に最初感謝した。でも呼ばれた名前に姿。
 すぐ、あの千歳だとわかった。

 何故、この島にいると思った。

 右目を負傷してあの組織を抜けた千歳の名は未だ有名だ。
 だけど、自分が見る彼は、右目が不自由に見えなくて。
 だから、あれは組織と千歳のパフォーマンスだと思った。
 彼は、ボスを殺す気だと、思った。

 だから、嘘を吐いた。騙した。
 殺す気だった。彼を。

 でもなら、あの時何故、蒔かれた毒に犯された彼を助けた。
 何故、銃口から逃げなかった。



 答えは、わかりきっている。



「……そばにいさせて」



 涙に絡んだ声で、意識のない千歳に告げた。
 自分の頬を流れる涙を、白石は両手で包んで堪えた。

 傍にいたかった。好きだった。

 だから、お願い。
 俺を殺して。
 あなたの、ものにして。死で繋いで。



 だから、逃げなかったんだ。





「…」
 涙を拭うと、千歳の身体をぐいと引っ張った。
 少しずらして、背後の壁を押して退かす。
 まだ道があった。炎に犯されていない道が、やっと人一人通れるくらいの幅で、外まで広がっている。
 手が火に侵されて痛んだが、構わなかった。
 千歳の身体を抱えて脱出しようとして、気付く。
 千歳の片手が、破片に挟まれている。
「…んっ」
 ぐい、と強く腕を掴んで引っ張った。なかなか抜けない。
「……ん」
 もっと強く、と力を込めた手を、誰かが押した。千歳だ。目が開いている。
「よか……逃げなっせ」
「嫌や」
「逃げろ」
「嫌や!」
 涙をこぼして拒否すると、千歳は目を驚きに見開いた。
 何故と、言いたげに。馬鹿じゃないか。同じだ。
 俺を殺して連れていこうとしたあんたと、連れていかれたがった自分。
「傍に、いさせろ」
「…蔵」
 やっと目が覚めたようにそう自分を呼ぶ千歳に微笑むと、腕を掴む力をもう一度込める。
「…っ?」
 千歳が腕に走った痛みにか、一瞬顔をしかめた。
「痛い?」
「違か…待っ…なんか」
 千歳が待て、とよせ、と自由な方の手で白石の手を掴んで押しとどめる。
「なに…」
「なんか…いけん…。手が、」
「…手が」
 まさか、もう感覚がないのか。
 青ざめた白石に、千歳は首を左右に振った。
「違う…。多分、銃を握ったままばい」
「なら」
「トリガーに指がかかっとる。外れん。多分、引っ張ったら、外に出た瞬間にトリガー引いとうかもしれん」
「…それが」
「わからんと? あんたを撃ってしまう可能性がある」
 だから、やめろと千歳は言った。すぐ白石は首を左右に振る。
「く」
「それでも、あんた一人死なすよりええ」
「……」
「…ごめん、ありがとう」
 精一杯、謝った。すぐ礼を言った。白石は微笑んで、千歳の腕を再度引っ張る。
 ずる、と手がやっと下から抜けた瞬間、なにか、音がした。
 遅れて、銃声だと気付く。千歳はやはり、こっちの人間だ。はっきりと、予想できていた。抜けた手が撃つ場所も、撃ってしまうことも。
「蔵…ッ」
 白石の腹を貫通した銃弾に、白石が血を吐いて手を地面に付いた。
「く」
「…にげて。いきて。…あんたが、死んだら」
 千歳の手が自分を抱きしめて、抱き上げると、出口に走り出す。
 そうすると、多分自分は信じていた。
 助けてくれると。
 だから、お願い。死なないで。

「……元に、戻れへんねん」



 あなたが、死んだら。






 最後の、人。










「へ? 組織抜け? 誰が」
 ある日の飯時、謙也がハンバーガー片手に、一緒に飯を取っていた仲間に聞いた。すぐ頭を強引に撫でられる。
「忍足、お前先輩に口の利き方なってへんぞ」
「すんませーん。で?」
「ええ度胸や。ん。No.2の毒針が」
「…って、ナンバー2!? そんな位置の人がなんで抜けんの?」
「なんか事情あって。詳しく突っ込むな、とボスが。
 とにかく、仕事で負傷して、大変だから」
「…随分ざっくばらんな理由」

 ボスが毒針を可愛がってたからな、と先輩が笑った。






「よかと?」
 挨拶せんで、と千歳は伺いながら、自分の髪をそっと撫でた。
「かまへん。どうせ、また会うやろ」
「そうやね」
 頭から手を離して、自分と手を繋いだ千歳の手と、自分の手には包帯が巻かれている。
 あの日、負った火傷は完全に治らなかった。
 片足を引きずるように歩く自分の腰を抱いて千歳が支えた。

 あの日の怪我で、戦線離脱を余技なくされた自分を、ボスは頃合いだと解放した。
 もう足を洗え、と優しく言った。

 大事な人がいなかった。連れ戻す人がいなかった。自分には彼岸に誰もいなかった。
 でも、手を伸ばす千歳が現れた。


 腹に受けた負傷から、片足が多少不自由になった。
 千歳は何度も謝って、でも自分を離さなかった。

 何度も嘘を吐いた。
 でも、好きだった。

 傍にいたいと、願った。




「…さ、どこ行くと?」
「どこでもええ。あ、でもとりあえず、珍しいもん見たいわ」
「珍しい…ここらの人が珍しかもんは…」




 あなたが呼ぶ方へ、手を伸ばす。
 だから、傍に置いて。




 あなたが、世界の最後の人。











 THE END