ナイショの夏休み



 第一話 【忍足と向日】




 第一印象は、男前、だった。




「侑士ー!」
 ぱたぱたと自分の方に駆け寄って来た小柄な身体が、抱きつく直前にぴょんと飛んで、―――――――――――――彼は本当に身軽なので、それで忍足の肩に両足を乗せて抱きつくというかまたがる状態になった。
「…がっくーん。俺、目の前にお前の股間があってめっさ気分微妙やねん。
 降りて?」
「えー? 面倒じゃん。このまま運んでって」
「どこまで?」
「俺、次探索!」
「やなこったや」
「ひっでえ侑士!」

 そこは広場で、沢山の他校生がいる。
 氷帝面子は、ああ、また程度の目線だが他の学校のメンバーはそうもいかない。
「なんじゃあれ。柳生、俺らもやっとこか?」
「なんでそうなるんですか」
 柳生にそう振った仁王が、冗談じゃと笑うがどこまで冗談か怪しいものだ。
「あれ、付き合うてるんですよね?」
「一応な」
 通りかかった財前の言葉に、宍戸がそう答えた。
「どう見たかて、恋人っちゅうか、ペットと飼い主やないんですか」
「俺らも常に思ってる。でも」
「でも?」
「…そう言うと、向日は笑って肯定か否定かわかんねーんだけど、忍足は一応否定する」
「…恋人、て言いたいんですかね」
「…なんだろうな」
 宍戸もそこはわからない、と首をひねった。



 大変やないか、と謙也に言われてそうでもないと答えた。
 大坂の従兄弟はいぶかしそうな顔で、多分信じていない。
 忍足は夜の広場のたき火の前に座ると、従兄弟も座るように促す。
「まあ、本来他人にわざわざ説明することやないんやけどな」と言い置いて。
 でもお前は身内やから、甘えさして、と。
「……、岳人は、普通に俺を心配しとるよ。…しとった、か」
 素直に座った謙也が、意味がわからないという顔をした。
「俺、ほら中学から氷帝やったやん」
「それ、普通やないんか?」
「氷帝は幼稚舎からのが多いんよ。中学から、てのが珍しい感じ」
「幼稚園?」
「ようちしゃ。小学校から」
「…はぁ」
「で、岳人もジローも、宍戸も鳳も、日吉もそう。
 で、跡部センセのなにがすごいってあいつも中学からやねん。
 小学校は外国やったって。で、一年の総代挨拶でテニス部部長に喧嘩売って勝って一年から部長になりおってそれが通ってた。そういうとこやねん。俺らの代の氷帝は」
「…めさくさやな。つか、白石の上がおった」
 あれはええの。ちゃんと選ばれとるから。と忍足は言いながら木を火にくべる。
「跡部もすぐ選ばれたやろけど、あれは他に上手くないやり方されてその分ロスするんを嫌がるから。立海の三人おるやん? あれ聞いた時、一年当時にあいつ『なんでこいつら部長にならねえ?』て。そんなん立海の方針やし。あと、立海は後から幸村たちの意見は多く採り入れてたらしいし、やから幸村たちをテニスだけに専念させるために部長は先輩がやったわけやから。あれはあれで正しいわけや。跡部が正しくないとも言わんし、四天宝寺も普通に正しい思う。ただ、跡部はそういうやり方選んだてだけで、実際それで上手く行った、て話や」
「……」
 相づちを打とうとしてやめた。相づちを打つ場所は多分ここじゃないし、求めるまで黙っていようと謙也は思った。
「でも、そんな先輩ぶっ倒したばっかの跡部に試合挑んだのが俺で、負けたけどそこそこ互角に――――――少なくとも先輩たちよりは上手くやれてしもたから、俺も注目された。そういうヤツ、て。せやけど、俺は中学から関東デビューやし。ついていけへんこと多いし、順応力は岳人たちの方が上や。俺はよく、宍戸たちの話でもついていけへんかったしな」
 仲間はずれとはちゃうんやけど。

