[間違いさがし] ハサミを拾った。 図書室に、長く借りて、返し忘れていた本を返しに行った時。 ―――――――――――――「かくれんぼしよや」 そういう話になった。確か言い出しっぺは謙也だった気がする。 校舎の中、もちろん範囲制限を付けて。 鬼を免れた千歳は、廊下を歩きながら隠れ場所を探していた。丁度、図書室のプレートが視界に入る。そこにしよう、範囲の中だし、と扉を開けた。 幾つも並ぶ棚。三列目の棚の通路を通ると、正面に扉がまた見えた。 多分、倉庫だ。 戸が少し開いていると気付いて、千歳は近寄った。 扉を開けると、薄暗い室内と、湿っぽい空気が肌を刺す。 「あら、千歳くん」 急に呼ばれて、びっくりした。千歳は横を見た。小春がそこに座っていた。いつものようににこにこと笑って自分を見る。 「ああ、小春もここに?」 「そうね」 「俺もよか?」 「ええ。あたしの私室じゃないもの」 「じゃ、遠慮なく」 千歳はしっかり倉庫の扉を閉めると、小春の隣に腰を下ろした。 「暑いわねぇ」 「な」 「クーラー入れたら、ばれちゃうわね」 「そもそも入れたら怒られったい」 「ね」 待っている間の、小声の会話。続いたり、途切れたり。 千歳は小春は好きだが、頭の良い人間に気の利いた会話をしてやれる人間でもなかった。特に、自分は関西の人間のリズムがわからない。 「なぁんか、お化け出そうやね」 「あー、暗いし、気味悪かしな」 「まあでも、うちの学校、お化けおらんやろうけど」 「そうなん?」 「ほら、千歳くん、あれ好きでしょ? ト○ロ」 「ああ」 「その中にあったやないの。笑ってたら黒いお化けが家から出てっちゃったって」 「…ああ。そげな意味な」 確かに、笑いには事足りない学校だから、小春の言いたいこともわかった。 「うちは多分、恨みが根付きにくい学校や思うわ。全く皆無とは言わへんけどね」 「そやね」 「千歳くんおらんかったけど、昔の先輩らも、みんないい人やったのよ。部活の」 「ああ。わかる気はすったい」 「ねぇ、千歳くん、扉ってまだ開くかしら」 千歳は唐突な話題に、意味もわからないし、ついていけなくて呆けた顔をさらした。小春は同じ言葉を繰り返す。 「開く…はずとよ?」 ようやく、自分たちがいる倉庫の扉のことだと気付く。開くだろう。誰が閉めた気配もなかったし。 「千歳くんって、そこそこ妬まれとるから、この機に怖い思いさせたろーって、誰かが閉めてたりして」 「小春…ちぃと、質悪かよその冗談」 「冗談かしら」 壁際。座って、膝を抱えたままの小春の目の奥が見えない。眼鏡が反射していて。 小春の最後の言葉が妙に響いて、怖かった。 千歳は空笑いを浮かべて、開くやろ、と繰り返す。扉に手をかけて引っ張った。 硬くて、開かなかった。 「え」 「ほらね」 「え? いや、そげな……」 「今って夏休みやから…蔵リンたちがもし気ぃつかんかったら、あたしらって、いつ発見されるかしら」 「…小春?」 相変わらず反射して見えない眼鏡の奥。小春は、無表情だ。 「想像してみて? 一日目はいいけど、二日目あたりから、喉乾いて熱くて、おなか空いてしかたない。即身仏ってわかる? わかるわよね? 千歳くん、頭ええから。 断食して最後仏になるっていう僧侶の。あれ、最後、閉じこめられるんやけど、ご飯も水もないやない。最後って錯乱したまま死ぬんやって」 「…………」 千歳は身動き一つ取れなかった。それよりなにより、小春が怖い。恐ろしい。 彼の感情が読めない。憎しみなのか、怒りなのか、恨みなのか。恐怖なのか。 怖いのは、彼なのか、現状なのか。 頭への衝撃で我に返った。 「おま…大丈夫か?」 見上げると、びっくりした顔の白石。 「白石!?」 起きあがって自分の腕を掴んだ千歳に、白石はびっくりしたまま頷いた。どうした、と。 「お前、いきなりうなされたかと思ったら、ベッドから落ちて」 「…え」 千歳はよくよく周囲を見渡した。そこは寮の自室で、背後には自分のベッド。 そこは高校の、寮の寝室だ。 図書室なんかじゃない。 「え……怖か、夢ば見た」 「そか」 お前が怖いなんてよっぽどやな、と白石は感心した風だった。 引きつった顔で笑った千歳は、己の心臓が未だに早く脈打っているのを感じる。 怖い、恐い夢だった。 夢だ。だって、自分は今高校生で、ここは東京の学校。 あの夢は、大坂の四天宝寺中の校舎で、四天宝寺中学校の図書室。 言い出しっぺは謙也で、高校の仲間はいなかった。 洗顔してから時計を見ると、休日の午後三時だった。 部屋に戻ると、白石は今から謙也の部屋に行くという。 千歳もついていった。 謙也の部屋には、従兄弟の忍足と、向日、財前がいた。 部屋に置いてあるコンポから、リピート再生になった歌が流れている。 「こん歌、謙也の趣味から外れてなか?」 謙也は大抵、流行歌の、それも疾走感のある曲ばかりを持っている。たまに洋楽を聴いているが、それは財前に借りたものらしい。 今かかっているのは、なにかやたら暗い、後ろ向きな歌詞の、日本のCDだ。 歌詞が直接的じゃなく、死をほのめかす。 