それはある日の部活開始前の部室。 折しも上級生である三年生たちが修学旅行で、部室には一年・二年しかいない日のことだった。 「そういえば、幸ちゃんってよく名前勘違いされたやろ」 口火を最初に切ったのは、確かに忍足侑士だった。 「勘違い?」 幸村が首を傾げた。 「幸ちゃん、真田と同じスクールやったんやろ?小学校ん時から。 ツレやったわけやろ? よう言われんかった? 『お前ら戦国武将か』『え、幸村って名前じゃないのか』って」 「ああ、『真田幸村』」 幸村がわかった、と手を打って軽やかに笑う。 「うん。よく言われるよ。現在進行形で。真田と離れない限り、無理だろうね。 いじられなくなるのは」 「そう言うても真田と離れるつもりはないじゃろ。幸村は」 「仁王はさしずめ『仁王像』かな」 つっこんだ仁王を、幸村はすかさずいじった。普通に呼んでて違和感感じる名前だよね、と遠慮がない。 「やぎゅ、幸村が虐める。助けえ」 仁王は相方の柳生の背中に逃げ込んだ。柳生ははいはい、と受け流すだけで気にしない。 「あ、そういえば、柳生って名前、同じだよな。字は違うけど」 甲斐が言った。柳生を見て思い出した、という風に。 「はい? 誰とですか?」 「知念くん! ほら、ヒロシとヒロシ」 「ああ、知念くん、寛という名前でしたね。確かに字は違いますが同じですね」 「でも、俺は柳生みたいに名前で呼ぶやつはいない」 知念が無表情でそこだけ注意という風に言った。 「だって、知念は知念だろ。同じ学校にお前の兄弟がいるなら考えるけどよ」 「…そういう平古場も呼ばない。甲斐も。永四郎は、全員名字だからいいけど」 「え?俺も」 ダブルスを組んでいる平古場が引き合いに出されるならともかく、なぜ自分まで、と甲斐。 「そりゃお前がいつも知念と平古場の喧嘩の仲裁役だからだろ」 不知火が一定の距離から言った。ダブルスパートナーの割に二人とも我道の性格なので、平古場と知念は結構喧嘩が多い。 思えばそれを宥めるのは、木手より甲斐が多かった。確かに。 「でも、俺、寛くんって呼ぶの恥ずかしいし」 「なんでお前はいちいちくんつけなきゃ気がすまないんさ」 「いやなんとなく」 「俺は呼び捨てじゃん。名前で」 「凛は俺のこと名前で呼び捨てるし、幼馴染みだもん」 当たり前じゃん、と甲斐。俺もそうだよな、と田仁志。 「うん、慧くんは慧くん」 「つか、デブは名字で呼ぶとあれだから」 「凛!」 田仁志を『デブ』と呼んだ平古場を甲斐が諫めた。いつもの光景だ。 「田仁志…、ああ、貝のタニシと間違われるってことか」 「ああ」 田仁志が黒羽の言葉に頷いた。確かに、間違われやすいだろう。 「ハマグリ、って名字いねえかな」 「そんなの流石にいないのね」 黒羽の言葉を樹があっさり切り捨てて、俺はよく『マロ』って呼ばれたのね、と。 「…ああ、名前が「マレヒコ」だから」 「一時期、サエのあだ名、「サエ」じゃなくて「ササキ」だったよな」 「ああ、そうだったのね」 「え? なんでササキ」 「ほら、佐々木小次郎。武蔵の」 「ああ」 ジャッカルに黒羽が説明したところで、丸井が待てよ、と言った。 「ん? ササキかっこいいじゃん。なんで変わったんだい?」 「それがさ、ササキってだけ訊くと普通の名字じゃねーか。 あんまりササキ、ササキって呼んでたら、受け持ちじゃない先生がササキって間違えて覚えちまってな。あんまりマジっぽいあだ名はやめようって」 「ああ…」 「バネさんは、俺と名前がコンビだって言われる。幸村さんと、真田さんじゃないけど」 天根が控えめに主張した。 「…どこが?」 「おおい、黒羽。お前本人が『どこが』とか訊くなよ」 「あ、名字をあわせると、天使の羽根、なんだ。でしょ? 天根」 天根、の天・黒羽、の羽・天根、の根と幸村。うい、と天根が頷く。 「俺らにすげー不似合いだな」 このがたいで天使はねえだろ、という黒羽にいいじゃん普通の名前で、と丸井。 「え? ブン太。俺のことか?」 「はぁ? 被害妄想入ってんじゃねえジャッカル? お前はハーフなんだからその名前で普通なんだよ。俺の名前!」 「…確かに、馴れたけど」 「『ブン太』、はあれだな」 「ま、気に入ってるけどな。でも親問いつめても、絶対名付け理由教えてくんないんだ」 「…なにか深刻な理由があるとか?」 「お前はわかりやすいよなー赤也」 「どこがっスか!」 かっこいい名前でしょ!と主張する後輩だったが、隣にいた同じ一年に馬鹿にされたように笑われる。 