手を、繋ぐのは嫌い。
けれど、何故嫌いなのか、わからない。
「そういえば白石、結局千歳、なんで休みやったん?」
他校との練習試合の日、急遽欠席したレギュラーの名前を出しながら、謙也がジャージのポロシャツを脱いだ。
「ああ、朝な、めばちこ出来てたんやと」
白石が自身の右目を指さした。
「運良く見えへん方の目にな。
せやけどものっそう腫れた目の人間は試合に出せへんし、見えへんからて放置するわけにいかんやろ。せやから医者」
「ああ」
「災難スね。あの人も」
「ほんまにな」
「でも蔵リンも千歳くんがいなくて寂しかったんやないん〜?」
小春がからかう口調でカマ言葉を使ったので、真面目に答える必要はないと思ったが、なんとなく真面目に考えてしまう。
「…そやなぁ。いつもあいつがおる空間がでっかくただっぴろい穴になっとると風当たりよくて変な気ぃするな」
しかし、白石的には大真面目だったが、他の部員はそう思っていないようでまたまたぁと小春と謙也ににやにや笑われる。小石川にまで、
「白石、そんなつれへんこと言うたるな。
旦那がおらんから寂しいて言うてええで? 俺とお前の仲やがな」
頭をぽんと撫でられて言われた。
「…誰が旦那やねん。チームメイトやろあれは」
「別に隠さんでええスよ? 付き合っとるんでしょ?」
「付き合っとるわけないやろ」
「いやいや、照れへんでええ」
「せやからマジでな?」
笑って言い募る謙也と財前のダブルスコンビに大真面目に言うと、ようやく伝わったはいいが全員に異常な目で見られてしまう。
あの金太郎にまで、大きな目を思い切り見開いて驚かれている。
「やって…千歳、いっつもお前の帰り最後まで待っとるやんか!?
お前も千歳が待ってんのが当たり前って態度で部室戻ってきたら『千歳は?』て聞くし」
「それでも付き合うてない」
「…………」
コントかと思うほど沈黙したダブルスコンビと、大袈裟に泣き崩れた小石川がすぐ白石に向かって一斉攻撃を始める。
「千歳が不憫や! 責任持ってお嫁に行け!」
「明日からでも遅くない! 付き合おうて言うんや!」
「いえ、今日部長が電話して、『千歳、会いたい』て言えばあの人飛んで来ます」
「光、ええこと言うた!」
「嘘も貫き通せば誠になる。男になって来い白石」
「〜〜〜〜〜っせやっっからなんやねん自分ら!
そんなにモーホーカップルがもう一組、部に欲しいんか!?」
「蔵リン、それは差別でっせ!」
「そうや。俺と小春は清い愛なんや!」
「ユウくん!」
「せやったら俺と千歳も清い友情でええっ―――――――――――――やろが!」
「無理。お前ら空気がアダルトやから。十八禁やから」
千歳がお前の肩抱く手つきとか、お前が千歳を見る目とか。こう得も言われぬ色香が出とる…!
…とか部員全員に熱弁されても困る。
困り果てた白石の耳に、部室に近づく聞き慣れた音が聞こえた。
「…え?」
はた、とまさかと顔を上げた白石に往生際が悪い、と騒ぐ部員たちを押しのけて白石は扉を開ける。
「千歳?」
「おい白石。千歳は今日は休み―――――――――――――て千歳!?」
言いかけた謙也が部室の外を見て、私服に下駄、片目に眼帯の長身を見上げて叫んだ。
「え、と。…もう終わったとは思ったばってん、顔出しに来たと」
「おお! 千歳!」
「目、大丈夫か?」
「大丈夫たい。ありがとな」
「ちゅーか、よく部長、わかりましたね」
「…やって、下駄の音がしたし」
「あの大声の中で?」
その辺りのどこが恋やないって言うんか……。
という視線が向けられるが、千歳は気付いていない。
「…せやけど、もう帰るだけやで?