 あの頃、むやみに反発していなかったし、上手くやろうとそれなりに努力もした。
 過剰に下手に出る程卑屈でもなかったし、自尊心は相応にあった。
 だからそう見られたりはしなかったが、なにか一つ、足りなかったとは思う。
 自分は荷物をまとめるのが得意だ、と岳人に言った時があった。
 あれはあいつが親父と喧嘩して、泊まりに来た時だ。
 荷物少ないよな、と言ったあいつに、癖なんやと口が滑った。
 引っ越しが多いと、荷物は増やさへんやろ?また置いてくてわかるんに。結構溜まるんや。一年しかおらんくても。やから減らそう減らそうて。買いたいもんも、もうちょい待とうみたいな。それ言うたら、心配された。そう、従兄弟は言った。

「引っ越しして、そしたら今まで周囲に伝わっとった常識は伝わらなくなる。当たり前やけど。常識は環境や。やから、常識は常に変わるて考えてた。反発してへんかったけど、適度に避けとったとは思う。染まることには。元から誘いに積極やなかったから。
 そしたら、岳人に心配されたわ。またいなくなるのか。って。
 もう引っ越しの予定はない、て言ったらいらないからって沢山古本もろた。
 置けへんて言ったら場所作れやと。…心配されてたらしいわ。またいなくなるんかって」
「……そっか」
「俺の方が実際、岳人に依存しとんねん。あいつがおらなアカンのは俺の方。
 でも、周りはそう見てへんし、周りの意識は岳人が俺がおらなアカン、やし。
 わざわざ過剰に撤回するんもあれやし、なにより岳人が気にせえへん男前やから、俺も気にせえへん」
「…言うてる時点で気にしとる」
「お前には、おらなアカンてわたわたしとるんは俺の方や!て知っとって欲しかっただけや。
 一回、ダブルスが固定した頃にシングルスで出ろ言われて…。シングルスでよかったんやけど…」
「……」
「…決まった時、納得いかへんかったんは俺やった。なんで岳人とじゃアカンのや、て。
 …岳人の方が、あっさりわかりました、て言うてたわ」
 そう言う従兄弟の顔は星空に向かっていて、読めないけれど、ノロケかなんて茶化したら一生口利いてくれないんじゃないかと思う程、真剣で。
 だから、言えなかった。

 お前、引き留めて欲しかったカノジョかい、なんて言えなかった。





 俺はあれが抗わないだけだって気付いたから、無性に腹立ったね。

 聞いてきた財前に、向日はそう言った。
「何事にも器用にあわせんだよあいつ。周りがすごいなぁ、っつったらそれなりの態度でそれなりに動くわけだ」
「…それ、ええことちゃいますか」
「それが性格だったらなんも言わねえよ。あるいみ性格だけど。
 あいつ、転校滅茶苦茶多くて。従兄弟に聞いてるか?
 あいつの冷静って、数歩下がった後ろから物事を傍観する転校生人生の習い性らしいんだ。
 転校生ってそうじゃん? 顔色はうかがわねえけど、一歩下がって傍観者。
 で、上手い感じにとけ込むんだよ。無難に」
「…、」
 千歳がそうかとも思ったが、違うと思い直した。
 あれは生来が傍観者なだけだ。他は図々しいし。
 そもそもとけ込んでないし。
「無闇に反発したがる転校生っていねえだろ。転校多いヤツなんか馴れだからよ、特定仲良くしないでみんなに合わせて抗わないで評価受け入れて笑って、みたいな。
 あいつ以外に転校生見たことあるけど、思い返したらみんなそうでやんの」
 なにが初めだったかなんて分かり切っている。
 先輩たちを一人で倒した跡部に挑んだあの日、最初の日。
 あれが侑士を特別にした。本人はそうなる予測などしていなかった。
 けれど跡部が認めたヤツには構い倒すから、「氷帝の天才」と何度も言うからそしたら、周りだってそうなんだ、って。すごいんだって扱う。
 そうしていつの間にか「氷帝の天才」になって、でも本人は卑屈じゃなく敵わないって人を冷静に見る。
『お前は氷帝の天才じゃなくて「忍足侑士」って馬鹿だろ?』
 言ったら、嬉しそうに立っていた俺を見上げた。
『おおきに』って言ったら殴ってやろうかと思ったのに。
『お前がおればええ』
 そう言うから。
『なに、告白されたん俺?』
『みたいやな』
『他人事かよ』
『…自分事やけど、岳人の気持ちは岳人のもんやし』
 それで負けた。もういいよ、付き合うよって、自分から抱きついた。
 嬉しそうに耳元で笑うから、もういいって思ったんだ。

