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戻らなくていい
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幸村が叫んだところを、赤也は初めてみた。
関東決勝の後日。報告に行った先の病院で、彼はテニスの話をしたくない、帰ってくれと叫んだ。
普段、穏やかで、怖いところはもちろんあったし部活で渇を入れるときなど声を張り上げているところは見たことがあったが、叫びの種類が違った。
その時の叫びは、心臓が銃弾かなにかで打たれたような、まるで親が殺されてその犯人がお前だと警察に言われたような痛みを赤也に与えた。
しばらく、全員で彼の病室の前の廊下に立っていた。
誰一人動こうとせず、しかし幸村は帰ったのかと覗くこともなく、病室の閉ざされたドアから彼の姿はその日二度と見れなかった。
三日後の部活で、赤也はぽつりと責められるのは簡単だから、好きなだけ責められたかったけど、それって部長に酷いですよね。と呟いた。側にいた柳生が、それは心構え次第でしょうね。と言った。
「確かに負けたのは切原くんもですが、幸村くんはそんなことを責めたかった筈はないです。宣告された時すらほほえんでいたんです。辛くても。余程、遠ざけたくなったのか」
そこまで言って、柳生は言葉を探した。幸村に、遠ざけたくなったものが自分たちか、テニスかと考えたくなかったのに口にしてしまった自分を呪うように。
「……テニスに酷く愛情のある人ですから。テニスそのものを嫌いになるはずはないんです。同様に、私たちのことを嫌ったりする人でも、その存在を許せない人でもないんです。
最悪、自分がテニスが出来なくなったって彼はテニスを続ける私たちを嫌ったりしないでしょう。…そんな日は、世界が終わっても、来て欲しくないけど。
手術が成功して、それなのに…実際は誰もわからないんです。本当のことは。
私たちは、なにも、誰も。……情けないですよ」
そういう、柳生の声は震えていた。
「誰か一人、彼を暗闇の中からすくい上げてやれたっていいのに…同じことを彼は何度もしてくれたのに。私たちは、…誰もそれができない。それがきっと、一番、悔しい」
彼はそう言葉を締めた。じゃあ一番悔しいのは副部長だろう、赤也はそう思ってなにも言わなかった。そこまで無神経になれなかったし、なりたくもなかった。第一、言いたくもなかった。
幸村が元気だった頃、赤也が漏らした言葉を側で聞いていた仁王は不意に思い出した。
テレビで放映されていたプロの試合を見ている最中に、間に入ったニュースで火事のことを知らせる報道があった。その家の住人が重傷、助けに入った消防隊員のうち一人が重傷、一人が死亡。そんなニュースが流れた。
そこで確か、後輩はこう言った。なにを思ってかまではわからない。
「俺、よく思うんスよね。こういうニュース見ると」
「お前でもニュース見んの?」
「丸井先輩…空気読んでくださいよ…」
「だって意外じゃん。アニメしかみなそー」
「構うな。どうせ朝飯や夕飯の時に親が見ていたニュースを流し見たということだ」
「…柳さん…そーいうひどい言い方やめてください。俺グレるっスよ」
「赤也は元々ぐれてるよね」
「部長までなんスか! そういう周波の日っスか!」
「いや、ごめん。赤也は素直でいい子だよ」
「……ほんとスか」
「ほんとほんと。で、なにが言いたかったの?」
「あー、……いや、消防隊員になりたがる人って、究極のところ、マゾか自殺志願者なのかなって」
「……お前、なんでそういう絶望的な夢のねーこと言うんだ」
「消防隊員の人が普通に哀れだぞおい」
つっこんだのはダブルスコンビだ。
「いや、さすがにそういう人にそのまま言う気はないっすよ。ただ、こういうのって、今のみたいに、自分も死んじゃうことだってあるっスよね。それ覚悟して夢にするって。
どうなのかなって。死にに仕事行くって感じなのかなって。死ぬために夢に進むのかなって。それ、家族はどうなんだろうって」
「………まあ、消防隊員の家族は、火災一つとって、それが遠い地方の話だろうが嫌だろうな。いつ自分の息子もそういうことになるんだろうって」
「なんか、望んでなったのに、親に死者を見送るような顔で見送られて出かける気持ちってどうなんでしょーねって。思っただけなんですけど」
「ま、まあ俺たちはそういうのとは無縁な夢でいいじゃないか」
