白石が来て、丸五日。 明日は、民へのお披露目がある。 西では珍しい魔法使い。期待は強かった。 「暑かね」 庭に出ると、熱気が肌を焼いた。西は、太陽の明かりが強い。 東は夜が濃く、それが魔法の源と言われる。 千歳は庭から、白石のいる部屋の窓を見上げる。 そこに丁度出てきた姿が、千歳を見て、ぎこちなく微笑む。 『蔵ノ介は知っとるわ』 彼の肩に乗る黒猫が、千歳を見た気がした。 本当なら、何故、なにも言わないのだろう。 不意に、音が耳をくすぐった。 知らない音階と、言葉。 歌だ。 白石が、歌っている。 周囲が、ざわめいた。白石の歌に答えるように、花の散った木々に、灯るように咲く花びら。呼応するように、その場に吹く、柔らかい風。 夏にはあり得ない、涼しい風だ。 「…魔法使い」 東の王は、言った。 『彼に出来ないことはない』と。 天候や、自然すら、操るのか。 その噂を聞きつけた官僚の一人が、白石の元にある日、リスの亡骸を持ってきた。 可愛がっていた。助けられないか。 死んでいるのに?と誰もが思う。 けれど、それを抱いた白石が、歌えば、固まっていた身体が動き、頭をもたげて鳴いた。 天候、自然、生命すら操る。 彼の力に、驚かされた。 余計に、叶わないと惨めになった。 廊下で、出くわしたのは、何日後の夜だったろう。 白石は、思い詰めた顔をしている。 白金の髪は、どこか鈍い色を放っていて、いつもの綺麗さが少し、滲んでいて。 「蔵?」 「……」 自分は、わかっていた。王に、会ったのだろう。 王は、開戦の準備を自分にも促したから。 もう、東に戻れないと、絶望しているのかもしれない。 きっかけを作った自分を憎んでいるのかも。 やっと? 「……お前を、殺したら、お前は構えへんか?」 やっと、そう言うのか? いつだって、微笑む瞳の奥で辛そうに泣く瞳があった。翡翠に、揺れる涙。 「お前で、試してええか」 「なにを?」 「人間を、生き返らせること。まだ、やったことないねん」 辛そうな瞳で、白石は悪戯じみた笑みを浮かべる。それが、自分は辛かった。 「…」 叶わないと、思い続けた。 この思いは、一生、叶わないと。 「…―――――――――――――よかよ」 そう答えた。だから。叶わないなら、死んでもいいと。 なのに、白石は泣きそうに自分を見た。悲痛そうに、喉から悲鳴が零れた。 それに戸惑った瞬間、自分の首筋に長く伸びた、凶器が触れている。爪だ。 「光っ! アカン!」 先ほどまで、白石の足下にいた猫だ。人間の姿で、自分の首を凶器で撫でる。 「あんた、自分の発言に、責任と命持てや!」 「……」 意味が、千歳にはわからなかった。光の言葉の意味が。 それなのに、彼の向こうで泣く、白石の顔が、痛くて。 泣き顔を見たくなくて。 手を伸ばして、光が引っ込める前に触れた爪が首を軽く裂いても、構わずに白石を抱きしめた。 「………」 謝れない。なのに、大事にしたい。 守りたい。 一生、守りたい。傍にいたい。大事にしたい。 笑っていて。 そう、ただ頑なに願うには、未来が重すぎて。 果てしなくて。 ただ、今、抱きしめることしか、出来ない。 あれ以降、白石は王宮の奥に隔離されている。 始まる戦争を前に、彼を盗み出す東の間者から守るために。彼を、逃さないために。 王の命令だ。自分じゃない。 「蔵ノ介?」 しばらく顔を見ていなかった。訪れた千歳に、顔を上げずに、白石は「なに」と一言。 彼は寝台にうつぶせて、見るからに生気がない。 食事はちゃんと十分に与えている。食べているのに。 日に日に、彼はやつれていく。 「……、どげんしたと。やっぱり、医者に」 肩に触れると、白石はくつくつと嗤って、起きあがった。 「お前、俺を誰や思うてんの?」 「え?」 「俺は出来ないことあらへん。…ここから簡単に、逃げられるんやで?」 そう、言った彼の顔は、ひどく青ざめていて、根拠もなく思う。 嘘だ。 「…」 髪を撫でて、額にキスを落とすと、白石は泣きそうになる。 「…ごめん」 「…ちゃう。」 「え?」 「ちゃう。ちゃうねん。俺は、そんな言葉いらんねん。俺は…俺……」 白石はすぐ、涙に詰まって言葉を切った。その髪を撫でて、抱きしめても。 それでも、叶わないと思っていた。 千歳が帰ったあと、部屋に戻った沈黙に、寝台にいた猫が床に降りた。 