 ふらっと、またいなくなる不安。
 それは三年間も学校を共にしたら消えたけど、でもあの日俺がいなくなるなって言わなかったらいなくなったんじゃないかってずっと疑問だ。
 一生、あいつが傍にいても消えない疑問。
 もう過ぎた通過点の道の物語。付箋を貼ってあるってだけのページの出来事だから、大人になって読み返して、ああそういえばって思うだけできっと充分。
 俺はそれで充分。

 でも、侑士は多分そうじゃない。

 あいつは、一ヶ月毎か、あるいは一週間毎にそこに戻ってあの時こうしてなかったら俺とも付き合ってなかったかもとか、そういうくだらないこと考える。一人で。
 どこが天才だよ。あれは器用貧乏っつんだ。むしろ迷子だ。
 一回や二回、ダブルスじゃないオーダーが出るのがなんだよ。
 むしろあるだろ。普通だろ。よっぽどダブルスじゃないと使えねえヤツならまだしも、侑士はそうじゃねえし。
 青学の不二も違うけどアリナシならアリだろ。逆だけど。
 勝手にへこんで、一人で泣くような。
 俺は悲しくねえのに、あいつは悲しいって泣く。
 嫌じゃないけど、だから付き合ってんだけど。
 あいつの不安は信頼や信用とは余所だから、俺が疑われてるわけじゃねえしいいんだ。
 あいつがたまに不安になって泣くのは仕方ない。俺がどうこう出来る範疇越えてるから、なにもしない。傍にいるくらいするけど。
 泣かれたって不安がられたって俺はあいつが好きなんだし、だからそういうヤツだって丸ごと好きでいる。
 だから、現状不満はない。

 って、丸ごと言ったってあいつは不安なんだから、正攻法なんかとっくに諦めたっつの。




「岳人ー!」
 食堂から財前がいなくなって、すぐ侑士が来た。
「なんだよ。どうせロッジで会うじゃん」
「今会いたいんやー。んー。相変わらずちまくて可愛え」
「はいはい。…なんか沈んでる?」
 抱きしめられて、標準より小さい向日はすっぽり忍足の腕に収まる。
 そこから伺われて、話しただけでキた、と笑顔なのに疲弊した顔。
「…疲れたんなら笑顔はやめろ。従兄弟相手でもダメかよお前ホントどんだけ転校生人生でダメになってきたんだよ。いや得の方が絶対多いけど」
「…そうなん?」
「お前の性格、好きだしさ。不安がるとこ以外。
 だから跡部も認めてんだし。人格形成じゃん。転校がお前の場合」
「…そうか?」
「…なんで疑問系。いいんだよ。収まるトコに収まれば!
 結果、氷帝に来て俺とダブルスやってる。知ってっか?
 人生に選択肢は端からねえってよ。振り返ると一本線が背後にあるだけで、あの時ああしたらって考えは無意味だって。あの時ああしたらのああしたらはもう別の世界だから。
 お前は一本道歩いてきて、今ここにいて。…なんか不満かよ?」
 小さい身体で、男前に問われて、そしたらもう笑うしかない。
「…いや、大満足」
「だろ?」

 だから、不安でも前に進んでるならいいんだって。後戻り出来ないんだから、楽しく行こうぜ。



「…そういや、その考えで行くと千歳も収まるトコに収まったってことか?」
「それは認めへん!」
「…お前、結局白石のなんなわけ?」








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