ジャッカルが珍しく深刻になった後輩をフォローした。そうっすけど。と後輩はまだ考えている。
「でもこういう人たち、助けられて安堵する人たちの顔が見たくて始めたんであって、死にたくて始めたんじゃなくて。…でも死に一番近い仕事してて。
夢の途中で炎に包まれて死んじゃう瞬間、どんな気持ちなんでしょうね」
珍しく誰も茶化さなかった後輩の疑問を、正しく答えられるほど、誰も大人ではなかった。
ただ、幸村はそれでもその人は、多分最後まで逃げないんだろうねと言った。
あれから三日、幸村は面会を拒み続けている。
もう三日、彼の顔を見ていない。彼の声を聞いていない。
夢の途中で死ぬ気持ちは、夢の途中で夢を取り上げられた気持ちとどちらが重いのだろう。幸村は後者で、しかし彼は助かった。夢だって、まだ続く筈だった。
何故彼は、逃げているのだろう。酷い言い方だったが、事実だと仁王は思った。
彼は逃げている。消防隊員を指して、そういう人は最後まで逃げないんだろうと言った口で、逃げている。
「………」
部室から真田と柳が出てきた。真田は制服だった。また見舞いに行くのだろう。
「行くんか?」
「ああ、弦一郎だけな。俺は指示を出さなければならないから」
「…」
彼は、逃げている。
「行かんでええのに」
その思いのまま、仁王は口を動かしていた。
「あんな臆病もん、見舞い行かんでええ。それよか全国に備えて練習したった方がええわ」
「仁王!」
馬鹿なやつだ。胸ぐらを真田に捕まれながら、暢気にそう思った。
真田だって、盲目に幸村を信じる彼だって、本当はわかっている。
彼が、逃げているのだと。
それなのに、突きつけられたくない。逃げたと、信じたくない。
「お前さんは幸村の金魚のふんか。じゃったら好きに待っとれ。どうせ全国始まったかて、あのビビりは出てこんわ」
今度こそ真田は咆吼した。しかし、振り上げられた手は止められた。
「…放せ」
「嫌だな」
「放せ蓮二!」
「嫌だと言った」
「へえ、参謀は俺の味方かい、嬉しいのう」
茶化すようで、より酷薄に言ったら、柳は真田を乱暴に押しのけた。
表情の読めない彼は、なにを考えているかわからない。
しかしそこで彼が一瞬のうちに腕を振り上げて仁王を殴り飛ばした時は、なんとなくそうするんじゃないかと予想がついていた。まあ、構えてはいなかったので吹っ飛ばされたが。
「……蓮二」
「お前の言うとおりだということは、俺にもわかる」
倒れたままの仁王を見下ろして柳は淡々と言った。
「確かに今の精市は逃げている。現実から、俺たちから、テニスから。
それは事実だ」
「……じゃったら何故殴る」
「単純に腹が立ったからだ。文句があるなら言ってみろ」
「そんなシンプルな理由言われて、文句あるか」
「そうか」
一瞬の激情を柳は引きずらない。彼は既にいつもの彼だった。
「柳生、こいつに湿布を貼っておけ」
「……」
じゃったら何故お前さんは行かん、と向けられた背中に言った。
「………逃げていると知っている。だが、逃げることになった原因を知らない。
………もしかしたら、医師に手術は成功したがテニスが出来るようにはならないと宣告されたのかもしれん。
…俺がその立場なら、俺だって逃げる。そう思ってしまう以上、俺には精市を救えないし、殴れない」
向けられた背中のまま語る彼は、そうであって欲しくないと全身で語っていた。
わかっている。そんなこと。
自分だってその立場なら、そうだ。しかし結局、愚鈍な自分に実際にその立場にいる幸村の不安も恐怖もわからないから、そうやって無神経に腹を立てることしかできない。
振り上げた腕が行き場をなくして、真田はただ立っている。
腕を降ろしながら、背後にいる柳がまだ行かないのかと普通の調子で訪ねようとした時だ。
「……蓮二」
「…なんだ」
「………幸村は、……逃げているのか」
疑問符などついていなかったが、問いかけだった。
彼の顔は見えない。
「…逃げているさ。でなければ、俺たちを拒みはせん」
「……テニスからか」
「……いや」
矢張り冷静な口調で、しかし柳は顔を曇り空のように青くして答える。
「現実の、すべてだろう。あいつの全てはテニスだからな」
「…………そうか。………………逃げて、いるんだな。本当に」
信じたくはない、突きつけられたくなどない。そういう思いが声から伝わる。
「ああ。あいつは今初めてのように暗闇の底にいる。飲み込まれてはいけない底に初めて捕まった。そして俺たちに出来ることなどなにもないから、俺たちはなにも出来ない」
