------------------------------------------
Holds
------------------------------------------
放課後の帰り道、すっかり暮れた夕陽の欠片が空の隅の方で消えかかっている。
押し潰されそうなほど、暗い空。
「それでね、英二が“それは違う”って言うんだけど。
そうだよねぇ、手塚?」
傍らで楽しそうに話す声を受け取りながら、手塚はすぐには答えが出ない。
「あはは、困った?」
「…別に」
「嘘」
とん、と足を止めて目の前に立って指を出して、眉間を指さす。
「皺、寄ってる」
「不二…」
「困らせようっていうんじゃなかったよ。馬鹿だね手塚。
“ああそうだな”とでも言っておけばいいのに」
そんなことも判らなかったの?
そう言ってまた、不二は笑う。
ざわめきの遠くなった世界。
音は、風と靴音と彼の声だけ。
「……不二」
何か言おうとして、でも笑った顔を見て、手塚は結局何も言えなくなる。
「ほら、止まってないで。早くいこ? 本当に夜になっちゃうよ?」
別に歩いていたって夜になるのだけれど。
不二の言い方がらしくて、少しだけ笑う。
「ああ」
道路の片隅。
ちらちらと点灯する外灯の周りに、虫が飛んでいる。
「手塚」
「なんだ?」
少し先を歩きながら、少しだけからかうような口調で不二は言う。
母親に玩具を強請る、子供みたいに。
「手、繋いでい?」
「…手?」
「そう」
笑いながら言われて、手塚は少し考える。
今は暗いし、滅多に人は通らないだろう。
でも此処は電灯の下で。
もう少し暗い方に行ってからの方がいいんじゃないだろうか。
とか。
「また、皺」
不二がまた、眉間を指さして笑う。
「不二」
「いいよ。言ってみただけ。ごめんね?」
くすくす笑って軽い足取りで先へ行ってしまう不二を、手塚は何と言ったらいいかわからない思いで見つめる。
点滅する電灯を通り過ぎる。
影が濃くなる。
暗い。
「ねぇ、手塚」
振り返らずに、不二が言う。
声の調子は、軽いけれど。
振り返らない。
「…なんだ?」
相変わらず堅い声に、くすりと零れる笑いが耳まで響く。
間に電灯を挟んで、不二は手塚を振り返る。
白い、点滅した光の遮られるように、遠近感を失って姿が見える。
笑顔も。
「好きだよって言ったら――――――――――君は振り返ってくれる?」
手塚が、意味が判らないという風な顔をしたのが遠目にも判った。
何を言って居るんだとか、振り返るのはお前じゃないのかとか。
そんなこと、言いたげに。
だからまた、不二は笑う。
「……冗談」
そう言って。
手を上げて。
「じゃあね、また明日」
そう言って、駆けだして。
名前を、自分の名前を彼が呼んだかなんて知らない。
ああきっと、また眉間に皺があるんだろうなぁ。
増やしてるのは、自分なんだろうなぁ。
頬に触れる、凍えた風。
手を繋いでなんて、言わなくて良かった。
言わなくたって、時折、不意打ちのような不器用な優しさで。
頬に触れて、“寒いか”とか訊くから。
それだけで、泣きたい位嬉しいのに。
好きだよ。
本当はずっと一緒にいたい。
弱音も強がりも何もかも言って。
息も出来ないくらい抱き締めて。隙間もなくしてしまって欲しい。
そんなの無理だって判ってる。
君はいつか、ずっと前を歩いていくんだろう。
走り疲れたわけではないけれど。
とんと、立ち止まる。
測ったわけでもないのに、また電灯の下。
点滅していない、返られたばかりの明るい光。
きっと、呆れたかな。
でも狡いなぁ。
「…狡いなぁ、僕ばっか好きだなんてさ」
確認したい。
いつまで隣にいてくれるのか。
いつか、前ばかりを向いて歩いて行くときに。
僕が好きだと言ったら、一瞬でも君は振り返ってくれる?
「何が狡いんだ」
思わぬほど至近距離で聞こえた声。
「…っ」
息を呑むのと同時に、名前を呼ぶより顔を見るより先に。
抱きすくめられた。
「……てづ…か……?」
腕を回されて、抑え付けられた彼の胸の中で、早い鼓動がする。
「振り返る必要なんてあるのか?」
耳元でする、低い声。
「てづ……、此処…明かりの」
「それがどうした」
「それがって……人」
先程、自分から手を繋ごうとか言ってた癖に、この時になってそんなことを言っている自分がおかしい。
腕の中で、彼の服を掴んでいるのに。
離れたくない癖に。
「そんなことはどうでもいい」
「…て」
「振り返る必要なんかない」
「ずっと、隣にいるのに」
どうして。
「…………やっぱり、手塚狡い」
そんな風に、不意打ちで欲しい物をくれるの。
欲しくなる。欲しくなるよ。全部。
「狡くていい」
そうやって、何時も何でもないように笑うから。
辛いとか全部、押し隠すから。
本当は後悔したんだ。
繋いでやれば良かった。
保身なんか考えずに。
すぐに、抱き締めて。
やりたかったのは、自分。
「お前が、俺の腕の中にずっと居てくれる」
震えるような気配が、腕の中で伝わる。
そうだろ。
今更震えようが喚こうが、離す気なんか、自分にはない。
「それだけでいい」
笑う顔も、泣くのも、全部見たい。
誰にも見せないで、腕の中に閉じこめて。
弱さも嘘も全部、さらけだして。
息も出来ないくらい抱き締めたい。
空気も服も呼吸も、入り込めないくらい。
隙間なんて、なくなってしまえばいい。
「一緒に、帰ろう」
戻る