彼は嘘吐きだ。 けれど、そんな姿を、愛していた。
あの毒は、結局自分を死に至らしめなかった。 何故だと、毒が身体から消えるまでの数日、苦しい中でずっと考えた。 彼のタクトは、間違いなく毒薬の倉庫だ。 たまたま、『倉庫』に致死の毒がなかった? そんなはずない。彼の手口はかなりのプロだった。 そんな殺人のプロがそんなミスをするものか。 なら、答えは、 毒が身体から消えたのは、あの対峙から、一週間後。 泊まっていたホテルをチェックアウトして、彼の店に向かった。 この街を出る時が今なのかもしれない。 でも、最後に彼の真意が知りたかった。 「…千歳」 背後から自分を呼んだ声は、聞き慣れた、大好きなテノール。 背後を振り返った千歳の前には、腰にタクトを差した、白いスーツ姿の白石。 店で見る彼とは、空気がまるで違う。間違いなく、こっち側だと悟らせる姿と空気。 笑み。 「蔵」 「元気そやな」 「ああ」 「よかった」 「…ほんに?」 「うん」 笑顔で次々に飛び出す言葉を、もう信じることは出来なかった。 「どこまで、本当?」 「…全部やで?」 「嘘やろ」 嘘だった。弱い姿は、全て嘘だったのだから。 「…なにがええ?」 白石は不意に悪戯じみたことを言った。やはり、笑って。 「…千歳の恋人でも、店の店員でも、ボスの女でも、組織の工作員でも、なんでも。 ええで? 千歳が想いたい俺で、ドーゾ」 「…」 彼のナニを信じたらいい。 混乱した千歳は、懐から取り出した銃を白石に向けた。 百メートルは離れた位置に立つ白石は、驚くこともなく、目を千歳から逸らさない。 「…なして、逃げなか」 「…なんでやろな?」 白石はまた笑う。おどけて。口調は明るい。 「千歳は俺を殺せへんと思っとる、とか、あるいは、なんか作戦がある、とか」 「……」 「好きな風に、考えて」 あくまで、自分からは言わない答え。千歳のトリガーにかけた指が微かに揺るんだ瞬間、白石が腰に差したタクトを抜き取って構えた。慌てて放った銃弾は、タクトの刃に防がれる。 「さて―――――――――――死合おうや…。その世界のもん同士、らしくな」 「…や、」 「な?」 「嫌ばい!」 千歳の拒否に白石は舌打ちをして、地面を蹴る。 頭上から降った光るなにかを全て銃弾で撃ち落とす。それらが地面に落ちる前に、千歳はその場を離れている。おそらく、毒薬の入った試験管だ。それも、今度こそ致死。 千歳が放った銃弾を全て交わし、白石はタクトを振るう。至近距離で振るわれたタクトを千歳が銃の底で受け止めた。 そのまま数秒、にらみ合う。 何故、こんなことになっているのだろう。 欲しかったのは、こんな時間じゃない。 俺が欲しかったのは、 「…蔵」 彼だ。すがるように呼んだ。愛しくて仕方なかった。 もう、嘘でもよくなって。いいから、彼の傍にいたかった。 千歳の泣きそうな顔にすら、顔を動かさず、白石はタクトを銃から離すと一気に背後に飛んだ。宙で武器を伸縮させる。頭上から落下して割れる毒薬の入った試験管。千歳は避けなかった。 離れた場所に着地した白石は、茫然と自分を見る。千歳は呼吸が苦しくなったことを感じながら、彼から視線を逸らさなかった。 「…なんで」 初めて白石の表情が揺らいだ。瞳が、涙で揺れる。 その胸に銃口を向けた。 欲しかった。傍にいたかった。 例え、死の世界でも。 「…こっち、おいで。蔵」 一緒に、死ぬなら、君がいい。 白石の唇が震える。なにか言う前に、閉じて無言になった。 顔を上げた彼の表情は笑顔だった。いつもと変わらない、優しい笑み。 銃口から、避けない。 引くはずのトリガーに指がかかったまま、縛られたように指が固まった。 瞬間、傍の建物が吹き飛んで、自分たちの頭上から降ってきた。 爆発音がした。 彼に向かって手を伸ばしたのが、記憶の最後。 熱い。 身体の四方が、熱に囲まれている苦しさに意識が戻った。 白石が瞼を押し上げると、眼前に千歳の意識のない顔があった。 周囲は、崩れたコンクリートの壁で覆われている。 千歳の身体が、自分の上に崩れたコンクリートの破片を防いでいた。 「…どんだけ、馬鹿なん、あんた」 意識のない、血の流れた彼の顔を指で撫でた。 多分、コンクリートの壁の向こうは炎だ。 手を触れるだけで、コンクリートが熱い。 おそらく、島荒らしの奴らだ。爆破した建物の下に自分たちがいたのは偶然じゃない。 落ちてきた破片から、自分を助けた千歳に、笑みが零れた。 泣きそうな、笑みが。 あの日、面倒に思っていた。 絡まれるのは初めてじゃない。でも、いつも謙也がいた。自分が武力を行使する必要はなかった。 謙也がいなくて、困った。 組織の人間だと、悟られないのが自分の矜持。 丁度よく助けた人間に最初感謝した。でも呼ばれた名前に姿。 すぐ、あの千歳だとわかった。 