なにも。
真田はそう呟いた。反芻。
握りしめる拳が、それが辛いと語った。
「だが」
柳がラケットでボールをすくい上げる。そのまま軽くラケッティングのようにつき始めた。
「お前なら救えるかもしれない可能性がある」
柳のどこか断定でいて、願いに似た声。真田は呆然という顔でなく、ただ真剣に振り返った。
「精市を盲目に信じるが故に、お前の愛情は深い。そして信じるものは精市の全てだ。
お前が信じる精市の全ての中に、可能性があるなら、お前なら多分」
「………」
無言で見つめる真田の前でボールがはねている。黄色いボール。そのボールを追うこと。
それが多分、あの穏やかな人の全て。
「……」
真田は帽子を目深にかぶると踵を返した。
まっすぐ校門に向かっていく。
その背中が見えなくなるまで、柳はボールを叩き続けた。
「………すべて」
赤也が呟く。
あの人の全て。
名前、命、テニス。
「柳さんに、そこまでの愛情はないんですか?」
「……」
後輩のまっすぐな言葉は時に痛い。
愛情はある。信頼も、思いも。
けれど、けれど。
ボールが止まった。
「…………けれど、俺には盲目に精市が帰って来れると信じ続ける純粋などない。
疑心を抱けばあいつを救えない。俺は、…既に疑心を抱いてしまった」
「それは、本当に疑心ですか」
「…赤也?」
「それ、ただの不安じゃないっスか? ここにいる先輩たちが思ってることって全部。
不安で、疑心じゃなくって、ほんとはみんな副部長と同じ強さで部長の帰り信じてて。
だけど不安に不安でぶつかれないから、そういう言葉使ってんじゃないんスか?」
「……赤也」
ジャッカルが驚いたようにその後輩を見る。
「そんなの要らないでしょ!?」
後輩が叫んだ。それが、強く痛い。
「結局そんな小難しい理屈なんか、要らないでしょ要らないっスよだってそんなの本当じゃない!
俺たちは勝ちたくて勝ちたくて、テニスしたくて、このメンバーでテニスしたくてほんとそれが全部でそんなの理屈じゃなくて!
…それも愛情なら、部長に向かうものは全部愛情でしょ!
盲目とかそんな言葉で切り捨てないで不安とかの意味に逃げないで立てばいいでしょ!
部長が逃げてたってそれじゃ意味がないだって先輩たちだって逃げてるのに!」
「……………あ」
赤也に指摘されたことを、否定出来ない。誰も。
あの叫びから、最初に逃げたのは、
「行きましょうよ。病院。部長んとこ。
出来ないって決めつけないで。部長ともう一回向き合ってからだっていいじゃないですか。
だって柳さん、今全てって言ったでしょ!?」
「言った。だがそれは」
「全ては一個ですか!? 俺の全てはテニスと此処ですよ!」
後輩の叫びは本物だった。それは誰もに、それを気付かせる。
「部長と、副部長と柳さんと仁王先輩、柳生先輩に丸井先輩にジャッカル先輩がいて俺もいる、此処とテニスが俺の全部っス。
幸村部長の全てがテニスだけだって決めつける前に会いに行かなきゃ…そんなの全然嬉しくないここのナンバー1になったって三連覇出来たってプロになって昔を誉められたって俺は全然嬉しくない!」
「…………赤也」
柳のラケットの上で転がっていたボールが、コートに落ちて転がっていく。
もうすぐ夕焼けが来る。
夕焼けは逢魔が時。悪魔の時間。
鬼が来る。
ボールが転がっていく道は、奇しくも校門の方角だ。
「鬼は誰のところに…か」
「……?」
「そうだな。なら鬼退治を口実に今日は部活を他の部員に任せるか」
柳が鍵を取り出して笑う。そこに青さはない。
「柳さん…」
「精市は鬼だからな。いい加減、元の神の子に戻ってもらわねば」
「そうじゃの。鬼は正直真田で充分やし、悪魔は赤也がおるしの」
「ッ! よっしゃ! ほらジャッカル先輩荷物取り行くっスよ!」
「うわ! わかったわかった赤也」
部室に向かっていく二人を見送る。
「一本とられたの参謀」
「お前たちもだろ?」
「否定はしません」
「つーか、…ほんとあいつ変わったなぁ」
先輩を先輩とも思わないような後輩の成長は変化だ。
日常は変化する。
なら、彼も変わっていけばいい。この夕焼けが来る前に。
空の青さを、見上げて笑うように。
踵を返す足は、皆同じ方向を向いているから。
「ごめんね。体調を崩してて」
手術の後だからかな。
幸村はそう言って笑った。
病室のドアはあっさりと開かれた。