「ああ、借りてな」 「財前?」 「俺、こない趣味悪い歌聞きません」 財前がすかさず否定した。そやろな、と千歳は笑う。 財前は洋楽専門だ。 「俺の私物にあったんやこれ」 白石がそう言ったので、千歳は首を傾げる。 「白石の? にしちゃ趣味悪くね? 白石ってこういう系嫌いだろ?」 向日が千歳の内心を代弁した。白石は生を真っ直ぐ正しく思う人間で、死を匂わす歌は好んでいない。それを好きな人はいるし、好みは自由だから聞く人間にどうこう言わないが、自分の趣味からは外している。 「いや、むかーし、気の迷いで買ったんがあって。見つけてな」 「にしたって趣味悪い」 「悪い」 白石は向日に謝った。千歳は疑問を感じる。謝るくらいなら、何故わざわざ謙也の部屋まで持ってきて、貸しているのだろう。謙也もなんでそれを繰り返し再生しているのだろう。見つけたなら、そのまましまっておけばいいのに。 疑問を口にする前に、唐突にコンポから流れる歌にノイズが混ざった。ザザザザッ…と、ノイズに変わって、そのままプツリ、と音は切れた。 部屋の扉が唐突にノックされる。 「ちょおいい?」 小春が顔を出した。タイミングがあんまりだったので、千歳は夢の所為もあって、軽く怯む。千歳の様子に首を傾げたあと、小春は「幸村くんが呼んどるけど」と言った。 謙也が「ほな行くか」と言う。向日も頷いた。 千歳だけが当惑してしまう。唐突に途切れた歌。コンポの心配もせずに、唐突な話に皆、普通の顔で従って部屋を出る。 あれは、夢なのに。 夏だから、肝試ししようよ、と幸村は言った。 ペアを組んで、寮内を探検、という話。 千歳は嫌な感じがしたが、かくれんぼではなかったし、変なトコに入らなければいいだろうと考えた。ただ、訳の分からない引力があって、断れなかったのもあった。 でも、休日の寮内は人が多いし、どうするんだと聞くと、一戸丸ごと空いてる寮があるじゃない、と言われた。 自分たちが住んでいる寮の並び。一番端っこの寮は、誰も住んでいない。 千歳は謙也とペアになった。 許可を取って明かりをつけると、使われていないとはいえ掃除は定期的にされている寮は明かりの下でも綺麗に映った。 「千歳。今日、雨降るって聞いた?」 「いや、さっき起きたばっか」 「そっか。なんか冷えるらしいて」 謙也はにこやかに笑いながら、そう話して廊下を歩いていく。 一番手だった。 明かりをつけて肝試し?と思ったが、本格的なのをやったら寄ってくるでしょうと幸村は言った。白石がいるから、と。納得した。 「お、ここ入ってみぃひん?」 謙也が通路の正面の扉を指さした。 自分たちが住んでいる寮の間取りにはない扉だ。 嫌な予感がした。だが謙也はさっさと入っていってしまう。 しかたなく追った。 そこは普通の部屋で、家具がないだけの、自分たちが住んでいる部屋と同じ感じだった。 特に不気味でもない。 「さっき悪かったな」 「え?」 謙也は唐突に謝った。千歳を見上げて微笑む。 「変な歌聴かせてしもて。白石が処分しよて言うてたんを、一回くらいは聴かせろて俺が無理矢理、な」 「あ、ああ」 なんだ、そういうことか、と安堵した。今更だが、ずっと気味が悪かった。 「あれは?」 「あれ?」 「コンポ。壊れたっぽかよ?」 「もう壊れかけとったんよ。なにかけててもああやってノイズ入ってぷつん、や。 俺、リピートにしとらんかったんやけど、勝手にかかるから、まあええかって面倒で」 「ああ。そっか」 千歳は心底安心した。よかった。ただ、いろいろかみ合ってしまっただけだ。 「聴いたことあるか?」 「ん?」 歌の話だろうかと、千歳は暢気に謙也を振り返った。 謙也はいつの間にか扉の傍に座っていて、笑った。 「夜中より、昼間が危ないて、白石に」 「?」 「幽霊っちゅうか、恐いヤツほど、夜中より昼間なんやて。危ないて。 白石が言うとってな」 「…。ああ、それで昼間に肝試し?」 千歳が近寄って、謙也の前にしゃがむと、謙也は千歳を見上げないまま、俯いたまま笑う。 「訊いた話な、中学校の時、図書室の倉庫、閉じこめられた子がおったんやて。 いじめやって。 で、その日から夏休みで、誰も気ぃつかんくてな。 喉乾くし、熱いし、おなかはすくしで。 錯乱したその子は、たまたま持っていたハサミで喉をざっくりやって死んだて話」 「………謙也?」 千歳は乾いた笑いが浮かぶのを実感した。なんだ、あの夢に関連付いたようなこの展開は。 「千歳、ハサミ持っとる?」 ハサミなんか持ってない。そう答える前に、謙也の指が千歳のポケットを指さした。 千歳が震える手でそこを探ると、金属の感触。 「千歳。順番決めとく?」 「……じゅ、んばん?」 掠れた声で訊いた。全身が恐怖で動かない。 謙也の目もとが、前髪で見えない。 「ハサミ使う順番。俺がさき? お前がさき?」 口元だけが、笑っている。 あれは、夢だ。 これも夢だ。そうに決まってる。 部屋の扉のノブに手をかけた。硬くて、開かなかった。 「それとも、俺がお前に使う?」 ――――――――夢だ。 2009/07/25 |