§針金 §
 万華クラシカル




 日も随分と陰った。
 あとは帰るだけだ。部員の皆と並んで歩く。
 部長の自分は話題を振られたり、振られなかったりだ。
 部員は勝手知っているのか、手塚がこういう対外試合の時の後はかなり寛容になることを了解と取ってかなり飛んだことまで話す。
 勝ったという、浮かれというより、充足感もあってだ。
 だから手塚も咎めるつもりはない。こういう時の軽口すら咎めるようでは、部員は何処で羽目を外したらいいのかわからないだろう。
 バス停まで後少し。
 小さな砂漠。そんな形容が似合う公園を通りかかったのはその時だ。
 去年も来ていたが、こんな場所に公園があるのは知らなかった。
 新しいのだろうか。
 そんなことをつらつらと思っていると、その中に、見知った衣服を着た人影が見えた。
 そこで足を止めてしまう。
 それは多分、いた人物の服が、先程戦った学校のものだったからだろう。
 ノースリーブの、如何にも暑い国から来たという、紫のウェア。
 比嘉中だ。
 それも、後ろ姿だが、風貌からして、あれは自分と戦った部長だった。
 まるで勝利後の副部長のように東屋のところでなにかを調べて書き込んでいる。
 手がせわしなく動いているから多分そうだろう。
 どちらかといえばそれは勝った時に、この後当たる学校のオーダーはなどと決める自分の部の頭脳と副部長の構図だ。
 負けた学校は、すぐホテルに帰っていると思った。
「手塚?」
 我に返ったのは、声を掛けた人物が親しかったせいだ。
 そう、手塚は理屈付けをした。
「どうしたの?」
 不二だ。
「いや…」
 言いながら、視線は自然、その部長の方を向く。
「…ああ、木手くん? どうしたんだろう? 一人かな?」
「…他にいるなら、見えるはずだ」
「だよね。ホテルへの道がわからないわけないし」
「だったら手に持っているのはノートではなく携帯だろう」
「うん」
 不二は、小さく笑うと手塚の視線の前に、指を一本立てた。
「手塚」
 疑問符を浮かべる自分に構わず、不二は少女のように笑う。
 こういう時、不二は自分にとって良いことか、良からぬことを考えているかの二択だ。
 乾ほどあからさまではない彼の企み方は、下手をすれば巧妙だから、乾より見破りにくくたちが悪い。
「ジュース、飲みたい」
「…なら自分で買ってくればいいだろう」
「でも、ジュースを売ってる自販機、この公園くらいしかないよ」
「なら尚更今行けばいい。バスの時間はもうすぐだぞ」
「僕、沖縄アレルギーなんだよ」
 なんだそれは。
「…ほら、沖縄の人の風土とか、触れるとしっしんが出来るんだよね。
 試合の時は我慢したけど」
「…」
 手塚は久々に来た不二の、電波としかいいようのない理屈に絶句した。
 大抵、理屈に叶った理屈なのだ。しかしたまに、ごくたまに。理屈を考えつかなかった時か、考えるのも面倒な時、不二はこういう、電波と誤解されそうな言い方をする。
 多分、今回は面倒だったのだろう。そうに違いない。
「……わかった。なにがいい」
 こういう時は、折れないとしつこい。墓の底まで持っていくつもりかという勢いで毎日言い続けるから、折れた方が得策だ。まして、弁はあいての方が立つ。
「え? 考えてなかった」
「勝手にあるものを選んでくる」
 不二の、やはり少女のような笑みを直視したくなく、手塚は言い切ると財布を探りながら公園の砂地へ足を進めた。