彼は笑う。いつものように。
「部活に復帰する前に自宅療養からだって。まあ面倒だけどしょうがないか。
ほんとはすっ飛ばしてコート行きたいんだけど。俺が思うより身体って弱ってるのかな」
「……」
けれど感じるのは、決定的な違和感。違和感にもならない、現実。
「……それは、お前の本心か?」
「…真田?」
幸村が、なにを言ってるんだと笑った。
そのほほえみすら、今は見えないのに。
「それが本心か」
「……なに言ってるんだ。本心だよ。早く復帰して、全国には間に合うよ」
「……なら何故」
俺を見ない。
それがその異変の全てだった。
彼は窓の方に身体を向けたまま、入ってきた真田を振り向かない。
真田はまだ、彼の顔を見ていない。笑っているかなど、わからない。
彼は、声だけでも笑える。
「………真田は妙に鋭いね。そうだよ。わざと。だって恥ずかしいからね」
「恥ずかしい?」
「みっともなかったろ? この間の俺。だから、ちょっと恥ずかしい。
そうだな、明日には顔見れるようになるからさ」
そうして、明日といって。
それでお前はまた現実から遠ざかるのか。
「…っ痛いな……」
幸村の振り返らない肩を掴んだ。その肉に指が食い込んでもやめなかった。
彼が拒むのは誰だ。
「真田、本当に、明日には元通りになるから…」
「なら俺を見ろ」
「だから」
「明日では遅い。全国まであと何日だと思っている。今でなければ遅い。
…こっちを向け、幸村」
「……………」
静かな暗闇がある。今はそこすら心地いい。
眠っていたい。忘れていたい。
そこに差す光は、ただの真白い部屋に踏み込む土足の足。
「……………嫌だ」
「こっちを向け。顔を上げろ。それまでは帰らん」
「…嫌だよ」
踏み込むな。今は、そんな光なんか要らない。
暗闇に、光はいつだって痛い。いつだって痛い、月の色。
「こっちを向けと言っているんだ!」
「ッ…」
いつだって痛いから、こっちに来るな。
これ以上暗闇に土足で入るな。
だってそんなもの。
テニスなんて無理だろう
「嫌だっていうのがわからないのか!」
そんなものもう意味がない。
いつだって痛い光の中。俺はそこに戻れない。
瞬間、手首に強い握力がかかった。
手首を無理矢理捕まれた。そのまま無理に引っ張られて顔を否応なく晒す。
どんなに醜くたって、見せたくなかった。まばゆい光そのもののお前。
「…真」
一瞬、彼が振り上げた手の意味がわからなかった。
直後にその腕は、幸村の頬を容赦なく打っていた。
相手を吹っ飛ばすほどの勢いで振り下ろされたそれに、本来ならベッドまで吹っ飛んでいただろう。
そうならなかったのは、痛いほど彼が腕を掴み続けているからだ。
血の味がして、痛みはまだ来ない。
ほとんど捕まれた腕のおかげだけで立っていて、足はほとんど床につく勢いでぶら下がっている。
受けた衝撃は、殴られた痛みだろうか。それとも、その強さか。
「……テニスが出来なくなるかもしれないことが怖いか」
「……」
「それが恐怖か」
「……………他に、あるの」
ぼんやりと答えた。今でなお、自分は彼を見れない。
「そんなもの、恐怖の部類にも入らないと何故気付かない」
「………」
「全てを閉ざして現実に蓋をする行為よりか、どれほど安い恐怖だ」
「…真田は、強いからそんなことが言えるんだ」
「お前だって強いだろう」
「それは見せかけだ」
は、と幸村がうつむいたまま笑った。誰よりそれは、自分自身を笑っていた。
「…所詮、虚像だった」
「幸村」
彼が呼ぶ、名前。俺の全て。
それは、かつて俺に喜びを運んでいた。
「……もうすぐ全国なんだ」
それがなんだ。そんなの知っている。
「もうすぐ、三連覇は目の前だ。俺たちの、目標が叶う」
ぼんやりとした頭に届く、心地よい声。
暗闇に差す光は、何故だろう。さっきより痛くない。
「…お前の、夢が叶う」
見上げる先。まぶしいのは、差し込む日差しに遮られて見えない、キミの顔。
「幸村、…立て」
「…真田」
「立って、ラケットを握れ。コートに立て。戦うんだ。お前の姿が、そこにある」
「……………」
「それが、お前の全てだ」
「……全ては、もうないよ」
「ある!」
強い叫びに、初めて日差しは犯された。
あらわになった顔に走る歪みの中でなお、彼は自分を見つめていた。
「……真田……?」
彼が、泣いていた。嗚咽さえ漏らさずに。それでも、それが全てだと言うように。
「お前の全てはなんだ。テニスか。テニスだけか。…違うだろう?