人の身になると、白石の肩に触れた。 「蔵ノ介。…もうアカンです。あんた、ここにずっとおったら、どないなるかわかって…」 光の言葉に、顔を上げる。白石は、微笑んで呟く。それは、どこか、嬉しそうに。儚い喜びに、笑うように。 「もう、それでええ」 「…―――――――――――――」 「…、で…… え… え ………か …」 掠れた声。すぐ目を閉じて、動かなくなる身体。光は溢れかけた涙を拭って、その身体を抱えた。 部屋から、白石が消えたと聞いたのは、その晩だった。 白石は確かに言った。『逃げられる』と。 でも、嘘だと俺は思った。間違ってない。あれは。 止める声も聞かず、馬を走らせて人気のない方の道に向かった。 多分、街道沿いじゃない。既に、何百の兵士が探していたが。 西には珍しい、森の深い場所だった。 兵士の死体が、二つあった。 木々を抜けて、そこの薄暗い、月明かりで見える草原を見遣る。 そこに座って、もう動けないように泣いた顔が、千歳に気付いて驚いた。 「蔵! …!」 その前に、兵士と斬り結ぶ光の姿が見える。なにをすると考えてもいなかったのに、手は持っていた銃で勝手に兵士を撃っていた。 「……あんた」 茫然とした光の声に構わず、白石の傍にしゃがむ。 「立てっと?」 「……、…ぅ……」 「蔵?」 「…せ……り……」 ただ吐くように泣いて、彼は言葉にならないことを言う。 「無理です。もう」 光が傍に来て、首を振った。辛いという顔だ。 「東は、好きで魔法使いを独占しとるわけやないんです。 東の、魔力に満ちた大陸じゃないと、魔法使いは一年以上生きられんのです。 …西の大陸は、魔法使いが生きていけん場所なんです」 「……そ、んな」 「蔵ノ介は、特になんでも出来る代わり、魔力の底が浅くて、すぐ命に限界が来る。 もう、歩けないし、声も…出えへん」 視界を、風に煽られた木の葉が過ぎる。 知らなかった。 だから、彼は取り替えられたのだと知る。 彼の実親の頼みだったという。彼の叔父にあたる、西の王はそれを知らなかった。 「あんた…?」 白石の身体を背負って、千歳は馬をその場に残したまま、歩き出す。 「どこ行く気や…」 「蔵ノ介の、生きられる場所」 「…、…そんな、どうやって」 「……未来とか、こいつが王子やからとか、考えたら、果てしなくて、行動を邪魔する。 …ばってん、もう、今はよか」 自分の声は、震えていた。泣いていた。 「先を考えると、果てしない気持ちになるから、今は、蔵ノ介を守りたいだけでよか…」 「……」 悲しかったのだと、やっとわかる。 自分に命を投げ出されたら、そう言われたら、悲しい。 『それでよか』 あんな、非道いこと、言ってはいけなかった。 空を見上げると、月が見えた。綺麗な、満月。 見上げたまま、彼の重みを抱いて、彼が歌っていた歌をくちずさんだ。 背中に負った白石の、首を抱く手が強くなる。 守りたい。笑っていてほしい。生きてほしい。 もう、それだけでいい。 もう、考えない。叶わないなんて。 気付くと、周囲には花びらが踊っていた。月の明かりで輝く、花びらは青い。 自分が歌うたびに、木々に咲いていく花。 驚いて、それでも歌い続けたら、白石が柔らかく、「ありがとう」と言った。 生気の通った、声だった。 あれから、一年が経つ。 戦争は、開戦直前に終わった。 東の魔法使いの理論を理解した西と、東の譲歩。 そして、西で発見され始めたある人種によって。 西には、他はなにもできない代わり、空気や地面を魔法に満ちた世界に変えるフォーミング化の力を持つ、魔法使いが産まれることがわかった。 東の魔法使いが生きられる大陸に変える力を持つ、魔法使い。 宰相の千歳は、その最初の人間だった。 今年から、西でも宮廷魔法使いを持つことが決まる。 王宮に属する、魔法使い。 扉を叩く音に、千歳は顔を上げて許可を出す。 開いた扉から顔を覗かせたのは、生気のある肌と、白金の髪を持つ、翡翠の瞳の魔法使い。 肩に乗ったのは、黒い猫。 「蔵ノ介」 呼ぶと、彼は嬉しそうに微笑んだ。 肩の猫が、不満げに鳴く。 手を伸ばして、そっと額に触れた。 手に触れる魔法。奇跡だというなら、それは自分にとっては彼以上のものはない。 手に触れる感触。魔法の質感。 望めば叶う、魔法の実感〈マジック・クオリア〉。 THE END |