「よくキレるから『切原』。目が赤うなるから『赤也』。 確かに天から授かったような一致っぷりやな」 「喧嘩売ってるんなら買うからな財前この野郎! お前なんか『ぜんざい』だ!」 「…いたな。小学校ん時、なんべん教えても『ぜんざい』って呼んできた阿呆」 赤也は超戦争のつもりで言ったのだが、財前が経験済みだ、と遠い目をしたのでちゃかせなくなった。 「トラウマなのか? そいつ、今も同じ学校か?」 「今はちゃうけど」 「ならよかったじゃん」 「来年、入ってくる」 「…………もしかして遠山か」 あり得る、と赤也が言えば財前は半笑いの目で肯定した。 「手塚と不二ってあれだよな。どっちも漫画家の名前?」 間が空いたところで、群から離れて着替えていたかつての青学コンビに誰かが話を振った。多分、木更津のどっちかだった。 「ああ…言われたことは、たまにあった」 「ボクはどっちかっていうと、お菓子屋さんだったよ」 「お菓子屋さん?」 「ほら、不二家」 「ああ、ペティちゃん」 「あとはルパンね」 「「「「それは知ってる」」」」 部室にいるほとんどがつっこんだ。今は商業科に進んで部活には入っていないが、会うたび『フジコちゃーん』と呼ぶ河村がいるので、みんな知っている。 「ってことは裕太も一緒だから、観月はあれか。金田一少年」 「…あまり言わないでもらえますか? それにハマってた当時、バカ澤に散々言われたので」 「あ、ごめん」 「そういや、裕次郎ってなんで『裕次郎』? お前、兄貴いたっけ?」 「あ、いないなぁ。単純にひらめきじゃないの?」 「それいったら木手なんかどうなの。長男でしょ?」 「ああ、『永四郎』………」 「兄弟多いのは慧くんだよな。木手じゃなくて」 「名前言うたら、俺らがあれやな。な、侑士」 「そやなぁ…昔っから『シノビ』『シノビ』……」 「…まあ、普通に『オシタリ』とは読めねえな」 「いいじゃん、シノビくらい」 「岳人、お前いっぺんどついたろか」 すごむように忍足は言ったが、向日は逆に困ったように。 「俺なんか、『ガクトのくせにちっちぇー』ってよく」 「…ああ、アイドルの」 すまん、と逆に忍足は謝った。気にしてない、と相方。 「俺と木更津が名前、同じだよな。字も」 「ああ、そうだね」 宍戸が木更津亮に言った。しかしそんなに困らないので、埋没していたが。 「長太郎は、…字は体を表すってほんとそうだよな、って思うけどな」 「…俺、そんなでかいですか?」 千歳さんほどじゃないですよ、と鳳は苦笑だ。 「…千歳、なんやあった? お前」 「んー…? 名字が『千才』って読めるから爺さん扱いはよくされたけん、他なんばあったかね…?」 「なんだ忘れてるのかお前。一時期あの映画が流行って散々いじられたくせに」 橘が爽やかに笑って言った。なんのことだ、と千歳。 「ほら、ジブリの。『千と千尋の神隠し』。お前、千尋、ではないが技が『神隠し』だろ?」 「あー……なんでん一時期『ちひろ』とか『せん』とか呼ばれとったかわからんかったばってん、そげん意味やったとか…」 「気付かんかったんかい…お前ジブリマニアのくせに…」 うっかりつっこんでしまった白石に今度は矛先が向いた。 「白石、なんばあった?」 「俺ぇ? 珍しい名前とはよう言われたけどなぁ…」 「嘘吐けや。よう『大石』『大石』って呼ばれとった奴が」 謙也の言葉に、え?俺?と本物の大石が反応した。 「ああ、ちゃう。ほら、名前が『蔵ノ介』やん。『大石内蔵助』って」 「…ああ」 「そんなこともあったっけなぁ…あ、一回俺、『お前どっかに討ち入りしないでくれよ』って言われたことあったわ…小学校ん時、担任に…」 どこに討ち入りする場所があんねん、と思い出してうつになったように白石がぼやいた。 「…俺、一回も読み方『せいじゅん』って間違われたことない」 不意に千石が言った。彼の名前は確かに『清純』で『せいじゅん』と読める、が。 「あれだけ女ばっか追いかけてるお前見て、間違えられる阿呆はいない」 南に瞬殺された。ごもっともだ、と本人も項垂れる。 「この場にいないけど、越前さ。どっちも歴史だよな」 「ああ、リョーマ、と越前」 「それいうたら金ちゃんどないなるん…」 そのまま有名時代劇の名前をした後輩を白石が出して、また別の人間の名前の話になる。 あまりに没頭しすぎて、顧問に呼ばれてしまった。 あとで先輩が帰ってきたら、先輩の名前もいじるか、といじりどころのない伊武が言った。 |