俺たちもお前の全てではないのか幸村」
「…………」
愛しい、愛しい記憶。その中にいるのは、いつも君たちだ。
「俺たちも全てなら、全ての言葉を信じろ。医師などの言葉より、それを信じてくれ。
お前はコートに立つ。一緒にテニスをする。一緒に全国制覇をする。三連覇の部長として立つ。その未来が真実だ。幸村」
テニスなんて無理だろう
痛い言葉は、今は何故か酷く遠い。
夢の向こうで聞いたようだ。
膝に力を入れると、素直に立ち上がれた。
少し手に力を入れると、手首を離された。
跡が赤くなっていたが、それすらなんだか、光に見えた。
「……真田。頼みを一つ、聞いてくれないか」
顔を今度はまっすぐ見つめて言う。
「…なんだ」
「もう一度、…もう一度言ってくれ。…俺の、」
未来。
「…一緒に、テニスをしよう。俺たちには、お前が必要だ」
のばした腕がその泣く男の顔を引き寄せた。
「…馬鹿だな。なんでお前が泣くんだ。……本当に、参る」
「……幸村?」
肩口に埋まった男の顔が、なにか言うたびくすぐったい。
「……せっかく泣くのを、我慢していたのにな」
「…幸村」
「…もう泣くな、真田。俺も、もう泣かない」
「………幸」
「ねえ真田」
その言葉が、きっと全ての答えだった。
「全国では容赦しないから、ちゃんとお前も勝てよ?」
お前は、ではない。も。
それは、そういうことだ。
一回り小さな身体を抱きしめて、もう一度呟く。
俺たちが全てなら、一緒にテニスをしよう。
頷く声が、今度こそ背中を叩いて笑った。
そこに闇はない。いつもの、全てをうち負かす光の笑みだ。
ほら見ろ。まだ空は夕焼けに犯されていない。
ほら見ろ。彼は、誰より強い。
それが全てならいい。それが全てだ。そう強く思った。
あの声はもう聞こえない。闇の声。
なんと言ったかも忘れてしまうほど、遠い。
「さて、じゃ、とりあえずみんな明日グラウンド三十周ね」
幸村がぽん、と言った言葉に、病室の前で聞き耳を立てていた全員が固まった。
「俺に気配消しが通じると思ったら、甘いよ蓮二?」
にっこりと微笑む彼に少し寒気を感じた。
しかし、それは懐かしいものなので、今更ひるまないが。
「部長っ!」
「うわ! …なに、赤也、今日ってそういう日?」
真田の横に飛び込んできて、自分に抱きついた後輩に首を傾げて聞く。
「おーおーええのう。全員でプロレスでもするか? 下敷きお前さんな幸村?」
「冗談やめて仁王。傷口が開くから」
「そうですよ仁王くん。もう少し労ってください」
「いや、幸村くんが笑ってる時点で労る意味が見つからねえ」
「丸井、それはどういう意味?」
「いや、……純粋にな。怖いんだって幸村くんのその笑いって」
「あー幸村、俺は素振り千回と部室掃除もか?」
「馬鹿ジャッカルそれは自分で言わなくていい!」
「ほう、それは助かった」
「なんで参謀が助かるんだよ」
「来週から俺のチームが掃除当番でな」
「……丸投げする気だったんかい」
「………ねえ」
「ん?」
振り返る光は七人の姿をしている。
「明日も、晴れるね」
暗闇はもう見えない。光はもう痛くない。
近づく光は太陽そのままに恋しい。
それが無性に嬉しくて、真田の首を強く引き寄せたら、首を絞めた形になってカエルのような悲鳴があがった。
後書き
後々原作で伝説の幸村への真田の鉄拳制裁が描かれるんでしょうが(描かれなかったら詐欺だ)その前に妄想してみた。
本当は幸村にも一発ぐーで行かせるつもりだったんだけどそうするとこの話だけで平手が三回横行することになるのでやめた(柳→仁王一回、真田→幸村一回、予定の段階で幸村→真田一回。合計三回)。
真幸にも出来たんですが、ここでキスしたら多分血の味がすごい代物だろうなと思ってオール話に修正。草稿の段階では幸村からも真田に鉄拳があったからどんだけ血の味ひどいんだよと思ってやめた。
374話時点での妄想なので次号にはもう違う未来が広がってるんでしょう。(知ってて書いた)
その時は笑ってやってください。承知の上です。
いやその前に幸村のテニスがどんだけ怖いのかが先か……(戦々恐々)
ボールぶつけてもいないのに鼻血出させるってどんだけ怖いんだ…。
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