見えない方言うたかて、大変やったんやないん?」
そう言った白石に千歳は頭をかく。
「そうとはわかっとったばってん…」
「?」
「今、行ったら白石と一緒に帰るくらいは出来っかね、て」
「……そか」
つい、それだけ言って頷いてしまったのは先ほど他の連中がうるさかったからだ、と信じたい。
背後で彼らがにやにや笑っているだろうことも、充分予想出来る。
「白石、仕事終わったと?」
「あ、ああ」
「ほな、施錠は俺がやるから白石は連れ帰ってええで千歳」
「ああ、ありがとう小石川。じゃ、行こ」
売ったなあいつ、と思いながら強く拒否出来ない。
「…あ」
白石の手を引こうとして、千歳は気付いたように自分の手をポケットに突っ込む。
「白石は、手ば繋ぐん嫌いやったっけね」
「…まあな」
「え、そうなん?」
部室の中から謙也が口を挟んでくる。
「しらんかった? 嫌いなんや。
でも」
「でも?」
「なんで嫌いか、…わからんねんな」
その数日後、屋上で飯を取る千歳を目撃したダブルスコンビが近寄ってくる。
手には弁当箱。
財前はクラスメイトと一緒になんて食べない孤立気質なので、入学一ヶ月後から謙也が毎日誘うと聞いた。
「白石は委員会か?」
「うん。先食うとけて」
「あいつらしいな」
財前が座ってパンの口を開けながら、そういや言われました?と聞いた。
「なんね?」
「告白。付き合おう、て」
「いや?」
「…往生際悪いやっちゃな白石も」
「千歳先輩は、嫌やないんですか?」
「…白石んこつはほんに好いとうばってん」
千歳は立ち上がると、屋上から見える高い青空を見上げる。
千歳の長身でも、決して届かない空。
「…あいつに無理強いはしたくなか」
「…泣かせるなぁ」
「それに、俺があいつを気になったきっかけがきっかけやけん。
話したらあいつ、絶対嫌がるばい」
「…なんスか? 俺達に話したってことは俺達には話せる話?」
「……」
千歳は困ったように、あるいは照れたように口元をかくと座り直した。
「…前世、て信じると?」
「前世?」
「それ関係ですか?」
「…前世かはわからんよ? ただ、昔…大坂来る前からよう見る夢があって」
「…そんなかに白石がおったんか!?」
千歳はくす、と笑う。肯定そのままの意味だ。
「…あ、光も謙也も金ちゃんもおったと」
「どんなとこ?」
「江戸時代…かねぇ。あ、俺達は人間やなかったよ」
「え? なんやったん?」
「妖怪」
さらっと答えた千歳に、前世が妖怪!と爆笑する謙也と逆に財前は嫌そうだ。
「俺は一つ目入道で、謙也はろくろ首。光が雪女で金ちゃんが座敷童やったと」
「千歳はわかるが俺はろくろ首か!? 首がどこまでも伸びるんか!」
「ちゅーか、なんで俺が雪女? 雪童やのうて。
遠山はものっそう納得しますけど」
「差詰め師範は塗り壁か!」
「ああ、その通り。謙也うまかね」
「…まあ、その路線で話してもらってええとして、…部長は?」
「白石は人間やったよ」
「人間? で、お前と会ってたんか?」
見守ってたんか?と聞くと、千歳は首を振った。
「人間やったけんど、妖怪が見える子やった。
だけん、他の人間に嫌われて蔵の中に閉じこめられてて。
それで、話す相手が俺らだけやった。
生まれた時から蔵の中におるから、『蔵』て呼ばれとったんは覚えとう」
「…なんスかそのヘビーな設定」
「…夢やけん気にばせんで」
「で、俺らがその子守っとったんか?」
「うん。ばってん、戦でそこから逃げるこつなって。
…最後、俺がその子の手を握って逃げとった。
…でも」
「「……?」」
千歳は酷く、悲しそうに微笑んだ。
「気付いた時、俺の手は空っぽやった。その子はどこにもおらなかった。
多分、どっかで繋いだ手が離れてしまったてわかった。
……それが、最後の記憶」
「…千歳先輩、それが前世って信じだしたん、部長が手を繋ぐのが嫌いて聞いた後やったりします?」
「わかったと?」
「…まあ、関係を考えますよね。普通は」
「…手を繋いだら、離れてまうて、あいつも感じとるんかな」
「さあ?」
それは流石にわからんけど。と千歳が飄々と言う。
そんな話が全国大会前にあった。
結局付き合っているのか不明のまま始まった全国大会の決勝は三日延びて、その合間の東京観光。
「すごい人混み…」
新宿まで来るとそれも当たり前だ。
「白石、流石に手ば繋がなか? はぐれるたい」
「……」
千歳に言われて、手を差し出される。
迷って、すぐ白石は自分の手を握り会わせた。嫌だ、と。