何故、この島にいると思った。 右目を負傷してあの組織を抜けた千歳の名は未だ有名だ。 だけど、自分が見る彼は、右目が不自由に見えなくて。 だから、あれは組織と千歳のパフォーマンスだと思った。 彼は、ボスを殺す気だと、思った。 だから、嘘を吐いた。騙した。 殺す気だった。彼を。 でもなら、あの時何故、蒔かれた毒に犯された彼を助けた。 何故、銃口から逃げなかった。 答えは、わかりきっている。 「……そばにいさせて」 涙に絡んだ声で、意識のない千歳に告げた。 自分の頬を流れる涙を、白石は両手で包んで堪えた。 傍にいたかった。好きだった。 だから、お願い。 俺を殺して。 あなたの、ものにして。死で繋いで。 だから、逃げなかったんだ。 「…」 涙を拭うと、千歳の身体をぐいと引っ張った。 少しずらして、背後の壁を押して退かす。 まだ道があった。炎に犯されていない道が、やっと人一人通れるくらいの幅で、外まで広がっている。 手が火に侵されて痛んだが、構わなかった。 千歳の身体を抱えて脱出しようとして、気付く。 千歳の片手が、破片に挟まれている。 「…んっ」 ぐい、と強く腕を掴んで引っ張った。なかなか抜けない。 「……ん」 もっと強く、と力を込めた手を、誰かが押した。千歳だ。目が開いている。 「よか……逃げなっせ」 「嫌や」 「逃げろ」 「嫌や!」 涙をこぼして拒否すると、千歳は目を驚きに見開いた。 何故と、言いたげに。馬鹿じゃないか。同じだ。 俺を殺して連れていこうとしたあんたと、連れていかれたがった自分。 「傍に、いさせろ」 「…蔵」 やっと目が覚めたようにそう自分を呼ぶ千歳に微笑むと、腕を掴む力をもう一度込める。 「…っ?」 千歳が腕に走った痛みにか、一瞬顔をしかめた。 「痛い?」 「違か…待っ…なんか」 千歳が待て、とよせ、と自由な方の手で白石の手を掴んで押しとどめる。 「なに…」 「なんか…いけん…。手が、」 「…手が」 まさか、もう感覚がないのか。 青ざめた白石に、千歳は首を左右に振った。 「違う…。多分、銃を握ったままばい」 「なら」 「トリガーに指がかかっとる。外れん。多分、引っ張ったら、外に出た瞬間にトリガー引いとうかもしれん」 「…それが」 「わからんと? あんたを撃ってしまう可能性がある」 だから、やめろと千歳は言った。すぐ白石は首を左右に振る。 「く」 「それでも、あんた一人死なすよりええ」 「……」 「…ごめん、ありがとう」 精一杯、謝った。すぐ礼を言った。白石は微笑んで、千歳の腕を再度引っ張る。 ずる、と手がやっと下から抜けた瞬間、なにか、音がした。 遅れて、銃声だと気付く。千歳はやはり、こっちの人間だ。はっきりと、予想できていた。抜けた手が撃つ場所も、撃ってしまうことも。 「蔵…ッ」 白石の腹を貫通した銃弾に、白石が血を吐いて手を地面に付いた。 「く」 「…にげて。いきて。…あんたが、死んだら」 千歳の手が自分を抱きしめて、抱き上げると、出口に走り出す。 そうすると、多分自分は信じていた。 助けてくれると。 だから、お願い。死なないで。 「……元に、戻れへんねん」 あなたが、死んだら。 最後の、人。 「へ? 組織抜け? 誰が」 ある日の飯時、謙也がハンバーガー片手に、一緒に飯を取っていた仲間に聞いた。すぐ頭を強引に撫でられる。 「忍足、お前先輩に口の利き方なってへんぞ」 「すんませーん。で?」 「ええ度胸や。ん。No.2の毒針が」 「…って、ナンバー2!? そんな位置の人がなんで抜けんの?」 「なんか事情あって。詳しく突っ込むな、とボスが。 とにかく、仕事で負傷して、大変だから」 「…随分ざっくばらんな理由」 ボスが毒針を可愛がってたからな、と先輩が笑った。 「よかと?」 挨拶せんで、と千歳は伺いながら、自分の髪をそっと撫でた。 「かまへん。どうせ、また会うやろ」 「そうやね」 頭から手を離して、自分と手を繋いだ千歳の手と、自分の手には包帯が巻かれている。 あの日、負った火傷は完全に治らなかった。 片足を引きずるように歩く自分の腰を抱いて千歳が支えた。 あの日の怪我で、戦線離脱を余技なくされた自分を、ボスは頃合いだと解放した。 もう足を洗え、と優しく言った。 大事な人がいなかった。連れ戻す人がいなかった。自分には彼岸に誰もいなかった。 でも、手を伸ばす千歳が現れた。 腹に受けた負傷から、片足が多少不自由になった。 千歳は何度も謝って、でも自分を離さなかった。 何度も嘘を吐いた。 でも、好きだった。 傍にいたいと、願った。 「…さ、どこ行くと?」 「どこでもええ。あ、でもとりあえず、珍しいもん見たいわ」 「珍しい…ここらの人が珍しかもんは…」 あなたが呼ぶ方へ、手を伸ばす。 だから、傍に置いて。 あなたが、世界の最後の人。 THE END |