 やはり、相手は木手だった。
 余程熱心なのか、手塚が公園に入ったことは気付いていない。
 そこに、不意に影が差した。
 木手は驚かず、顔もあげない。そこに、ジュースの缶が置かれる。
「永四郎は、これでいい?」
「ええ。ありがとう」
 そういえば練習試合あたりで、大石が聖ルドルフの観月に“敬語を使うのは方言を出にくくするため”と聞いたらしいが、木手もそう思って敬語を使っているのだろうか。
 木手一人ではなかった。木手の正面に座った男はやはり比嘉のジャージ。
 二人とも着替えるのが面倒だったのだろうか。
 確か、ダブルスで不二と。六角とは葵と試合をしていた比嘉の中でも目立った長身の男。
 知念と言ったか。
「知念クンは、帰ってもいいよ?」
「いい、手伝う。甲斐は副部長なのに、やらないし」
「あれは俺の人選ミス。知念クンにすればよかった」
「先に集まったのは俺の方だった」
「…ああ。そうだね」
 ジュースの缶は汗をかいて水滴が浮かぶが、木手はプルタブすら開けない。
 知念も、冷たいうちに飲んでもらおうとは思っていないのか、特になにも言わない。
「…ここ、西浦が相手だったっけ」
「そう。一、二年はまだ当たるから、データ取っておいて。
 うちで一番主力があるのは堅浦クンかな」
「…まあ、レギュラーが三年ばかりになったから」
「言わないの。潜水時間は、やっぱり身体が成長している人の方が強いよ」
「…まあな」
 知念の言い方が端的な上、木手は淡々と言うから二人とも中学生の会話に思えないリズムだ。
「…木手、ホテル帰ってやろう。もう暗くなる。目が悪くなる」
「…もう少し駄目?」
「駄目」
「…知念クン、平古場クンに似た?」
「まさか」
 だとしたらダブルス組ませたお前のせい、と言いながら、知念は消しゴムで木手の手元のノートの一部の字を消す。
「………」
「責められるの、怖い?」
 不意に。そんな言葉が似合った。
 言ったのは知念だった。
「…責められて当然でしょ」
「そう? 先に負けたのは慧くんと俺と平古場と甲斐だし。
 そこでチームの勝敗決まってた。監督もダブルス2、シングルス3、2のことは怒ったけど、他は言ってない」
「ダブルス1も言ったでしょ」
「あれはほとんどついでだろ。誰も、責めないし、責めさせないし、俺達が」
「……」
「自分が間違ってたとか、言うな。嫌だ。そんなの」
「……そう」
 今度の“そう”は毒がなかった。息が抜けたような言い方だ。
 そこで、知念がのそりとこちらを向いた。視線が合う。
 見つかった、と思ったが、思えば隠れる必要はない。ここは公共の場だ。
 知念の視線につられて、木手もこちらを見た。
「…なにをしている」
 言ったのは木手ではない。自分だ。何故かそれしか出なかった。
「…永四郎」
「なに」
「俺の缶、捨ててきて」
「…なんで」
「俺、ちょっと足痛い」
「……」
 仕方なさげに木手は立つと、缶を持って自販機の方に歩き出す。自然、手塚とは言葉も交わさぬまま背中を向けた形だ。開けられていない木手のジュースは、銘柄がボスだった。
「知念、だったか」
「そう」
「木手と、俺と話しをさせるのは嫌か?」
「嫌…なんだろう。多分」
「俺が、勝ったからか」
「それは自惚れすぎだろう。そうじゃない」
「じゃあ」
 なんだ。
「……責めるヤツは」
 木手の背中が、自販機の前でやや彷徨う。
「いないし。よくやった。そう言うヤツはいても、永四郎を責めるヤツはいない。
 いたら、俺達が殴る。そうやって、壁になれる。守れる。
 …木手が、俺達を導いたんだ」
「………」
「…でも、木手を責めているのは、誰かじゃないから」
「…それは」
 知念は無言で俯いた。
 多分、自分自身、なのだろう。
 きっと。ずっと。
「…他のヤツの言葉なら守れる。けど、自分自身の毒から、守ってやれない。
 お前を見ると、きっと、永四郎は余計自分を責めてしまう。
 そんな、苦しい思いは、させるのが嫌だ」
 というわけ。と最後に知念は開き直ったように言った。
「…」
 あまりにすがすがしくいうので、つい笑った。
「…報告はしたのか?」
「学校に?」
「ああ」
「したんじゃない。流石に監督が」
「…そうか。それは?」
「新人戦の対策。負けても、在学中は顔出すし」
「そうか」
「…」
「あのテニスは、昔からか?」
「あの?」
「木手の」
「……馬鹿?」
 面と向かって馬鹿呼ばわりは多分初めてされた。手塚はなんだかショックで、知念が意外と朴念仁に見えて意地悪だと知る。
「ずっとああなら、誰も慕わないし。誰も教え乞わない。
 純粋に強かったから、みんな従った。あのやり方は……」
 言いかけたまま、知念はなにも言わなくなった。
 空を見上げたまま、それきりなにも。なにも。


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