「…嫌いやねん」
「知っとおよ」
「…はぐれても道なんかわかるし」
「ここは大坂やなかよ」
「…………」
嫌いなんだ。
一度繋いだ温もりは、二度と離れないなんて保証がないような気がして。
なら、最初から繋がなければいい。最初から、付き合わなければいい。
「……」
傷付けたかな、と顔を上げる。
千歳が嫌いなわけない。千歳が、自分を好きになってくれたことも知っている。
「……え?」
しかし、そこには千歳はおろか、誰もいなかった。ただ、知らない人の群が広がるばかり。
「…マジ?」
「…え? 白石がはぐれた!?」
休憩するファーストフード店に来るまで誰も気付かなかったというから、恐るべきは新宿の人混みだが。
「みたいっスわ」
「ほなはよ…」
「大丈夫やて。千歳が迎え行った」
謙也の言葉に、気付けばあの長身もいない。
「千歳も一緒にはぐれたんちゃうんか?」
「いや、あいつが言うたんや。白石がおらんて」
「せやから、迎え行くて伝言よろしゅうて」
ダブルスコンビの説明に、小石川はどうやって?と心配顔だ。
電話が繋がっても詳しい現在地などお互いわからないだろうし、目印になりそうな大型店もいたるところにあれば、似たような道ばかりだ。
「俺らもそう言うたんやけど、千歳がな?」
「俺はあの子が泣いとったら絶対わかるから」
「て」
謙也を介して言われた台詞に、小石川がかーっと顔を押さえる。
「もう、あの二人はできあがりカップルで。本人が否定しようが信じない方向で行くでお前ら」
「「「了解副部長」」」
あの時は、時間が足りなくて見つけられなかっただけたい。
時間が一時間でも、五分でもあれば、俺はあの子の傍におったよ。
言わなかったあの千歳の台詞は、彼らには意味が不明だから。
とりあえず、あとで白石には教えてやろうかと、財前と謙也が顔を見合わせた。
手を、繋ぐのは嫌い。
『絶対』、離れてしまうから。
そして二度と会えなくなるから。
でも、誰が? いつ?
誰と―――――――――――――?
探すのも、疲れた。
携帯は運悪く、ホテルに忘れたらしい。
…今は違うから、すぐ会えるってわかっている。
なのに、もう会えないんだと泣きたい自分がいた。
もう会えない。炎に消されたまま、あの手には二度と。
もう会えない。
…誰と?
「……、」
不意に、耳を掠めた音に顔を上げた。
耳に響くのは聞き慣れたあの音。
彼だけの靴音。
からんと鳴る、下駄の。
「…」
でもここは車や人の声でうるさい。空耳かもしれない。
なのに、どんどん大きくなる音が、嘘だなんて思えなくて。
「千歳!?」
叫んだ瞬間、向いた方向から見慣れた長身が顔を出した。
「白石!」
手が声と共に掴まれる。
「見つけた」
「……なんで」
零すと、勘?と笑われる。
そのまま手を引かれて人混みから外れると、ギュ、と抱きしめられた。
「俺にはわかっとよ? 白石がおるとこ。
どんなに離れてても……」
「……なんで?」
「…白石はずっと俺を呼んでるんじゃなかね?
あの日からずっと俺を探して泣いとう…て思ったら足が急ぐ。
はやく見つけて、大丈夫って抱きしめて笑う顔が見たいて思うから、…わかる」
「……よう、わからんけど、…ええわもう」
そのまま背中に手を回した。
付き合ってるとかないとか、馬鹿らしいけど、一緒にいないと寂しいなら、なら一緒にいればいい。
周囲なんて、もう関係ない。
「ほら、手」
繋ごう、と伸ばされる。もう、離さないから、二度と、と。
信じてというように、差し出されたら信じたくなる。
もう、離さないでくれ、と。もう二度と、と。
手を、繋ぐのは嫌いだから。
離れてしまうんだから。一番大事な人と。
だから、お前が変えてくれ。
一生離さなかっただろ?と。
死ぬときに俺に笑ってみせてくれよ。
そう、約束してくれるなら、いい。
繋いでも、いい―――――――――――――。
「…当たり前」
千歳の約束を、信じられるとやっと思った。
あれだけ恐ろしかった見知らぬ世界が、もう怖くなかった。
「そういえば、白石、よく俺が来る方向わかったとね?」
来たことも。と言われて、ああ、と頷く。
「お前の下駄の音や」
「…そげんうるさくなかよ?」
「そうなんや。やけどなぁ、なんか聞こえんねん。
思い返したらいつもやわ。
聞こえるんや。俺のところに来る、お前の下駄の音が」
もしかしてなんて愚問。
きっとやっと繋がった。
彼もあの日、探していたから。
2008/11/28